38.4 「あんたみたいなガキが行ってどうすんの!? 見たでしょ! 機関銃を持ってる!」

 銃の乱射、そしてブーマン・ファミリーのヘルロフに続き、今度は二階からバタバタと足音がした。

 黄色い叫び声も聞こえる。

 アルドゥイノはそれに気づいて、天井に向かって叫ぶ。


「降りてくるんじゃねえ!」


 バタバタという足音は止まらない。

 裏のほうへ回って、階段を駆け下りてくるようだ。


「アルドゥイノ君。この場は拙僧せっそうらに任せて君のハーレムを守りたまえ」

「守るってどうすりゃあ――」

「この家の一番頑丈なところにひそんで、頭を下げているのだ。すぐに済む」


 アルドゥイノはうなずいて、部屋を駆け出してゆく。

 オレも体が勝手にアルドゥイノに続き、部屋から転がり出る。

 アルドゥイノは廊下を走って行ったが、オレは部屋を出たところで止まった。

 ――ファンゲリヲンは相手の力を利用しないと敵を倒せない。

 もしオレの読み通りなら、奴は銃の乱射に手も足も出ないはずだ。

 ドアの脇の壁に滑り込んで屈み、背中をつけて中の様子をうかがう。

 ファンゲリヲンの背中が見えた。


「――それで良い。裏から追手が来たら知らせなさい。弾に当たらぬように」


 次から次へと、外から黒い武器を抱えた男達が入ってくる。

 窓の外には他にもマフィアがいて、武器についた丸い部品を交換している。

 あれが――ジャックのとは違うが銃だ。

 廊下の壁に浅くめり込んだ小さな弾を、指でほじくり出して見た。

 丸い。そして熱くもない。

 おそらく空気魔術によるものだ。


「短機関銃ね。何があったの?」


 不意にそう声をかけられた。

 驚いて振り向くと、そこには髪の長い、ぼってりとした唇の女が立っている。

 下着の上に半透明の薄物をまとっただけの姿で、オレは思わず目をそむける。

 半裸のことよりむしろ、右肩から右腕をすっかり覆った包帯が丸見えで痛々しく見えたのだ。


「そいつを持った連中が山ほどこの家に押しかけてる!」


 ははぁん、トラブルね、と覚悟したかのように女は言う。


「圧縮空気式だわ。大した威力はないけど、空気魔術が苦手でも扱えるから頭数をそろえるのにちょうどいいの」

「その頭数だ。囲まれたらまずい。――オレとあの勇者が、あんたたちに迷惑をかけた。上に行って、アルドゥイノと合流して隠れていてくれ!」


 ドン、と音がした。

 慌てて応接間を見ると、ファンゲリヲンが床にひざをついている。

 そばで拳を握り、勝ち誇ったようにわらうヘルロフ。


「ファンゲ――」


 オレが慌てて助けに行こうとすると、ファンゲリヲンはうずくまったまま掌をこちらに向ける。

 来るなということだ。

 ヘルロフはオレに気付く。


「おや、ガキ、まだそんなところにいたのか? お前の賞金はこの老いれの二倍だ。一体、どんな悪さをやらかした」


 へらへらと嗤いながら、ヘルロフはこちらへ歩いてくる。黒コートのすそひるがえして。

 ――まずい。逃げなきゃ。

 同時に、ファンゲリヲンが落ちていたガラステーブルの破片を掴むのが見えた。

 それを振り上げて、今まさにファンゲリヲンの横を通り過ぎようとするヘルロフの腹へ叩き込む。

 他のマフィアたちも構えた銃を向ける。

 まばたきするほどの間だ。


「ぐ……ぐぉぉ?」


 ヘルロフは驚いた顔をする。

 パパパパパと短機関銃が火を――いやエアーを噴く。

 しかし一瞬早く――ファンゲリヲンは膝でヘルロフを蹴り上げて二つ折りにし、盾にしていた。

 オレは陰に隠れた。


「があああああっ痛ぇっ! やっ、やめっ!!」


 長い悲鳴がして、破裂音が鳴り止んだ。

