32.2 「神聖なる白衣を血で汚すとは」

「おいもう一週間だぜ。一人で帰ろうかと思ってたところだ。奴らは尻尾しっぽ出さねえのか」


 ジャックは冗談めかして言ったつもりだろうが――オレにはそう聞こえなかった。

『神と人々の家』で暮らし始めて――一週間だと?

 正直もう何日ったのか、何週間なのか、皆目かいもく見当がつかない。

 でも妙なことに、確かにオレは神の存在をより身近に感じられるようになっていた。

 そしてジャックが、冗談じゃなく本当に一人で帰るつもりだったこともオレにはわかった。

 不思議だ。オレには認識術も使えないのに。


「……」

「おいおい、しっかりしろノヴェル。あいつらにすっかりほだされたんじゃねえだろうな?」

「……絆す? オレを? どうやって?」

「鏡を見たか? ひどい顔してるぞ。随分ずいぶん殴られたみてえだ」


 鏡。

 あそこにはそんなものはない。

 確かに、オレは毎日殴られていた。

 口を開けば「懲罰房ちょうばつぼう送りだ」とののしられている。

 二日目からミラとオレは引き離され、別の仕事をさせられることが多くなっていた。ミラと顔を合わせるのは寝起き、そして食事と礼拝のときだけ。

 ミラが見ていないところで、オレは多くへまをやらかし、そのたびに殴られた。打たれた。


「――コイツは参ってるな。育ち盛りにはあそこの食事はキツイだろ」

「何かわからんが明日にも食事を持ってきてやる」

「ジャック。監視がきつくてノヴェルを構ってやれねえ。なんとかこいつだけ脱出できないか?」

「一人だけ消えたら怪しまれるだろ」


 ――怪しまれる? 誰に?

 この騎士爵野郎、悪の言葉を吐いているな。


「とにかく、明日一日えろ。体力のつきそうなものを調達する。殴られないようにしろ。体力を無駄にするな」


 ジャックはオレにそう言ってから、ミラと小声で何か話していた。

 その晩はそれで別れた。



***



 オートライブ。

 なんて青臭い草――いや、ありがたい作物だろう。

 土から生えてる。食べられる。

 その見事な青葉をつける草を、他の「家族」らはそう呼んでいた。

 オートライブ。なんだろう。初めて見る草なのに、不思議と聞き覚えのある名だった。


「お祈りの中にも出て来るだろ」


 ミラは小声でそう教えてくれた。

 久しぶりのミラとの共同作業――畑のオートライブが育ったのだ。

 オレ達の、作物だ。

 そして神の恵み。

 それは普通ではあり得ないほど成長が早く、一週間ほどで可食部がでてくる。

 これほど早いのはこの土地ならではなんだとか。家族のひとりがそんなことを言っていた。

 もっと育てば麦のような実をつける。その実を食べるのが普通らしいが、ここじゃ芽吹いたばかりの葉を重用ちょうようしている。

 早い話が――とにかく収穫だってことだ。

 ここへ来て、求道を始めた日に植えた草が実った。

 家族皆が見守る中、オレとミラは畑にしゃがみこんだ。

 作業中、ミラが小声でいた。


「クライスラーって海賊を覚えてるか? あいつが布教してた神だか何だかが『オートライブ』だ。偶然だと思うか? 妙な話だ」

「……さぁ。覚えてないし、判らない。どうでもいい」


 そうか、と肩を落としてミラは収穫を続ける。

 そこへサマスが、ある男を連れてやってきた。

 その男は立派な法衣を着ている。

 そしてオレ達の収穫の様子をじっと見ていた。


「なかなか、素晴らしいじゃないか? 一週間でこれほど育ったのだとか。これも皆の信仰の大きさ、神への深い帰依きえによるもの」


 オレ達を囲んで見物していた家族たちも、その言葉に感じ入ったようだ。


「ヘイムワースのお二人。こちらは当寺院の司祭。ジム・ノックス様です」


 ノックス様は一歩前へ出られ、何か仰った。


「ノウウェル君。君はミランダ君の遠い親戚なんだって?」


 ミランダはミラだ。

 ノウウェルは――誰だ。

 おい、とミラが小声でオレに何か言う。


「ノウウェル。司祭様が、あなたにおたずねです」


 あ。オレのことか。


「は、はい」

「どこの生まれだ?」

「えっ――えっと」


 ――思い出せない。

 ノートンに言われた設定のうち、名前の次くらいに大事な情報のはずだ。


「えっと、ここから北の――ノース――」

「ノ・ボルデムです」


 オレに代わってミラが答えた。

 そうかそうか、と司祭様はこちらへ向かって柔和にゅうわに笑い、取り巻きの一人に何か合図した。


「だがね。私はノウウェル君にいたつもりだよ」


 飛び出してきた取り巻きが、ミラを蹴り倒す。

 いきなりだ。

 何の警告もなかった。

 ミラは畑の上に転がって、他の作物を潰してしまった。

 すかさず、むちうなってミラの白衣を切り裂く。


「痛っ!」

「痛かろう。だが君に潰されたオートライブはもっと痛い」


 ――よくわからないが今の流れ、ミラは何か悪かったか?

