38.5 『 む――どう 頼む――フィル――』

 ――やまい

 リンは大丈夫だろうか。

 皇女様以下最高の皇室メンバーがているのだから、大丈夫でないはずがない。

 でもデルという男の病魔におかされた姿を見て、一瞬オレの中の不安がよみがえった。

 昨日デルが渡した封書には、小切手と指名表が入っていた。

 彼の死後、ブーマン・ファミリーを牽引けんいんする指導者を決める投票用紙だ。

 それがただの一票になるのか、それともファンゲリヲンの意向が通るのか――それはわからない。

 見届けることもないとファンゲリヲンは言った。

 しかしそれでも、ファンゲリヲンはそこにアルドゥイノの名前を書いた。

 あいつはファミリーの構成員ですらないはずだ。

 アルドゥイノには約束通り二百万を上回る現金を手渡したが、そこから半分ほどを引いて残りをファンゲリヲンに突っ返した。


らぬのか。君には迷惑をかけた。家の修繕も――」

「くそったれが。窓なんかいらねえ。何の役に立つんだ」


 ガラスの破片を払って血をぬぐっただけの応接間は、バカみたいに明るかった。

 カーテンがなくなったせいだ。

 風通しも良い。


「――扉だけはあったほうがいいかな」

「無理をするな。要り用だろう。新しいスーツも――」

「スーツ? おれはマフィアなんかに入らねえと言ったろ。おれにはここでいい。ヘルロフがいなくなって商売もやりやすくなったしな。金に困ることはもうねえぜ」

「しかしだな。金というものは、あって困ることはない。女たちに新しい服でも買ってやれ」


 アルドゥイノは内心迷っているようだった。


「まぁ、また来い。そしたらその金、受け取ってやらあ」


 ――またあのかおだ。

 ファンゲリヲンはまたあの切なげな、寂しそうな表情で曖昧あいまいうなずいた。

 デルは昨晩、息を引き取ったそうだ。

 ずっと意識がなく、奇跡的に昨日の早朝意識が戻った。

 彼が倒れて以来、ファミリーがばらばらなのは部外者のアルドゥイノから見ても判ったそうだ。

 ファンゲリヲンは遺品として小さな指輪を受け取って、自分の指には入らないからとインターフェイスに渡した。

 インターフェイスは少しも嬉しそうではなかった。

 まぁ、そうだろう。

 縁もゆかりもない男の遺品を貰ったとして、インターフェイスでなくても喜ばない。

 インターフェイスという奴は、どうも感情の起伏が表に出ないタイプのようだ。

 真実感情がないのか、そんなことは他人から見て判るもんじゃない。

 もっとも彼女から見ればオレは相当に判りやすい人間らしく、常に見透みすかされているようで、苦手だ。

 聞いたところジャックには会ったことがあるらしい。それどころかサイラスやミーシャとも。

 オレの知らないところで何が起きていたのかは気になるが、一つ言えるのはインターフェイスは敵ではないってことだ。

 勿論味方じゃないし、勇者の仲間って意味では敵陣営だ。

 そう思うのは――もしかしたらオレがインターフェイスと同じ、ホムンクルスだからなのかも知れない。

 肝心なそこのところは、どうしても聞けずにいた。




***




 大ブリタシア帝国。ドノバ。

 ヴァニラ海西の出口となるこの海峡の港に、ナイト・ミステスは入港した。


「もう午後だ。今日中にロンディアに着けるんですかい」

「カウンターバレーで一泊してそこからロンディアに入る予定だ」


 ジャックはそうエイスに予定を話す。


「朝まで船で待ってくれてもいいんですが」

「止してくれ。もう足元がフラフラだ」


 三日・四日くらいで弱音吐いて貰っちゃ困ります、とエイスは笑う。


「カウンターバレーですかい。旦那は『カウンターバレー物語』を?」


 いいや、とジャックは首を横に振る。


「おかたい本じゃあねえです。カウンターバレーの聖堂で、集まった旅人が話したネタを集めた本でさ。助平すけべな僧侶が正義に目覚める話やら、刑事が捕まえる相手を間違える話――」

