31.3 「これはチームの仕事だ。お前の妹のためにやるんだ」

 隣国ファサ。

 なんでも目指す場所はミラの生まれた場所の近くだという。

 故郷には寄らないのか? とオレはいたのだが、ミラは無視した。飛び出して来たんだろうし、あまり良い思い出はないのかも知れない。

 ジャックやノートンも、車中で気まずそうにしていた。おそらく訊いちゃいけないことの類だ。

 だから深掘りはしなかったが――ミラは確か、貴族の娘なのじゃなかったか。

 国境を越えて馬車で二時間。

 ノートンの説明ではかつては鉄道もファサを貫いて延伸する予定だった。でもファサは自然と伝統を重んじ、鉄道などもっての外となったらしい。もちろん、内燃機関を持つ重機のような乗り物も厳禁だ。

 いったん馬車を下りて食事にすることにした。

 食事も火を使わないものが多く、塩漬けやらマリネの類が中心。そしてぬるいスープ。

 まずそうに芯の残るかゆを溶いて、「口に合わんな」とジャックがまゆをひそめた。


「うんざりか? ここいらの飯はまだマシだ。アレンバランはもっとひどいぞ」

「塩でのカニは美味かった」

「ファサは内陸国だ。海なんかねえよ」


 アレンバランは厳格で、釜やオーブンすら使える家が限られている。大半は他の領地からの輸入品だ。

 領民は川魚を生食し、寄生虫やら伝染病で死者が絶えないのだとか。

 飯を食いながらする話じゃない。

 ノートンだけは息巻いていた。


「いずれここで電気釜を売る。電磁調理器もだ。ニッケルとクロムの販路をひらいて利益をウェガリアと分け合おう」

「そんな夢のある話、生まれて初めて聞いたぜ。儲け話には興味があるが、俺達の目的を忘れるなよ」



***



 ――調査とは聞いたが、どうやらその宗教団体ってものに潜入・・する作戦らしい。

 ジャックの屋敷での、作戦会議の途中だ。

 十字に組み合わさった太い板。

 その「神と人々の家」っていう連中がかかげているシンボルとやらの写真だ。

 オレがそれをながめていると、意外にもジャックが説明してくれた。


「これはブリタ十字だな。古代の北ブリタに伝わるシンボル。だがこんな悪趣味ないばらはついてなかったはずだぜ」


 確かに十字の周りに、いばらが巻き付いている。


「ジャック君の言う通り。その十字は神聖なシンボルだ。それを少し改変している。宗教団体にはよくある」

「宗教団体――? そいつはなんだ」


 宗教という言葉には馴染なじみがなかった。

 オレがくと、ミラが口いっぱいに苦虫を頬張ほおばって咀嚼そしゃくしたみたいな顔になった。


「ああ、海賊のボスが昔やってたって奴だな。よくは知らねえ。あたいも聞いときてえもんだ。妙なものを信仰して、それを広めるんだとか言ってたが」

「その土地土地に神の信仰はあるだろう。神を信仰するとき、君達はどうする」


 ミラは「まぁ、せいぜい怒らせないようにするぜ」と頭をいた。

 ジャックも首をかしげる。


「さぁな。人それぞれじゃねえのか」

「皆が皆、貴族のお嬢さんみたいに神に会って祝福を受けるわけじゃない。ジャック君はどうした」

「地元の女神像だな。俺はそいつに『頼んます』で済ましたクチだ」

「そうだろう。それを原始信仰としよう。更にその信仰を体系化してまとめるのだ。人それぞれある信仰の仕方を決める。信仰を儀式化して相互に確認できるようにする。するとどうなる」

「まぁ、横のつながりができるだろうな」

「そう。そうして同じ信仰を持つ者が固まって暮らすようになった。それが宗教団体」


 ごく表層的な説明だがね――そうノートンが付け加えた。

 わからんな、とジャックは食い下がる。


「そんなことして何になる? 魔力が強まるのか? そんなわけはないだろうが」

「神様には気に入られるかも知れないぜ?」

「どうだか。そのルールに神様が入ってりゃそうだろうが、人間が勝手に決めたものなんだろ?」


 ジャックが憮然ぶぜんと疑問を投げると、ノートンはさっきの十字をもう一度見せた。


「君の言う通りならこのシンボルは何だ?」

「そいつはな、ちょいとややこしい。北ブリタは元々荒れた土地で、神がいなかった。神の代わりにそれが必要だったんだ。それが古代の民を支えた。いわば民族の心のり所だ」

「なら大体同じことだよ。神は気まぐれで、現れてはある日ふらっと消えてしまう。残るのは信仰だけだ。中心となる神がいなければ、宗教はこういう方向に行く。儀式や、神様抜きの人間のルールブックが力を持つわけだ」

