第八章: 暗闇より光へと至る道は長く険しい

Ep.36: 殺しても死なない男

36.1 「つまるところ、出直しだよ」

 ポート・フィレムの広場では、サン・モーニング誌の号外記事がばらかれていた。

 ここ数日、広場を騒がせる記事はどれもファサ国とパルマをまたいで起きた宗教団体『神と人々の家』関連のものであった。


『勇者、教団の信徒らを虐殺ぎゃくさつ

『死霊術か? 恐怖の連鎖れんさはオルソー駅へ!』

『皇女失態! 信徒虐殺の勇者を取り逃す!』

『死霊の屋敷、倒壊! 天災の沼へ沈む』


 ねぇ、これって――とミーシャは紙面を指差す。


『ポート・フィレムの失踪少年N、勇者を手引きか?』


 チャンバーレイン記名記事だった。

 それによると――虐殺を引き起こした勇者・放蕩ほうとうのファンゲリヲンの逃亡を、ノヴェルと見られる少年が助けたらしい。

 記事では名前こそ伏せてあるものの、ポート・フィレムの事件のあと行方不明となった少年Nは、ベリルで皇女を裏切ってファンゲリヲンの逃走を手引きしたと強い論調で書かれている。

 皇室に批判的なサン・モーニングにしては、皇女に肩入れする内容である。


「絶対にあり得ないよ。ノヴェルが皇女様を裏切るなんて――」


 ミーシャもそう思う。それでも『外患誘致がいかんゆうちの疑いで行方を追っている』などと書かれると気が気ではない。

 サイラスが歯牙しがにもかけぬ様子でうなずくので、ミーシャは少し安心した。

 勿論ノヴェルを知る者なら誰もこんなことは信じない。

 だが――全員がそうではない。

 少なくとも衛兵ほか武装したギルドの冒険者たちの動きは、記事の内容を裏付けるようであった。

 ノヴェルがポート・フィレムに逃げてくるのではないかと、街はこのところ厳戒態勢げんかいたいせいいている。

 閉鎖している宿無亭やどなしていには、『裏切り者』と心ない落書きや、投石が相次いでいた。


「僕らは信じよう。きっと何か、裏があるんだ」


 そこへ「よう」と現れたバリィは、旅支度をしていた。


「バリィさん、どちらへ?」

「ああ、ギルドの依頼で昼行燈の兄ちゃんノヴェルを捜索するんだ。そこら中の冒険者や傭兵に声がかかってる」

「足取りがつかめたんですか?」


 バリィが差し出した記事は、やはりサン・モーニングのチャンバーレイン記名記事だった。

 それによるとノヴェルとファンゲリヲンは、ファサを抜けて南のルートをとって中央山脈へ逃れたと書かれている。


「どうやらファサはファンゲリヲンの本拠地らしいな。そこを足掛かりに、内陸に移動してるらしい」

「バリィさん――」

「なんだ、心配するなよ。必ず兄ちゃんを取り戻してやるって!」




***




 皇室宮殿内特別病棟にて。

 カーライルは厚いガラス越しに病室内を見ていた。

 にわかに病室内があわただしくなり、カーライルは息を呑む。

 二十四時間交代で大賢者とリンを管理してきた医師団は今、急場を迎えていた。

 病室から飛び出してきたオットーという医師を捕まえ、カーライルは「どうした」とく。


「お二人の容体ようだいが急変しております。すぐに皇女陛下におしらせしないと」


 待て、とカーライルは言う。


「状況をまとめてからだ。これ以上皇女陛下の心労を積み上げてはならん」

「しかし――」


 ガラスの向こうでは、医師たちがばたばたと走り回っている。

 一刻を争う事態なのはカーライルにもわかった。

 その間にあるベッドと、場違いな水槽。

 水槽には大賢者マーリーン。

 そしてベッドにはその孫、リン。

 リンは実の孫ではない。まだ・・人間であるかも怪しい。


「しかしではない。回復の見込みがあるのか、ないのか。それをはっきりさせなければ皇女陛下には上げられん」

「わかりません」


 ノヴェル・メーンハイムが皇室を裏切り、ファンゲリヲンに連れ去られてからというもの――リンの容体は少しずつ悪化していた。

 最初の一週間ほどは目立った変化はなかったが、二週間目からバイタルが低下。

 手だけがどんどん伸び、今ではキングサイズのベッドからもだらんと垂れている。

 その左手の先には――マーリーンの水槽がある。

 右手は北を向いている。その先にあるものが何かは判らない。

 一つだけ言えるのは、リンはもう限界だということだ。

 カーライルは判断を迫られている。

 もし回復の見込みがないなら、このまま秘密にリンを――。


「とにかく、もう神格をこのまま競合させておくことはできません。一刻も早く分離を行わなければ、何が起こるかは判りません」

「勇者たちはこの子を交換条件にしているのだ。許可なく分離・統合はできん」


 実質、人質は二人だ。

 勇者・放蕩のファンゲリヲンはノヴェルを人質にとり、またリンをも事実上人質として保全を要求している。


「し、しかし――!」

「だからしかしではない!」


