Ep.40: 旅の終わり

40.1 「聖人であったか。だが性格に問題がありすぎた」

「痛てて……。あの野郎、撃ちやがった」


 だがジャックが服の下に入れていた『カウンターバレー物語』に傷一つないことに気付いて、さすがに他の場所に穴が開いていないか不安になって確かめた。

 結果、銃創じゅうそうはない。倒れたときにこしらえた打ち身だけだ。


「空砲だ。分かってたのか?」

「どうかな。シリンダーに弾頭が見えなかったが、確証はなかった。まぁ覚悟の上だ。それに、あいつも本気だったぜ」


 それを聞いてミラは笑った。


「頼もしくなりやがって。それくらいじゃなきゃ勇者のスパイなんかできやしねえ」

「――スパイってのは、確かなのか?」

「ああ。横から見ても丸わかりだったろ」


 ノヴェルの目を見て、ジャックもうっすらとは判っていた。

 ミラほどの精度で読み取れないにしても――ノヴェルは『まだこの先に行かなきゃならない』と訴えていた。

 真実――撃たれて死んでもいいと思っていた。

 彼の倒れたすぐそばの墓石のめいにはこうある。


『トリーシャ・バルゼン』


 妻の傍で死ねる最後のチャンスだったのかも知れない。

 それでも、ジャックはノヴェルに撃たれる前よりもずっとすっきりしていた。


「どうする? 追うか?」

「追うに決まってるだろ。ノヴェルを助け出さなきゃならん。そのために来たんだ」

「本当にここからどっかへ行けんのか」


 ミラは尾根の先を見る。

 尾根はそれ自体岩ばかりで険しく、ジャックの話によればこの先は渓谷にぶつかる。


「首が折れてなきゃまだ走るだろ。ジェミニ車だからな。頑丈なのだけが取り柄だ」


 そこへ警察隊が駆け付けた。

 ジャックは彼らに手を振って迎え、追跡の終了を告げた。




***




 ガイドによればそこは『地獄谷』と呼ばれる。

 本当に地獄みたいなところだった。

 ガキの頃、爺さんによく言われたもんだ。

 でも爺さんのいう地獄とは違って、そこには無限とも思えるほどでかい立方体は飛び交ってなく、代わりに古い人骨が山ほどあった。

 昔はここに遺体を遺棄いき――じゃなくて葬っていたらしい。

 諸々をひっくるめてガイドにはこう書いてある。


『ロンディアの市民は、なんでも下に投げ捨てるのが好き』


 口の悪いガイドブックだ。

 さっきの博物館の壁画も、ガイドによれば正しいタイトルは『殉教者たち』だ。年寄りはいい加減なことばかり言いやがる。

 オレたちはそこで、三人がかりでひっくり返った車を起こした。

 信じられないことに車はまだ走った。

 落差がそれほどじゃなかったことが幸いしたか、渓谷が人骨まみれだったことが良かったのか――さすがに関係ないか。

 インターフェイスは頭蓋骨が気に入ったのか、いくつかを持って帰ろうとしてファンゲリヲンに「趣味が悪いからやめなさい」と止められていた。

 そのうちの一つ、頭に穴が開いているのを見てオレは内心縮み上がった。

 ――ジャックを撃った。

 オレには、ジャックが「撃て」と胸を指示したとき、『ここ以外は撃つな』と言ったように聞こえた。

 だからオレが拳銃を構えながら思わず目をつむったときは、さすがのあいつも慌てただろう。

 そうはいっても、オレにだって狙い通り当たる確証はなかった。

 致命傷にならなくとも、運悪く頭に当たってしまうことさえ――あり得ると思ったんだ。

 結論からいうとあり得なかったんだけど。

 あの場はジャックと、オレの腕を信じるしかなかった。

「撃て」「俺を信じろ」と言ったからには、ジャックにはオレの願いが通じていたんだろう。

 だから信じた。

 今から考えると震えるが来るほど信じがたいが――オレは信じた。


「まだ先は長い。疲れただろう。眠ることだ」

「――とても眠れないぜ……」


 気が付くと朝だった。

