34.2 「連中いい仕事しますね。死霊にしとくのはもったいない」

 時計の針が午前零時を回った頃。

 ロビー陥落かんらくの二時間ほど前――。

 解熱剤と抗生剤で、ミラは少し覇気はきを取り戻していた。


「ノートンさんから伝言です。『どんな手段を使っても構わないから、スプレネムが朝まで二階にとどまるよう説得して欲しい』と。医師としてはお勧めできませんが――」

「あたいとスプレネムが同じところにいないと面倒だからか?」

「さあ。意図ははかりかねますがね」


 やってみるぜ、とミラは体を起こす。

 エメットという初老の医師の付き添いでバリケードを少し崩し、隙間すきまを通って二階から降りる。

 地下への扉を見張っていた隊員がバリケードを少し退かし、地下へと降りた。


「スプレネム」


 ひざを抱えて転がっていた女神は、ぎくりと体を震わせた。


「調子はどう? 少し具合は――良くなった?」


 スプレネムはね起き、尻を床につけたまま足を動かし、更に壁際まで後退あとずさった。


「ミ、ミミミミ、ミラ、ミラ、ミラ」

「ごめん。邪魔するつもりじゃなかった。でも、伝えたいことがあって」


 スプレネムは、ミラを指差したまま震えていた。


「――あんたがそんなになったのも、全部あたしのせいだ。謝っても謝り切れないし、子供だったなんて言い訳にもならないのはわかってる――でも」


 オフィーレアが死んだ、とミラは言った。

 スプレネムはその名か、あるいはオフィーレアが死んだという事実に激しく感応して、震えながら取り乱した。


「外は大変なことになってる。みんなあんたを探してるんだ」

「オ、オ、オフィ――やや、やめやめ」

「そうだ、やめさせたい。もしあんたが奴らの手に渡れば――あんたが苦しむ」


 いやいやをするように、スプレネムは首を振った。


「あんたを苦しませたくない。罪滅ぼしをさせてくれ。頼む」

「い、いやいやいや、いや、し、し、し信じら」

「信じられないのはわかってる。でも、頼む。あんたはあたしをずっと恨んでいい。あんたがあたしを殺すっていうなら、それもいい。でもあたいはあんたを、女神を恨み続けてる奴らに渡したくない」