 そこへ――背後から「何が起きている」とノートンの声がした。

 振り向くと皇女ミハエラとノートンが立っている。

 カーライルはすぐにひざまずいた。


「続けなさい、ドクター・オットー。カーライルは、ドクターの発言をさえぎらぬよう」


 ははっ――と、申し開きの機会すらなくカーライルは従う。

 このところ、ミハエラの迫力は十代の少女とは思えぬほどになっている。

 時としてまるで、大皇女アリシアが乗り移ったように感じることさえあるのだ。


「陛下――御覧のように、リンさんの容体は急変しております。一刻の猶予ゆうよもございません。早急に手を打ち、神格を分離させない限り、何が起きるか保証できません」

「『何が起こるか』、とはリンさんの身に何が起こるかという意味でしょうか」


 オットー医師は口をつぐんだ。

 迷う。

 やがておずおずと口を開いた。


おそれながら、言葉の通りの意味です。リンさんの身に限ったことではありません。弾き合い、引き合う二つの神格が、制御不可能な形で融合してしまうのです。神学者は『なるべく遠くへ逃げろ』と言うでしょう」

「――」


 カーライルは息を呑んだ。

 ミハエラは落ち着いている。


「それはリンさんと大賢者――二人を物理的に引き離せば、遅らせられることなのでしょうか」

「それが可能なら初めからお二人をここへ入れてはおりません。三週前ならいざ知らず、これまでお二人が安定していたのは女神スプレネム様のご威力いりょくによるところが大きいのです。今、お二人を生かしたままスプレネム様から離すことはできないと、これだけははっきり申し上げられます」


 大賢者もその孫も、過酷な目にった。

 長距離の移動、そして拉致らち。のみならずリンに至っては、ファンゲリヲンによって神性をハイジャックされる寸前であったのだ。

 そしてスプレネムの水面下の尽力。

 今あの女神が、膝を抱えたまま必死に何かと戦っているように見えるのは、きっと人間には想像もつかない何かがあるのだ。


「陛下。申し上げます。どちらかを選ぶ時が来ています」


 光の神になるのはリンか。それともマーリーンか。

 ミハエラはノートンに目線を送る。

 ノートンはうなずいた。


例の作戦・・・・を実行に移しましょう。信徒の候補は既に見つけております。マーリーンを神として転生させるのです」


 オットーはそれを聞いて目を丸くした。


「リンさんは見捨てるのですか」

「そうではない。大賢者は別の神に転生する。そして神格の競合状態を脱するのだ」


 ノートンの説明に、ミハエラは頷く。


「よくわかりました、オットー。よろしい。カーライル、神学者を集めなさい」


 転生を実行します、とミハエラは宣言した。




***




 オレは、墓地を歩いていた。

 綺麗に整備され、刈り込まれた草。

 美しく切り出された石の下に、死者が眠っている。

 海があるのに、この国では死者を地面に埋めるのだ。

 その墓石の間に、ファンゲリヲンはいた。


「目ぼしい死人は見つかったかい。新しいのにしてくれよ。臭くってかなわないからな」

「静かにしなさい。ここは死者の眠る場所だ」


 ――よりによってお前がそれを言うのか。

 今すぐそのしゃがみこんだ後頭部を手ごろな石で殴りつけて遠くに逃げたいが――生憎あいにくオレにはここがどこかも判らない。

 ベリルからはかなり離れたはずだ。

 奪ったキュリオスで北へ向かった。

 哨戒しょうかい中のキュリオス部隊に見つかって、海中を必死で逃げた。

 ファンゲリヲンは出血が酷く死にかけていて、譫言うわごとのように「北へ」と言っていた。

 オレは北へ逃げた。

 なぜ――あのとき投降しなかったのか判らない。

 たぶん追われたからだ。

 逃げて逃げて逃げ続け――キュリオスが追って来なくなったのはたぶん国境を超えたためだ。

 ならばきっと今いるここは旧ノートルラント領の北、ルーマナ国だろうと思う。


「この国の死者は恵まれている。だから妻をここへ葬った」

「妻ってまさか、墓参りか?」

「そのまさかさ。なんだ。意外か?」


 意外も何も――こいつは七勇者、しかも自国じゃ教祖だ。

 自分の信者をまとめて殺して、死霊術でいいように操ってオレたちを襲った。

 目的のためには手段を選ばない。

 そのためにどれだけ人が死のうとも、冷笑している奴らだ。


「意外なんてもんじゃないね。しかもファサじゃなくて、こんな遠くなのかよ」

「ああ。娘には言っていない。ここは妻の故郷でもある」


 ――違う、オレが聞きたかったのはそうじゃない。

 そんな普通の話をしている場合じゃないんだ。

 こいつは、爺さんを誘拐して、秘密をネタにオレを皇室の裏切り者に仕立て上げた。

 オレは乗った。

 爺さんやリンを助けるのに、おとりになる以外にオレに何かできることがあったか?

