36.3 「姫様を裏切って敵を呼び込んだって噂は本当なんで?」

 夜半。

 宮殿に与えられた自室で、ミラは寝る準備をしていた。

 予定では明朝出航である。

 ブリタシアまでは船で数日。時差を調整する時間はある。

 彼女の旅支度はいつも小さい。

 何着かの服。替えの下着。化粧道具。それくらいだ。

 そこへ、部屋のドアを叩くものがあった。


「誰だ」


 咄嗟とっさに彼女はいつもの癖でナイフを取り出す。


「ミハエラです」

「なんだ。姫様か」


 安心してドアを開けると、そこには皇女ミハエラがいた。


「夜分にすみません。もうお休みでしょうか? 明朝に出直したほうがよろしいでしょうか」

「皇女様があたいみたいなのにどんな気づかいするんだよ。もちろん構わないぜ。ここは姫様の家みたいなもんなんだし」


 でっかい家だよな、とミラはベッドに腰を下ろす。

 部屋に入ってきたミハエラは、書き物机の椅子に座った。


此度こたびは、苦しい思いをさせます。何と申せばいいか――いたみ入ります」

「親父のことか? それならこっちが謝らなくちゃな。全部身から出たさびだ」

「いいえ。ミラ様のせいではございません。御父上のあの姿……苦しいことには変わりないでしょう」

「ま――正直、あたいが勇者を追うのは半分は親父のかたき討ちのつもりだった。そしてあたいは、だらしない親父のことも恨んでる。だからなんていうか――一石二鳥、ともいえるな」


 そう言ってミラは笑った。

 つられてミハエラも声を出さずに笑う。


「それとその、ミラ様ってのはやめてくれよ。ミラでいいからな」

「わかりました。努力します」

「オフィーレアのことは――まぁ、ショックだった。でも長いこと離れていたからな。人間、変わるもんさ。それに――最後には許してくれた気がするしな。スプレネムもフォローしてくれたお陰だろうが。って何言ってんだろうな、あたいは。姫様には関係のねえことだ」


 ミラは、自分が珍しく饒舌じょうぜつになっているのに気付いた。

 喋れば喋るほど、自己弁護をしているような気分になる。


「悪い。それで――何の用だ」

「いえ――これまであなたと二人きりでお話したことがなかったと思いまして」

「ふぅん。まぁ、気遣ってくれたんだな」

「その。もしよろしければ、あなたともお友達に」

「――遠慮させてもらう」


 ミラはピシャリと辞退する。

 ミハエラは、そこで止まった。


「ざ――残念です」

「いや勘違いしないでくれ。あんたが嫌いなんじゃない。姫様は、あたいみたいな奴と友達になりたいって本気で思うのか。薄情で自分勝手。素行不良。あたいみたいなのとつるんでたら、あんたの格が下がっちまう」

