34.5 「それが――線路上に妙な連中が」

 皇室部情報室通信交換係オルソー支局。

 オルソーの駅近くにある交換局だ。

 試験運用だった頃から比べれば、仕事は格段に増えている。

 列車二両が襲撃された事件からは、鉄道運行に関わる業務も行うようになった。

 民王が処刑されて元老院が消滅し――かつて民王部管轄かんかつだった運輸局の業務がガタガタになったのを皇室部情報室のノートンが一部を引き受けたわけだ。

 それでも人材が急に増えるわけではない。

 今もここはベティとキャス、二人の職員で回していた。


「今日は――何やら難しい作戦があるらしいね」


 机の上に買い込んだ昼食を積み上げつつ、他人事のようにキャスが言う。


「ウェガリアから荷物が通るんだとか? 何運ぶかなんて知らないけど」

「相当珍しい特殊車両らしいわよ? 見てみたくない?」


 あんたねぇ、とベティは口をとがらせた。


「だって普通じゃないよ。ダイヤ大幅変更してウェガリアから五日もかけて運ぶなんて――」


 キャスによれば、通常の軌道用の貨物シャーシに見合わないくらい大きな貨物を乗せているらしい。

 そのためスピードが出せないのだとか。


「兵器とかかな?」

「よしなよ」

「だってウェガリアだよ? 重機なんて運ばないだろうし――」


 キャスは想像をたくましくして浮かれている。

 真面目に仕事して欲しい、とベティは思った。



***



 五日前のロ・アラモの御所にて。

 あるじを失った御所の地下室から、泉が運び出された。

 御所に地下室は他にもあるが、ここは浅い。


「慎重に! ――いいわ、持ち上げて!」


 泉は地下室の石畳に一体化しており、切り離しのためには慎重な工事を要した。

 直径二メートル半の泉。やや楕円形。

 地下には大きな搬入はんにゅう搬出はんしゅつ口もあったが、泉の搬出には拡張工事が必要だった。

 クレーンを使ってその泉は吊り上げられた。

 それは緑色に輝く不思議な液体様の物質に満たされていた。

 これはただの泉ではない。

 女神が生み出し、また神を生み出すことのできる神聖なかご――否、フィレムによれば扉であるという。


「コンテナ確認、よし! 搬入開始!」


 セシリアにはそれがどういった仕組みのものなのかは理解できなかったが、今それが何より重大なものであることはわかっている。

 泉の中で再生中なのは、かの大賢者マーリーン。

 それが新しい神に転生を果たす途上なのだ。

 だが悲劇はその途中で起きた。

 かつてマーリーンが生み出し、孫として暮らしていた光の女神リンと神性の競合を引き起こしてしまった。

 それが火であれ水であれ、一つの女神として神格を維持できるのは一者だけなのだ。

 現在、マーリーンの転生は凍結である。

 その問題を解決するため、この泉を中のマーリーンごとスプレネムの元へ運び、新たな泉に移し替えなければならない。


(なぜスプレネムを連れて来ないんだろう)


 セシリアはそう思っていたが、理由はいくつもあるらしい。

 この地の更に地中奥深く、テーブルマウンテンの内部に地の女神の聖域がある。

 ここにこれ以上の泉を作ることは難しく、新しい泉を作るのもどこでもよいわけではないらしい。

 スプレネムが充分に魔力を得られる必要があり、泉自身も魔力を得られる必要がある。

 またこれは噂に過ぎないが――スプレネム自身が、相当に厄介な女神であることも影響したとも聞く。

 セシリアにはすんなり信じられる。

 とかく女神という連中は、付き合いにくい。

 とにかくセシリアの任務は、これを無事ベリルまで運搬することだ。



***



 ウェガリア市街まで一日をかけて運搬した。

 山岳地帯を降りてくるのにはホイールローダー二台を使った、極めて繊細な技術を要した。

 ここからは列車に搭載するのに、一回り小さなコンテナに移し替える必要があった。

 マーリーンは半転生状態で泉の中におり、このままでは揺れで傷つく可能性があるのだ。

 そのため、マーリーンを一時的に吊り上げ、立てた状態で固定する。

 縦長のシートにマーリーンを固定し、足だけを泉につけた状態にする。

 神学者によれば、この状態でも数日間は維持できるはずである。

 ただし泉の内部には異物を入れないこと。

 このために、おそらく人類がこの一度しか使わないであろう特殊な機材が設計された。

 コンテナ自体に固定するシート――いや、それはむしろ。


はりつけ台――かしらね)