 コロコロと丸い鉄の弾が、オレの足元にまで転がってくる。

 中を見ると、ファンゲリヲンに抱えられたヘルロフはまだ生きている。

 おびただしく出血し、苦痛に顔を歪めているが――叫べるほどのダメージだ。


「やめろっ撃つな!!」


 銃撃はもう止んでいるが――痛みは止まないのだろう。


「撃つなと申しておるぞ」


 ファンゲリヲンはそう言うと、ヘルロフの足を掴んでその体を振り回し始めた。


「ヘルロフ君が重症だぞ!」


 傷ついたマフィアのフルスイング。

 ヘルロフ自身を武器に、前に立っていた二人のマフィアを一撃で倒し、血しぶきで他のマフィアの目を潰す。

 連中は部屋から庭へ逃げようとして、血で足元を滑らせ激しく転んだ。


「や、やめろぉぉっ!! 離せ!!」


 言われた通りファンゲリヲンが手を離すと、ヘルロフの体は割れた窓から庭へ向けてすっ飛んでいった。

 そのままファンゲリヲンは床を転がって、倒れたマフィアの銃を奪い、室内に残る男達へ向けて乱射する。

 マフィアははちの巣のようになり、絶叫を上げながら崩れ落ち、またある者は頭を庇って丸くなる。

 銃弾が空になるまで撃ち切った。

 部屋の右奥に、負けじと銃を構える者がいた。


「右だ! ファンゲリヲン!」


 すかさずファンゲリヲンは銃を捨て、再び床を転がって銃撃を避ける。

 背中のマントを放り、それに男の注意が一瞬だけれると、その隙にファンゲリヲンは一気に接近しながら飛んだ。

 着地地点は男の銃。

 それを踏みつけると、ストラップで体に固定していた男は思い切り前のめりになり――その無防備な後頭部にかかとの一撃を加えられ、ひとつうめいて崩れ落ちた。


「お前らぁっ!! 何してる!! 早く片付けろ!! 皆殺しだ!!」


 ヘルロフの声がした。

 今度は外だ。

 室内のマフィアが片付くも、外にまだ控えている奴らはいる。


「外から来るぞ!! ファンゲリヲン!」


 どれ――と、腰痛をようつういながら大儀そうに上体を揺らし、敵を目視する。

 更にオレの背後の方向――家のおそらく表玄関からも、乱暴にドアが蹴破られる音がした。

 ドカドカと廊下を走ってくる音。


「何、何!? 抗争ってやつ!?」


 喜ぶような黄色い声で、オレは傍にさっきの包帯女がいるのを思い出した。


「その抗争だよ! 早く逃げて――何か武器になるようなものはないか!?」

「武器、武器――あるわ! こっちへ!」


 女はオレの腕を引いて駆け出す。

 向かう先から「ジジイとガキは居室か!?」「お前は二階をあたれ!」と声が聞こえてきた。

 その声を避けるかのように、女は一階の別の部屋に飛び込む。

 その部屋はどうやら彼女の私室で、何に使うのか判らない三角形の木馬らしきものやブッ蝋燭ろうそくが沢山ある。

 彼女はおもちゃ箱のような箱を漁って――。


「ほら、武器!」


 投げてよこしたのは――むち


「鞭なんか使ったことない! 他にないのか! ナイフとか」

「じゃああたしが使う!」

「いいよ! オレが使う!」


 オレは鞭をしごくと、外へ飛び出した。

 狭い廊下の奥を、黒服の男たちが曲がってくるのか見えた。


「いたぞ! ガキだ! ――大人しく投降しろ!」


 奴らは銃を構え、止まることなく走ってくる。

 オレも奴らに向かって走った。

 あの銃を鞭で奪えれば――とオレは鞭を振るう。

 鞭がヒュッと風を切る。

 奴らは廊下の途中で止まり、身構えた。

 鞭は思ったよりもずっと長く――その先端は、壁をこすりながら減速し、奴らの銃をペシッと軽く叩いて、くたっと床に落ちた。


「――は?」


