34.3 「スプレネムはミラ君たちと一緒だ。あの部屋にいる」

 二階の廊下は一階よりも少しせまい。

 左右に並んだ扉から、次から次へとあいつらが出てくる。

 先頭のロウが、それを叩き潰しながら進む。

 しんがりはジャックだ。

 ジャックはなたを使って、ロウが漏らした敵を壁に目掛けて叩きつけてゆく。

 床に転がったしかばねはまだ藻掻もがき続けているが、首がポッキリ折れて立ち上がっても真っすぐ歩けそうになかった。


「ノートンだ! 応答を――ジョン、無事か!? ロビー吹き抜けから二階を突破された! 応援を頼む!」


 歩きながら、ノートンは小型通信機にしがみつくようにしていた。

 ジョンと連絡が取れたみたいだ。


「――邸内の通信が戻った。こっちへ応援を頼んだが、下のチームもそれぞれ交戦中のようだ」


 二階に上がった屍の数は、ロビーに侵入した奴らで四十近くいる。

 二階の狭い廊下にそれだけ詰まっていたら手の施しようがないところだったが――奴らも手分けしてスプレネムを探しているようだ。

 ミラは廊下の奥、階段のすぐ向こうの部屋で治療していたはずだ。

 スプレネムはどこに――と手近な部屋をのぞき込んで、オレは戦慄せんりつした。

 男の屍が二人いた。

 それとミラをいじめていた女の屍が二人。それからオレと一緒に桶に水張りをした兄弟・・

 五人は、その部屋で何かをバラしていた。

 壁には医療用の白衣が二着かけられていて、それは返り血で汚れている。

 二脚のベッドの上で眠っていたであろう二人の医療スタッフはそこで、寄ってたかってバラバラに――。

 男二人がこちらを振り向く。

 あれは確か、メリオとダンって奴だ――。


「見るんじゃねえ」


 ジャックが乱暴に扉を閉め、鉈でドアノブを破壊した。


「ノートン! 医療班二人がやられた! 残りは奥か!?」


 アアアアアアアッ――という人間離れした絶叫が聞こえてくる。

 廊下の奥からだ。


「スプレネムはミラ君たちと一緒だ。あの部屋にいる」


 階段だ。

 前方の廊下の右側が広くなって、下へ降りる階段の踊り場的な空間になっている。

 ノートンの示した部屋は、その階段のすぐ向こう。

 部屋の入り口は――詰めかけた屍たちで渋滞していた。




***




 患者――ミラにおそい掛かった屍は、その手を伸ばしたまま途中で停止していた。

 女の屍だ。

 その伸びた腕、細く生気のない腕はわずかにミラに届いていない。

 屍のくびには点滴スタンドの頭がハマっている。

 一瞬早く、ミラが横にあったスタンドを足で倒し、つっかえ棒にしたのだ。

 ケルマンは手近にあったハサミをつかんで、飛び掛かってくる屍の眼やのどを切り裂いて蹴り飛ばした。

 屍がドア前に転がると、次から次へと入ってくる屍がそれにつまづいて転ぶ。


「ケルマン君! 退きなさい!」


 後ろからエメット主任が飛び出してきて、手にした生理食塩水のバッグの口を開いた。

 エメットは左手で練った魔術を重ねて、生理食塩水を高圧で噴き出す。

 容量たったの八百ミリリットルのバッグだ。

 たった一瞬――しかし鋭い高圧ガスが、飛び込んできた屍を室外へ吹き飛ばす。

 水魔術と空気魔術の合わせ技だ。

 高圧、高温で無反動。

 これを咄嗟とっさに出せるのは歳のこうだと感心したが、攻撃魔術の苦手なケルマンには実感がともなわない。

 そう思うのもつかの間、エメットの足元には倒れた別の屍が取り付こうとしている。


「先生!」


 ケルマンはベッドサイドの鉄製ボンベを持ち上げ、屍の頭に何度も打ち付ける。

 もはや冒涜ぼうとくとかそんなことを考えている場合ではない。

 頭蓋がバラバラに砕ける手ごたえがあったのに――。

 屍は動き続けた。


「なんで――なんでまだ動いてるんだ!」


 横から別の屍が飛び掛かってきたので、ケルマンはボンベでそれを弾きつつ飛び退いた。

 飛び退いたとき、視界のはしで患者を見た。

 ミラは押し返され、ベッドで追い詰められている。

 ミラに腕を伸ばした女の屍。

 その消えた右手首の先の黒いもやが――伸びてゆく。

 黒い手が蛇のように伸びて、ミラの首に手をかけようとしている。

 ――あれは何だ!? どうなっているんだ!?