 セシリアはそう思った。

 泉からあげたマーリーンの老体を大きな麻布あさぬので巻き立たせた上、ベルトを何重にも回してシートに固定する。

 磔のようだと思ったが完成してみると存外、神々しかった。

 予定ではベリルまで五日間の行程。

 低速だがノンストップ。

 期間中、他の列車の通行は大幅に制限されるため臨時ダイヤである。

 機関車と燃料車、そして客車と貨物車が一台ずつ。

 列車が走りだし、マーリーンの移送が始まった。



****



 それから四日後。

 マーリーンを移送する列車は予定通りオルソーに到着しようとしていた。

 ここからベリルまでは一日。

 ほぼ直線であるから、ここまでくれば任務は成功目前だ。

 マーリーンの状態はすこぶる良い。

 泉の液体も殆どこぼれずに済んだ。

 セシリアがその状態を確認し、チェックシートに記入をしていると突然列車が警笛けいてきを鳴らした。

 警笛は二度、三度とけたたましくなる。

 そして急減速を始めた。

 加速度がかかり、泉の液面が大きく揺れた。

 泉を満たした液体がダバダバと跳ねて、少し零れる。

 セシリア自身は警笛を聞いて手すりに掴まっていたため、転びかけただけで済んだが――。


(ちょっと――何!?)


 セシリアは小型通信機のスイッチを押して、運転席を呼んだ。


「どうしたんですか!」

「いえ、それが――線路上に妙な連中が」

「妙な連中?」

「三十人くらい、おんなじような白い服着た連中が――線路に立ってるんです」


 セシリアは、ウェガリアを出た直後にベリルから受けた警告を思い出す。

『神と人々の家』を名乗る宗教団体が、パルマ皇室に抗議を行う予定で国境を超えた。


(でも、集団自殺したって――)


 しかし、それはあくまでファサの寺院の話だ。

『神と人々の家』の寺院は他にも存在する。

 小規模ながら、ウェガリアや、このオルソーにも――。

 列車が停止した。


「車掌! 交換局を通じてベリルに報告を! ――車掌!?」


 応答がない。

 窓のないコンテナの中で、彼女は不安になった。

 コンテナ車両の出口から出て、たった一両の車掌兼個室客車に移る。

 その向こうはすぐ燃料車と機関車だ。


「運転士!? 運転士、応答しなさい!」


 運転士も応答がない。

 車両間の通路から外を見ると、既に市街だ。

 オルソーの駅はすぐそこ。

 そして、線路には沢山の白い布をまとった人影があった。

 ただし、それは白い布だったとかろうじて判るだけで、大部分が血に汚れている。

 ――血?


「交換局! 交換局応答して! こちらセシリア・ブラウン情報室次席分析官! G1車両に搭乗中です! 現在オルソー駅二百メートル手前付近で白い服を着た、妙な連中に囲まれています! 車掌、運転手と連絡がとれません! 安否不明! 状況を更新、至急本部の指示をあおぎます!」



***



「なんですって!?」


 通信機から聞こえた声に、キャスは大声を上げた。

 大急ぎで電文を作成し、ベリルに送る。

 目にも止まらぬ速さだ。


(二百メートル――って)