 気疲れが限界だったのか、ずいぶんぐっすりと眠ってしまっていた。


「よく寝ていたな」

「本当によく寝ていたわね」


 半笑いのファンゲリヲンに重ねてインターフェイスまでがそう言った。

 すでに辺りは明るい。


「給油は?」

「早朝に済ませた。走り通しだ」

「か、替わるか?」

「昼近くなったら頼む」


 森から森。

 そして丘。

 本当に辺鄙へんぴなところまで来てしまった。

 昼近く、小さな町のダイナーで軽く昼食を済ませ、オレが運転席に座った。


「ところで君は免許を持っているのか?」

「――免許?」

「聞かなかったことにする」


 車を出して、しばらくするとインターフェイスが眠り始めた。

 ファンゲリヲンの話では、ここを暫く北上すれば夕方前にはレッター・ラテファンという村に着く。

 そこが現代文明の終わりらしい。

 その先は先代文明の世界。一千年も昔の文明が、僅かに残滓ざんしを残すばかりらしい。

 ガイドブックはおろか、地図にさえ正確な記述はない。


「訊いた話だが――君はかなり運転は上手いのではなかったかね。あの癖のある重機を砂地で乗りこなしたと」

「ああ。ロ=アラモでか? 乗りこなしたっていえばそうかも知れないが――」


 振り落とされないように踏ん張っていたのと、製鉄所に突っ込んだのと。


「パルマあたりでは車は珍しい。どこで運転を学んだ?」

「いや――仕組みは本で読んだ。実際に運転したのはあれが初めてで、それどころか列車に乗ったのさえそのちょっと前が初めてだ。船で長旅したのだって――」

「なんと。驚いたな」


 ファンゲリヲンは本当に驚いたようだった。

 オレはルームミラーで後ろの席のインターフェイスが寝ていることを確認した。


「なぁ。答えにくかったらいいんだが……。メイヘムは――なぜイグズスを切った」

「気にしておるな。構わぬよ。メイヘムは、実のところイグズスをねたんでおった。二人は初代からの勇者。長い付き合いだったが、メイヘムはイグズスのようにつちを振るう頑健な体を持たず、そのせいで父親にも嫌われていた」

「でも友人だったんだろう?」

「そうだ。友人だった。メイヘムは『介錯かいしゃくしてやった』と言っておったな」


 ファンゲリヲンの話では、メイヘムは自国民を心底嫌っていた。

 皇位をいだ後もそれは変わらず、しかし巨人差別だけは撤廃しなかった。


「奴は恐れていた。イグズスを開放したいという思いと、イグズスを妬む気持ち。民意。結局奴は、奴隷は開放したが巨人差別を断ち切れなかったのだ。奴は差別という、『憎しみの機械』に頼ったのだ」


 でも――オレの中で、あのメイヘムがそんな精神的支えにすがったとはどうしても思えない。

 奴の強そうな鎧がハリボテだったとしても、だ。

 何より、奴が蛇蝎だかつのように嫌った国民に同調することになるのじゃないか?


「本当にそれだけか? メイヘムは、その『憎しみの機械』を回して何を得ていた」


 ファンゲリヲンは「鋭いな」と言って少し黙った。

 そしてルームミラーを確認し、小声で言う。


「今はまだ話せぬが――例えばこう考えてみてはどうだろうか。『イグズスとメイヘムは同じ力を奪いあっていた』」

「ってあの黒い力――ヴォイドの力のことか?」


 ファンゲリヲンは眠そうに、困った顔をした。


「おかしいだろ。ヴォイドってのは無限のエネルギー源なんだろ? お前がそう言ったんだ。それを奪い合うなんて」

「『宇宙を幾つも作れる。それはもう無限と言える』と言ったのだ」


 ――畜生。詐欺師の言い回しだ。

 それってつまり、実際は無限じゃないと言っているのも同じだ。


「ヴォイドが作り出す宇宙。もしそれを全部回ってかき集めることができたら無限だ。だがこの宇宙では有限であるし、ヴォイド自身も有限の量しか持たぬ。少なくとも我々の手にあるものはな――」

