33.3 「この事件は、教団内部の分断を決定的なものとした」

 あの教団――『神と人々の家』は、ジャック邸からやや離れた場所に陣をつくって座り込みを続けていた。


「失敗した。車両を隠しておくのだった」


 奴らは国境を越えてベリルを目指すと思われたが、実際は道沿いにあるジャック邸を目敏めざとく見つけて抗議を始めたわけだ。

 ファサへ続く道が目の前にあるのだから、ここを通るのは当然だ。

 当初は家の目の前で抗議活動が行われた。

 このだだっ広い家のどこに居ても、外から抗議の声が飛び込んでくる始末。

 抗議は夜通し続いていた。

 夜中にひと悶着の末、連中をやや遠くまで押し返した。

 たっぷり三百メートルは離れただろうか。あれでもまだ庭だっていうのだから敷地の広さにも驚く。


「このままここで死なれちゃかなわん。俺は構わんが、姫さんが何て言うか」

「そこは私も同感だ」


 ノートンは窓際で、煙草を咥えたり、戻したりを繰り返している。


由々ゆゆしき事態だ。集団自殺だと」


 ロウの指示の元、ジャック邸を取り囲むフェンスが急造された。

 地面に長い鉄の棒を突き刺して、ワイヤやら網やらを通しただけの粗末なものだ。

 オレは居室の上等なソファーに体を沈めた。

 どこまでも体が沈んでゆき、また変な夢を見そうな気がしてオレはかぶりを振った。

 今度の悪夢はきっともっと効く・・

 なにせ奴らは、オレとスプレネムと引き換えに――集団自殺を迫っているらしいのだ。

 集団自殺。

 たまったもんじゃない。

 姫様も騎士爵様も官僚様もつらかろうが、天秤にかけられたオレの身にもなれ。


「『これが最後の機会』と、そうサマスは言ったんだな?」

「ああ。奴らが何に追い詰められてるのかはわからんが」


 ジャックはペンを取ると、溜息をきながらノートをひろげた。


「ミラはいないが作戦会議だ。奴らの要求を呑むつもりはねえが、狙いがわかればやりようがあるかも知れない」


 賛成だ、とノートンも窓際から戻ってソファに腰を下ろした。


「スプレネムはまぁ判る。判らねえが、まだ判る。なんであいつらはノヴェルを寄越よこせなんていうんだ」

「私にも判らない。ノヴェル君は心当たりがあるか?」


 心当たりがないわけじゃない。

 サマスの言葉を思い出す。

 魔力が一切ないオレは、女神に借り・・のない唯一の存在だと。


「サマスはオレのことを『祝福された子』って呼んだ。魔力がなくて、女神に借りがないからだ。その上でオレがスプレネムを探していることまで知っちまった。だから奴はきっと、完璧にオレを仲間だと思ってる」

「仲間だっていうなら、あいつらを見ろよ。あいつら全員お仲間だろ。珍しくねえ。違うのか?」

「教団は複雑で、内部にいくつかの派閥はばつがある。彼が『最後の機会』と言うのも、おそらく背景には関係している」


 ノートンはジャックからノートをひったくって大きな丸を二つ描いた。


「医術、女神――新教祖の勇者。どの点でも派閥があるだろう。だが今、大きく二つ、過激派――つまり求神派・・・とそれ以外の穏健おんけん派――唯神ゆいしん主義とでもいうかね――その二つに別れているとしよう」

「過激派?」

「求神派ってなんだ」


 オレとジャックが同時に疑問を口にした。

 ノートンは片方の丸に『求神派』、もう片方に『穏健派』と書いた。


「求神派は、自分たちの神を積極的に求め、スプレネムの拉致らち監禁に関わった連中だ。――だが教団の中には、無関係な者もいたのだろう? それらは穏健派だ。穏健派は今の教義がいう仮想の神・・・・を受け入れて、それで充分満足している連中だ」


