Ep.32: 懲罰房の花たち

32.1 「これじゃあ教団を探る余裕はねえ」

 この教団を作ったのはミラの親父さんだった。

 医者で、女神と魔術が嫌い。そういう親父さんだったらしい。

 でも医術も捨ててしまったのだろうか。

 そうだとしたら、ミラの親父さんに一体何が残ったんだろう。

 そういえばミラが攻撃魔術を使うところを見たことがない。魔力を、その認識技術に全振りしているようだ。

 ミラは病人や怪我人にはとても優しい。

 医者の血がそうさせるのかも知れない。


「なら親父さんが今も教祖を――?」

「さぁな。風の噂じゃ死んだらしい。あたいはその後すぐ家を飛び出ちまったからな」


 それに――とミラは言う。


「親父にしたって『救い』なんてどれだけ本気だったのか知らねえ。だがそう――『勇者に導かれた』――そんなようなことを言っていた」


 勇者。

 オレは、言い知れない不気味さを感じた。

 ――なぜここで勇者が出てくるんだ。

 ジャックを見ると、彼もかぶりを振っていた。

 無視できないはずだ。

 でも――ジャックはアタマを切り替えたみたいだ。


「――そうだったのか。よく話してくれた」


 そして暗がりの中、ミラの顔をよくよくのぞき込み、念押しするように言った。


「その幼馴染って奴は、本当に障害にはならないんだな?」

「ああ。もちろんだ。目一杯利用してやるぜ」


 その点で、偽名など小細工を使っていなくて本当に良かった。

 勿論、親戚ってことになっているオレの株も上がる。

 潜入が楽になる――このときそう思ったのは、間違いだった。



***



 翌朝、まだ暗いうちに叩き起こされ、オレ達は裏の畑に呼び出された。

 裏の畑は、文字通りオレ達の暮らす西居住棟の裏側にある。

 そこで、足元にくわを放り投げられた。

 クワ。

 畑をたがやす道具だ。

 見たところ畑はもう出来上がっていて、作物の芽吹いたうねが並んでいる。いまさら鍬を使うことはないんじゃないか。

 オレが茫然ぼうぜんとしていると、オレ達を囲んだ十人ばかりの信者が「早くかかれよ」と言い出した。しびれを切らしたようだ。


「畑はもう、出来ているんじゃ――」


 うねっていうのは畑の中の、作物を植えるギザギザした小さな山だ。

 おずおずとそう口答えすると、中年の男がぎろりとにらみを利かす。


「ここまでのうねも作物も、もう割分が決まってるんだよ。自分たちの食い扶持ぶちぶんだけな」

「そうだそうだ。ここじゃ生活は自給自足だ。余剰や備蓄びちくを神はお許しにならない」


 なるほどなぁ、そういうことか。

 備蓄は許されない。

 自分たちの食う分は自分で育てるってのが基本か。

 そうなると作物が収穫できるまでは誰かのぶんを分けてもらってるってことになる。

 ミラはくわを拾い上げ、畑の隅のまだ硬い地面を掘り始めた。


「そっちじゃねえ! こっちをたがやせ!」


 罵声が浴びせられた。