 それならこの通信局のすぐ目と鼻の先だ。

 ベティはドアを開け、外に出た。

 線路が見える。

 止まっている二両編成の車両。

 確かに、見たこともない巨大なコンテナ車両を連結している。

 その周りを――汚い白服を着た集団が取り囲んでいる。

 連中はまるで生気がなく、亡羊ぼうようと、しかし確実に車両を目指し、コンテナに入ろうとしている。

 その姿は、まるで多数のしかばねの群れであった。



***



 皇女ミハエラは速足で廊下を歩いた。

 全力で駆け出したいほどである。

 だが――皇女は、それまでの人生で一度も走ったことがない。

 つまり走り方を知らない。

 何とか部屋の前に辿たどり着き、重い扉を押し開ける。

 自分で扉を開けるのも、丘にいるときは殆どない。

 仏頂面ぶっちょうづらで椅子に座ったジャックとミラ、立ったままのノートン、そして――ノヴェルがいた。

 ジャック騎士爵領の襲撃から既に四日が経っている。


「確認がとれました。今、カーライルが詳細を調査中です」

「皇女陛下。どうぞお座りください」


 ノートンにそううながされ、「あなたも」と言ってから皇女は椅子に座った。

 玉座でも何でもない。

 会議室の粗末な椅子だ。


「マーリーンが――ベリルへの移送中に、『神と人々の家』の信徒ともくされる集団に拉致らちされてしまいました」


 ノヴェルは悲壮な顔でこちらを見た。

 無言である。


「姫さん、それは――」

「オルソー寺院の信徒です。ですが――あなた方が遭遇した、死霊と同じものと考えられます」

「ファンゲリヲンが糸を引いてるってことかい」


 はい、と皇女は答える。

 皇女はテーブルに写真を並べた。


「オルソー交換局の職員が撮像したものです。この男に見覚えはございますか」


 ノヴェルはそれを見た。

 忘れもしない。

 ミラへむち打ちを指示した幹部――。

 写真に写っていたのはその、歩く死体だ。


「ノックス――ノックス大司教だ」

「ああ、ジム・ノックスって幹部だ。忘れるもんかよ」

「どのような人物だったかご存じでしょうか」

「俗物だ」


 ミラがぶっきらぼうに答え、ノートンが補足する。


「幹部であるという以外、派閥、信条等の情報はございません」


 補足の情報量はゼロであった。


「集団自殺なんかするタマじゃねえ。殺されたんだ」

「そう思うぜ。ファンゲリヲンの奴、いよいよ手段を選ばないつもりだ」


 今度こそ息の根を止めてやる、と苦々しくミラが言う。

 皇女はそれを心配そうに見た。

 ファンゲリヲンがかつてのヘイムワース卿であったことも、当然報告を受けている。

 ミラはまだ顔色が悪く、回復も思わしくない。

 ジャックが発言する。


「とにかくだ。スプレネムがこっちにいる以上、奴らにはどうすることも――」

「泉も奪われてしまいました」


 なんだって、とジャックは眉間にしわを寄せる。


「――待て待て。神をつくるにはもう一つ、後見する神が必要なんだろ? マーリーンはまだ神じゃない。まだ――」


 ジャックはどうにか、女神を奪われない限りは大丈夫と言いたいようだった。

 だが奴らの手でマーリーンが転生させることが可能だった場合、奴らは泉と後見の神を両方手にする。

 もしそうなれば、一番にリンが犠牲となるはずだ。


「リンちゃんの様子はどうなんだ」

「今のところ昨日までと違った様子は見られません」


 ノートンがおずおずと挙手した。


「ノートン、発言を許可します」

「拉致は車両ごと行われました。泉は大きく、扱いには細心の注意がります。死霊だけで行える仕事ではなく、また隠し場所も限られます。つぶさに沿線を調べれば、必ず痕跡を見つけられます。我々にお任せください」

「許可します、ノートン。引き続き情報室主導で本件をお任せします。手段は問いません――」


 どんな手段を使っても・・・・・・・・・・、必ずマーリーンと泉を見つけ出し、奪還だっかんしてください――。

 力強く、若き皇女はそう命じた。

 ノヴェルは――何も答えなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る