 何をされたのか判らず、マフィアどもは首をかしげる。

 オレも何をしようとしていたのか判らなくなった。


退いて!!」


 背後から甲高い声がして、オレは振り向きざまに思わず飛びのく。

 ガラガラと車輪の音が、廊下を滑って目の前を通り過ぎる。

 鼻先をかすめて暴走するそれは――さっきの謎の三角形の木馬だ。


「――!? あっ」


 それは廊下をやってきたマフィアどもを直撃し、銃を払いのけ、奴らを蹴散らしながら爆走する。

 それを後ろから押しているのはさっきの彼女だ。

 オレの後ろのほうからも「ぐあああっ」と叫び声がした。

 振り向くと階段の上から、ゴロゴロと転がり落ちてきたマフィアども。

 何が起きてるんだ。

 階段下に寝ているマフィアどもの上に、続けて落下してきた三角木馬が直撃し、奴らはぐったりと意識を失った。


「ブーマン・ファミリーがナンボのモンだっていうんだい! 二度とくるんじゃないよ!」


 上を見るとやはり半裸の女性が手を拭いながらそう叫んでいた。

 何なんだこの家は。

 部屋ごとに三角木馬があるのか?

 とにかくオレは、廊下の先でどうにか起き上がろうとしているマフィアを踏みつけながらさっきの包帯女の後に続く。

 廊下を曲がるとその先は裏口だ。


「早く! こっちへ!」

「助かる!」


 彼女に導かれ、オレは外に出た。

 激しい銃撃戦の音が聞こえる。

 家の向こう――さっきの前庭からだ。


「――待ってくれ、ファンゲリヲンを助けないと――」

「あんたみたいなガキが行ってどうすんの!? 見たでしょ! 機関銃を持ってる!」


 たしかに、屋内みたいな地の利はないかも知れない。

 敵はどれくらいいるんだ――オレは制止を振り切って、家の脇を回り込む。

 前庭に通じる通路だ。並んだ鉢植えが邪魔で歩きにくい。

 上は二階のバルコニーが張り出し、右手側はすぐに塀。


「ヘルロフさんが重症だ! 上から庭を援護しろ!」


 上から声がした。

 塀の向こうの隣家を見上げると――その二階の大きなベランダへばたばたと入ってくる黒い人影があった。

 オレは身を屈めつつ、奴らがそのベランダを走ってゆくのを下から見る。

 四人。その手には銃を構えていた。


「おい! 見えたぞ! 庭だ!」


 ――圧倒的にまずい。

 しかも上からの銃撃では不利だ。

 オレは塀をよじ登って奴らの背後につこうと、足場を探していた。


「ちょっと! やめなって! あんたが行ってもどうしようもないんだから!」

「ベランダの奴らの注意を引き付ける。それくらいオレでもできる」

「撃たれるよ!」

「あの銃の殺傷力は低い。ちょっと当たっても死なないだろ」


 オレはそう言いながら鉢植えを並べて足場を作る。

 すると、オレの腕を彼女が引いた。

「これを見てよ」と言い、その細い肩をおおった包帯をまくって見せる。

 そこには――街でたまに見た、目立つ疱瘡ほうそうのようなブツブツが広範に並んでいた。


「そ、それって――」

「病気だと思った? これは銃創じゅうそう。あの銃で撃たれるとこうなるの」


 オレの見立て通り、あの短機関銃は殺傷力が低い。

 空気魔術の瞬発力を、威力と引き換えに時間方向に展開するための武器だ。

 それでも皮膚にめり込むくらいの貫通力がある。

 そのせいで、体表の浅いところに――弾が埋まるんだ。


「きれいに取り出すには医者にかかって一個、六万から十万かかる。全部取り出すようなお金は普通じゃとても払えない。あの集中攻撃を浴びたら――傷物になって傷物の人生を送るしかないんだよ!?」


 なんてこった――ファンゲリヲンはそれを知っていて、この家の女に大枚を払う約束をしたのか?