「オオ、オフィ、オフィーレ」

「オフィーレアは――うん。あんたを恨んでた。でも、同じだけあたしのことも恨んでた。だからあたしとあんたで折半せっぱんだ」

「は、は、はん、はんぶん――はんぶんこ?」

「そう。はんぶんこだ。あたしにはあいつの頭の中のことまでは判らないよ。他人はきっと信じないだろうけど――あたしはこう信じてるんだ」

「……」

「恨みを半分にして、残ったぶんは、オフィーレアはあんたのことも、あたしのことも、愛していたよ」



***



 医療スタッフ、ケルマンはおびえきっていた。

 物音がするたびにビクリとして振り返る。

 ――何なんだこの状況は。

 随分ずいぶん無茶な作戦にも同行してきたが、ロウのチームは優秀で医療スタッフの出番がでることはあまりなかった。

 それがどうしたことだ。

 先月、隣国の山で、あろうことか女神と交戦し多数の死傷者を出した。

 地下には、その女神がいるらしい。

 恐ろしいことだ。

 彼の患者は相当な重病なのに外に出たり戻ったりして、今はその女神と話しに行っている。

 二人体制のうち、もう一人が患者について降りていってしまったため、部屋にはケルマン一人が取り残された。

 考えないようにしていたが、患者がいないと外が気になる。

 外は暴風雨で、しかも死霊術でよみがえった死体が大勢闊歩かっぽしているらしい。

 貴族の邸宅は難攻不落だ。

 だしても何が起こるなんて予想もできない。

 物好きな同僚は面白がって窓から庭を見物し、「おおーっ」とか「ああっ」とか声を上げていたが――とんでもない話だ。

 命の冒涜ぼうとくだ。

 いや、それ以前に何もかも間違っている。

 こころざしの高い同期は遠くの戦線にも従軍したりした。ケルマンにはそこまでの志はなかったが、彼はひたすら常識人だった。

 ――祈るにしたって何に祈ればいいんだ。

 そのとき、廊下から足音が聞こえてきた。

 ケルマンは体を強張こわばらせ、武器になりそうなハサミや魔力ドレーンを手に取った。

 魔力ドレーンは、麻酔なしで救護きゅうごする時や、せん妄状態にある患者によってこちらに危害が及ばないように魔力を抜き取る管だ。

 痛みに耐えられなくなった患者が誤って魔術を暴発させたり、八つ当たりや自傷行為をめるのに役立った。

 同じ技術が最新鋭の深海探査艇にも応用されていると聞く。

 この技術を使って別の人物に魔力を移せないか、彼はアカデミーで研究したこともあった。

 魔力は移動させるととどめることができないという性質が知られていた。

 彼の研究の新規性は、いわば非常に長い魔術ドレーンを使って閉回路を作れば、そこに魔力を閉じ込められないか? というものだった。

 結論だけ述べると失敗だった――どれほど大規模にしても、閉回路上を同じ場所へ戻ってきた魔力はそこで大きく減衰げんすいしてしまった。

 研究は、ブリタのアカデミーと共同で行われたが、彼が卒業する頃には実験炉ごと廃棄はいきされていた。

 そもそも医学研究から離れてきたのではないか、という指摘してきもあった。

 足音が部屋の前で止まり、ケルマンはその散漫さんまんな思考をピタリとめた。

 ドアが開く。

 そこには、彼の患者が立っていた。

 その後ろには見たこともない陰気な女が立っている。

 彼は、それがよもや女神とは思わなかった。



***



「扉はしばらく大丈夫でしょう」

「静かになったな――」


 午前二時二十分。

 廊下のどん詰まりにオレ達は集まっていた。

 フランツって奴の便利な魔術で、扉は開かなくなってる。

 でも壊れなくなったわけじゃない。


「すぐにここにバリケードを」


 ノートンはそう指示するが、バリケードに使えるような家具がそう都合よく残っているわけじゃない。

 あるものはあるだけもう使ってしまい、その大部分は扉の向こうに置き去りのままだ。


「――静か過ぎやしねえか」


 さっきまで打ち鳴らされていた扉が、ドンとも鳴らない。

 ジャックの言う通り、変だ。


「――開けてみたほうがよくねえか」

「なんだ。君は死霊どもに知恵比べで負け、根競こんくらべでも負けるのか」


 ジャックはくやしそうに歯噛はがみする。

 鍵を奪われ、あっさりと正面扉を突破されてしまった。

 なんとか後退して廊下への扉を封鎖ふうさしたのに――。

 もしかしたら、奴らはオレ達が不安に負けてこの扉を自分で開けるのを待っているのかも知れない。

 このすぐ向こうで。

 今もしこの扉を開けて、「ハイだまされた!」なんてことになったら国の歴史に残る大馬鹿騎士だ。

 でも、ジャックのいうことも一理ある。

 オレは悪い大人達の間に入って、扉に耳をつけた。


「ノヴェル君、危険だ」

「ノヴェル――何かわかるか?」

「いや――なんか――」


 ズズッという低い音――こする音だ。

 最初それが聞こえた気がしたが、最初だけだ。そのあとはもう判らない。

 足音はずっとしている。

 バタバタ、ズリズリ、ガタガタと。

 ――ガタガタ?