 ノートンのいう仮想の神とは、教義の中に登場する正体不明の神のことだ。

 正体がわからないのじゃなく、元々存在しない。

 だからこそいくらでも理想的な神になり得る――というのがノートンの見立てだ。

 たしかに、少なくとも無邪気にオレに『懲罰房ちょうばつぼう送りだ』と脅していた連中は、きっとあそこにスプレネムが吊るされているなんて知らなかったのだろう。

 派閥。分裂。

 パッと見、そんなものがあるとは全然わからなかった。

 でもサマスも言っていた。

 ファンゲリヲンやアレンバランの元で大きくなった教団は、そのたび分裂の危機に直面したのだと。

 詳しい経緯いきさつは知らないけれど。


「まぁ――なんとなくは判るよ。あいつらの教義は、女神に頼らない家づくり。中心は、ノートンさんのいう『祈り甲斐がいのある相手』としての神だ。それで充分って奴もいた。でもあいつらの何人かはそれで満足できずに自分たちの神を造ろうとして、スプレネムに頼った。なんでそんなことになったんだっけ。スプレネムは――ええと」


 最初の分裂は――そう、アレンバラン男爵だとサマスが言っていた。

 オフィーレアの父で、厳格なスプレネムの信奉者であったらしい。


「アレンバランって奴のせいか」

「そう、アレンバラン男爵だ。君が聞いた話も、こちらで裏がとれている。ジャック君はアレンバラン男爵暗殺の事件を覚えているかね? 七年前だ。それは求神派が起こした事件とされている」


 ジャックは「さあ」と言った。オレも知らない。

 教団に暗殺されていたのか。


「歴史を紐解ひもといて少し整理しよう」


 そうノートンは言った。

 派閥、スプレネム、奴らのいう『神』、医術、ヘイムワース、乱心、アレンバラン、風土病、勇者。

 たしかに、キーワードだけは出揃った気がするけど、いまいち関連が判らないことが多い。


「まず――ミラ君の御父上、ヘイムワース卿が原型を作った教団からは大きく変遷へんせんしている」


 医術にも魔術にも絶望したミラの親父さんは、あの教団の原型を造り――それさえ壊した。

 彼の領地領民を巻き込んでだ。


「元は明確に反女神・反医術の立場だ。だが彼が事件を起こしたあと、アレンバラン領へ逃れた生き残りは、やや複雑な立場に置かれた。アレンバラン男爵は、彼らの持つ医術のみ・・・・を求めたのだ」


 ページの隅に、『反女神・反医術』が書き込まれた。

 そこから『アレンバラン』を通じて、『反女神』『反医術』に別れる。

 アレンバラン卿は厳格なスプレネムの支持者だったとオフィーレアは言った。

 一方でアレンバラン領では病気による死者が多かった。

 サマスのような医者を、喉から手が出るほど求めたんだろう。

 だから『神と人々の家』とは相容あいいれないはずだ。


「アレンバランは、教義に反して医術を提供させた。こころよく思わなかった者も多かったようだね。内部抗争の始まりだ。ここまでは判ったが、求神派がどこからでてくるのか判らなかった。ノヴェル君の話を聞くまではね」


 求神派。

 教義の『神』――祈り甲斐のある仮想の存在では足りず、自分たちだけの神を造ろうとした連中。

 スプレネムに泉をもらえれば、彼らにはそれができる――はずだ。

 それが奴らの大願なのだろう。

 奴ら――つまりサマスの一派だ。

 連中は、神様を造るためスプレネムをさらった。

 それを指導した奴が誰か、それははっきりしている。


「ファンゲリヲンだ。サマスが言っていた」

「そう。勇者の入れ知恵で、反女神派からは古い神――旧来の女神を拒否し、理想の神を描くのみならず、新しい神を熱烈に求める求神派が生まれた。それだけじゃない。他宗教の色んな要素を取り込んで宗教としての大枠を固めたのだ」


 ノートンは、紙の上の『反女神』から『求神派』への矢印を引く。

 古い神は邪悪だとサマスは言った。

 ファンゲリヲンが神を造れと導いたのだ。

 そのためにスプレネムを利用しようとした。つまり今のオレ達と同じだ。


「アレンバランは医術の見返りとして、彼らに対して女神を提供すると約束していたようだ。しかし約束は守られなかった。当時スプレネムはもう、アレンバラン領から姿を消していたからだ」