 判らない。

 オレにはあいつが判らない。

 目的のためには手段を選ばない奴だ。

 でもその目的が、判らない。

 平然と手下を見殺しにして尚利用し、時には直接手を下し、かと思えば見ず知らずのマフィアや女を助ける。

 ミラから訊いたヘイムワース卿のイメージは――家族を守り名声に悩める領主って感じだった。医学の心得を別にしたって、傍目はためには立派な真人間だろう。

 それなのに勇者になったあの男はまるで別の誰か。

 行く先々に敵や友達がいて、いつでも何かを犠牲に何かを得ている。

 作っては壊し、得ては捨て、貰っては払い――。

 そんなの分裂しているじゃないか。

 判らない。

 何も。

 オレは彼女の眼を見た。


「オレにはこうしていてもあんたの考えが読めない。欠片かけらもだ。魔力がない。――傷物? それがなんだ。オレは根っから不良品だ」


 銃声は止まない。

 足場に乗って、塀の上に手をかける。

 判らないことはあいつに訊くしかない。


「やめなって!! 悪いこと言わない! あんたまだ子供でしょ!」

「それがなんだ! 死んでもらっちゃ困るんだよ!」


 塀によじ登って、隣家のベランダの柵を乗り越える。

 長いベランダだ。

 家の端から端までぐるりと周回している。

 そのベランダの先に庭に向かって銃弾をばらいているマフィアどもが見えた。


「おい! マフィアども! こっちだ!」


 オレはそう叫んだが――マフィアどもはこっちには目もくれない。


「おい! おいって!」


 オレは叫びながら近寄ってゆく。

 腰が引けて、ゆっくりと――。


「こっちだっての!! 聞こえねえのか!」


 ――聞こえないんだろう。

 銃声と怒号。

 しかも空気魔術の使い手は、耳が悪くなりがちなんだっけ?