「お前らはヴォイドを持っているっていうのか!?」


 おっと、とファンゲリヲンは口をつぐみ、背後を気にしながら言った。


「――拙僧せっそうとしたことが口を滑らせてしまったかな」

「はっきりさせろ。お前らのあの黒い力――あれがヴォイドなのか?」

「いいや。異なるものだ。黒い力は魔力に似て、よりヴォイドに近いものだから混同する向きもあろう。共にヴォイドから生まれ、ヴォイドに返る。端的には、魔力はいにしえの女神との契約にもとづき四大要素エレメントなどの相互作用となり、ヴォイドは質量・・重力・・といったより宇宙的コズミックな相互作用となる」


 端的にと言われても――オレにはファンゲリヲンの説明が判らない。

 ヴォイドから魔力が? ヴォイドに帰る? 相互作用?

 でも質量や重力というのだけは判った。オレはそれをこの目で見た。

 つまり、あの黒い力は魔力と似ているが、どのような力に変化して作用するか、そこが違うのだ。


「混乱しているようだな。君らにはどう見えるか知らぬが、いずれ容易なものではないよ。維持管理に手間がかかる」


 だが実際、とファンゲリヲンは溜息交じりに言う。


「ヴォイドが手に負えぬ危険物なのは疑いないが、実際のところ、ヴォイドがどうかは問題ではない。ヴォイドはそう、金の卵を産む鶏のようなものだと考えたまえ。あるいは金鉱山。はるかに問題なのは金――つまり魔力のほうだ。はて。魔力とはいったい、何者であろうな。考えたことはないか?」


 ないと言えば嘘になる。

 きっと普通の人間は、魔力が何かなんて考えない。

 考えるのは、オレにそれがないからだ。


「考えたことはないか? この便利な力、生活を、文明を支えるこの力を、なぜ――魔力・・などと?」

「人しか持たないから?」

「そうではない。魔力は、わずかながら魔物も持つし、例えばあの『リオンの振り子』で見たように、星にさえある。なのに生力でも星力でも天力でもなく、魔力と呼ぶ」

「言われてみればたしかに。――なんでだ?」

「この宇宙が生まれたとき、ヴォイドは複数の力に分かれた。だが本来なら、生まれるはずのなかった力が生じたか、あるいは未分化の力が残ってしまったのだ。不思議なことに」

「は? 生まれるはずのなかった力?」


 それは例えば、林檎を四人で分けたはずが、なぜか五人目のぶんのバナナができてしまったということか?


「そう。学者は未分化の力と考えているが、生まれるはずのなかった力としたほうが直感にかなう。ヴォイドは、その力をどこからか借りて生み出した。負のヴォイド。存在し得ない力。亡霊の体温スプーキー・テンペラチャ、ミスティック・パワー。それが魔力だ」

「待ってくれ、混乱する。ヴォイド自体が、あるはずのない真の真空――負のエネルギーなんじゃなかったか?」

「ある意味ではな。不可分・・・なのだよ。ヴォイドは――真の真空に潜んでいた・・・・・。現在の我々には、ヴォイドを真の真空と分けて考える術がない。それはあるはずのないものだった。だがあったのだよ。ただ非常にまれであった。真空崩壊をともなって爆発的に増殖を始めるまではな。それは我らの前に、現れてしまった」