「おっと、説教臭いのはかなわんな」

「ま、興味があれば」


 お気をつけて――とエイスは手を振った。

 ジャックとミラは下船し、歩き始めた。

 ここからは二人だけ――ジャックはそう決めていた。

 港から馬車に乗ってカウンターバレーへ向かう。


「ブリタってのは車大国なんじゃねえのかよ」

「そんなのロンディアとか、都市部だけだ。田舎はこう――」


 貨物を満載したトレーラーが、黒煙を上げてジャックの乗る馬車を追い抜いていった。


「まぁ、商用の荷物は車で運ぶ」


 カウンターバレーに着くと既に夕刻だった。

 緯度のせいでまだまだ明るいが、時計を見ると六時を回っている。

 暗くなると急激に冷えるため、ジャックたちは急いで宿を探しに向かう。

 途中、ジャックは街の書店で『カウンターバレー物語』を買ってぺらぺらとめくった。

 とんでもなく分厚い本だった。


「なぁ――考えたんだが――聞いてくれるか」


 ジャックが歩きながらそう口を開くと、ずっと黙っていたミラが「話す気になったか」と応じた。


「昔の話だ。聞いても、いやな気分になるだけだ」

「それでいいぜ」

「勿論話すほうもな」

「判る。なるべくならしたくない話は、あるからな」


 ――こいつの言う通り、俺は少し変わったのかも。

 ジャックはそんな風に思った。




***




 近日開かれる捜査会議で、『仕立て屋』事件は被疑者死亡で捜査終了ケース・クローズとされるかが決定する。


「イアン・ギルバートは犯人じゃない!」


 ジェイクスは、ハンクス警部にそう食って掛かった。

 イアン・ギルバートは老舗しにせギルバート洋品店の四代目店長だ。

 目下の最有力容疑者であったが――勇者・裸足のヒポネメスによる追跡中に死亡した。

 ヒポネメスの追跡が妥当だとうであったか検証も行われたが、何せ常識の通じない相手だ。ルート、速度ともに殺意があったとは言い切れないままであった。


『仕立て屋ギル、勇者に倒される』

『殺人鬼に天誅てんちゅう

『惨劇に終止符』


 そういう見出しの新聞が今朝も沢山売られていた。

 警部のテーブルに積み上げられた新聞がそれだ。

 ジェイクスはそれを苛々いらいらと払い落した。

 手にした資料の表紙をバンバンと叩きながら、ジェイクスは自説を主張する。


「ギルバートはアル中で通院歴がある! 治療のためのセラピーにも通っていた!」

「それが動機だろ。奴は自分の新しい肝臓が欲しかった。それにアル中だからってこともある。知ってるだろ」

「違う! 手が震えて血管だの神経だのの縫合ほうごうなんか不可能だ! ハゼスを見ろ!」


 ハンクスは少し遠い目をしてジェイクスを見る。


「ハゼスは死んだ。昨夜遅く。病院で」


 今朝聞いた、とジェイクスは憮然ぶぜんと応じる。

 オリビア・ハゼスは『仕立て屋』の公式な最期の犠牲者となった。


「だとしてもあの縫い跡を見たろう! 鑑識の記録にも全部残っている!」


 特徴的な縫合跡だった。

 無論抜糸はなく、微細な糸がそのまま残っている。

 その精緻せいちな縫合技術は、もはや芸術とさえ呼べた。


「アル中の仕事じゃない!」

「酒飲めば震えはピタッと止まる。奴は一杯引っ掛け・・・・ながら死体をくっつけてたんだよ」


 どうしてだ、とジェイクスは吠える。


「あんただって判ってるはずだ! 死体の縫合にかかる時間はどうなる! 毎日店に立ってたギルバートにできるわけがない!」

「フィル、お前はの意見はどうだ」


 ハンクスがフィルに水を向けると、フィルは頷いた。


「自分も、店長のイアンが犯人だと思います」

「思いますってお前――お前までどうしたんだ! 必ず犯人を捕まえようって――」