「ケルマン君! ボンベをこっちへ!」


 ケルマンは我に返り、エメットにボンベを放り投げた。

 それをキャッチしたエメットはやや腰にダメージを受けつつも、ミラに飛び掛かった女の頭に思い切りそれを振り下ろす。


「――ッ!」


 声もなく屍はベッドサイドに倒れ込んだ。


「アアアアアアッ! オオオオオオッ!」


 女神の叫び声だけが部屋に響く。

 エメットはボンベから高圧ガスを噴出し、屍の頭を次々切断している。

 ミラは脚捌あしさばきでベッドにいあがる屍を次々と追い返してゆく。

 女神は叫んでいる。

 その中を、こちらへ襲い掛かってくる屍。

 ――倒さなきゃ。

 ケルマンは眩暈めまいがした。

 部屋の中の、小さな世界がぐるぐると回っている。

 女神の絶叫も聞こえなくなって、聞こえるのは自分の心音だけ。

 想像したことすらない。医療者の自分が、攻撃魔術で、少なくとも人の形をした者を倒すなど――。

 後ろ手で、ハサミや注射器を置いたトレーの上をまさぐる。

 手がガチャガチャと金物に当たり――長細い何かを掴んだ。


「やめてくれええっ」


 彼に迫る生気のない顔の者。

 もう屍は目の前だ。

 その手がケルマンの肩を、首を掴んでいる。

 ケルマンは夢中で手に掴んだそれを、屍のくびへ突き立てた。


「はああっ」


 ぐぶぶぶ、と屍がうめく。

 その者の頸部けいぶに突き刺さっていたのは、魔力ドレーンだった。

 そこから、黒い何かが噴き出す。

 それは血のようでもあり、油、それも未精製の重油のようで――真っ黒であった。


「ぶぼおぉぉぉッ」


 屍は叫んで、ドレーンから流れ出す黒い液体を押さてとどめようとするが――その手をすり抜けて床を汚してゆく。

 ドサリ。

 そのうちに――屍は床に崩れ落ちた。

 そして、今度は動かない。

 何がどうなっているのかは判らない。

 だがドレーンは効く。


「先生! ドレーンです! ドレーンを使ってください!」



***



 ミラの部屋の入り口で、死者たちは渋滞していた。

 中にはスプレネムもいるらしい。

 ――女の眠る客室に押し掛ける屍――変態どもめ。

 ロウは、そいつらの背後から後頭部を破壊する。

 ノートンが首筋にナイフを突き刺し、ジャックがなたで脚をぐ。

 オレは途中の部屋から持ってきた椅子で、廊下をう屍を押さえつけていた。


「応援はまだか!」

「室長! 隊長!」


 ノートンの声に応じるように、階段の下から隊員らの声が聞こえてくる。

 二階踊り場を取り囲んださくから身を乗り出すと、下へ伸びる階段が見える。

 なんでもかんでもブチ込んで階段をふさいだって感じだ。

 その先――一階の階段入り口まで、階段には強固なバリケードが繋がっている。

 これじゃ応援も来れない。


「ノヴェル君! 応援部隊を手伝ってやってくれ! バリケードを内側からも壊すのだ!」


 オレは階段から降りようと回り込んだ。

 上から見てもひどかったが、いざ降りようと向きあうと「うえっ」となる。

 障害物だらけだ。

 たしかに――バリケードとしては百点だ。

 オレは悪態をきながら階段をふさぐ異物を拾っては上や後ろへ投げてゆく。

 階段を下りて来ようとする屍を、手にしたライトスタンドで突き刺し、そのまま壁に釘付けする。


「早く! 早く頼む!」

「やってる! もう少し! もう少しだ!」


 ――そうしているうちに、バリケードの向こうが見えた。


「大丈夫か! 早く、こっちへ――! 手を貸してくれ!」


 バリケードが崩れた。

 そこからこちらへ、腕が伸ばされる。

 でもその腕は――生者のものではなかった。


「ノウェエエエエ」


 特徴とくちょうのある禿げ方――サマスだ。

 その後ろに、ロウの部下――ジョンとローリングが倒れているのが見える。


「サマス!!」


 サマスは瓦礫がれきを押しのけて階段を上がってきた。

 オレは再び家具を、今度は下へ投げつける。

 ――ヒュン。

 そう音がして、オレが投げた枕が、空中で真っ二つになる。