『真の真空に潜んでいた――』とまるで生き物のように言われ、オレは空恐ろしくなった。

 二百年前。

 真空崩壊を観測したオレの爺さんたちは、そこにヴォイドを発見し、それが宇宙のすべての力の根源だと仮定した。

 あるはずがなくとも、得体が知れなくとも、目の前にあれば人はそれを利用してしまう。

 真空にエネルギーを与えているのは別れきらなかった宇宙の種――ヴォイド。そこから更に力を借りて、魔力が生まれた。

 魔力はヴォイドが生み出す――本来存在し得ない、未分化の力。

 あの黒い力も、魔力と似たものらしい。


「だがことはそう単純ではないな。我らは、ヴォイドによって消滅しかかってもいるが、ヴォイドによって生かされている部分もある。この世に魔力があるということは同量のヴォイドがあるが、それは無限といってもよい量で、事実、星にすらあるのだ」


 興味深い話だけど――オレはけむに巻かれているような気もしていた。

 だからオレは結論を急ぐ。


「わからない。イグズスとメイヘムは何を奪い合った?」

「ヴォイドは魔力を生み出し、黒い力ももたらす。そしてそれは有限である。判らないかね? 彼らだけではない。オーシュ、イグズス、メイヘム。この三人には、明確な共通項があった。力の濫用らんようだ」


 共通点。

 あの黒い力で、自分自身の肉体を拡張したり補強していた奴らだ。

 自身の肉体強化にあの力を使う者は、その肉体と引き換えに常に力を濫用していたということか。


「とりわけ濫用を嫌ったのがソウィユノだ。ソウィユノは力の使用と回――まぁ、計算高い男だったのだ。細かい計画を立てていた。オーシュらはこの対極にあり、ソウィユノの主導でオーシュは追放された。力を使えないよう、勇者としての自我を封印されてな」


 それでオーシュはカナリアとして潜入させられていたのか。


「ゴアは? ゴアはどんな奴だった?」

「二世代勇者の中では優秀だった。もっとも、彼の乱暴なやり口には、皆少々閉口していたがね」


 ゴアの言った『計画』――そしてオーシュ。

 なるほどそういうことなら仕方がない、とは思わない。絶対にそうは思わない。

 でも奴らも、奴らなりの考えがあった。時にはそのために味方も切っていたことが判って――オレはなぜか、少しホッとしていた。

 ソウィユノもオーシュもメイヘムも、皆謎の答えのすぐ傍にいたんだ。

 オレと奴らとをへだてていた壁。

 それが崩れた気がした。


「だがもう、皆死んだ。マーリーンを引き入れられなかったとき、我々も計画を見直すべきだったのだ。ソウィユノが死んで、歯車が狂ってしまった」


 でも――そうしてみれば、今一番謎に包まれているのはこのファンゲリヲンだ。

 一番長く行動を共にしているのに、オレにはこいつが何を考えているのか判らない。


「お前はどうなんだ。やけに他人事みたいに言うが、お前だって勇者だ」

「拙僧は――他の者のような力もなく、冴えた攻撃魔術もない。あのお方さえ守れればよいのだ。あのお方さえ無事なら、また勇者を作れる。この星も、人類も守れるのだ。そう、ヴォイドの神さえ――」

「そうじゃない。それは勇者として言ってるんだろ? お前は一体、何がしたいんだ。列車、教団、自分の領地――あんな――理解できない」

「拙僧は勇者だ。勇者には勇者のやり方がある――それは知っておろう。理解せよとは言わぬ」

「そんな言い方はずるいぞ!」


 オレは、それを繋いで理解したいんだ。


「拙僧か。そうだな。拙僧は、勇者にさえなれば、世界を救えると思った。あらゆる責め苦と離別から。拙僧はな、欲張りなのだ。無欲とは正反対で」

「上手くいかなかったか」

「――そうだな。拙僧には大した力が与えられなかった。人を操る力のみ。しかも死人だ。生者も操れると思ったのだが――失うばかりであった。教団も、デルも――」

「教団はお前が自殺に追い込んだんだろ!」

「結果的にはそうであるな。拙僧には、あのノックスとサマスという男が何を考えているのか、読み切れなかった。気が付いたときはもう手遅れであったことだよ。拙僧には見届ける必要があった。自ら作った教団の信念、その顛末てんまつを。――もっとも、惜しくはあった。思いとどまるようには言ったのだがね」


 ノックス。

 ミラを鞭で打った、あのサディスティックな教団幹部だ。

 教団があんな異常な集団になってしまったのは――ノックスやサマスのせいなのか?