「こっちだって!!」


 左下には前庭だ。

 ファンゲリヲンが戦っている。

 庭の木のテーブルセットに身を隠しながら迫りくるマフィアを倒し、銃を奪い、反撃する。

 倒しても倒しても敵が来る。


「おい!!」


 思い切り叫ぶと、ようやくマフィアの一人がこっちを見た。


「なんだガキ!」

「丸腰だぞ!?」

「後で相手にしてやるからそこにいろ!」


 オレは――奴らに向かって掌を拡げる。

 勿論ハッタリだ。

 でもそれで、ようやく奴らはこっちに銃口を向けた。


「下がれ!! 手を頭に乗せて、そこへ腹ばいになれ!!」


 オレはその通りに頭に手を乗せる。

 ゆっくり、ゆっくりと――。

 時間を稼げれば何でもいい。

 そのときだ。

 低く、唸るようなロロロロロ……という音を聞いた。

 キュリオスを降りてからずっと聞いている内燃機関の駆動音。

 音楽の合間に聞こえるあの音。

 ドカン、とオレの足元が下がった。


「――???」


 衝撃でベランダのマフィアがすっ転んだ。

 朝の青空の下、赤茶色の洒落しゃれたベランダが――崩落してゆく。

 マフィアを乗せて。


「うああああっ!?」


 奴らは何が起きたか判らないだろう。

 オレも判らない。

 でもオレは咄嗟とっさに鞭を取り出し――二階の壁に向かって振るった。

 鞭の先が、壁の雨水パイプにからまる。

 同時に、足元が崩壊した。

 ベランダに駆けつけていた四人のマフィアは揃って、崩れたベランダの上を滑ってゆく。

 落ちる先は銃撃戦の真っただ中の前庭だ。

 もっとも――銃撃戦は止んで、全員が唖然あぜんとしてこっちを見ている。

 この状況で笑ってるのはひとりだけ――。


「――拙僧せっそうの予想より遥かに莫迦ばかだな、君は!」

「待たせたな、ファンゲリヲン!」


 オレは鞭一本で崩れたベランダを滑り落ちないよう、ぶら下っている。

 ファンゲリヲンは、唖然と立ち尽くすマフィアの間を素早く転がって、滑り落ちてくる奴の顔面を蹴り、そいつの銃を拾う。

 転がって、銃撃。

 数発撃って進み、また止まって狙いを定め、数発撃つ。

 きょを突かれたマフィアは次から次へと倒れた。

 後ろから飛び掛かってきたマフィアを組み伏せて盾にし、銃撃をかわしながら再びテーブルセットの陰にひそむ。

 オレはゆっくりとベランダを滑り、落ちていた銃を手にした。

 ――どうせ使えない。でも気持ちの問題だ。


「ちょっと! こっち!」


 背後――崩れたベランダと塀の間に埋まった車から女の声がした。

 その車のドアが半端に開いて、さっきの包帯女が顔を出していた。

 ベランダの下は隣家の車庫だったのだ。

 彼女がその一台を借りて、ベランダの柱と壁に突っ込んで壊した――それがカラクリだ。


「ちょっとって――ああ痛。もう! こっちを助けてよ!」


 どうやら瓦礫がれきに挟まれて車のドアが開かない。

 でもたぶん、車の中のほうが安全だ。

 あとで礼を言うのだ。

 この大騒ぎが収まったら――。




***




 飛び交う銃弾。

 その乱痴気らんちき騒ぎ。

 ――いったい、これは何事なのかしら。

 庭に入り込んだ少女がいた。

 少女に名はない。

 彼女の傍で、銃を撃ちながら倒れてもがく黒服の男達。彼女は目を細めてそれを一瞬だけ見たが――意に介さなかった。

 一歩、また一歩と庭の土を踏みしめ、進む。

 そのすぐ傍を銃弾が通り抜け、それは庭の鉢植えを砕いたり、壁を少し穿うがったり、また黒服のももにめり込んだりもしたが、少女は歩みを止めない。

 男達は、まるでそこにいる彼女が見えないかのように夢中で銃撃戦を続ける。

 彼女も、まるで銃撃戦など行われていないかのように、庭の隅のテーブルセットへと近づいてゆく。

 果たしてこの戦いに意味があるのか。

 けられぬ争いだったのなら、もう少しやりようはなかったのか――そう思うと少女は溜息の一つも出たが、いずれ彼女の干渉するようなことではない。

 割れた窓。

 崩れたベランダ。

 物陰には放蕩ほうとうの勇者。

 銃を構えた少年。

 少年には魔力が――ない。

 彼女にはそれが判った。

 ――さて。


「これはいったい、どのような趣向なのですか。放蕩の勇者よ」


 彼女がそう問うたとき、最後の一人が倒れた。

 立っているのは少女、少年――そしてすっかりげた化粧壁を背に、物陰から立ち上がったファンゲリヲン。


「これは――まずいところを見られてしまったな」


 ファンゲリヲンは、血だらけの腕で頭をきながら、苦笑した。




***




 突然鉄火場てっかばに現れたその女の子を――ファンゲリヲンは『インターフェイス』と呼んだ。

 勇者の仲間だが伝令役で、勇者ではないらしい。

 余所行きのスタイルなのか、それとも一種の装具なのだろうか、派手派手なフリルの短いスカート。

 なのに黒と紫の、地味な色使い。


「あなたがノヴェル・メーンハイム。初めまして。あなたとジェイクス・ジャン・バルゼンには多くの同志を殺されたわ」


 そのオレに対し、彼女は怒りでも恨みでも侮蔑ぶべつですらなく、全く何の感情もこもらない表情でそう言った。

 初めまして、とオレも軽く頭を下げたが――どうも妙な気がしていた。

 感情がどうこうじゃない。オレは彼女に、会ったことがある。


「彼女がホムンクルスだ」


 ファンゲリヲンがオレにそう耳打ちした。

 それならこの、『前にも会ったことがある』という感覚こそ、もしかしてホムンクルス同士が互いを見分ける感覚なのか?

