35.2 「その者らは悪だ。拙僧が導かぬ者どもだ」

 勇者・放蕩ほうとうのファンゲリヲンは逮捕され、厳重な監視のもとベリルに移送された。

 そこはベリルの外れにある小さく、しかし頑丈な石造りの建物だ。

 民王部検察庁の留置場である。

 留置場は裁判で刑が確定するまで身柄を仮置きする場所であるが、民王部の混乱のため裁判が進んでいない。

 このため事実上の監獄と化している。

 大きな鉄格子の並ぶ狭い通路を歩けば、ここに拘束されている者の大半がシドニアの『スペースモンキーズ』だとわかる。

 首都の混乱に乗じて犯罪を行った者――それも元は首都の警備兵だった者達だ。

 奥の取調室から、ジャックが出てきた。

 八時間に及ぶ拷問――いな、尋問が終わったのである。

 それを待っていたノートン以下、情報室の面々が立ち上がった。


「殺してはいまいね。どうだった」

「ピンピンしてるさ。何も吐かん。ノヴェルを呼べと、その一点張りだ」


 投降したファンゲリヲンは全てを話すと言った。

 だがその交換条件に、ノヴェルとの面会を要求していた。


「ここで面会は認められない。ここから動かすこともできん。どうにか奴を落とせないものか――」

「どうせ裁判にはかけられないだろ。手続きのことは忘れろ」

「そうではない。ノヴェル君の身の安全の話だ。一対一の面会を求めているのだからな」


 監視なし、ジャックの援護なしではもしもの場合にファンゲリヲンを止めることはできない。


「……そうだな。さて、どうするか」


 沈黙が訪れる。

 ロウもセシリアも気まずそうにしていた。

 そこへ奥から足音が響いてきた。

 ろうの中の『スペースモンキーズ』が騒々しくなる。


「――ガキだ」

「ガキが何の用だ?」

「お父ちゃんならここだぜ」


 ならず者たちを無視し、足音は真っすぐこちらへ来る。

 暗がりから現れたのはノヴェルだ。


「オレが話す」


 ノートンは煙草をもみ消し、首を振った。


「許可できん。危険すぎる」

「これは、オレの問題だ。オレと、オレの家族の」

「その通りだとも。だが他にも方法があるはずだ。我々が助けになる」

「――ありがとう、ノートンさん。ジャックも。でもリンと爺さんに、時間があとどれくらい残されているのか。ロウさんとセスさんの頑張りも無駄にできない」

「中は密室だ。君がこの中に入ったら、我々には助けられないんだ」

「百も承知だ。姫様は、『手段を選ぶな』とそう言ったんだぜ」


 ノートンは天井をあおいだ。


「五分だけだ。五分ったらドアを開ける。何かあったら通信機のスイッチを押せ。いいな?」


 ジャックがイアーポッドを差し出したが、ノヴェルはそれを拒否した。


「――そうか。眼にレンズは入れてあるか?」

「ああ。そっちは万端ばんたんだ」

「行ってこい」


 ジャックはノヴェルの肩を叩いた。



***



 ファンゲリヲンは血まみれで、ふくれ上がったまぶたを重そうに開けて、オレを見た。

 口元を釣り上げて愛想を振りまいたつもりかも知れないが――とても笑ったようには見えなかった。

 オレと奴の椅子は離れており、間にテーブルはない。

 テーブルは、部屋の隅でひっくり返っていた。

 ファンゲリヲンは椅子の後ろで両手をつながれて、更にぐるぐる巻きにされている。


「――見たまえ。君の御祖父と同じ――はりつけだ」


 いきなり殴りつけたくなることを言われたが、オレは冷静になって椅子に腰かけた。


「爺さんを返せ」

「そのつもりだとも。大賢者には、コンサルタント役を頼むつもりだったのだ。全てが終わったらお返しする。光の神などに転生とは、拙僧せっそうも予想できなかった」

