31.2 「スプレネムの発見、確保、収容だ。そのための力を君達に借りたい」

「ロウの部隊が、泉を確保したようです」


 カーライル長官がそう報告すると、皇女ミハエラは「詳細を」とうながした。


「部隊は半損で死者二名、行方不明者二名です。部隊は山頂付近で発生した雪崩なだれに巻き込まれましたが、辛うじて残ったロウ含む三名で洞窟を捜索。スプレネムの泉と見られる神域を確保しました。ですがスプレネムは逃亡した後で、確保には至っておりません」

「怪我はひどいのですか」

「命に関わるものではありません。作戦は継続可能です」

「行方不明者の捜索を。負傷者を呼び戻しなさい。泉を確保したのなら、本作戦は成功です。終了を」

「既に崖下で待機していた医療班が対応しております。ですが――承知致しました。作戦を終了します」


 ミハエラは疲れている。

 十六歳の若き女帝には、このところの騒ぎは重すぎたのだ。


「――皇女陛下。失礼ながら、発言をお許しください」

「どうぞ、カーライル」

「この作戦は、今必要とお考えですか。私にはそれほど重要な作戦とは思えません。それより」

「いいのです。これは友人との約束です」

「ノヴェルですね。存じ上げております。しかしご友人なら待つのではないですか。私が彼ならば待ちます。今、この一大事に、国家の貴重な部隊に損害を出してまで――」

「カーライル。そこまでになさい」


 ミハエラは、カーライルが黙るのを見て思慮しりょする。

 カーライルの言うことは――もっともだ。

 それくらい今この国は大変な状況にある。

 かつての元老院の企みはついえた。

 その後の調査で、元老院と勇者の関係は徐々じょじょに明らかになりつつある。

 先日のモートガルド侵攻――大皇女をうしなったのは彼女にとっても痛手となった。

 ウェガリア国からは丁寧ていねい弔問ちょうもんの意を受けたが、ミハエラの部隊が勇者をそこねたために生じた被害はの国にとっても甚大じんだいであった。

 そして正統王シドニアののこした傷は深い。

 だがそのシドニアは死んだ。

 ノヴェルの友人であるサイラス少年が、現場を見ていた。

 勇者たちに殺されたというのだ。

 勇者の指導者と目される、暗号名「スティグマ」の残した謎の言葉「アレン=ドナ」についても調査中である。

 一方で――シドニアの死をどう証明するか、それは極めて難しい問題だ。

 だからシドニアの死は公表されていない。

 あの男のことだ。またすぐににやにやと笑いながらひょっこり現れそうと思えるほどだ。

 シドニアの私兵「スペースモンキーズ」は解散させ、その大部分は市民への暴行、横領、殺人で収監しゅうかんした。

 わずかに残った旧ノートルラント民王の組織を、今はオルロを中心としたチームが束ねている。


(いつまでもこのままにはしておけませんわね――)


 神聖パルマ・ノートルラントの本来の姿ではない。

 それは酷くじれ、傷ついていた。


「いいのです、カーライル。私を気づかっての発言と理解します。ですが気遣いは不要です」

「皇女陛下。私は国を想って申し上げたのです。元老院の企みはついえました。ですが、残った外交問題が山積みです」


 シドニアが暴き出した資料――モートガルドとの覚書アメンドメントによれば、元老院が描いた陰謀の全貌ぜんぼうは明らかだった。

 しかし事態はミハエラの、いな、パルマ・ノートルラントという国をもってしても余りある程に積み上がっていた。

 戦後処理、そしてウェガリアへの補償。

 そこに加えて隣国ファサとも対談しなければならなくなるだろう。


(それでも――ノヴェルにはむくいなくては)