 オレは、ミラがいつもの調子でブチ切れて、あのくわで男の頭を耕し始めるんじゃないかと冷や冷やしていたが――。


「はい」


 ミラは小さく答えて大人しく従った。

 男は満足そうにそれを眺め、別の男が「お前も早くやれ!」とオレに怒鳴った。

 オレはミラの横に並んで土を耕した。

 ミラは大人しく農作業をしている。


「それでこそ我らの家族だ! 日が昇る前に作業を済ませろよ!」


 男達は言葉とは裏腹に――濡れた長い布きれをシゴいたり、拳に巻き付けながらにらみを効かせていた。

 日が昇ると作業の終わりが通告された。

 オレ達は慣れない農作業で泥だらけになっていて――。


「こんなに泥で汚しやがって!」


 泥だらけの尻を蹴られ、オレは畑に転がった。

 余計に泥だらけになったオレを見て、男達はげらげらと笑う。


「裏へ回れ! あっちだ!」


 処刑台へ向かう罪人のように、男達に連れられてオレとミラは寺院裏の一画へ向かう。

 寺院は上から見ると十字だ。

 四つの棟が中央の東屋あずまで直角にまじわっている。

 そのうち、一辺が正面の大扉入ってすぐの礼拝堂だった。

 そこから交点をはさんで真っすぐ先が厨房や浴室、便所などの共用棟。

 垂直に交わる左右の辺がそれぞれ居住棟だ。

 その十字が区切るそれぞれの四か所に、馬小屋、表の畑、倉庫、裏の畑がある。

 オレ達が耕した裏の畑――ここからだと共用棟をえたところに倉庫がある。

 ――つまり倉庫は裏手側。正面、街道側の馬小屋とは対角の位置になる。

 今は共用棟を通り過ぎ、倉庫へと向かっていた。

 倉庫は案外ガッチリして、気密性の高そうな造りだった。

 そこへ入るかと思いきや、男達はその壁の蛇口の前で止まった。


「脱げ」

「――へ?」


 ミラが何の躊躇ちゅうちょもなく脱ぎ始めたので、オレも渋々脱ぐ。

 ――恥ずかしい。

 ミラはもう全裸でオレの前に立っている。

 男はミラの裸を正面からまじまじと眺めて「へへっ」とスケベそうな顔をした。続けてオレの体をやっぱりスケベそうな顔で――ん?


「恥ずかしそうにするな! 見てるこっちが変な気分になる!」


 男は長細いチューブの先を握って――あ、これは隠喩いんゆとかじゃなく、蛇口につながったやつだ――せんひねった。

 恐ろしいほどの水圧で、キンキンに冷えた水が噴出する。

 オレは悲鳴を上げた。


「動くな!!」

「そっ、そんなこといったって!!」


 体が勝手にね回ってしまう。

 春とはいえまだ寒い。ここらの水は冷たいのだとノートンも言っていた。

 ミラは声を上げないよう、必死で水圧にえている。

 裏と表、これでもかと放水され、オレは冷え切っていた。

 やっと解放されたと思ったらすぐに着替えて朝の礼拝だ。

 礼拝の時間になれば、この集団が一体何を崇拝すうはいしているのかわかるかと思ったのだが――オレは早朝の仕打ちに疲れて頭が真っ白になっていた。

 何度も意識を失い、そのたびに後ろから棒で打たれた。

 


