36.2 「決まりだ。勇者のアジトはそこだ」

 ノートンは部屋に入るなり、内側から施錠せじょうする。


「録音を切れ。盗聴をするな」


 ナイト・ミステスの船室。

 ノートンとジャックが初めて会ったとき、尋問じんもんした部屋と似ている。

 壁一面真っ白で、机と椅子以外には何もない。その机も、がっちりと床に固定されている。


「なんだよこんなところに呼び出して。あのときの続きをやろうってか」


 ジャックが不満そうに言う。

 ノートンは「懐かしいな」と笑った。


「あのとき私は君に、勇者を追う仲間に入れてくれと言ったんだっけか。まぁ、結果としてはそうなった。でも実際は、君達のほうが私の仲間になった。そう思わないか? サー・ジャック」

「思わんね。お前は下っだし、俺は騎士爵」


 ミラは「何が言いてえんだ」とジャックよりも露骨に不満そうだった。


「いや何、大事な話をする前の――アイスブレイクだよ」

「ノヴェルたちか」

「間接的にはそうだ」


 これを見てくれ、とノートンは手にした書類を机に広げた。


「サイラス君がシドニアのところで聞いた『アレン=ドナ』という謎の言葉――その意味がわかった」


 図書目録、聴取記録、そして絵。


「ジャック君から聞いた『北ブリタ十字』の出所を追っていてね――カレドネルだ」

「親父の宗教施設にあった十字の紋章か?」

「カレドネルだと?」


 ミラとジャックが同時にいた。

 ノートンはどちらにも「イエス」と答える。


「ファンゲリヲンが宗教団体を作るにあたってかき集めた要素――それを全て調べた。教義や、教団施設、信徒の生き残り、元信徒を当たってね」

「もしかしてお前、暇だったのか?」


 そうではない、とノートンは即座に否定した。


「勇者が残したモノは少ない。壊したもの、無くしたものは枚挙にいとまがないが――作り上げたものは『神と人々の家』だけだ」

「国だって、まぁ世襲だったわけだしな」

「メイヘムの鎧もイグズスのハンマーももう回収不可能だ。だからコレを徹底的に洗った」


 コレ、というのはつまり、教団を調査した膨大な資料だ。


「まぁ、大事なことだな」


 ジャックはそううなずく。

 彼自身、勇者・銀翼のゴアの解剖記録から最後の勇者の痕跡こんせきを示す重大な証拠を見つけていたのだ。


「すると一番古い輸入品・・・はこの古ブリタ十字だと判った。これは初期の教義の表紙にも登場する」

「ああ。だがファンゲリヲンは元医者で、そこそこ博識だったんだろ。たまたま知ってたってことはないか」


 机の上の古い帳面は、ミラが持たされた教団の帳面とは大きさも厚みもずっと異なるものだ。

 それを見ながらミラが答える。


「いや、親父はこういうものには関心がなかった。ブリタあたりのことについちゃ、戦争の話ばっかりだったよ」

「そもそも最初期には教義すらなかった。これは教団がアレンバラン男爵の元に移ってから作られたものだ。ミラ君の父上は、勇者・放蕩ほうとうのファンゲリヲンになってからこれを知ったのだ」

「なるほど。まぁそれでいいや。そうだとして、それがなんだ」


 ノートンは地図を広げる。

 パルマを含むエウロラ大陸北部の地図だ。

 北半球ぶんしかなく、ウェガリア以南は描かれていない。

 ヴァニラ海より北の北限大陸もかなり簡略化されたものである。

 その地図の右下に、パルマ・ノートルラントがある。

 東はすぐ大海。

 地図中央には大きな中央山脈があり、小国がひしめいている。

 その山脈を挟んで北は大きな内海――ヴァニラ海だ。

 そのヴァニラ海の西、パルマぱら見て地図上の対角に、ブリタ島がある。

 グレート・ブリタシア島――通称ブリタだ。


「パルマの上が、ルーマナ、その上がワルクロ。で、海峡があって北限大陸と」


 上とか下とかいうんじゃない、とノートンは顔をしかめていたが、眼鏡を直して気を取り直す。


「だがそう。その海峡がヴァニラ海の東の入り口だ。西の入り口がブリタ海峡」


 ブリタは島だが、大陸のフルシ国と橋で繋がっている。

 ノートンはそこを指差して「西の入り口、ブリタ海峡」と言った。


「ジャック君はブリタに詳しいかね」

「ああ、まあな」


 グレート・ブリタシア島は南北二つの自治区に別れている。

 その北側がカレドネル地方だ。


「――結論を言えよ。ブリタ十字がどうした」

「この十字は、ブリタ十字と呼ばれるが発祥はカレドネルだ。カレドネル地方には、他にも神秘的なものが沢山あるのに、なぜかファンゲリヲンはブリタ十字以外をモチーフにしていない」