 にわかには信じ難い。

 ただ――ノートンと考えたように、あの教団はファンゲリヲンが作ったものだが、その後の発展の大部分はファンゲリヲン抜きで説明できてしまうのだ。


「ハックマンは?」

「あの嘘つきの記者か。あの男だけは、拙僧が直々じきじきに裁いたな。あの男は、ロンディアの事件を探っておったし、ましてメイヘムがディオニスだとばらされるわけにはいかなかったのだ。奴の書いた記事の通りにしてやったのだが――まあ、喜びはせなんだ」


 自業自得だって言いたいのか。

 でも無実の人間だって大勢いた。

 脱線させられたウェガリア行きの列車の人たちだ。


「ゴードンは!? ゴードンのことは言い逃れさせないぞ!」

「言い逃れはせぬよ。しかしゴードン。はてゴードン……」

「列車の機関士だ! イグズスが脱線させた列車の――」

「現場で瀕死だったあの機関士か。応急処置して戻したが、見たことは忘れてもらわねば困る。列車には娘も、嘘つきの記者もいると乗客名簿で判っておったのでな、言伝ことづて――警告を頼んだのだ。趣味が悪かったのは認めよう」

「中にいた子供は!?」

「誓って、子供に手をかけてはおらぬ。拙僧は死者しか操れぬのだ」


 ――オレもつい、思い出して熱くなってしまった。

 ファンゲリヲンに列車をどうこうするなんて不可能だった。

 あれはイグズスのやったことだ。イグズスの一振りで列車は脱線し、あの子供は死んでいた。

 ゴードンも腹に重傷を負って、ファンゲリヲンが治療し、そのついでにオレ達に警告を発した――こいつの話では、そういうことになる。


「ただの警告じゃなかったろ」

「そうだな。――だが仮に手紙を書いて君たちのウェガリア行きを阻止できただろうか? 勇者を追う者にはそれに見合った罰を与えねばならぬ。道行きを妨げるのは、旅人としては心が痛む――まあ、君たちは強行したが」


 どうあってもオレたちをロ=アラモへ行かせたくなかった。それはわかる。あそこには大皇女様も、メイヘムもいた。その正体に気付く可能性があった。

 ――気に入らない。何でもかんでも理詰めみたいに言いやがって。

 そのくせ、肝心なところは『君には判らん』みたいに突き放す。

 そういうところが信用できないんだ。

 オレは無言で、運転に集中を戻す。

 もうどれくらい走っただろうか。


「いきなり列車を破壊するなど――イグズスの行動には拙僧も驚いたよ。君たちを殺すと言って息巻いておったからな。彼はメイヘムが生きていると知らなかった。海でからの鎧を見て死んだと思い込んで以来――拙僧らが御所の偵察中だと言っても理解せぬ。イグズスとまともに話ができる者は限られていた――」


 訊いてもいないのにでてくる述懐じゅっかい

 声からすると眠いのだろう。

 何も語らずに死んでいったイグズスやメイヘムのぶんまで、このまま訊いてもいない言い訳を始めるに違いない。


「思い込みで――いきなり列車を脱線させたのか」

「奴めはモートガルドの南方戦線に乗り込みおってな。そこでメイヘムが死んだと確信したようだ」


 イグズスはオレたちがメイヘムを殺したと思っていた。


「拙僧は乗客名簿を調べ――列車を間違えたと気づいた。名簿によれば列車には――君と娘――あとあの嘘つきの記者もいると判っておったのでな。あの記者は、ロンディアの事件を調べておって――」