***



「大事なお祈りだぞ! お前そんなじゃ懲罰房ちょうばつぼう送りだ」

「ああ、床下で神の愛を味わってこい」


 遠巻きにそう言われても、オレはまだ空っぽの茫然ぼうぜん自失状態だった。

 礼拝が終わって、他の「家族」たちの間をふらふらと歩く。


「お疲れのようですね」


 部屋に戻ろうとするオレとミラを、例の世話焼き男、サマスが呼び止めた。

 返事をする気も起きず、じっとサマスを見返していると、彼はハハッと笑った。


「最初は皆そうです。真理へ至る道はけわしい。この神無き世界ではね。でももうすぐ成ります」


 我らの大願は――そう言って、サマスは別の棟へ歩いて行った。

 部屋に戻ると、オレはベッドに倒れ込んだ。

 朝食までつかの間の休息だ。


「ミラ――大丈夫か」

「大丈夫だ。お前こそ殴られっぱなしだったじゃねえか」

「痛えのは慣れてるけど――これじゃあ、しばらく動けそうにない」


 スプレネムを探すんだったか。

 朝のたった何時間かでもう目的を見失いつつあった。


「朝食。午前も午後も労働か。合間に食事と沐浴もくよく、礼拝して就寝――くそ。労働のたびにこれじゃあ教団を探る余裕はねえ」


 ここでの生活は、基本的にこまかく時間割が決められている。

 チャンスは沐浴の時間だ。

 共同浴室は狭く、順番待ちの時間がある。


「行くぞ。朝食の時間だ」


 朝食はテラスでとる。

 大地の恵みに感謝みたいなお祈りがあったが、オレの頭には入ってこなかった。

 野菜ばかりの食事だった。それも生野菜ばかりだ。

 オレは朦朧もうろうとしつつ、むしゃむしゃと牛のようにそれを食べた。

 やけに濃い味のソースがかけられていて、味は悪くない。

 その後、オレはどうにか気絶しないだけの一日を過ごした。

 他の子供達と一緒に沐浴用の水をおけに張って天日にさらしたりしたような気がする。

 桶のそばに座ってボーっと……他の子供達にバカにされながら、時間の過ぎるのを待つ。

 沐浴の時間には冷たい水で体を洗い、礼拝でしとど・・・に打たれ、そうして初日は何もできずに終わった。

 ――とても動き回る体力はなかった。

 夜、またベッドに転がった。


「ノヴェル、上で寝やがれ」

「あ? ああ……」


 二段ベッドだ。

 オレみたいに喜んで上の段を使うタイプでも、こう体を痛めつけられていると話は別だ。

 ふたつある二段ベッドのうち、片方には箱が詰められていて使えない。

 上はしんどいなぁ――そう思いながら梯子はしごを上る。

 そのとき、オレは変な音を聞いた。


〈ブルルッ〉


 それは獣が威嚇いかくするような声だ。

 なんだ、と耳をかたむける。


「どうした」

「シッ。今、変な音が――まただ」


〈ヒヒッ――ヒヒヒッ〉


 笑い声――いや、これは。


「馬? 馬が暴れてる?」

「――わからん。見に行ってみるか」


 ミラは先に立って部屋の扉を開ける。

 オレも「ま、待ってくれよ」と言いながら、石のようになった脚を引きって続く。

 ミラは扉を開けただけで、顔だけを出して外を見、耳をそばだてていた。

 馬車小屋は、オレ達の宿舎棟から見えるところにある。


「確かに聞こえる。あの小屋だ。――外には誰もいねえ。出られるぞ」

「お、おう――ゆっくり頼む」

「間隔を開けていくぞ。まず値があの小屋まで行って、大丈夫そうならお前を呼ぶ」


 ミラは手にした小型通信機を見せた。


「チャンネルを合わせろ。二番だ」


 ミラは部屋を出て、外の闇へと滑り出していった。

 消灯時間を過ぎており、外はもう真っ暗だ。

 しかし馬車小屋からは明かりが漏れている。

 そしてあれは――煙か? 煙が漏れているのか?

 少しすると通信機のランプが点滅した。


『――いいぞ。来い。煙いぞ。むせるなよ』


 走り出すと思ったよりもへろへろだ。

 脚どころか体中が痛いし、重くて息が上がる。

 馬小屋の角にミラがひそんでいた。「早くしろ」と手を振っている。

 どうにか隣にまで着くと、扉の隙間から馬小屋の中をのぞき込んだ。

 煙が充満している。

 金盥かなだらいに突っ込んだ生木なまきを燃やしているのだ。

 煙の中には数名の人影。

 誰かまではわからない。

 そして馬だ。

 馬は四本の脚を縛られ、ぐったりと倒れている。


「ミラ、あれは――」

「ああ、あたいらが乗ってきた馬だ」


 この集団への捧げ物――寄付したものだ。

 だがいくら捧げたといったって、こんな仕打ちは――。


「――やっと静かになったか。早くやれ」

「はい」


 一人の男が馬のそばひざまずく。

 その手には超巨大な注射器。

 倒れた馬にそれを打ち込むと、馬がヒヒンと暴れた。

 苦しそうだ。


「黙れっ!」


 別の男が、馬の頭を蹴りつけた。


「ミラ、あいつら一体何を」

「知らねえ。知らねえがまともとは思えねえ」


 馬はがっくりと落ちて静かになった。


「――死んだか? 使えねえ駄馬だ」

「まだだ。まだわからん。数日かかる。その間、ここへは誰も近づけるな」


 スプレネムとは無関係だ。

 だがこいつらはもしかすると――本当にヤバい。

 部屋に戻る。


「一体ありゃ何なんだ!」


 オレは極力小声でそうわめいた。


「知らねえ。だが馬を潰された――あたいらが逃げられないようにするためか?」

「続けるか? ミラ。こいつらは何かおかしい。今日だってずっと監視されてた気がするし――ここの子らを見たか? オレと同い年くらいと思ったらもう二十歳はたちだっていうんだ。ろくな生活をしてない」

「続けるに決まってるだろ。ここの奴らの暮らしぶりなんか関係ねえ。たとえこいつらがサイコ野郎でもな! 忘れるな。スプレネムが唯一の鍵。それがここにあるかも知れねえんだ」


 どうだろうか。

 オレは何も、自信を持てなくなっていた。

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