「なんかガタガタいってるぞ!?」

「ガタガタ?」


 そう言ってジャックは自分も耳を付ける。ノートンもそれに続いた。


「確かに――ガタガタいっているな」

「気になるだろうがよ。開けてみるか?」

「いやダメだ。ジャック君、他にロビーに入る方法はないか?」

「ないね。表から回るか、さもなきゃ二階から吹き抜けに出るか――」


 二階。

 ロビーは吹き抜けになっていて、二階部分は周囲をぐるりと回る回廊がある。


「二階に――通じているのか!?」

「階段はねえが、吹き抜けなんだからつながってはいるよ。それがどうした」


 ノートンは考え込む。

 オレもいやな予感がする。


「――なんだ、お前ら吹き抜けは初めてか?」


 開けよう、とノートンが言った。

 オレも賛成した。

 フランツがせっかく動かなくした蝶番ちょうばんの土を落とし始める。


「なんだよ急に。階段はないぞ」

「階段がなくても――仮に二階へ行けたとしたらどうする」

「奴らが二階を目指すなんてどうして思うんだ」

「君は――あの場に居なかったから知らないだろうが――奴らは首だけを切り離されても、情報を伝えられる。切り離された手を操るように」


 オレも――その威力いりょくを身をもって知っている。

 あの時は勇者に筒抜けになっていた。


「そうなんだ。首が見たことや――聞いたことも・・・・・・


 扉が開く。

 ロウが斧を低い位置で構え、フランツは取り出したナイフを顔の横でかまえた。

 その向こうには――誰もいなかった。

 空っぽ。

 正確には、脚を切断されて動けなくなった奴が転がっていたり、首を落とされて方向感覚をくした奴はいた。

 せいぜい五体を残すのみで、残りの大多数は居ない。

 ただ、吹き抜けの二階まで積みあがった家具が残っていた。


「クソッ! 上だ!」


 夕方過ぎ――オレ達が居間に戻って、落ちていた首を発見したときだ。

 居間に入る直前まで、オレ達はスプレネムを二階に移す相談をしていたのじゃないか?