 娘オフィーレアが『騙していた』と言っていたのはそのことか。

 十数年間、スプレネムは人前に現れなかった。

 それがロウ達によって山中で発見され、一か月後には監禁されていた。

 スプレネムは水源の近くを逃げ回っていたが、ロウ達との戦闘で発見されてしまったのだろう。

 スプレネムのほうから助けを求め、挙句あげく捕まったのかも知れない。

 だって滝の近くにあんな寺院があったら、女神様は自分の信徒だと思うだろう。


「結果、アレンバラン男爵は、サマスの求神派によって殺害された。それが七年ほど前のことだ。実行犯らは逮捕され、既に処刑されている。この事件は、教団内部の分断を決定的なものとした。反女神で始まった宗教なのに、それほど強く女神を求める者がいたのだからな。当然だ。この件でサマスはそれまでの指導者的立場を退き、寺男として信者らの身の回りの世話をするようになったらしい」


 ジャックは横から身を乗り出し、『求神派』の丸の中に、『サマス(狂信者)』と書き入れた。

 それにしても七年前――遠い昔話のように聞いていたが意外に最近だ。

 今と同じようなことを、求神派の連中は過去にもやっていたのだ。

 サマスについては意外だった。

 結構したわれているように見えたけど――それは同時に、彼の復権が近いってことなのかも知れない。


「アレンバランには娘がいただろ? ミラを狙ったオフィーレアだ」

「当時、遠方にとついでいたようだ。アレンバランが殺された後で故郷に戻り、教団に合流したんだろう」


 ノートンはメモを見ながら答える。

 ジャックはサマスの名の下に『オフィーレア』と書いて、『ミラ』に線を引く。

 でも変じゃないか? 父を殺した教団に入るか?

 オレがそういうとノートンは腕を組んでうなった。


「判らんね。かたきという観点から見れば変だ。だが当時既にアレンバラン家は長子がいでいて、出戻ったオフィーレアに居場所がなかっただろう。結果的にはアレンバラン家も、教団に報復などはしていない。それについては故アレンバラン卿にも非があり、教団の勢力を無視できなかった――と考えられる」


 オフィーレアも、自分の父のことは諦めたようなことを言っていた。

 それが本当かは彼女にしかわからない。


「さっぱりわからない。オフィーレアはなぜミラを……」

「それはおそらく――我々の関わるような話じゃない。ミラ君が話す気になったら聞くといい」


 その話はあとだ、とジャックがオレとノートンを制した。


「今狙われてるのはお前なんだぞ、ノヴェル。つまり、ノートン、ようやく話が見えてきたぜ」


 ジャックはノートを奪い返し、『求神派』をつぶして『勇者の手先』に書き換えた。


「求神派ってのは要するに、ファンゲリヲンのコマだってことだ。知ってか知らずかは別にしてな」

「まぁ、我々からすればそうなる」

「教団にこの二つの派閥があってだ、片方が、恩人でもあるアレンバランを殺したことでそれは決定的なものになった。その求神派が、またりずにスプレネムを監禁してこんな騒ぎを起こした。するとどうなる?」

「まぁ、いよいよ後がないだろうな。そればかりか、これは信仰を試す試練でさえあるだろう」


 それだけか? とジャックがいても、ノートンは無言で眼鏡を直すだけ。


「――想像力がねえな。求神派じゃなくっても、『自分たちの神』をもうすぐゲットできるとなりゃ、穏健派にとっても悪い話じゃないんだぜ。穏健派といったって反女神には違いねえ。奴らはなぜ女神を目の敵にする? ――奴らはそれまで生きてきた中で、何らかの形でスプレネムに裏切られたと思ってるんだよ。『自分たちの神』って話は魅力的なはずだ。今試されてるのは穏健派のほうだ。何せ七年前とは違う。スプレネムが目の前にいるんだからな」