「わたくしにとりましても厳しい決断を迫られることがございます。自分で自分が恐ろしくなるような、そんな決断を」

「でも、あんたはそういう決断をしない。そうだろう?」

「――卑怯、ですよね。わたくしは、そういうときにジャックばかりを頼って」

随分ずいぶん買ってるんだな、あの野郎のことを。そういうときはあたいも頼ってくれていいぜ。でもやっぱり、なんていうか友達じゃねえな」

「あなた方に頼らずに済むときがきたら――友達になっていただけますか」


 そうだな、とミラは笑った。


「勇者を倒して、もしお互いに平和ってやつが来たら――あんたには吊り合わないにしても――クチくらいはいてもバチは当たらなくなるかもな」




***




 翌朝。

 ナイト・ミステスの船長、エイスは甲板にそろった顔ぶれを見て溜息をいた。

 ミハエラを筆頭に、ノートン、ジャック、ミラだ。

 ミハエラから見ればエイスはいつも通り――普段の軽口を並べる。


「なんだ。またあんた達ですかい。当分厄介事やっかいごと御免ごめんだ」

「エイス。ジャックは今や騎士ですので」

「そりゃおかの話でしょうや、姫様。ここは海。海でナイトといや、あたしの船だけですがね」


 元気そうだなエイス、とジャックは笑った。


「サー・ジャックとお呼びしたらよろしいんで?」

「ジャックでいい」

「宿無し爵って呼ばれてるらしいじゃないですか。お屋敷はどうしたんで?」


 随分陸の事情に詳しいじゃねえか――とジャックが引きった笑顔で言った。


「ところで、ノヴェルのぼっちゃんの姿が見えねえが――姫様を裏切って敵を呼び込んだって噂は本当なんで?」

「ああ、そうだ。そのノヴェルを捕まえに行く。外患誘致がいかんゆうち、並びに殺人犯の逃亡幇助ほうじょ容疑だ」


 そりゃあなんてえか――とエイスはミハエラを盗み見る。

 ミハエラはその視線に気づいて、はかなげにうなずいてみせた。

 事前のことだ――ノートンは『エイスには話してもよいのでは』と提案していた。

 ミハエラはそれを却下した。

 船乗りの結束には通じている。

 エイスに話すということは、彼が一言も喋らなくとも他の水兵に伝わる可能性があるのだ。

 本作戦の本当の目的・・・・・は、情報室部外秘となった。

 本当の第一目標はノヴェルの救出・・

 第二目標はファンゲリヲンの殺害。


『第二目標か。まぁ、それでいいぜ』


 そう、ミラは納得していた。

 ジャックとノートンは、念を押した。


『ノヴェルの救出が優先だ。ファンゲリヲンが抵抗したら、俺達が殺す。お前に譲ってやれないかも知れない。それでいいんだな?』

『残ってリンさんをていてくれてもいいのだが』

『あたいを蚊帳かやの外に置くな。これはあたいの戦いでもあるんだ。たとえあたいが殺せなくても、ここで待ってるなんて御免だ』

『私の部下、ロウとセスを連れてゆくか? 頼りになるぞ』

『ありがたい申し出だがこの件は俺とミラで決着をつけたい』

『そうか。私はここに残ってリンさんと大賢者の分離をサポートする。状況が安定したらすぐに追いかける』

『ああ……』


 分離の儀式について、ジャックは難色を示していた。

 ファンゲリヲンがノヴェルと交換条件にリンをげているからだ。リンの分離を進めれば、ノヴェル救出のバックアッププランを失う。

 そうならないように、ジャックたちはノヴェルの救出に向かうわけだ。

 今日この日まで、時間をかけてジャックはその覚悟を決めたようだった。

 船出である。

 エイスは渋々、ブリッジへ向かった。

 ミハエラによって、このナイト・ミステスの行き先はグレート・ブリタシア島――ブリタシア国であると宣言される。

 そこで船を降り、陸路でカレドネルへ。

 ブリタ行きに先だって、ミハエラは昨晩ミラの元を訪れた。

 ノートンからミラの様子がおかしいと聞かされていたからだ。

 友達になるのは断られてしまったが――代わりにジャックへの贈り物を持たせることはできた。


『折を見て、あなたからジャックへ渡してください』

『なんだいこりゃ。あんたが直接渡したほうが喜ぶぜ』

『いいえ。あなたが渡すべきです。絶対、そのほうがよいのです』


 ミラを頼るのがよいと思えたし、何よりミハエラにとっては何というか――少し気恥ずかしかったのだ。

 船首にパルマ国旗がげられた。

 ナイト・ミステス単独航行の任務である。

 ミハエラは、エイスがブリッジに入るのを確認して、一同を振り返って言った。


「マーリーンとリンさんのことはお任せください。必ず無事に分離させてみせます」