「それはさっき聞いた」


 眠いせいか、話がループし始めた。

 年寄りのごとってやつだ。

 でもふと、気になることもあった。


「そうであったか? イグズスがあのお方と共に列車を追い――拙僧は高所恐怖症であったからロ=アラモ行きは辞退してウェガリアで――あの記者を」

「待て待て、その『ロンディアの事件』ってのは、『仕立て屋ギル』のことだよな? ハックマンが『仕立て屋ギル』って奴を探ってたら、何か不味いのか?」


 それは城へゆけば判る――とファンゲリヲンは言った。


「可哀そうな子だよ。世が世なら聖人だ。いや、聖人であったか。だが性格に問題がありすぎた」

「――ずいぶんと踏み込んだ話をしているのね、放蕩ほうとうの者よ」


 インターフェイスが起きていた。

 ファンゲリヲンは気まずそうに「何、世間話だ」と誤魔化ごまかす。

 世間話――オレには、ファンゲリヲンの言うことが全て本当だとは思えない。

 奴が眠そうにしていなかったら、『都合のいいことばかりいうな!』と言っていただろう。


「あなたが何を考えているのか、私には判らないわ――でもこれだけは肝に銘じて。あなたは勇者。それ以上でもそれ以下でもない。あのお方の意向には――」

「わかっておるわかっておる! 拙僧はお前よりあのお方とは長い。きっと気に入るぞ」

「どうかしら」

「お前も気に入っているだろう」

「いいえ」


 ――何の話だろうか。

 少し眠る、と言ってファンゲリヲンは横を向いた。




***




 やがて着いたそこは、本当に寒村というか小集落だった。

 湖畔の村、レッター・ラテファン。

 人口五人。

 ガイドにはその村は載ってない。目で数えた。

 いや本当は家の中にたくさん人がいるのかも知れないが――それにしたって家の数が十軒くらいなんだから、百人にはならないだろう。


「ここに泊まるのか?」

「宿泊施設などない。少し早いが夕食にしよう」


 車を停め、ファンゲリヲンについて小さな食堂に入ってゆく。

 店主は慣れたようで、ファンゲリヲンの姿を見ると何語かで軽く挨拶を済ませ、オレたちをテーブルへ導いた。

 オレが挨拶しても、彼らは素朴な、半端な笑い顔で返された。


「共通語は通じないのか」

「共通語どころかここではカレドネル語もろくに通じぬ。彼らはこの地の固有語を話す最後の民族だ。勇者も知らぬ」

「へぇ。ならお前らを何だと思ってるんだ」

「王族だと思っている。かつてのアレン=ドナの持ち主だ」


 運ばれ来た皿は温かいスープと柔らかいパン。

 とても質素だが、このあたりじゃ贅沢品だと判った。


「彼らは肉も食うが、どうも素性の怪しい肉らしい。王族には出せないと言っておる。旨いか、インターフェイス」

「――おいしいわ」

「たまにはこういうのも良かろう」

「……」


 食事のあと、インターフェイスは告げた。


「放蕩の者よ、あなたは戻るべきではないわ。ノヴェル・メーンハイムは私が城まで連れてゆきます」

「それはなぜだ、インターフェイス。そもそもお前は、拙僧を連れに来たのではないか」

「私に理由を知る権限はない……忠告はしたわ」


 食堂を出て、ディラック湖に沿って車で更に北を目指す。

 ここからはもう、地図も当てにはならない。

 未測量地帯だ。

 でも地図によれば、ストーンアレイが近い。


「ストーンアレイだ。見てみたいもんだなぁ」

「そこも聖地のひとつだ。女神の泉もあるが、女神がおらぬではただの池だ。巨石が並ぶ以外は、例の天文台――それと施設」

「施設?」

「ブリタのアカデミーがやってきて、実験施設を作った。なかなか興味深い施設であってな」

「放蕩の者よ、おしゃべりが過ぎるわ」


 夕陽が沈んでゆく。

 泉。女神。

 スプレネムをめぐって死闘を繰り広げたのも、なんだかもう夢のようだ。

 さっき、車中でだいぶ問い詰めたつもりだったが――オレはまだもやもやが晴れないでいた。

 勇者は理解できない。オレたちとは理解しあうことのない、敵同士だ。

 それでも――目の前のこいつは、勇者なのか? そうじゃないのか?