 ジェイクスの脳裏に、あの勇者の不敵な笑みがよみがえった。


「――勇者だな!? あの勇者が手を引いてるんだろう! あの野郎はどこへ行った! ヒポネメス!」


 ジェイクスは、警部の部屋を飛び出していた。




***




「一週間、奴を探したが見つからなかった」

「消えちまったのか?」

「いいや。一週間後、俺はヒポネメスと再会する。――死体置き場モルグで、だ」




***




 勇者・裸足のヒポネメスは最下L層のバラックの間で、バラバラになって見つかった。


「間違い、ありませんか?」

「間違いない。ヒポネメスって勇者だ。本名は知らん」


 シートを被せられた自信に満ちた勇者の死体は、記憶にあるよりずっと小さかった。

 手足などは、野犬が持ち去ったものか発見できなかったためである。

 顔にも激しい打撲だぼくの跡があり、頭蓋ずがいが歪んでいた。


「ジェイクス! 待て! これは『仕立て屋』の犯行じゃない! 『仕立て屋』はもういないんだ!」


 警察病院の廊下で、追いすがるようにしてフィルがそう言った。

『仕立て屋』の犯行と明確に異なるのは縫合されていなかったこと、そして切断面の状態だ。

 切断面は、外科的なメスなどの刃物によるものではなかった。

 何で切断されたのかは不明だが、周辺組織や骨の状態から鋭利で巨大な刃物を恐ろしい力で当てられたものだという。

 全身にわたる打撲跡もあり、死後つけられたものか、生前についたものかも不明であった。

 ただし切断面には生活反応があった。

 勇者・裸足のヒポネメスは、生きながらバラバラに解体されたのである。


「そうじゃなきゃ何だ。放っておくのか!?」

「この事件はおれたちの事件じゃない! 担当じゃないんだ!」

「担当を教えろ。そいつには家で寝ていてもらう」

「ジャック!!」


 ジェイクスはそれから最下層に通い詰めた。

 L層のバラックに残る破壊の痕跡こんせき、天井の痕跡を調べ、ヒポネメス死亡当時の状況を再現する。

 その結果、L層のある場所で、ヒポネメスの靴を発見した。


「重要な手がかりだ。奴はここで靴を脱いだ。奴が本気で走ると、靴が壊れるからだ。そしてここは、イアン・ギルバートの死亡場所に近い」

「ジェイクス、何が言いたい」

「――ヒポネメスは知ってた。犯人はギルバートじゃない。奴は真犯人を見つけて、ギルバート洋品店を出てここから追い――殺された」

「そんなのはお前の願望だ! ヒポネメスが真犯人を? 奴がそんなことするわけない! 奴は自分の地位をおびやかす勇者を、先に見つけて芽をみたかっただけだ! そう言ったのはお前だろう、ジャック!」

「言ったが、考えの一つだ。それにそうだとして矛盾しない。奴も真犯人が他にいたらまずいだろう。勇者のボスに折檻せっかんされる」

「いい加減にしろ! お前は幻の『仕立て屋』を追ってる!」

「そんなことはない! お前こそどうかしてる! どうしてそこまでしてイアンを真犯人にしたいんだ! 犯行時刻、目撃証言、手の震え……何も辻褄つじつまが合わないだろう!」


 フィルはジェイクスの肩を掴んで、L層の、更に路地裏に連れ込んだ。

 周囲をうかがい、小声で忠告する。


「――いいか、ジャック。友人として言うぞ。この件にはもっと大きな力・・・・・・・が関わっている」

「なぜお前がそんなことを知ってる」

「知らない! これはカンだ。警部のとこに来るお偉方やら市長まで。その時・その場に居合わせなきゃわからない空気みたいなもんだ!」

「何が空気だ! そんなもので何が判る!」

「いいから手を引け! 二度は言わないぞ。ヒポネメスなんか目じゃない。あんなのは下っだ! もっと大物が真犯人を狙ってる! だから放っておいたって遅かれ早かれどっか行っちまうんだよ!」