「信じられない」


 そうだろうなぁ――とファンゲリヲンはまたわらった。


「それで、オレに何の用だ。オレに言いたいことがあるんだろ?」

「さよう。君の返答次第では、御祖父をお返しするのが早まる。悪くない話だろう?」

「すぐに取り返す。お前を殺して、死霊術でお前をあやつって見つけ出す。それで皆ハッピーだ」


 ぶははは、とファンゲリヲンは噴き出した。

 血の混じったつばが飛ぶ。


「操る? 拙僧を? それで上手くいけばいいがね、もし拙僧が端微塵ぱみじんに吹き飛んでしまったらどうする? 操れまい」

「ふざけるな」

「実績はあるのだぞ。あの新聞記者を覚えているだろう?」


 ――ハックマンだ。

 御所で爆発を起こし、セスを巻き込んで負傷させた。

 オレは椅子を蹴って立ち上がり、奴の襟首えりくびつかんでいた。


「ふざけるな!!」

「大賢者は絶対に見つからない。君の妹君も、永久に寝たきりだ。寝たきりならまだマシかも知れないな。神になってしまうかも知れないのだろう?」


『――ありがと、お兄ちゃん。神様になったよ』


 あの悪夢がよみがえって、オレはくらくらした。

 ファンゲリヲンの襟首を離し、オレは椅子に戻る。


「――神だと。ちゃんとなれるならいいじゃないか?」

「本当に? 本当に君はそう思うのか? だとしたら悪い兄だ。神などろくでない。スプレネムにいてみればいい。スプレネムは元気か?」

「スプレネムか。お前はそれが目的なんだろ。妹の話で誤魔化ごまかすのはやめろ」

「おや。聞いていないのか? 泉ならもう我らの手にあるのだ。君の御祖父を追い出せば済む。だが――それは我らの本意ではないのだよ」


 知ってる! とオレは床をかかとで思い切り叩いた。


「――くそったれの勇者め。時間の無駄だった」


 オレが椅子から立ち上がると、ファンゲリヲンはまた嗤う。


「そうでもない。これは、君の妹君の話でもあるのだ。君がこの部屋に入ってからずっとね」


 オレは黙って奴をにらんだ。


「君の妹君を、神と安全に分離したいのだろう? その安全で・・・確実な方法・・・・・があるとしたら?」


 背後でドアが開いた。


「ノヴェル君、時間だ」

「オレは大丈夫だ。あと一分だけ。あと一分だけくれ」


 ノートンは渋々ドアを閉める。


「――方法? それならもうある。爺さんを――」

「別の神に転生させるのだろう? いかにも、凡夫ぼんぷの考えそうなことだ。だがそれは確実なのかね? 誰か、誰でもいい、誰かが君にその方法は確実に上手くいくと約束したか?」


 ――そんな保証はない。

 ノートンも思い付きだと言っていた。

 神学者が検討して悪くないとは結論したそうだが、誰も挑戦したことのない方法だ。


「我ら勇者ならそれが可能だ」

「見えいた嘘だね。誰がそんなことを保証できるっていうんだ」

「できるのだよ。勇者・慈愛のホワイトローズ。この世界の全てのものを切断し、生かし続ける能力。彼女なら、半神のヒトと神性すらも分離することができる」


 ――慈愛のホワイトローズ――。

 初めて聞く名だ。


「――だまされないぞ。そんな勇者、聞いたことがない」

「そうだろうとも。知られた作戦には参加していないのだから。だが、本物だとも」

「――信じないぞ」

「今はそれで結構。我らと来れば、その真価をご覧に入れて差し上げましょうとも。何もかも元通りになる。君は、その手からすべり落ちていったものを取り戻せる。こんな血生臭い連中とは縁を切って平和な暮らしを手に入れるのだ」