「まぁカレドネルは――他には石と湖くらいで、何にもねえところだからな」

「それで我々はカレドネルについて調べた。そこで、『アレン=ドナ』を見つけた」


 ノートンが示したのは絵だった。

 大きな湖。

 そして古城。


「エイレーン・ドナウ城。古い地名が『アレン=ドナ』だ。今でも土地の者はその古い名称で呼ぶことがあるらしい」

「エイレーン・ドナウ――なんか、聞いたことがあるな。たしか、途轍とてつもない山奥で、誰も行けねえ伝説の城みたいなとこ、みたいな話じゃなかったか」


 そう、とノートンは言う。


「長らく人が踏み入れていない。近づいた者は――誰も戻らない。そういう場所だ」

「バカげてる。ならこの絵は? 誰が描いた?」


 ジャックは絵を指差した。

 ノートンが別の資料を開いて読み上げた。


「二十年前、そこを訪れた保全探索隊が描いたものだ。まぁ、平たく言うと冒険者だな。探索隊は、たった一人を残して全滅した。生き残った女性隊員は、とても恐ろしい目に遭って、記憶は消えていた。ただ、彼女の持ち物にこれが」


 ジャックは舌を巻く。


「他に怪しい城はいくらでもあるが、サイラスが『アレン=ドナ』と聞いてる。――決まりだ。勇者のアジトはそこだ」


 言いながら立ち上がっていた。


「ノヴェルも――きっとそこだ」




***




 議論は続いていた。


「俺たちのほうも、沿岸警備隊からの情報を頼りにルーマナを調べた」


 ほう、とノートンは言う。


「俺達がルーマナから戻る前日――だから三日前か。港でキュリオスらしき船が目撃されてる。搭乗者はマスクをした中年男と青髪の少年」

「間違いなく彼らだ。ファンゲリヲンは生きているのだな?」

「ああ、医者同士の協会があるらしいが、ノックスのヤサから押収おうしゅうしたリストからは辿たどれなかった。どこで治療したかは不明だが――ファンゲリヲンは元気に動き回っている」


 本当に生きているのだろうね、とノートンは念を押す。

 つまり自らを死霊としたのではないか、という意味だ。


「殺しても死なねえ奴だが、俺の銃撃は急所からずれた。奴は生きている」

「つまり彼らは北回りでブリタを目指していると見て間違いないな。リトア運河とブリタ運河。どちらかの関所でノヴェル君を救出する。となると、チャンバーレインに情報を流しておいたのは正解だったな」


 チャンバーレインは完全に行方をくらましているものの、複数の代理人を通じて書簡を送るルートは存在した。

 彼には北寄りの海路の情報を流した。その時点ではあやふやな情報であったが、彼には独自の情報網があったようだ。

 案の定、チャンバーレインは真逆のルートを記事で広め、有志の追跡者を陽動してくれた。

 有志の追跡者とは、地元ギルドの冒険者や傭兵だ。


「だがどうやって捕まえる。リトア運河には追い付けんし、彼らも陸路を取るかも知れん。フルシとブリタの間の橋のほうがいい」


 ブリタの港は? とノートンは言うが、すぐに肩を落として自答した。


「無意味な質問か。キュリオスでは港で降りるとは限らない――厄介だぞ」

「キュリオスの燃料を計算して航路を予測しろ。ブリタシア島北側へ回って直接カレドネルへ入るルートは厳しい。島北東の沿岸はけわしい山だし、海中は流氷が上がってクラーケンがでる時期だ」