 そんな疑問がオレの中にぽつりと落ちた。


「お仕置きだ! 懲罰房ちょうばつぼうに入れろ!」


 取り巻き達がそう声を上げた。

 司祭様はそれを無視し、ミラへみ含めるように告げる。


「我々は、例え君がかのヘイムワース卿の御息女だとて、特別扱いはしない」


 ミラの瞳に、怒りの炎が灯る。

 でもそれは、一瞬司祭様をにらみ返しただけでスッと消えた。


「私たちは家族。ならば私は君たちの親だ。親に向かってその態度はなんだ」


 鞭がまた空を走った。

 ヒュンと鳴ってミラを打つ。

 衣服が切れ、その下の肌から出血していた。


「神聖なる白衣を血で汚すとは」


 再び鞭が振り上げられたときだ。


「――お止めくださいッ!」


 きぬを裂くような声がして、集団の中から一人が飛び出した。

 あれはたしか――ミラの幼馴染の――。


「オフィーレア。私に口答えを」

「口答えは致しません! 私をお打ちください! 理由はいりません! ミラを打つぶんの鞭を、どうか私に!」

「……何故だ。オフィーレア」

「何故もございません! 神が私にそうしろと仰るのです!」


 オフィーレアは、オレを押し退けてミラの横に座り込んだ。

 もう、司祭様も取り巻きも何も言わなかった。

 その傷口を確認して痛ましそうな顔をした。


「さぁ、すぐ手当てを」


 オフィーレアは心配そうに、ミラの顔をのぞき込んでいる。

 そのミラは苦痛に顔をゆがめてみせた。


「あら、ごめんなさいね。さぁ、手当てに行きましょう」


 オフィーレアはミラに肩を貸し、立ち上がる。

 オレもそれに続いて立ち上がり、二人の後を追った。

 行く先はあの倉庫の前だ。

 振り返ると遠巻きにこちらを見ている者は沢山いるが、司祭様やサマスはいない。

 蛇口をひねって、流れ出る水でミラの傷口の血と土を洗う。

 傷口は、ももすね、腰の三か所。


「あら。腰の傷はここじゃあ――恥ずかしいでしょう? ここじゃだめ。服もこんなになってしまって。すぐに浴室へいきましょう」

「オフィーレア、つ、冷たい」


 そういうオフィーレアの腰と尻も、泥と血に汚れている。

 オレ達三人は、心配そうに――あるいは不審そうに追ってくる他の面子から逃げるようにして共用棟に潜り込んだ。

 彼女らは共用棟の一番手前、共同浴室に入った。

 誰かが追ってくる様子はない。

 今共用棟は、オレ達三人だけ。

 オレはこの機会に共用棟の様子を――探ってみることにした。



***



「大丈夫? ミランダ」

「どうして助けてくれたの?」


 オフィーレアはその問いを笑ってはぐらかした。

 ミラの背後で布を水に浸している。


「ミランダ、今まで一体どこにいたの」

「――色々よ。ブリタ、ノッテンガム、パルマ――。あなたは?」

「私は――十八でフルシまでとついだの」


 フルシは大陸の北西部。遠い国だ。

 小国のひしめく地方の東のはずれ。

 こことは違い、裕福な国だと聞く。

 だが裕福さゆえ、周辺から侵略されることも多い。


「戦争に巻き込まれたの。家を失くして――それから第二次征東せいとう戦線に加わったわ」

「まさか! あなたが戦争に!?」

「兵士じゃないわよ。看護婦。『戦場の天使』にあこがれたのね」

「――でもあの戦争は」

「地獄だったわ。何もかもが変わってしまった。沢山の命が消えてゆくのを見た。私は何もできなかった」


 オフィーレアは、そう語りながらミラの体を拭く。


「あら、この傷は――?」

「え――ああ、ちょっと……事故にったの」


 ロ・アラモで子供に刺された傷を見つけられ、ミラは赤面した。


「オフィーレア――つらかったのね」

「でもお陰で自分のやるべきことが見つかったわ。それは私にとって救いなの。ファサの家へ戻って、私はここに入信した。あなたを放っておけなかったのは、友達だから」

「友達? 家族じゃなくて?」


 二人は裸で、おけからんだ冷水でお互いの体を清めた。

 傷口に冷水をかけると、ミラは「冷たい」と少女のように笑った。


「家族っていうのはね――最近になって言い出したことなの。元々の教義にはなかったし」

「それまでは家族じゃなかったの?」

「そう。何年か前まで、ここには物資も沢山あった。色んなことで町とも取引があって――でも、急にここは閉鎖的になってしまった。まるで鳥籠とりかご

「それで家族だと?」

「いいえ。食料も、馬もダメにしてしまった。それでも教義は、食料の備蓄びちくを許さなくって――日々の暮らしのために、結束を高めようとしたの」


『我らの関係を、今一歩進める。神を中心とした、我らはひとつの家族――』


 司教ノックスらはそう宣言したのだそうだ。

 すべてはとぼしい物資事情からくる厳しい暮らしを呑ませるためのまやかしだ。

 しかし、このまやかしは効いた。


「今じゃ皆、家族だって信じてる。そう、私と、あなた以外は」

「私は、皆を新しい家族だと――神様を中心に」

「神様? そんなものないわ」

「いるわ。スプレネム様やフィレム様――」


 シッ――と、オフィーレアは冷水をミラの背中にわせた。

 ミラは短く叫ぶ。


「ここでその名を口にしてはダメ。外にはいるわ。でもここにはいないの。今はまだね」

「今は――?」

「そう。私たちはもうすぐ新しい神を手に入れる。そしたら、あんな男の言いなりにはならない。ね? もう少しだけ、我慢して頂戴ちょうだい――そうしたら私たち、本当の家族になれる」


 本当の家族。

 まやかしの言葉だとして――その言葉は、水音にしっとりと濡れ、からっぽの浴室に響いた。

 それは必要以上に魅力的な力をもっていた。

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