「どっか行っちまうなら罪をつぐなわせなくっていいのか」


 フィルは沈黙した。

 ジェイクスをにらみつけ、何度か逡巡しゅんじゅんし、溜息をひとつく。


「結局それか。お前の正義。法が何だ? 裁き? 償い? ばかばかしい。刑事は楽しいお仕事だ。治安を守るのがおれたちの仕事だろうが!」

「お――俺は治安を守ってる! その大物って奴が真犯人をちゃんと見つけてくれるっていうのか!? そんなことができるならなぜ今まで放っておいた!」


 違う、とフィルはあえいだ。


「お前のそれ・・は違うんだよ。おれたちが首を突っ込めば、治安は守られない。きっとろくでもないことになる」




***




 緑の多い川沿いを、ジャックとミラは歩いていた。

 小さな鞄とカート。

 彼らの旅の荷物は、いつもそれくらいである。

 川の向こうに見える大きな古い聖堂がカウンターバレー大聖堂だ。


「あれが大聖堂か。庁舎に似てるが――ベリルにはない建築だな。壁をあんなに派手にする意味ってあるのか?」

「ジャック、話をらすんじゃねえ」


 ジャックは下を向いて、歩きながら足元の小石を蹴る。


「そんなつもりはない。ただ――あの大聖堂に寄ってもいいか?」


 閉堂も近いような時刻だったが、守衛はこころよく通してくれた。

 聖堂内には誰もおらず、清涼な空気が張り詰めている。

 星図を模した巨大で複雑なステンドグラスのところに、アトモセム像とフィレム像がある。

 そして真ん中に、聖アルジェント像。

 天界がつかわしたと言われる聖人をたたえたもので、ブリタに固有の像だ。他国の聖堂ではお目にかかれない。

 教卓をぐるりと囲む球体は、星系の惑星をかたどる、縮図だ。

 外の音は一切入ってこない。

 ジャックは高い高い天井を見上げる。


「すげえや。――でもやっぱり、外から見た方が好きかもな。『ああ、やっぱり中には何もないんだな』って思っちまう」


 ジャック――と木の固い長椅子に腰かけたミラは言う。


「ああ。ちょっくら懺悔ざんげしにな。俺はあのとき、フィルの忠告を聞き入れるべきだったんだ。そうすりゃ――」


 ジャック! と再びミラは呼んだ。


「順番通りに話せ」

「――そうだな。俺は、イアン――死んだ仕立て屋の店主は犯人じゃねえと確信してた。個々の事件に確実なアリバイがあるわけじゃなかったが、犯行の時間を考えれば弱いアリバイがある。何より奴の腕じゃ縫合は不可能だ」

「それは聞いた」

「なら他に犯行可能な奴がいたはずなんだ。俺はそいつを探した」




***




 ジェイクスは朝から晩までギルバート洋品店の関係者を調べていた。

 その晩も外の聞き込みから署に戻ると資料室にこもり、『仕立て屋』事件の資料と、ギルバート洋品店の帳簿、契約、雇用関係を突き合わせていた。

 過去の従業員にまでさかのぼってみても、犯行可能な人物がいない。

 とにかく障害になるのはヒポネメス殺しだ。

 どうやってもヒポネメスを殺せるような人間が、いない。

 ギルバート一家の関係者も同様だ。

 しかし、イアンには二十二歳になる長男がいた。

 家系で最初の軍人だ。軍校を卒業後、征東戦線に参加した以降、三年間戻った形跡がない。

 イアンの深酒がひどくなったのもその頃だ。

 妻は大人しく、意見を言わないタイプ。市内の離れた場所で宝石店を経営しており、洋品店には殆ど寄り付かない。

 娘、十三歳のダリアもいる。ダリアはイアンの死後、親戚に引き取られていた。

 その親戚は――。


(市内に住んでいる――)


 ジェイクスは資料を閉じ、コーヒーのお代わりをれた。

 そのとき、署内の緊急呼び出しが鳴った。


『バルゼン警部補。署内におりましたら至急、ハンクス警部まで』


 ――なんだよ。またお小言か?

 ジェイクスはコーヒーをすすりながら、別の資料を開く。

 今度はハンクスの声がした。


『署内に通達。バルゼン警部補を見かけたらハンクスのところへ来るよう言ってくれ。警邏けいらに出る者も、街で奴を見つけたら街頭電話からおれに――』

「――なんだよ!」


 苛々と資料を閉じた。

 通りかかった女性捜査員が、「ハンクスが呼んでるわよ。何をやったの?」と声をかけてきた。


「さぁ。聞いてたよ。今行くとこだ」


 ジェイクスはコーヒーを飲んで立ち上がった。

 階段を下りて明るい殺人課フロアに入る。

 ガラス張りの部屋をいくつも通って、『ハンクス警部』と書かれた部屋にジェイクスは入った。

 部屋には誰もいなかった。

 きょろきょろして、通りかかった捜査員に聞いた。


「ハンクスは? 今、呼び出しを食らったみたいなんだが――」

「ああ、ジェイクスさん。あなたを探して、街中の詰め所に電話をかけてましたよ」


 電話は、前年に市内のL層と第四層を除く全域に配備された通信網の端末だ。

 従来、宅内などの狭い範囲でしか実用化されていなかったものだが、治安の悪化を背景に狭く立体的な土地を生かして市の公衆回線網が構築されたのだ。

 街角のほか、警察署などの重要要点にも電話機が設置されている。


「部屋にいなかった。帽子もコートもない。居ないのか?」

「電話のあと、大急ぎで出ていきましたよ。すごかったですよ、太鼓腹たいこばらを揺すって」

「――妙だな。どこ行ったかわかるか?」


 捜査員は手元のクリップボードに張り付けられたメモの山から、一枚を取ってジェイクスに渡した。


「ああ――電話で緊急通報が来てますね。ええっと――すぐ近くです。二層の――十番街です」


 助かる、とメモを受け取ってジェイクスは外に出た。




***




 ジェイクスは車に乗り、十番街病院の近くへ向かった。

 しかし、坂を第二層に下りて周遊通りへ入るとひどく渋滞している。

 時刻は夜九時。

 普段なら帰宅ラッシュも過ぎる頃だ。

 クラクションの音。怒号。


(――こいつは動かねえな)