 対して、インターフェイスのほうはさしてオレに関心はなさそうだった。

 あくまで人質のひとりということか。


「まさか昨日の今日で助けに来てくれるとは思わなかったぞ。最近の郵便は馬鹿にならぬ」

「郵便とは何のことです。私はあなたの魔力の痕跡こんせきを追ってここへ来ただけ――」


 なんと、とファンゲリヲンは驚いた。


「――つまり、例の仕掛けが完成した・・・・ということか?」

「いいえ。このような場所で話すことではありませんわ。しかし放蕩の者よ、あのお方のご命令で、あなたを迎えにきたことには相違ありません」

「そうか。それはご苦労。して、金はいかほど持ってきておる」


 いくら派手なドレスの短いスカートからあられもなく脚を露出しているからといって――こんな十四、五歳の少女に金をたかるとは、こいつはやはり最低野郎だ。


「――終わったのか?」


 二階の窓だったところから、アルドゥイノが顔を出した。

 オレが笑って手を振ると、インターフェイスは「あれはどなたです」と訊いた。

 あれは――と説明しようとするとオレを、ファンゲリヲンがさえぎった。


「それを説明すると長くなる。何、拙僧らの障害にはならぬ。まずまとまった金が要るのだ」

「通貨ですか。必要なだけ持っています。パルマまでの往復、八万エウラほど」

「共通通貨であろう。アムスタの現地通貨は?」

「――? なぜそのようなものが要るのです。一ペンスも持ち合わせてはおりません」

「なぬ――それは困る! 呼んだ意味がないではないか!」


 ファンゲリヲンは「手紙で旅の資金を所望したのだが」と頭を抱える。

 つくづく最低野郎だ。


「――そいつが、言ってた・・・・お仲間かい。どうだい、少しは話せる・・・んだろうな?」


 二階から降りてきたアルドゥイノが、手で『カネ』のサインを作りながら歩いてきた。


「話すことだけが私の役割ですから」


 ――まったく話せていない。


他所よそでやってくんない!?」


 塀のところから、ようやく脱出した包帯女がこっちへ向かって言った。


「あんたたちちっとは空気読んでよ! ここは戦場だし、隣のハンスさんだって、帰ってきてこれ見たらブチ切れて短機関銃持って乗り込んでくるよ!?」


 たしかに。

 軽く三十人以上のマフィアが出血して倒れ、うめいている。

 もうこれ以上、銃撃戦に付き合うのは御免だった。




***




「家の修繕費が――百二十万。隣のベランダが――」

安普請やすぶしんだったし四十万ってとこかねえ。隣の車は、ありゃあまだ走るね。塗装代くらい出してやろうよ」


 下着に寝間着で、包帯女――アンジェリカはそう値踏みした。


「ハンスさんの車は他にもあったろ。高級車のコレクションが」

「そっちは反対側だから大丈夫だよ。あんなのに傷つけたら三百や四百じゃ効かないもの」

「しめて二百万ペンスといったところかしら。住宅の改築にかかる税金はないのかしら」


 インターフェイスが試算しつつ、そう確認する。

 フリルの多い、黒と紫のドレス。

 一見お嬢様だがホムンクルス。

 地の底から捻りだすような声で、ファンゲリヲンは懇願こんがんする。


「後でまとめて請求してくれぬか。今は逆立ちしても手持ちがないゆえ――」

「女のぶん! 最低でも残り二十は今日中に出してもらうぞ! 医者は待ってくれねえんだ!」

「そうであったな――」


 金のマスク。血塗れの白スーツは穴まで開いている。

 見た目は六十過ぎだが中身はまだ五十かそこら。元医者貴族で、教祖で勇者。

 ――これは一体どういう取り合わせなんだ。

 オレは人生で一番長く深い溜息をいた。

 この、昼間から酒を飲んでるろくでなしばかりのバーでさえ、オレたちは浮き・・まくっている。


「インターフェイスの手持ちで八万エウラ。ペンスにして十万ペンスか。足りぬな」

「それを遣いこまれてしまうと私たちが帰れなくなりますわ、放蕩の者よ」

「車さえ戻れば、あとは残りでガスくらいなんとかなろう」

「計算せずとも残りなどないように見えますが」

「なぁ、ファンゲリヲン。あの高級車を売って安い車を買えばいいだろ? 差額で女に金を払う。ガス代もでるだろ」


 オレのは名案だと思ったのだが、ファンゲリヲンは「考えられぬな」と理由もなく却下した。

 場が沈黙すると、アルドゥイノがおずおずと挙手した。


「おい、勇者のおっさん。あんたのお仲間、最高にイケてるじゃねえか。うちの女ほどじゃねえが、客を取らせればとんでもない金になるぜ。特にこれ系・・・のマニアは、金払いが――」