 定例の神学者会議の時間になった。

 ミハエラは執務室を出て、大会議場に向かった。

 ノヴェルは今、倒れた義理の妹と共に皇室にいた。

 憔悴しょうすいし、ふさぎこんでいる。妹の容体ようだいが心配なのだろう。

 彼女こそマーリーンが生前につくった、光の神リンだ。

 ロ・アラモには転生を凍結したマーリーンもいる。こちらも気掛かりのはずだ。

 どちらもノヴェルの肉親である。

 そしてどちらも同じ神格を奪い合い、今不安定な重ね合わせ状態・・・・・・・にある。

 ――「半神」であると、ある神学者は言った。

 光の神として存在できるのはどちらか一者。

 マーリーンの転生が進めばリンは消滅する。リンを救う方法は全くわからない。

 大会議場に着く。

 皇室の大会議場――三階分の巨大黒板を備え、五百人の学者を収容できる。

 そこに最高の神学者五人を招き、協議を続けていた。


御前ごぜん会議だと緊張はせぬよう。忌憚きたんなき意見を期待しています』


 ミハエラはそう言ったのだ。

 彼らが議論するのをミハエラは見ていた。

 結論は未だに出ず、会議はこうして現在も毎週開催かいさいされている。

 いくつかわかったこともある。

 鍵になるのは泉と女神――なのにフィレムは親友の大皇女をうしなって、隠れてしまった。

 伝説にあるように、アグーン・ルーへを死なせたフィレムが荒れて大地を焼き払うような事態こそけられたが、あの女神の助力は期待できないだろう。

 だが神学者によれば、泉をつくるのはフィレムをしても無理だという。

 世界中の神の泉を造ったのはスプレネムだ。

 水の女神であるスプレネムにしか泉を造ることはできない。

 あのマーリーンの泉――御所に造られたものも、おそらくフィレムがスプレネムを頼って作らせたのだ。

 どうやって犬猿けんえんの仲であるスプレネムをき伏せたのかはわからない。大皇女が取り持ったのかも知れない。

 その頼みの綱、スプレネムもまた――人をけてもう十年以上も現れていないのだ。

 アトモセムも、その名の通り風のように自在で所在も不明だ。

 神は消えてしまった。

 探すのは容易ではない。

 半神二人もこのままでは失う。


(大祖母様。私はどうすればよろしいのでしょう)


 ミハエラは深いため息を落とした。




***




 ベリルから西部路線の鉄道に乗って六時間――ほぼ半日以上だ。距離でいうと七百キロほど。

 旧ノートルラント領の最西部。国境にも近い、旧ハース情報局長の領地――。

 駅馬車に乗り換え、更に小一時間。

 まぁどうしようもない田舎だ。

 のどかな農場を越えて、寂しい野原にポツンと不釣り合いなお屋敷が現れたら大体は貴族の持ち物だ。近寄っちゃならないが――。

 オレは今日、その屋敷のドアを叩いた。


「いよう、ノヴェル。思ったより元気そうじゃねえか。上がれよ」


 でっかい邸宅のでっかい玄関で、小さい悪党が迎えた。

 いや、もう騎士様だ。


「サー・ジャック。すっかり貴族気取りか」

「サーはやめろよな。だが晴れてジャックだ。パルマの国籍を貰った。もう偽名じゃねえ。ゴア殺しも不問だ」


 玄関の先はでかいロビー。

 二階まで吹き抜けで、ソウィユノにぶん投げられても天井をブチ抜かない安全設計だ。


「メイドとかいないのか?」

「何件か面接はした。しかしなぁ、どうもロクなのがいない。ポート・フィレムからロ・アラモの御所で働いたメイドってのが来たけど、お断りしたよ。縁起えんぎでもねえもの」