 なるほどその観点はなかった、とノートンは唸った。

「こうなるかも知れない」とジャックは、『勇者の手先』の丸を拡大して、ページ全体ほどの大きな丸にした。


「既に取り込まれていると? 確かに、庭先で抗議している信者達の数からすれば、その可能性は大きい」

「だが一つ問題がある。サマスだ。アレンバラン暗殺の件で奴は干され・・・てる。そこでこいつだ」


 ジャックはオレを指差した。


「聖人枠だ。魔力と無縁でけがれってもんがねえ。こいつを穏健派の間に立てれば、『神』をゲットするまで、教団をバラバラにせずに済む」

「なるほど。まさに『祝福』だ」


 ――なるほどなもんか。

 なんてこった。

 オレは便利に使われるのか。

 でも心とは裏腹に、口が勝手に考えを話してしまう。


「ってことはつまり、オレが奴らについていけば、サマスは慌てて集団自殺する必要がなくなるって――そういう意味か?」


 外で抗議の声が一際ひときわ大きくなった気がした。

 いやだ。あいつらと一緒に居たくない。


「その可能性はある。彼らと交渉できるとしたら、それは君だけだ」

「厭だろ、ノヴェル。だがどうする。このままじゃスプレネムを移送できない」

「――放っておけば奴らは勝手に死ぬんだろ」

「その覚悟だと言っていた。俺は構わんぜ」

「君がその選択をするなら我々はサポートする。しかし――皇女陛下がどう思われるかは一考したまえ」


 ミハエラ様。

 オレはあなたの騎士じゃない。

 オレはもう勇者と戦うつもりはないし、家族が戻るなら後ろ指をさされても構いやしない。

 家族――。


「――卑怯だ……。覚悟があるなんて嘘だ。何人かは、それでいいのかも知れねえけどさ――」


 オレは大窓越しに、奴らを見た。

 夜の間に本陣が作られていた。

 大きな白い布のテントに、あの十字のシンボルが描かれている。

 奴らはその本陣を背にして座り込んでいる。

 ざっと三百メートルも離れたところだ。

 中間あたりにはこちらのバリケード。

 男ばかりじゃない。女もいるし、子供も少しだけいる。

 総勢六十名かそこらか。

 つまりあの寺院にいた、殆どの人間がここにいる。

 派閥を超えたのか。

 たしかにノートンの言うような派閥は、教団が今のようになった理由を理解するのには必要なことだろう。

 でもここで集団自殺なんて言い出した彼らは、きっとそれだけじゃ説明できない。

 もっと長い時間をかけて、サマスが用意した最後の手段だ。

 言いくるめられてるんだ。乗せられているんだ。舞い上がっているんだ。操られているんだ。

 殉教じゅんきょう者になるような奴らだったか?

 ――ノーだ。奴らの殆どは、理解できないけど、ただ素朴そぼくな人間だった。


「オレが行けば交渉できるんだな? サマスの奴を説得して――」

「あたいが行く」


 その声に驚いて、オレは部屋の入り口を見た。


「ミラ! 寝ていろ!」

「もう大丈夫だ。また――死に損なっちまった」

「ダメだミラ君。一週間は安静にしたまえ。下手に動くと後遺症が残る。それに――」


 ノートンは何かを言いかけて口をつぐんだ。

 その様子を見てミラは薄く笑う。


「優しいんだな官僚さん。だが心配は無用だぜ。あたいなら、奴らを説得できる。なにせ教祖の娘だ」

「ダメだ。彼らはもう昔の教団ではない!」

「ああ、判ってるぜ。だが何人かは、どうにかできる算段だろ?」

「――オレが行く。オレなら全員を説得できる。奴らが派閥を超えてきたっていうなら、オレがキーパーソンだ」


 オレはミラとノートンの間に入った。

 有無を言わすつもりはない。


「奴らはスプレネムも求めてるんだぞ」

「スプレネムは後で引き渡すって納得させてやる。オレ達だって、リンを助けた後ならスプレネムに用はないんだ。サマスはその条件を呑むはずだ」


 ノートンは下を向いて考えこんでいる。

 ジャックは壁から、彼がジェニファーと呼ぶ狙撃銃を取った。


「――援護してやる。上手くやれよ」

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