 ――信じない。

 信じないが。


「――協力してくれるね?」



***



「ノヴェルのことなんだが――様子がおかしくねえか?」


 ジャックは食べていたお菓子の包みを小さく丸めて指で弾いた。

 お菓子の包みはテーブルの上を滑って、ノートンの席に届く。


「さぁ。そうだろうか。ふさぎ込んではいるが――妹さんが心配なのだろう」


 ノートンはお菓子の包みでトントンとテーブルを叩いてから、ミラのほうへ弾いた。


「ファンゲリヲンの野郎と面会してからだろ? 一体何を言われたんだ。認識術は対策してたんだろうな」


 ミラは自分が頬張ほおばったお菓子の包みでそれを包んで、更にジャックへ弾き返す。


「対策はしてた。会話の細かい内容まではわからんが――ファンゲリヲンは全てを話すと言ってる」


 ノートンへ向けて弾く。


「それは後だ。まずはマーリーンと泉の奪還だっかんが先だ」


 ジャックもミラもそれには賛成した。

 具体的にどうする――と、ノートンはテーブルの皿から新しいお菓子を二つとって二人に投げた。


「ファンゲリヲンはノヴェル君を車両を隠した場所まで案内すると言っているが――それはつまり奴を外に出すという意味だ」

「ここで白状させろ」


 ミラがそう言うがジャックは難しい顔をする。


「せっかく捕まえたのに釈放するみたいでしゃくだってのは判るが――実際のトコどうだ? 奴をおりに閉じ込めたいか? 裁判を受けさせて処刑する? そのために捕まえたのか?」


 もうがす爪もないしな、とジャックは付け加えた。


「役人としては断腸だんちょうの思いだが、実際問題不可能だ。百を超える自殺教唆きょうさ、そのうち何件かは殺人が疑われる。その他誘拐、脱税、密輸――裁判には五十年かかるだろう。ファンゲリヲンは身元が国外人と判明している。ファサ人がファサ人を殺しても、パルマでは殺人に問えない。検察庁はファサへの送還を決めるだろう」

「なら決まりだ。奴をここに置いておく意味はない。泳がせて、目的を達成したら殺す」

「そのリスクだ。泳がせるならノヴェル君に危険がある。彼の安全が最優先。そしてマーリーンと泉の奪還さえれば、ファンゲリヲンは逃げても構わないのだな? そこだけ君達と同意したい」