 馬鹿としか思えないほど長い廊下の先の居室も笑っちゃうくらいでかく、クソ御立派な暖炉の上に大袈裟な盾が二つ置いてある。

 一つは「騎士称号――十四代皇女ミハエラ・パルマ」とある。

 もう一つは「叙勲じょくん騎士爵――シドニア・ノートルラント」。


「どうだい。パルマとノートルラント両方から叙勲されたのは俺だけだぜ」


 ひとつの国から同時に叙勲って――そんなことってあるのか。

 でも、片方はもう死んだらしい。

 ひど憔悴しょうすいしたサイラスが話してくれた。

 オレは結局一度もそのシドニアっていう王様を見ていない。

 オレがウェガリアの御所に行って戻ってくる間に、全ては始まって、終わっていた。

 こっちはそいつをよく知らないが、そいつはオレのことをよく知っていたらしい。


「それなんだけど。そいつも勇者だったんだろ?」


 そいつはオレ達をぎ回って――どういうわけか勇者になって、王様になっていた。

 デタラメに強い能力があって、周囲は滅茶苦茶だと思っていたが本人は飄々ひょうひょうとしていたらしい。

 姫様に死ぬほど迷惑をかけて、まぁモートガルド戦では活躍もしたらしいが、スティグマを暗殺しようとして逆に殺された。


「ああ、勇者だ。だが七勇者には数えられない。あいつが勇者になったのは最近――ベリル襲撃の前だ。お前の爺さんの件には関わってないし、他の勇者のことも知らなかった」

「でもそれって勇者は増えるって意味じゃないのか?」

「そうかも知れねえ。だが増えたって知るか。そいつらに用はない。スティグマを殺せば、それで終わりだ」


 本当にそうなのかは――奴の目的にもよりそうだ。

 元老院はパルマ皇室を排除したかった。そのために勇者、勇者が治めるモートガルドと手を組んで、爺さんと聖地を引き渡そうとしたのだ。

 勇者がなぜうちの爺さんと聖地を手に入れようとしたのか、それはまだわかっていない。

 おそらくサイラスが聞いた「魔力のプール」というやつが関係してそう、ってくらいだ。

 泉だのプールだのとややこしい。

 ロ・アラモの御所の地下にあった、石造りの丸いやつが泉だ。

 中にぼんやり光る液体みたいなのと爺さんらしき人影が入っていた。


「なんでウチの爺さんだったんだ。大皇女様や、あのチャンバーレインだって大英雄の生き残りだったんだろ? 魔力か?」

「まさにそこだ。実際、ノートンはあの大皇女様の最期さいごの魔術を見たらしい。とんでもない強さだったらしいぞ」

「あまりれ回らないで欲しいものだね。サー・・・ジャック


 グラスを持ったノートンが部屋に入ってきた。


「どこいってた官僚さん」

「無駄に広いから迷子になったのだ。ノヴェル君も飲むかね。ここいらの水は夏でも六度を超えない。よく冷える。ド田舎のお陰だ」


 うちゃ禁煙なんだよ、とジャックがノートンから煙草を奪う。


「こんなクソ田舎で油売ってていいのかい、ノートンさん」

「いいわけがなかろう。私は忙しいのだ。ここへも仕事だ――しかし、既に少々懐かしいよ。ここはハース長官――准男爵の領地でね」

「そういやノートンさん、元老院でスパイやってたんだっけ」


 ノートンは少し気まずそうにうなずく。

 元老院は旧ノートルラントの貴族ばかりの組織だった。

 姫様を目の上のたんこぶとしか思わない連中だったみたいだが、全員シドニアに殺されたらしい。

 そんなこともあって、旧ノートルラント領の大部分は今は主を失い、スッカスカになっているようだった。

 ハースは一番若く、貴族としても准男爵と下っだったため領地もこんな田舎で小さかったようだ。領民も少ない。こうなるとジャックも、余りものを押し付けられたようなものだ。