「いや姫さん、あんたは少し休め。あんたに何かあったら全国民が困る」

「私が休ませる。ジャック君、ノヴェル君のことは頼んだぞ」

「姫様も官僚さんも気を付けろよ。女神みたいな連中とやり合うのは想像以上にキツイぜ」

「ありがとうございます。あなたもお気をつけて。ミラ」


 ま――とにかく、とジャックは言って、手の甲を上にして前に突き出した。


「ノヴェルは必ず無事に取り戻す。あいつを家族に会わせて、俺達は大人の責任を果たす。全員、判ってるな?」


 ノートンとミラがそれに手を重ねる。


「ああ」

「そうだ」

「お頼み申します」


 最後にミハエラが手を重ね――ノヴェル救出作戦は開始された。




***




「慣用句で『船をぐ』とはいうが――君のそれ・・は何だね」


 ファンゲリヲンの呆れたような声で、オレは目を覚ました。

 作戦を練っているうちに寝てしまっていたようだ。

 オレは一斗缶いっとかんを並べた『長椅子』から落ちてかなりの距離をゴロゴロと転がったようで、気が付くと波止場のビットに抱きついていた。

 ビットはあれだ、波止場の地面から突き出してる丸っこい椅子みたいなやつ。


「それは船を繋ぐものだ」

「い、今何時だ」

「昼だよ。勇者になって色々なことをしたが、拷問以外で寝坊助ねぼすけを起こすのは初めてだ」


 車を買うのもね――と、ファンゲリヲンが指差した先には、何やらかっこいい鉄の塊があった。

 ウェガリアで沢山見た重機のようだが、あんなに四角くてゴツゴツしていない。

 流線形のボンネット、快適そうな椅子。

 どれもホイールローダーにはなかった。


「うわぁ、こいつは――何だ!」

「ここからは陸路だと言っただろう。自動車だ。見たことはないか? ヴァニラ海沿岸では前から流行しているものだ。レールがなくても走り、馬を殺される心配もない」


 ファンゲリヲンの説明を無視して――オレはふらふらと歩み寄った。

 まず驚くのは鉄板の厚みだ。

 薄い。

 薄く伸ばした鉄板を曲げてボディを加工している。

 そしてタイヤ。ゴムでできている、

 馬車より快適で、重機より小回りが利きそうだ。


「ホイールローダーと全然違うぞ!」

「ウェガリアの重機は昔のブリタ車をベースとするからな。車の最先端はジェミニ国だ」

「速いのか!?」

「イクスピアノ・ジェミニ34CV。シートは総革張り。六十五馬力の高級車だ。イグズスのような職人がいなくとも、これほど芸術的な鉄の加工ができるのだ。ドアを開けて乗りたまえ」


 鉄のドアが木のように軽い。

 乗り込んで恐る恐る閉めると、バスンとこれが具合よく閉まる。

 椅子も柔らかい。

 これに比べたらあのホイールローダーの椅子は、海岸の岩だ。

 まず屋根がある。

 前にもガラスがついている。

 とにかく関心しきっていると、前方から車を回り込んでいたファンゲリヲンがボンネットの真ん前で立ち止まった。

 ファンゲリヲンは前のガラス越しにこちらを見て、ニヤリとわらう。


(――!?)


 ファンゲリヲンは懐に手を突っ込むと、何かを取り出した。

 それは――古ブリタ十字だった。

 ――何をするつもりだ。

 奴は片手で、車のボンネット先端に突き出していた紋章エンブレムぎ取り、代わりに古ブリタ十字を突き刺した。


「こっちのほうが似合いであろう」


 運転席に入ってきたファンゲリヲンが、満面の笑みでそう言う。

 何やらスイッチのようなものを操作した。

 内燃機が始動し、繊細な振動が伝わってくる。


「運転できるのか?」

「勿論だとも。ローズ&フラワーロードを車で走り抜けたこともある。高級車で移動するとな、さかり場の女の評判がい」


 ファンゲリヲンがペダルを踏み込むと、タイヤがギャリギャリと音を上げ、後部が横滑りを始める。


「お、おい、なんだ! これは横に進むのか!?」


 奴はにやりと笑ってギアを入れる。

 すると――車は急発進した。

 オレは柔らかいシートに叩き付けられる。


「おい! 乱暴だぞ!」


 ファンゲリヲンは、ただニヤニヤしていた。


「なぁ、一体どこへ行くんだ。そろそろ教えてくれたっていいだろ」

「まずは三国を貫くヴァニラ沿岸街道を通って――ジェミニ国を目指す。そこからアムスタに入ってお楽しみだ」

「アムスタ?」

「そこからフルシに入って橋を渡り――目的地はグレート・ブリタシア島北部、カレドネルだ」

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