 ここまで詰まっていると赤色灯をいてどうこうなるものでもない。

 ステアリングを切って横道に逸れ、路駐する。

 車を降りて十番街病院の前を過ぎ、数ブロック先へ行くと――市警が道を封鎖していた。

 ジェイクスは、歩道を封鎖していた巡査にバッヂを見せる。


「市警のジェイクス警部補だ。ハンクスを探してる」


 巡査は汗びっしょりだった。


「それが――ハンクス警部が――ここには――」

「なんだ? いないのか?」

「その――自分には――」

「まぁいい。通してくれ」


 できません、と巡査は、ジェイクスを見ずに言った。

 できませんと言ったのだ。


「ん? どういうことだ。通せ」

「ですから――できません。署にお戻りを」

「そんな馬鹿な話があるか。俺はハンクスに呼ばれて、そのハンクスがここにいるっていうから来たんだ。なのにハンクスは居ない。刑事の俺は通れない」

「警部は――おります」


 いるのかよ、とジェイクスは露骨に苛立ちを見せる。

 ンッンーッと偉そうに咳払いしても、巡査はこちらに目もくれない。

 びっしょりの脂汗を拭いもせず、立ち尽くしている。


「おりますが――その警部が、決してあなたを通すなと」

「話にならん。他を通る」

「どこも通れません! お戻りを!」


 ジェイクスはきびすを返し、巡査の止める声を背中に受けて走り出す。

 角を曲がり、更に一ブロック奥の通りへ移って封鎖区域を目指す。

 だが裏通りの先にも警官がいて、ジェイクスを見るなり『通れない』と両手のジェスチャーで示した。


(クソ。どうなってやがる)


 更に奥の通りも同様。

 その先も――。


「ハンクスに用があるんだ! 大至急だ!」

「無理です。お戻りを――」

「俺は刑事だぞ! 捜査のためにここを通る権利がある!」

「そういうことではありません。どうか署で待機を」


 お前に命令される筋合いはない! と叫びつつも、ジェイクスは頭を抱える。

 そこで、フィルにイアーポッドを渡したままなのを思い出した。

 ポケットかのケースからペアになったイアーポッドを取り出し、耳に入れる。


「フィル! フィル、応答してくれ!」

『――ガ――   はいつ――   か? ――病院――   』


 反応はある。

 この近くにいるのは間違いない。

 だがフィルもポケットに入れっぱなしなのか何なのか、酷くくぐもった話し声が僅かに聞こえるだけだった。


「フィル!! 答えろ!! ――クソッ!」


 ――こうなったら無理にでも通ってやる。

 封鎖区域は存外広い。

 十番街のこのブロックなら、上の第三層から降りるルートがあったはずだ。

 この街の、立体的な階層構造。

 車に飛んで返し、ジェイクスは第三層から十番街へ降りる坂を目指した。


(――ちくしょうめ、ここもダメか)


 第三層の坂を含むブロックも封鎖されていた。

 ジェイクスは頭の中の街路マップをひっくり返して確度の高いルートを探索する。

 ――第四層、博物館裏の水道メンテナンス用の階段を下りる――いや、聖堂裏のほうがいいな。聖堂裏からサービストンネルで三層へ降り、バーンズ商店の中を通って二層へ――行ける。

 最上第四層のサービストンネルから第三層の封鎖をくぐれば、あとは勝手知ったるものだ。

 第四層は車で移動ができない。

 ジェイクスは車で署に戻り、署の螺旋らせん階段を上って第四層へ出た。

 大聖堂の前を横切り、暗い裏通りへ回る。

 ゴミひとつ落ちていない清浄な裏口だ。その奥に柵で囲われた小さな小屋があり、そこから第三層の運用事務所に降りられる。

 柵を飛び越え、手ごろな岩で小屋のドアのカギを打ち壊した。

 岩を放って小屋に入り、垂直なトンネルの壁にかかる長い梯子を下りる。

 トンネルは暗く、じめじめしていて気持ちが悪かった。


(なんで俺がこんなことを――クソったれ)


 無人の運用事務所に降り、ジェイクスは窓から第三層へ出た。

 ――封鎖を掻い潜ってやった。

 封鎖中なだけあって通りに人はいない。

 並んだ建物の窓から、不安そうに外を見ている民間人がいるだけだ。

 裏道を見張っている巡査たちの背後を、見つからないように通って――バーンズ商店に来た。

 この店は遅くまで営業している文具屋で、第二層と三層に店頭があり店内で上下に繋がっている。

 店主のバーンズが、分厚い丸眼鏡越しにこちらを見とがめ「おや刑事さん、表は何事なんです」と訊いた。


「事件の捜査だ。中を通らせてもらう。内容は答えられないが、表には出ないように」


 ジェイクスは当たり前のように店の奥へ行き、下階への階段を通って第二層の店頭に降りた。

 そこでジェイクスは、いったん壁際に沿って窓の下に身を隠し、外の様子を窺う。

 相変わらず、フィルが持っているはずのイアーポッドは応答しない。ただゴワゴワ、モワモワとくぐもった喧噪けんそうを伝えるのみだ。

 しかし確実に感度は上がっている。

 フィルに近づいている証拠だ。

 俺を締め出しやがって。見つけたらぶん殴ってやる。

 バーンズ商店の外には、刑事たちが騒ぎながらうろうろしている。

 ――ハンクス。

 ハンクスの姿がある。

 フィルはいない。

 夜の表通り。

 ハンクスの前に――シートを掛けられた何者かが横たわっている。


(――殺しか?)