「ようガキ。ってお前こんなところで何してやがる。リンちゃんについてなくていいのか」


 汚いものを見るような目をしながら、ミラが現れた。

 そう。それだ。オレもそれを言いにきた。

 オレはこれからずっとリンのそばに――。


「やれやれ、ようやく全員揃ったな。遠いところへようこそ。作戦会議を始めよう」


 ジャックが腰を下ろしたのでオレも覚悟を決めた。

 勇者の件で、オレは言わなきゃいけないことがあるんだ。


「勇者のことなら――オレはもう降りる。今はリンの傍についていてやりたい」


 ジャック達はそれぞれ顔を見合わせた。


「本気か? お前がそう決めたなら俺達は引き止めねえぞ。元々の悪い賭けだ」

「本気だ。それに、オレにはもう、勇者を追う理由がない」


 ゾディ爺さんは――生き返ったわけではないが、転生しつつある。

 爺さんが二百年生きた大英雄のひとりだってことをようやく飲み込めた矢先に、今度は義理の妹リンが神だって言われた。

 納得できる人間なんかいないだろう。

 でもオレはあれからずっと倒れたリンをていて――いやが応にも、それを理解した。

 爺さんのかたきを討つつもりだったが、今は二人の未来のほうがオレにとって大事なのだ。


「勇者はまだ二人残ってる。スティグマもお前を知ってる。奴らのほうは、お前を諦めないかも知れないんだぜ?」

「ああ、奴らが来たら、大人しく殺されてやるさ。でも、なんだろうな、奴らはきっとオレなんか気にもしないよ。そんな気がする」

「マーリーンをまた狙うかも知れないぞ?」


 オレは少しだけ笑った。やけっぱちに見えただろう。


「――オレにはあんたたちがついてる。だろ? 姫様もだ。でも、オレには何にもできない。元々、オレには何の力もないんだ」


 正しい選択だ、とノートンがうなずいた。


「だがノヴェル君。これだけは間違えないでくれ。君は自分のやれるだけのことをやった。君は決して無能ではなかったよ」

「官僚さんの言う通りだ。いや、引き止めるように聞こえたら謝る。俺達は、お前の決心を尊重するつもりだ。巻き込んで悪かった」

「寂しくなるな」


 ミラがそう言った。

 オレは肩の荷が下りた気がした。

 心なしか上等なソファに身を沈めて、なんだか呆気あっけないな、これでオレの不釣り合いな冒険も終わりかと思おうとしたのに――。

 何も思えなかった。

 リンを、爺さんをどうにか助けなきゃならない。

 それはオレ一人では不可能だ。

 降りると決めた。

 でも降りて――何もしなくて本当にいいのか?


「実は今日来てもらったのは、勇者のことじゃない。このノートン君から話があるそうだ。リンちゃんについてだ。さぁ、室長君、話して」


 ジャックはいちいち嫌味な言い方で水を向けたが、ノートンは大人だ。

 相手にせず、オレの方を見て慎重に言葉を選ぶようにしていた。


「それで――そう、今日はノヴェル君の妹君、リンさんについてだ。先月、私の部下のチームが国境の先、アレンバラン領でスプレネムと交戦した――いや、順番に話そう」

「待ってくれよ。それは一体、何の話だ。リンは助かるのか? ゾディ爺さんは?」

「――順番に話す。落ち着いて聞いてくれるといいのだが。悪い話ばかりではない」


 今から三か月前――オレ達が勇者・戴冠たいかんのメイヘムを殺した日のことだ。

 メイヘムが大皇女様を殺した日でもある。

 ポート・フィレムへ戻ったミーシャと常客のバリィさんが、倒れているリンを発見した。

 リンは、ミーシャの口えで即座にパルマ皇室の保護下に置かれた。

 以来、宿無亭やどなしていは臨時休業状態だ。

 リンを襲った変事はおそらくその前からだったことだろう。

 爺さんの復活――いや、光の神としての転生・・が進むにつれ、リンの存在は危うくなっていたのに違いない。

 リンは――爺さんが光の神としての神格を与えた、神と人の中間の存在だった。

 言わば半神だろうか。

 爺さんはソウィユノと戦ったとき、光の神を「つくった」と言った。

 ソウィユノは信じなかったが、あのときリンを救った力は、確かに人知を超えていた。

 でも。

 その力は、今はリンをバラバラに引き裂き、その実存を奪おうとしている。

 長らく眠らせていたその神格を、転生しつつあるゾディ爺さんと奪い合っているのだそうだ。

 転生させたのはかつて爺さんと共に世界を救った仲間、大皇女様とその友人フィレム神だった。

 彼女らは爺さんが光の神を既に造っていたことを知らずに転生を始めてしまったのだ。


「ここまで、認識に相違そういないかね?」

「奪い合っている――ゾディ爺とリンが――?」

「神学者らは、重ね合わせ状態と言っていた。まぁ、リンさんの様子は言われてみれば確かに重ね合わせ状態だ。子供の体のまま、無理矢理成長した女神になろうとして、じれて引き裂かれつつある」