「本気で言っているのか」


 ファンゲリヲンがアルドゥイノを遮る。


「許さぬ。戯言されごとでもそのような――」


 珍しく目がマジだ。

 怒り――じゃない。恐怖と悲しみ。

 オレはファンゲリヲンの、そんな表情を初めて見た。


「悪かった。忘れてくれ。イヤならもちろん、無理にとは言わねえ」

「私が――どうすればよろしいのでしょうか。私が娼婦の真似事をして、問題が消えるのであれば――」


 構いません――とインターフェイスがそう言いかけて、またファンゲリヲンの顔色が変わった。


「インターフェイス!!」


 珍しく怒気を含んだその声は、店内に厳しく響く。


「――馬鹿なことを抜かすな。お前ごときに、務まるわけがなかろう。アンジェリカの前でプロを愚弄ぐろうするような発言は許さぬ」

「非礼をびます。アンジェリカ」


 ――そうじゃないだろ。

 怒ったのは、本心だ。なのにインターフェイスに向けた説教は、欺瞞ぎまんだ。

 オレはなぜか、そう感じた。


「ファンゲリヲン――お前、話し合いとか苦手だろ? ソウィユノと馬が合わないわけだ」

「心外な。こうしてテーブルについているだけ、ソウィユノよりはましだ」

同族嫌悪・・・・だよ。年寄り同士、お互い頭が固いんだ。お前は結論を決めてからここに座ってる」

「あの若作りと一緒にするな。柔らかい頭で金ができるのか? こうしたことは処世術だ。これまでしてきたことがモノを言う――」


 インターフェイスは、笑うでもなく怒るでもなく、無心でオレ達の言い争いを見ていた。

 そのうちふと、オレは妙なことに気付く。


「大体だ。大陸を渡ろうというときに交通費しか持たない者がいると思うかね。日頃からろくな旅をしないからそのような――」

「――シッ。待て、何かおかしい――」


 他の客がいない。

 気が付くと――小さな裸電球が飾りのように沢山ぶら下る暗い店内には、オレたちだけになっていた。

 一体いつからだ?


「――気付いたか、ノヴェル君」

「気付いてたなら言えよ!」


 暗い店内の一番奥、その扉が開いた。

 黒服が入ってくる。

 黒服は一人――いや、車椅子を押している。

 車椅子には、若いのに生気のない男が座っていた。


「――デル坊」


 ファンゲリヲンが立ち上がろうとした。

 黒服が無言のまま、座っているように手で合図する。

 車椅子の男、デルは口にマスク――呼吸補助器――をつけている。


「デル坊――お前――どうしてそんなに」


 デルは口を動かしたが、声は少しもしない。


「放蕩の者よ、あなたに『せっかく助けていただいたのに、病には勝てず、すみませんでした』と言っているわ」

「病などと――ひと言も言わなかったではないか。どうして相談せなんだ。拙僧は医者だぞ」


 デルは穏やかに首を振った。

 そして懐から、封書を一枚取り出した。

 せた手でそれをテーブルに置き、ファンゲリヲンのほうへとわずかに滑らせた。


「『一家をまとめることも、守ることもできませんでした。そのことを深く恥じています』と」

「――わかった。委細承知した。もう喋るな」

「『自由になるだけの金を送ります。今日、あなたがここに来てくれたのも何かのご縁。昨日では早過ぎ、明日では遅過ぎるのです』」


 沈黙。

 オレはもちろん、誰一人、口を開くことはない。

 ポンプの作り出す呼吸音だけが響いた。


「――『お医者は辞されたと聞きました。その金で、僕をとむらってください。故郷を捨て、僕には入る墓も漂う海もありませんから、あなたなりのやり方で構いません』と――」

「ば、莫迦な。許さんぞ。年寄りを置いて、お前のような者が――」


 ファンゲリヲンの声は震えていた。

 なぜだ――と、オレはまた判らなくなる。

 破滅する宇宙で、全ての人間を弔うと、お前は豪語していたじゃないか。

 お前らしくないじゃないか。

 ホムンクルスに腹を立てたり、旧友の死をいたんだり――それともこれも嘘か?

 全て演技なんじゃないか?

 お前は本当は・・・・・・何者なんだ・・・・・


「『さようなら、我が友人』」


 それだけ言って、デルはまた運ばれていった。

 オレはファンゲリヲンの横顔だけを見ていた。


「残念です」


 インターフェイスが言う。


「――それは、デルの言葉か? お前の言葉か?」


 インターフェイスは、その問いについて何も答えなかった。

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