「神がないのに信仰だけが? 黄身のねえ卵みたいな話だ」


 ミラがそう薄くわらった。

 説明が難しい、とノートンは眼鏡を直す。


「君たちは形骸化けいがいかだのと馬鹿にするだろうが、そう単純な話でもない。魔術ではなく『救い』がるのだ。ファサは風土病の死者が多い。女神信仰は救いにはならない」

「ふん。救いってなんだ。飯でもくれるのか?」

「一般的には死の恐怖からの救いだ」

「おいおい、大きくでたな。そんなのどうやってやるんだ。大英雄の爺様達みたいに長生きできるのか?」

「まさか。しかし儀式が、ある意味では救いになる」


 ミラの小馬鹿にするような口調にも、ノートンは淡々と答える。

 おそらくとてもよくある質問なのだろう。

 ノートンはこの作戦を承認しょうにんさせるのに、おそらく何度も同じ質問に答えてきたのかも知れない。


「例えばファサでは、海もなく炎も忌避きひするから死者は焼かずに地面に埋める。命の循環じゅんかんや――復活を待つとかね。それも一つの救いの形だ。さっきも言ったが、信仰の形は様々。ならば対象も様々あるのだ」


 要するに女神に対する信仰とは、目的・・からして違うんだ。


「まぁ、なるほどな。とにかく古代の北ブリタと同じようなことが、今も起きてるのか。お隣の国で?」

「――どうかな。この十字をかかげた団体が、そんな素朴な信仰を持つ連中かは疑問だ。これは元信者から入手した手帳だ」


 ノートンは一冊の長細い手帳を取り出した。

 それをジャックはパラパラとめくって、ぞんざいに目を落とす。


「――アブねえ連中か?」

「『神と人々の家』は、アレンバランに大拠点を構えて、信者を集めて自給自足の生活をしている。厳しい戒律のもとでね」

「戒律ってのは、つまりそのルールだな?」

「そう。祈りを捧げる作法や、暮らす上でやってはいけないこと、そして信仰の広め方まで。最近じゃウェガリアにも進出して――どうも禁輸品を持ち出す密輸にも手を出している疑いがある」

「密輸? 阿片あへんか?」

「ウェガリアで阿片は作っていない。詳しくはあちらに情報を求めてるが――イグズスの件で、どうも回答が遅くてね」


 外交問題というやつだ。

 ウェガリアがあまり教えたくないような、シビアな情報なのかも知れない。


「ともかくお前さんは、こいつらがスプレネムを監禁してるかもって思ったわけだな。俺達はそれを確かめればいい、と」

「そうだ。だが教団の守りは存外かたい。潜入して、内部から探ってもらいたい」


 聞くだに怪しい連中だ。

 そんなところに潜入しないといけないのか。


「潜入方法だが、入信――つまり偽の信徒として入り込んでもらう。入信にはいくつか条件がある。まずは労働力であるファサ国民の男だ。退役軍人は優遇される。ただし健康で、後遺症等のないこと。冒険者は不可。そしてファサ国民である健康な女性。少年少女は不可」


 少年少女は不可。ならやっぱりオレにはどうすることもできないんじゃないか。


「俺はどうかな。ギルドにも登録してないが、軍歴はないし――」

「ジャック君の場合は少々、ファサ国の身分を用意するのが難しいと判断した。一応騎士様だし、ここはファサにも近いからな」


 一応は余計だ、と不貞ふて腐れるジャックをよそに、ミラはやや目を伏せて言う。


「あたいは――まだ国の身分が残ってるかも知れねえが――どうだろうな。うまく行く気がしねえ」

「どうしたミラ。らしくねえぞ」


 潜入。身分。

 まさにミラの得意分野だろうが――ミラは乗り気でない。

 でもジャックに無理なら、ここはもうミラに頼るしかない。


「我々がフォローする。そしてもう一つ、特例がある。入信に際しては、家族そろっての入信が強く推奨されている。親兄弟でなくとも、親類縁者でもいい。この場合に限り、少年少女も許可される。つまり二人以上なら、審査が大幅に軽減されるようだ」