 殺人ならば、広範な通行規制やブロック封鎖も納得がいく。

 こんな往来おうらいで殺人とは――大方喧嘩けんかであろう。

 本来なら人通りの多い時間である。通報者や目撃者の聴取をしていそうなものだが、見渡す範囲には民間人らしき姿はない。

 他の刑事や巡査が慌ただしく駆け回っている。

 鑑識はまだのようだ。

 自分があの中にいない――すっかり蚊帳かやの外に置かれたことは納得できない。

 ジェイクスは目の前のハンクスに文句を言うために店のドアを開けた。


「ハンクス! どういうことだ」

「ジェイクス――」


 警部はこちらに気付き、顔色を変えて向かってくる。


「来るんじゃない、ジェイクス! 署に戻っていろ!!」

「どういうつもりだ! 俺を呼び出して、今度は帰れだと!?」

「違う! お前を呼んだのはそういうことじゃない! とにかく今は戻って――」

「フィルはどこだ!」


 ジェイクスもハンクスのほうへ歩きながら訊いた。


「――ダメだ! 来るな!」


 ジェイクスは掴みかからんばかりにハンクスに詰め寄って――その向こうの死体を見た。


(――?)


 女の手。

 妙だ。

 灰色のシートからはみ出した手に、見覚えがある。

 往来で喧嘩をして殺されるような女に心当たりがないこともない。

 だがL層や、第一層の飲み屋街ならともかくここは第二層。

 ――いや違う。

 そういうことではないのだ。

 あの手には、妙な懐かしさのようものがある。

 若い頃ずっと見ていた手。

 繋いでいた手。

 握りしめた手。

 しかし仕事にいて日々忙殺ぼうさつされるうち、彼に向けて振られるだけになった手。


『いってらっしゃい』


 そう声が聞こえた気がした。

 吸い込まれるように、足がそのシートのほうへ向かう。


「――おい――なんだ、どういうことだ」

「ジェイクス! やめろ! 近づくな! ――ジャック!」


 ジェイクスは一瞬だけ振り向いて、「ジャックと呼ぶな!」と短く叫ぶ。

 近づけば近づくほど、その手はジェイクスを掴むようだ。

 血の気のないその手は、死人のものなのに。


「――おいやめてくれ。嘘だろ――おい!」


 理性はやめろと叫んでいるのに、ジェイクスは傍に座り込んでいた。

 刑事の本能が、人の理性を凌駕りょうがする。

 ジェイクスは震える手で、わずかにシートをめくった。


「――トリーシャ……」

 

 シートの下で物言わぬ死体となっていたのは――ジェイクスの伴侶であった。

 最愛にして理解者。

 そして、生まれてくるジェイクスの子の、母親。


「どうして」


 それしか言えなかった。

 いつの間にかハンクスが隣にいた。


「――残念だ。ジェイクス」

「どうしてだ。なぜ、なぜ――」

「お前が捜査に出ているとき、奥さんから市内回線で緊急連絡があった。急な陣痛で、生まれそうだと――」

「――予定じゃ――まだ一か月も」

「それはわからん。ともかくあちこちに連絡をしたがお前が捕まらなかったので――フィルを向かわせた」

「フィルが――」

「しばらくして、フィルから市内回線で連絡があった。内容はわからん――支離滅裂で。発信元を辿たどっていたとき、通報があった。血だらけの女が歩いていて、倒れたと。おれは悪い予感がして、まずお前を待機させようと――」