「なるほど。大都市を通って死霊にする手下を補充する可能性もあるな。陸路も考慮に入れよう」


 ミラは、ジャックとノートンの議論をにやにやと笑って見ていた。


「――どうしたんだミラ。こんなときに」

「いいや。なんでもねえよ」

「君の父上の問題でもあるんだぞ。ファンゲリヲンが行きそうな場所に心当たりはないか? 古い友人、恩人、部下――」

「知らねえ、知らねえよ。あたいを巻き込むな」


 ミラはテーブルから菓子をひとつかみした。

 スキップするように軽い足取りで、そのまま部屋を出て行ってしまう。


「――会議中なのに。どうかしたのか。ミラ君は」


 こっちが聞きたい、とジャックは不貞ふて腐れるように言った。

 ノートンはやや小声になる。


「そもそもミラ君は――まだ勇者と戦う気力があるのだろうか」

「『ある』と言ってる。まぁ、成り行きでここまで来ちまったが、ツライとこだろうな。あいつはそもそも親父をトチ狂わせた勇者を探してたんだ」


 ミラの話では、かつてヘイムワース邸を繰り返し訪れ、ヘイムワース子爵に道を踏み誤らせた『勇者』がいた。


「ヘイムワースはミラに、『あのお方こそ勇者だよ』と言ったらしい。その話を信じて勇者を探っていた。なのに――その親父が、トチ狂った勇者そのものになってた」

「ふむ。それでも、ヘイムワース子爵をファンゲリヲンにした者がいたのは間違いないのだな?」

「ああ。たぶんスティグマだ。だからミラは、勇者を追うのを諦めちゃいない。問題は、実の親父を殺せるかだ」


『そいつはあたいが殺す!』とミラは叫んで、ジャックの射線に立ちはだかった。

 その気持ちに嘘はないだろう。

 だが果たせるかは別の問題だ。


「胸中は複雑だな」

「私だって、父親のことは誇れないよ。皇女陛下の恩赦おんしゃがなければ、官僚になどなれなかった」


 ジャックはノートンをちらりと見たが、「へぇ」とだけ相槌あいづちを打って深入りはめた。


「それでノートン、お前、ミラのことどう思う?」

「な、なんだ、いきなり君は」

「勘違いするな。ウェガリア行きの一件で、俺はミラと随分ずいぶん離れてたが――あいつは俺に、ハックマンって記者の一件を隠してた」

「ファンゲリヲンに改造された奴のことか? 奴はもう死んだ」

「違う。その前だ。ハックマンって記者は元ブリタの新聞記者で、『仕立て屋ギル』のことも知ってた。ハックマンは奴を詳しく追ってたのを知ってたのに、俺には何も言わなかった」