 中の羽毛うもうが、破裂したように辺りに飛び散った。

 まるで舞い降る雪。

 その中で、サマスは隊員からうばったと思しき剣を持ち、わらっていた。

 死人が笑えるのか? ――いや、そうじゃない。

 思い起こせば奴は、死ぬときも嗤っていた。

 ずっと――あの顔なのだ。

 サマスは満面の笑みを死後硬直で張り付けたまま、剣を滅茶苦茶に振るって階段を上がってくる。

 オレは逃げた。

 手あたり次第にものを投げつけながら、必死に階段を上がる。

 階段の上で壁に釘付けにした屍を外して、階段を転がり落とす。

 サマスはそれにやや足を取られつつも体勢たいせいを立て直し、どんどんと上がってくる。

 ――なんで転ばない!?


「助けてくれ! サマスだ! 剣を持ってる!」


 こちらに気付いたジャックが柵越しに階段を一瞬見下ろし、素早くなたを投げる。

 ざくっ――と音を立ててそれはサマスの頭に刺さったが――。

 奴はまるで意に介さないように上がってくる。

 笑顔のままで。

 ――くそ。何笑ってやがる。

 オレは階段の上を柵に沿って回り込む。

 階段と鉈の咲いたサマスの禿げ頭を見下ろした。


「ノヴェル! 何してる、逃げろ!」


 そう叫ぶジャックの背後にだって、渋滞していた屍が迫ってるじゃないか。


「後ろだジャック!」


 そう、後ろだ。

 ――ここからなら、奴の後ろを取れる。

 オレは、柵を乗り越えて階段へ飛び降りた。

 サマスの背後をとり、頭に刺さった鉈を引き抜く。

 そして――体勢を低く、鉈を水平に構え――。

 奴の足首、そのけんを狙って振りぬいた。

 ザクッ。

 骨に当たる感触があったが――ダメだ。


「くそっ!」


 オレは鉈をサマスの足首に残したまま、奴の横を抜けて階段を上る。

 切断には及ばない。

 オレの体重が足りなかったのか、それとも太刀筋たちすじのせいか。

 渾身こんしんの鉈の一撃は、かなりの深手を負わせたはずだが――切断はできなかった。

 

「無茶しやがって!」

「済まない! 足を狙ったがダメだった! 鉈もとられた!」


 スマイリー・サマスは階段を上がりきり、オレを見つけて笑顔を振りまく。

 一目散にこちらへ走ってくるが――足首がげそうでうまく走れない。


「ジャック、た、助けてくれ!」

「ちょ、お前、こっち来るな!」


 ジャックも丸腰だ。

 何よりサマスの不気味さに完全に気圧けおされてしまった。

 フランツは言うに及ばず、振り返ったロウまでもが絶句し、斧を両手に硬直する。

 サマスは不格好に走りながら剣を振り上げた。

 大振り――。

 もう向こうの間合いだ。

 逆にそのふところに飛び込もうにも、りを出すにももう遅い。


「うおおおおっ」


 それが振り下ろされる瞬間。

 わずかに早く、オレの顔の横をすり抜けて繰り出された斧の突き・・が――サマスの刃をはじいた。


「せいっ!」


 次撃もやはり、逆さに持った斧の柄の突き。

 ロウの気迫と共に繰り出されたそれが、サマスのあごを突いた。

 思わず振り返ると、ロウは返す斧頭で背後に迫る屍をも打って倒す。

 斧の使い方じゃない。

 まるで棒術だ。

 サマスはバランスを崩し、後ろ向きに倒れた。

 咄嗟とっさに、奴が落とした剣をオレは奪う。

 形勢逆転。

 ――いや、そんなことはない。

 背後には、部屋の入り口にまだ数体動ける屍がいる。

 前方ではサマスが起き上がる。

 その顎はじれ、奴の笑いを一層不気味に歪めている。

 ――挟撃きょうげき

 オレ達は前も後も屍にはさまれている。


「ジャック! ノートン! ノヴェル!」


 ミラの声がした。

 振り向くと、部屋の入口にいた屍が倒れるところだった。

 そこに立っていたのは、ミラだ。

 手に何かの管を持っている。


「早く入れ!」


 ミラ達を助けに来たはずが――逆に助けられてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る