 フィル。

 ジェイクスは何も考えられない。

 自分の中の人の理性がスッと退場するのが判った。代わりに押し寄せた感情が、息を殺して爆発するのを待っている。

 しかし――刑事の本能が、告げる。

 フィルは何かを知っているぞ。

 フィルを探せ、と。

 感情の爆発を防ぐためだ。感情が爆発すれば、ジェイクスは動けなくなってしまうだろう。


「フィル――! フィル応答してくれ!! 俺の――俺の」


 ジェイクスはそこで止まり、ハンクスのほうを向いた。


「俺の子はどうなった! 生まれたのか!?」

「わからない。だが覚悟しろ。すまない、ジェイクス」

「なぜここにトリーシャを寝かせているんだ! 赤ん坊は助かるかも知れないんだ! 病院へ連れていけ! すぐそこだろ!」


 ハンクスは顔を伏せ、首を横に振る。

 ジェイクスにはその意図が判らない。


「どういう――意味だ。説明しろ。――フィル! フィル、出てこい!」

せ。ここは任せて、お前はひとまず署に戻れ。家ではなく署に。絶対に一人にならず、連絡のできる場所に――」

「フィルはどこだ!」

「おれたちに任せておけ! ジェイクス! 必ずおれたちで真相を暴く!」


 ジェイクスは立ち上がっていた。


「――そんなわけはない。フィルは近くにいるんだ。ここにいる」

「フィルはいない。少なくともここには居ないんだ!」


 ジェイクスは耳に指を突っ込んだ。


「フィル! 応答しろ! 近くにいるんだろ! フィル!」

   『フィル! 応――』


 付近の捜査員数名がジェイクスの叫びに反応する。

 周辺の何か・・に気付いて、あたりをきょろきょろしだした。


「フィルッ!!!」

「ジェイクスさん、呼びかけを続けて」


 彼らは互いに静かにするよう、指を立て合図をしあい、息を殺して路面を見つめる。

 慎重に――。


「フィル! 応答しろ! どこにいる!」

 『フィ――  応―― ろ! どこ―― ――!』


 ジェイクスは混乱していた。


「――どうして俺の声が、ここから聞こえるんだ」


 捜査員らは、皆慎重に路上を調べながら――導かれるようにトリーシャの亡骸なきがらに吸い寄せられてゆく。

 ハンクスは何かに気付いたようにハッと息を呑んだ。

 咄嗟とっさに動こうとしたジェイクスを、ハンクスは強く掴んで制止する。


「やめるんだ、ジェイクス! 必ず、必ずおれたちで犯人を見つけ出す! 鑑識が来るまで手を触れるな!」


 ジェイクスはその手を振りほどき、トリーシャの亡骸にすがりつく。

 そしてそのカバーを――いだ。


「ああ――なんてことだ――トリーシャ!!」

『ああ――なんて  だ――  -シャ!!』


 めくれ上がった衣服。

 おびただしい出血は腹部からだ。

 下腹部は縦に切り裂かれ、更に縫合されていた。

 知っている特徴のある縫合跡。

『仕立て屋ギル』の仕業に間違いなかった。

 ジェイクスの声はその中から聞こえている。


「あああああああっ!!」

『あああああああ――』

「ああああっ!! 頼む!! 頼む!!」

『ああ あっ!! 頼む!! 頼 !!』


 頼む――頼む。

 ジェイクスは祈った。

 自分でも何に何を祈っているのかは判らない。

 そこにはもう刑事の本能も、人の理性も、獣の感情もない。

 新しい第三者が、彼を動かしていた。

 ジェイクスは祈りながら、その縫合跡をこじ開ける。


「やめるんだジャック!」

「頼む――どうか頼む――フィル――」

『 む――どう 頼む――フィル――』


 僅かに開いたその傷跡。

 体は冷たく、出血はもうない。

 その隙間から――こちらをのぞく眼がある。

 相棒フィル・アンダーソン。

 その、首であった。




***




「そこにいたのは俺の子じゃなかった。切断されたフィルの首だった。フィルは、ハンクスに言われてトリーシャを病院へ連れてゆく途中、『仕立て屋』に襲われた」


 すべてを聞き終えて、ミラは言葉を失くしていた。


「今にして思えば、奴なりの餞別せんべつのつもりだったんだろうな。首をそうしておけば、フィルが死んだと判る。フィルが犯人じゃないってこともすぐに判る。血眼ちまなこになってフィルを探す必要はなくなるわけだ。『もう探すな』ってことだよ」

「――どうして」

「どうして? 俺のせいだ。俺が奴を追ったから、奴は俺を狙った。俺は奴が生きてると確信してたから用心してた。だから俺を殺すのを諦めて家族を狙った。俺も、素性がバレてるなんて気づかずに油断してた。俺は奴に顔を見られていたんだ。おそらく名前も――」