「ファンゲリヲン、一つ聞いていいか。いや、意見が聞きたい」

「意見とは珍しいな」

「お前が教団を作ったのは――悪意はなかったと信じる。というか、信じたい」

「信じてくれるか。治せる病も増えたが、治せぬ病のほうが多い。人を救うのは人だ。それも医者とは限らぬ」

「あのとき死霊になったオフィーレアも、お前が操ったんだろう?」

「ふむ、白状するとな――いや、まあよかろう。そうだ。拙僧が命じた。スプレネムを奪えとな」


 そういうところがもやもやするんだ。


「あの後、不思議なことが起こった。あのとき、スプレネムは二階にミラといた。オフィーレアがそこへ入ってきたのに――なぜかオフィーレアは、スプレネムを奪おうとしなかったんだ。それどころか自殺――いや、自壊を選んだ。あれもお前が命じたのか?」


 ファンゲリヲンは首を横に振った。


「拙僧が命じたことではあらぬな。細かい方法も指示してはおらぬ。そうか、あの娘が、自壊を――」

「なぜだと思う? オレはどうも、それだけ納得がいかなくて――」

「オフィーレア。名前はよく覚えておらぬが、サマスやノックスとは異なるタイプの野心家であったな。ノックスの洗脳にもかからず、正直あの場で毒をあおるとは予想していなかった」

「まぁ、そうだ。あいつはそういうヤツだった」

「だが拙僧には、あの娘には独自の救いがあると見えていた。あの娘はな、かつての幸せだった頃に戻りたかったのだよ。それだけがあの娘の救いであった」

「かつての――アレンバラン男爵のことか?」

「いいや。拙僧に見えたのは、パーティーだ。ミランダと、そしてスプレネム。まだ三人で出会った日に戻ってやり直したいと、あの娘はそう強く願っていたのだ」


 そうか。

 彼女にとって運命の分かれ道になったそのパーティーの日以来――彼女はミラか、スプレネムかを選ぶのを強いられたんだ。

 そうして彼女は、どちらも選べずどちらとも切れてしまった。

 ミラもスプレネムも行方不明になった。一人ファサに残された彼女は、二人を取り戻したかった。


「だが――難しかったのだろうな。ミランダは、拙僧の言いつけで女神とは疎遠になっていた。スプレネムも、あのような性格である」


 オフィーリアには二人を取り戻せない。どれだけ手を尽くしても、どちらかしか取り戻せないとしたら。


「そうか。それでオフィーレアは、ミラを殺そうとしたんだ。そうして、スプレネムの元へ行かせようと」

「そのような教義は作ってはおらぬ。だがミランダはとんだ跳ねっ返り娘だ。そうでもしなければ言うことを聞かぬ。だからそうかも知れぬな」


 オフィーレアは、教団の中にあって実はその中の別の宗教の信徒だったと言える。

 もともと真っ二つに割れた教団だ。何も不思議はない。


「でも――あの日、あの部屋で、オフィーレアの願いは叶ったんだ。あそこにはミラと、スプレネムがいた。居ないのは、オフィーレアのほうだった。だから彼女は――」

「絶望したのではなかろう。過ちに気付き、望んで自壊した。前向きに過ちを正したのだ。あの娘は救われた。拙僧はそう信じる」


『そう信じる』。

 やはりこいつは、違う。

 オレが戦ったあのファンゲリヲンとは別人だ。

 オレが殺そうと飛び掛かった敵は、実はどこにもいなかった。

 少なくとも、今はもう――。


「ファンゲリヲン」

「何だ」

「――なんでもない」

「納得したのなら良い」


 道は湖に沿って、どんどん険しくなってゆく。

 やがて道はなくなり、なだらかな尾根に沿って登ったり下ったりし始めた。

 湖が見える。

 巨大な湖だ。

 その中心に、小島がある。

 そこに見える灰色の古い城。

 あれがアレン=ドナ城だ。

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