 その話を、投げ入れられていた首が聞いていたとしたら。

 術者に伝わるのか? どうやって伝えられたのか? 今はそんなことは問題にならない。

 だってその首は再び外に投げ捨てられたのだから。

 仲間の元に戻った首が、自分で話せば済むのだ。

 そうなれば奴らは二階を目指すだろう。


「ま、待ってくれ、スプレネムは地下なんじゃないのか!?」

「君が寝ている間に、ミラ君が説得に成功した。だから今は二階で、バリケードも強化されて――」

「追いかけよう!」


 オレはロビーに駆け込んで、積み上げられた家具へ飛び乗る。

 足元がガクガクガタガタと不安な音を立てるが――崩れたりはしない。

 すぐに、居間に残る首のないしかばねがこちらへ寄ってきてオレの足首をつかむ。

 すごい力だ。

 死んでいるなんて思えない。


「くそおおっ」


 オレは必死で家具に掴まっていたが、奴の力に負けて家具諸共もろとも引きり落とされた。

 積み上げられた高級な家具で、オレは何度も顔面を打つ。

 床に転がると、すべり落ちてきた家具がオレのすぐそばに落下した。


「うあああっ! くそっ! 来るな!」


 今、オレを引き摺り落とした奴だ。

 そいつが首の切断面からブシュゥゥゥと何かの飛沫しぶきを上げながら、オレを見下ろしている。

 いや、首がなくちゃ見下ろせないのだが――なんとなくは判る。

 おおかぶさろうとしているのだ。

 藻掻もがきながら横を見ると別の奴が、グゴォォォと声にならないうめききをあげて床をってくる。


「ノヴェルさん!」


 ロウが、高い天井を生かして高々と振り上げた斧を振り下ろした。

 ノートンが、ギザギザのついたカッコいいナイフで屍のあしを破壊する。

 ジャックが転がっている首をり飛ばし、他の首を掴んで外へ投げ捨てた。

 フランツが崩れた家具をあわてて戻す。

 オレは起き上がり、フランツに手を貸して家具を固定した。

 再びそれに飛び乗って二階を目指す。

 ジャック、フランツ、そしてノートンが続いた。

 まだ寄ってくる屍を、ロウが斧でなぎ倒す。

 家具はガタガタと鳴るが、崩れはしない。

 死んでるにしては良い仕事をしたわけだ。

 上に来たノートンに斧を渡し、ロウが上ってくる。


「連中いい仕事しますね。死霊にしとくのはもったいない」


 ロウは積み上げた足場を上りながら感嘆かんたんらす。

 オレと同じ感想だった。


めるのは完全に動きを止めてからにしてくれ」


 ノートンがそう苦言をていしながら斧を返した。



***



 医療スタッフ、ケルマンは油断していた。

 主任エメットが戻ったこともある。

 貴族の邸宅は難攻不落。

 鎧戸よろいどもあるしドアも頑丈がんじょう

 冷静に考えれば死霊ごときにどうこうできるはずもないのだ。

 廊下のほうが騒がしくなっても、「交代の時間にはまだ早いのにな」くらいにしか思わなかった。

 患者が連れてきた陰気な女がよもや女神だとは思わなかったが、女神だと知れば興味がく。

 女神は風邪をひかないのかとか、疲れたりするのかとか――。

 質問攻めにしたかったのに、ひどく怯えた様子でいたのでケルマンは何も言わなかった。

 何しろ女神は一睡いっすいもせず、部屋の隅で小さくなったまま辺りを警戒するようにみらみ続けているのだ。

 さわらぬ女神になんとやら。

 そんな女神でも近くにいれば不思議と心強い。

 だから、ケルマンはすっかり油断していた。


「キエエエエエエッ」


 突然、怪鳥の首をめあげるような声を上げ、その女神が飛び起きた。

 眠っていたわけではないにしろ、その様子は飛び起きたというほかない。

 ベッドで眠っていた患者も飛び起きた。

 ベッドサイドに置いていた彼女のナイフをとり、構える。

 ――おいおい。


「大丈夫です。落ち着いて。お体にさわりますよ」

「クィエエエエェェェエエエエェェッ」


 女神スプレネムは、部屋のドアを指差していた。

 ケルマンがそちらを見る。

 そのドアが叩かれた。

 ドン、ドン、と。


「交代か? まだ早いぞ」


 そう答えたのは主任のエメットだ。


「イアアアアアアアッヤッ」


 女神がうるさくて返事が聞こえない。

 ちょっとお静かに、とケルマンは立った。

 白衣の前を直しながら、ドアの近くへ数歩寄る。


「やめろ、開けるんじゃねえ」


 ミラという患者だ。

 ナイフを持ったまま、両耳に指を突っ込んで何かをいている。

 ――どいつもこいつもどうかしてる。

 耳をふさいで何が聴こえるっていうのか。


「――外の様子が何か――変だ。ジャック、ノートン、説明しろ」


 まったく――と、ケルマンはドアの近くまで歩く。


「ドアに近づくな! 鍵を開けるな!」

「えっ、無理ですよ。それに、近づかなきゃ鍵をかけられな――」


 バンッと派手な音を立てて扉が開いた。

 医術の現場にはあるまじき音だ。

 ケルマンは飛び上がって後退る。

 エメットも椅子から立ち上がる。

 ――違う。うちのスタッフじゃない。

 部屋に入ってきたのは女だ。

 泥まみれ、ずぶ濡れ、血まみれの――死霊だった。


「オ、オ、オ、オオオッ!!」

「――オフィーレア」


 ――なんだ、知り合いか?

 知り合いなら帰ってもらえるかも知れない。

 ケルマンはそんな風に思った。

 だが――入ってきた女は、両手を顔の前で牙のようにして威嚇いかくし――患者と女神におそい掛かっていった。

 その右の手首に先はなく、黒いもやが手の形に集まっていた。

 それを皮切りに、次から次へと部屋に死霊が入ってくる。

 ケルマンには、どうすることもできなかった。

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