 ジャックは――否、ジェイクスはギルバートの店に踏み込んでいる。

 そこで顔を見られたはずだ。


「お前の子は――」

「摘出されていた。トリーシャの中にはいなかったんだ。どこへ連れ去れたのか、生きているのか、何も判らない。俺は刑事を辞めた」


 ジェイクス・ジャン・バルゼンの辞職で、捜査本部は消滅した。

 それで『仕立て屋ギル』事件は被疑者死亡で正式にケース・クローズとなった。

 勇者・裸足のヒポネメス、フィル・アンダーソン警部、トリーシャ・バルゼンの殺害は、ギルの熱心なファンによる報復であると伝えられている。

 その三件では、遺体同士の接合という特徴を持たないことからこの説は一定の信憑しんぴょう性をもっている。

 勿論、ジャックはそうではないことを知っているが。


「それが、俺が知る本当の・・・『仕立て屋ギル』の最後の事件だ。模倣犯は後にも先にも沢山いたが、犯人は捕まっているはずだ。ただ一人、本物の『仕立て屋ギル』を除いてはな」

「何者なんだ。『仕立て屋ギル』の正体は」

「イアン・ギルバートの娘だよ。あの時、店の中にいて、イアンが逃したあの娘だ」

「馬鹿言うな。十幾つのガキだったんだろ?」

「ダリア・ギルバート。当時十三、もうすぐ十四ってところだ。犯行の中心があのギルバート洋品店だったことは間違いない。殺害場所もそこだった。イアンは全て知って、娘の犯行を隠すために協力していた」

「どうして言い切れるんだ」

「俺がヒポネメスを追って踏み込んだとき、店の中にはイアンの家族はダリアしかいなかったんだ。死んだイアン以外で、俺を見ているのは娘のダリアしかいない」

「だからって――ヒポネメスって野郎はどうした。十三のガキに勇者を殺せるわけねえだろ!」

「簡単だ。ガキだから殺せたんだ。バラックの間に、目立たないようにワイヤを張りめぐらせておいて、自分は小柄な体を生かしてその間に潜り込んだ」


 ワイヤか、手術用の縫合糸。

 それを幾重いくえにも束ねて、バラックの間に張り巡らす。

 前後だけでなく――上にも。

 ヒポネメスは、L層では目立つ少女の白い服を決して見落とさなかっただろう。

 超高速。跳躍ちょうやく自在。自信過剰。

 ダリアはそれを逆手に取って、糸で作った見えないセーフハウスに潜り込んだのだ。

 天井から飛び込んだ裸足のヒポネメスの体は――。

 バンッ!

 糸に接触して爆散するように弾け飛び――頭部は地面に激突して歪んだ。


「ダリアは市内の親戚に引き取られた。母親がいるのになぜだ? その親戚の家も、程なく追われるように出て、征東軍に従軍している。十四歳でだ」

「征東軍――オフィーレアと同じ――」

「そう。この間調べた。まさに同じ医療部隊だ。ダリアは戦場の兵士を魔法のような・・・・・・外科手術で沢山救っている。命を救うんじゃない。死霊術でもない。死人の手足を使って、兵士として再生する・・・・んだ」


 ミラは混乱する。

 頭の中で何かが繋がるようだが――頭の芯が、それを拒絶するようだった。


「おい、何を言ってる。まさか――」

「ダリアを一時引き取った親戚の家名はアルジェント。ダリア・アルジェントだ」


 ダリア・アルジェント。

 その名をミラは知っている。いや、ミラだけではな。その名を多くの人が知る、聖人だ。

 天界が遣わした、戦場の天使とまで言われるその人物は戦争中に死亡したとされ、この聖堂の像にもなっている。

 ジャックの背後にある像。

 アルジェント像とは――まさに若き天才軍医を称えたものだ。


「ダリア・アルジェント。戦場の天使とうたわれた天才。そいつが連続殺人鬼『仕立て屋ギル』の正体にして――最後の勇者だよ」




***




 日没を過ぎ、すっかり暗くなっていた。

 ハッサンは懐中時計を見る。

 ――時間だ。

『閉堂』と書いた札を下げてから大きな扉をくぐる。

 中から、ちょうど二人組の旅行客が出てくるところだった。


「――閉堂のお時間です」

「そうか。ありがとう。変な時間に済まなかった。お陰で懺悔ができた」


 ハッサンは思わずポカンと口を開けた。

 女神に懺悔する者などいない。

 そういうことは警察署や裁判所でするものだ。

 ――それは懺悔じゃなくて自首か?

 どちらでもいい。


(変な客だな)


 聖堂で罪を戒告かいこくしたとして、それを聞く者などいないのだ。

 でも――さっきの客、来た時と顔つきが全然違うな。

 生きてるか死んでるか判らないような顔をしていたのに。

 妙にすっきりしたというか、晴れ晴れしたというか。

 そう思いながら聖堂の奥に進んで、ハッサンは驚愕きょうがくした。

 アルジェント像の首がなくなっていたのだ。

 聖人を模したその像の首は、固い大理石の床に落ちて粉々に砕けていた。

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