「さぁ。君の傷にさわると思ったのじゃないか。君はここで入院中だったし、彼女は列車の中。後で話そうにもトラブル続きだ」


 それはそうなんだが、とジャックは視線を落とす。

 歯切れが悪い。


「――どうしたジャック君。君らしくないぞ。疑問は解決しろ。ミラ君と直接話せ。私にも話せ。伝説の殺人鬼・仕立て屋ギルと君の間に――何があった」


 ジャックは床を、壁を、天井を見て視線を泳がせた。


「ああ、それか。もうすぐ終わる。終わらせてやる。そしたら話す。それじゃダメか?」


 ノートンは――黙ってうなずいた。


「今はノヴェルたちの行方に集中しようぜ。そろそろ燃料の切れる頃か?」




***



「おい、起きろファンゲリヲン」


 ファンゲリヲンは――本当に寝ていた。

 オレは夜通しキュリオスを航行し、疲れ果てている。

 何が六百キロだ。直線ならそうかも知れないが、ぐるっと陸地を回り込んだら千キロ近くあった。

 燃料の残量も少ないし、何やら赤いランプが沢山点滅している。

 もしかしたら、計器の読み方が判れば現在位置くらい判るのかも知れないが、生憎あいにくオレにはそこまでの学がない。

 キュリオスの操縦だって、見様みよう見真似だ。

 海面まで浮上して夜明けの海を見ると、まぁ、運河らしきでっかい水門が見えた。

 向かって左が我らがエウロラ大陸、右が北限大陸。

 真っすぐ突っ切れば――ヴァニラ海だ。


「起きろクソ勇者!」


 ん? あ――とクソ勇者が起きる。


「どこだここは」

「どこだじゃねえ。お前が来いっつったんだろうが」


 おお、リトア運河だ――と、ファンゲリヲンはオレを無視して騒いだ。


「リトア運河はリトア海峡の運河だ。幅二キロ。人造の運河としては世界最大であろうな。どんな船でも通れる。海上交通の要所だ」

「はぁー。こんなもんどうやって造ったんだろうな」

「昔、あのお方・・・・が造ったんだ」

「マジかよ。勇者がこれを!? いい加減なこというなよ、大体どうやって――」

「二世代勇者の頃だ。拙僧せっそうが勇者になる前。詳しいことは直接あのお方にけばよい」

「やっぱ知らねえんだろ。いい加減なことばっかり言いやがる」


 オレは運河を通るために再びキュリオスを潜水させようとするが――わずかに潜ってまたすぐに浮上してしまう。

 何度試しても同じだ。


「おかしい。潜れなくなった」

「燃料が少ないせいではないか? 給油するがいい」

「給油の方法なんか知らない。オレはこいつの整備なんかやったことないもの」

「適当にやればできるだろう」


 そういう問題じゃない、とオレは言う。


「燃料ゲージを見ろ! 少ないけど、少ないなりにまだ残ってる! 潜水できないのは変だ」

「――この、赤いランプはなんだ。故障ではないのか?」


 ああ――それには反論できない。


「かもな。見たことないランプだ。たぶん、キュリオス部隊と交戦したせいだ」

「交戦? 逃げていただけのように見えたが」

「お前は! 瀕死だったから知らないの! 滅茶苦茶揺れてたろうが!」


 実際、オレは暗い海の底を逃げまくっただけだった。

 そのときあちこちをぶつけた。

 オーシュと戦ったときはあれだけ派手にぶつけても平気だったんだから――とは思うが、そもそもこの機体は整備中にクレーンから落としたものだった。

 よくここまでってくれたものだ。


「仕方がない――陸路だ。この船は捨てて行くぞ」


 ファンゲリヲンはふんぞり返ったままそう言う。

 やっぱりこういう奴は性根が腐ってるんだなとオレは思う。


「そんな言い方あるか。どれだけ無茶させたか。これまでありがとうと言え」

「判った判った――」




***




 オレたちはキュリオスをその場に置いて、徒歩で港まで来た。

 港というよりはドックだ。

 水揚げ、船荷――そういう風情より税関、コンテナ。


「君はそこの長椅子で少し休むがよい」


 そう言い置いて、ファンゲリヲンはどこかへ消えた。

 奴の言う『長椅子』とは、並んだ一斗缶いっとかんにシートを掛けたものだった。

 性根ばかりか眼まで腐っているのか――と思いながら、オレは最悪に固くてでこぼこした一斗缶の上に寝そべる。

 オレたちは――というか、オレたちの『たち』に、勇者が含まれているのは未だに気に入らない。

 でも――夜通し海中を航行しながら、今更仕方のないことだと腹をくくった。

 状況を整理する。

 オレはスティグマに会う。

 会ってどうこうできるわけはないが、できるだけ敵の情報を探る。

 これができるのは全人類でオレだけ。

 オレは魔力を持たず、やにで擦らなきゃマッチ一本けられない人畜無害だ。

 人類悪を煮詰めたような宿敵を前にナイフを握っても、腰の引けてしまった大間抜け。

 後ろ盾の皇室も仲間も裏切って今や一人きり――と少なくとも奴らはそう思っている。

 オレは弱い。そこらの野犬や毒蜘蛛にも劣る。

 ――奴らは油断する。

 勇者をスパイできるんだ。

 そしてパルマへ帰る。

 黙っていればオレは人質として、リンたちを危険にさらすことになる。

 オレが人質として使える限り、奴はまた何か陰惨な襲撃をくわだてるだろう。

 そうなれば大勢の無関係な人間を巻き込んでしまう。

 だから逃げなきゃならない。

 ジャックたちもオレをお尋ね者として探しているだろうから、逃げ出せさえすればそれは難しいことじゃないだろう。

 いくつか、気を付けなきゃならないことがある。

 一つは、オレが裏切り者だと思わせ続けること。

 もう一つは、オレが勇者側に気を許したとは思わせないこと。

 オレの芝居がばれないようにするためには、これまで通り敵対し続けていたほうがいいからだ。

 そして最後。これがたぶん一番難しい。

 それは途中でジャックたちに助けられたりしない・・・ということだ。

 どうかジャック。

 まだオレを助けに来ないでくれ。

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