 ――ない・・。ひとつもだ。

 幸い、ジャックたちはうまい具合に動いてくれて、こいつを入り江に追い詰めたのに――あの場で儀式をおっぱじめるのは読めなかった。

 スプレネムをきつけてリンの光の神としての神格を刺激し、引き出そうとした。

 リンの神格を、奴らのいう『ヴォイドの神』として乗っ取るつもりだったんだ。

 なんとか儀式をご破算させ、やってきた奴らの神には帰ってもらって、ジャックの狙撃でこいつを殺せるところだった。

 そこから先は計画にない。

 オレは捕まって、人質にされてしまった。

 そんなことがあったから、こいつが『丘の墓地へ行く』なんて言い出したとき、オレはてっきり新しく手下にする死体をあつらえにゆくんだとばかり思っていたわけだ。


「いや、手下のしかばねは揃えなくていいのかよ。怪我も治ったし、パルマに戻って、オレとリンを引き換えるんだろ」

「既に予算オーバーだと言ったであろう。言わなかったか?」


 この街まで逃げて、こいつの馴染なじみの医者に行った。

 そいつは大層驚いていたが、手早く手術してこいつはこの通り、まあまあ元気になっちまった。

 助かるなんて思ってなかったこともある。

 でも初対面の医者に向かってこいつを見殺しにしてくださいとは言えない。


「予算? 金か? お前の手術代で金が飛んだ?」

「予算とはたとえだよ。何の対価もなく、あのような力が振るえるものではない。ソウィユノが話していないのか?」

「いや、何にも」


 そうか、とファンゲリヲンは立ち上がった。


「道すがら話すとしよう」

「道すがらってなんだ。どこへ行くつもりだ」

「決まっているだろう。あのお方のところだ。君を捧げて、お許しをわねばならぬ。新たな計画を練って――それからだ」

「ちょっと待て! 話が見えない!」


 オレはそう叫びながら、歩き出した奴の後ろ姿を追った。


「つまるところ、出直しだよ」


 奴はそう言った。




***




 港に停泊したキュリオスに戻った。

 桟橋には、キュリオスのところに集まった子供たちが物珍し気に見ていた。


「どけどけ、そいつは国家機密だ」


 子供たちを散らしてキュリオスに乗り込む間、彼らは異国の言葉で何か騒いでいた。

 ハッチを閉めて中に下り、オレは操縦かんを握った。


「ハッサンの奴、君を見て何て言ったと思う?」

「ハッサン?」

拙僧せっそうを手術した医者だ。君を見て驚いていた」

「さぁ。『なんであのガキには魔力がないんだ』とかか?」


 そんなことは見てもわからん、とファンゲリヲンは言う。


「ハッサンはな、『お前に息子がいたのか』――と言ったのだ」


 ブワッハッハッと奴は大いにわらったが、オレには何がおかしいのかさっぱり判らない。


「で、どこへ向かうんだ」

「陸に沿って北へ。ワオクロ国を回り込んで西へ行くと、六百キロほどでリトア国境の運河がある。まずはそこを目指そうではないか。着いたら起こしてくれ」


 ファンゲリヲンはつけた仮面を下にずらして目を隠すと、隣の席で寝る姿勢になった。


「っていうかあんたさ、オレに操縦させていいわけ?」

「操縦か。歳をとるとそういうのは覚えられなくてな」

「いやそうじゃなくて。もしオレが南へ向かって、『皇女様こいつです』って言ったってあんたにゃ判らないだろ」

「いいや。しない・・・。今や君も祖国の裏切り者であろう。新聞で読んだぞ。それに君が君の家族の心配をする限り、君は我らを裏切れない」


 ――クソ勇者が。

 オレはキュリオスを航行しながら、何度こいつの寝首をいてやろうとナイフに手を伸ばしたか。

 でもできなかった。

 オレはあの入り江でこいつに飛び掛かったときも――女神の力と重力を借りてなきゃできなかった。

 それだって最後の一瞬、ほんの少し躊躇ちゅうちょしてしまったのだ。

 妹の命がかかっていたのに、自分ではできず、ジャックを頼ってしまった。

 結局オレは――腰抜けのガキのままだ。

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