 ――なるほど。

 つまり、オレがおまけについていけば、それだけでミラの仕事は数段楽になり、成功率が上がるわけだ。


「わかった。やるよ。やればいいんだろ」

「ノヴェル君。潜入だぞ。無理にとは言わん。くまでそういう選択肢もあるという――」

「いいよ、そういうの。卑怯だぜ」


 オレはそう言ってそっぽを向いた。

 覚悟を確かめられたような気がしたからだろうか。

 正直いって――どうしてそんなことを言ってしまったのか、オレ自身にもわからなかった。

 そんな態度をとるつもりは、本当になかったんだ。

 そのとき、ミラが素早くテーブルにナイフを突き立てた。

 驚いてミラを見る。

 オレは――にらみつけられていた。


「――ノヴェル、マジにやる気なら態度を改めろ。これはチームの仕事だ。お前の妹のためにやるんだ」



***



 それからずっとミラは気が立っている。

 海賊にも一人でどんどん潜入していった姿とは対照的だった。

 オレだってどうせなら集中したい。その方が楽しいし、うまくいく確率だって上がる。

 ――でもなんだろう。何か後ろめたいのは、リンを置き去りにしているからか?

 それも何か少し違う気がした。

 やがて馬車が丘のふもとで止まり、オレ達は小さな林に隠れるようにしながら丘を登った。


「――あれだ」


 ドウドウと水を落とす白滝。

 そこから小さな森をはさんだ手前側に、とても大きな聖堂が見える。

 切り妻屋根の細長い木造建物がいくつか組み合わさっている。

 質素な建築だが、場違いなほど大きなものだ。


「彼らは寺院と呼んでいる。信者の大半は向こうの町出身の人間で――トラブルが絶えない。町自慢の滝の近くに、あんな目立つ寺院を建てたからだ」

「『神と人々の家』か。家っていうにはずいぶんデカいな」

「『人々』が多いんだ。信奉者はあの寺院だけで八十人。同じような寺院が、国内に複数ある。同時期に一斉に建造されたようだ」

「ところで『神』ってのはどの神だ。スプレネムか?」

「そこなんだ。彼らの神が何なのか、それは不明だ。彼らの教義を読んでも、そこが見えてこない。だが複数の神を認めてはいない」


 ノートンはさらっと謎めいたことを言った。

 

「まぁ、あそこにスプレネムがいるかどうか、確かめればいいんだよな」

「そういうことだ。これは偽の身分証。情報筋から話は通してある。ここからは君達二人だけで、仲良く馬に乗って行け」

「ジャックとノートンさんは?」

「隠れて中継地点を作る。といっても、あの滝のところに先月部隊が作った基地を再利用するだけだ。ジャック君はそこで待機。夜になったら彼らに通信機を渡せ。私はジャック君の屋敷で待機する。屋敷が中継地点だ」


 決行の今日までに、ジャックの屋敷には作戦本部が設営された。

 ロ・アラモで見た通信機器が設置されたわけだ。

 煙草はテラスで吸えよ、と言いながらジャックは例のイアーポッドを取り出す。


「潜入がうまく行ったら通信機を渡す。それまでのつなぎだ」

「スプレネムを見つけたらジャック君に連絡を。それを受けて私が部隊を送り込む。危険を感じたら滝まで逃げるんだ。部隊が残してきた武器や保存食もある」


 それを聞いて、少しミラも緊張が解けたようだ。

「やってやるぜ」と短く言って、認識阻害対策のレンズを眼に入れた。


「ミラ、それオレにもくれよ」


 いいけど泣くなよ、と彼女はレンズの入った液体ごと容器を差し出してきた。

 見よう見まねで指先に乗せ、眼玉にかぶせると――なるほど、死ぬほどみた。

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