 仕方ねえ、とジャックはお菓子を噛み砕く。


「――俺は構わないぜ」


 ジャックはミラを見る。

 ミラは――迷っているようだった。


「ミラ。もっといいアイデアがあるなら聞く。だが無いなら悩むな。今まで通りだ。ファンゲリヲンを殺す機会はまた見つける」

「クソが。リーダー風吹かしやがって」


 そう悪態をきつつも、ミラは溜息交じりに同意した。


「わかったよ。それでいい」



***



 オレはその晩、夜中に留置場に忍び込んだ。

 ファンゲリヲンの指定した時刻、指定の裏口から指定したルートで――。

 途中、地下へ降りる階段のところで留置場の係官が倒れていた。

 見回り中を襲われたのだろう。

 生きているのか死んでいるのか。

 オレは地下の牢へと急ぐ。

 地下へ降りると、牢の鉄格子が全部半開きになっていた。

 ファンゲリヲンも自分の房にはいない。

 奴だけは独房だったはずだが。

 中にいるのは殆どがセブンスシグマという勇者の手下で、ベリルの庁舎を襲撃した連中らしい。

 全員、元が街の衛兵だったと聞く。

 そいつらは今、扉の開いた檻の向こうにいる。

 全員――死霊になっていた。

 何人かは床でぶすぶすと煙を上げて力尽きている。

 そこにもファンゲリヲンはいない。

 廊下のどん詰まり、そこがファンゲリヲンの待つ取調室だ。


「――時間通りだ」


 ジャックに殴られてから数時間が経ち、ファンゲリヲンの顔はあちこちがれている。

 指先の爪をがれたところには包帯が巻かれていた。


「スプレネムはまだその場所にいるのだろうね」

「ああ、さっきも確認した。動いていない」


 スプレネムは、宮殿地下の研究所にいた。

 断崖の洞窟を利用した、地下の入り江の研究所だ。

 きれいな水ならいくらでもあり、そこでは随分ずいぶん落ち着いているようだ。


「どうやっておりを出た? どうしてまだこんなところにいるんだ」


 オレがくと、ファンゲリヲンは傷だらけのまま不敵にわらう。


拙僧せっそう放蕩ほうとうの勇者だ。拙僧が行きたい所に行き、欲しいものは必ずほしいままにする」

「オレは方法を聞いたつもりだったんだけど」


 奴はここの図面らしき紙をひろげた。

 手書きの図面――それは正規の図面ではないが、各部の材質や壁の薄さが描き込まれている。


「女をやとって、彼らの家族だと言わせれば面会に入れる。拙僧にとり、ここは観光地も同然だ。そもそもここはそう長い間罪人を閉じ込めておくようにはできていない」


 スペースモンキーズは独房じゃなかった。

 奴らを外から操って、土魔術を使わせれば脱走は時間の問題ということか。


「ところで、拙僧の新しい同志らを見たかね?」

「そこの檻で転がってる死霊どものことか。使えなさそうな連中だな」

「あれで魔術が使える。一回限りだがね。話を聞けば可哀かわいそうな者どもなのだよ。みちび甲斐がいがあった」


 元々こころざしがあってセブンスシグマに従ったのだと思っていた。

 聞けばそうじゃない。

 庁舎が襲撃された後で、セブンスシグマに寝返った連中なのだ。

 そしてセブンスシグマがシドニア王として国政に乗り出すうち、不要になった連中でもある。

 シドニアは奴らを『スペースモンキーズ』とふざけた名前で呼び、嘲笑あざわらっていた。


「彼らは死霊。ヴォイドがなければ魔術を使うことができない。この意味が?」


 さあね、とオレは答えた。

 魔力が無い。その点についてはオレと同じだ。

 でも――さして関心のないことだった。


「死霊。そして君。共通点は魔力を持たないこと。君も勇者か死霊になればヴォイドを宿して――人並みに魔力を操れるのではないか? 君はその可能性に気付いて、拙僧と来る気になったのではないかね」


 ――その可能性には気付いていた。

 ジャックの家の庭で、ハリーのしかばねが魔術を使ったときからだ。

 でも断じて――今更魔術を使いたいなんて、オレには思えないのだ。


「大外れだ。半年前なら違ったかもな。でもオレはもう、魔力のないことをほこってさえいるんだ。それにオレは死霊になんか死んでもなりたくない」


 ほう? とファンゲリヲンが初めて意外そうにした。

 馬鹿にされたのかも知れない。


「死霊ではなく勇者になれるとしたらどうか?」

「少しも関心ないね。お前らみたいになりたいなんて思わない」


 そんな強がりを、とファンゲリヲンはわらう。


なげかわしいことだ。誰が君にそんなことを吹き込んだのだろうか。君の周りの大人達か? ――その者らは悪だ。拙僧が導かぬ者どもだ。ヴォイドの力に、そんな小悪があらがえる道理はないのだ」

「お前に善悪を問われるとは」


 オレは頭がおかしくなりそうな気がした。


「とにかく、オレは妹と爺さんが無事に戻ればそれ以上は何も求めない」

「果たしてそうかな? そうだ、一ついいことを教えよう。魔力を持たないのは死霊と君だけと思ったかも知れないが、もうひとつだけ例外がある。拙僧は知っているのだ」

「どういう――意味だ」


 オレには、ファンゲリヲンが急に何を言い出したのか理解できなかった。

 何が言いたい?

 どんな意味がある?


「君は孤独ではないということだ。喜ぶがいい」


 オレは、今更魔力なんか欲しくない。他の誰もが持っているとしてもだ。

 どうせもうオレは、あの日常には戻れない。

 サイラスやミーシャと共に学堂に通って、他の奴らと同じように卒業する。

 そんな未来はない。

 でも――他にも魔力を持たない者がいる。

 そのことには、激しくさぶられた。


「興味がいてきたかい? それは――ホムンクルスだよ」


 ホムンクルス――?


「フラスコの中で育てた人造人間だ。人造人間は魔力を持たない」


 ――人造の――人間――えっ――?


「な――何を言ってるんだ? そんなことが」

「あるわけがないと? 拙僧は造った。ホムンクルスを。君のお友達――ジャック君はったことがあるはずだ」


 ホムンクルスは――魔力を持たない。

 リンは――爺さんが造った神だ。

 孤児をベースにしたという話だったが――。


『男の子ならリト、女の子ならリンと――』


 大皇女様はそう言っていた。

 もし本当に生きた人間をベースにしたのなら、そんなことを言うか?

 爺さんに、ホムンクルスを造れたのだとしたら――?

 大皇女様は、オレが魔力を持たないのは爺さんが『そういう選択』をしたのだと言っていた。

 つまりそれって――。

 オレって――。

 何者だ?


「どうかしたか?」


 ファンゲリヲンは、腫れまくった顔でにやにやと嗤っていた。


「気になることがあるなら――君の御祖父に直接訊いてみればよい」


 オレは、早く連れていけと言った。

 目の前に座る――完璧な闇のような勇者に向けてだ。

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