「言葉を選びやがれ」


 ミラが鋭く指摘して、ノートンは「失礼した」と恐縮した。


「――オレのせいだ。オレが、長く家を空けたから」

「ノヴェル君。それは違う。自分を責めるな。大皇女陛下と女神フィレムが、マーリーンを転生させるのは時間の問題だった」

「ああ、そうだろうさ。そのときオレが家に居たってどうせ何にもできなかった。ソウィユノのときと同じ、オレは役立たずだ」

「そういう意味では――」

「じゃあどういう意味なんだよ!」


 ノートンは沈黙した。

 ――役立たずと言われたのがつらいんじゃない。

 オレは、自分が役立たずの自分にずっと隠れていたことを知っている。

 だから「実はお前は役立たずじゃない」と言われるほうが何よりつらい。

 ソウィユノが宿無亭に現れたとき、オレはジャックに「自分の家のことなのにどうして把握してないのか」となじられた。

 そのときオレはわかっていた。オレは、家のことから目をそむけていたんだ。

 オレは自分の居場所はここじゃないんじゃないかと思っていた。

 オレは世界のはみ出し者ミスフィット

 リンやミーシャ、サイラスのように家業にも向き合えなかった。

 でも――オーシュと海賊、イグズス、メイヘムや大皇女様達と会って――オレが当たり前と思っていたことなんて、何一つ当然じゃなかったことを知った。

 少なくともオレには、爺さんのくれた帰る場所があったんじゃないか――。


「ノヴェル。落ち着け。皆お前のことを理解してる。さっきも言ったろ。お前はできることをやった。だがこの結果は誰にも予想できなかった。誰のせいでもない。勿論お前のせいでも」

「誰のせいでもないのは判ってる。大皇女様だって女神様だって、知っててやったんじゃない。でもオレはリンの家族だ。オレだけは、あいつの傍にいてやれた」

やれた・・・じゃねえ。これからも居てやれ。ずっとだ。今はそのことにだけ集中するんだ。今日はそのための場だろ? 官僚さんよ」


 あ――ああ、とノートンも少し自信なさそうなのが気掛かりだ。


「ともかく、マーリーン転生は現在完全凍結。会話も不可能。フィレム神によって泉への魔力の供給が停止されたからだ。リンさんの状態も安定している」


 安定している。

 それは不安定なまま良くも悪くもなっていないだけだ。

 水面下で爺さんやリンが、どんな苦しみを味わっているのかそれは想像するしかない。

 皇室最先端の医療チームも神学者の会議も、この現状を正しくは説明できない。


「フィレム神は人間との関わりを絶ってしまった。だがヒントはくれた。最もオーソドックスな転生のメカニズムだ。これはマーリーンを転生させる方法で、マーリーンがリンさんにほどこしたこととは別なのだが……ともかく神学者らがそれについて協議した」


 神学者によれば――水の女神スプレネムだけが泉を造ることができる。

 その泉があれば転生が可能だ。

 とはいえ泉には充分な魔力を供給できることが大前提で、どこでもよいというわけではないらしい。

 神格に十分な信仰、そして後見する他の神がいれば転生は可能になる。

 フィレム神、アーセムの聖域と、二つそろったあの御所はまさに適地だったということか。


「なんとなくそういうものだってことは判った。それで? 結論を言えよ」

「待ちたまえ。結論だけを先に言うことはできない。順序が肝要かんようだ」


 ノートンはそう言って一同を見渡す。


「現状は落ち着いている。だがこれを維持することは難しい。フィレム神が隠れられた今、ロ・アラモに残ったマーリーンの転生の泉には後見となる神がいないのだ。このままでは、我々はマーリーンを失う」


 オレは――それにも胸を締め付けられる。

 停止は爺さんの意志だ。

 だとしてどうして爺さんを二度も殺さなきゃならないんだ。


「マーリーンを失うのは君達にだって痛手だろう? ジャック君。大皇女陛下を喪い、チャンバーレインも行方不明の今、マーリーンしか勇者に迫れる者はいない」

「それなんだが――いや、今日は勇者の話はナシか。ああ、そうだ。マーリーンを二度も奪われることはないぜ」

「つまり、爺さんかリンか、どちらかしか救えないってことか」

「そうではない。結論を急ぐな。ロ・アラモでのマーリーンの言葉を信じるなら、確かにマーリーンを諦めればリンさんが助かる目はある。だがそれも確実ではなく」

どっちも失う・・・・・・ってことか!?」

「――可能性はゼロではない。少なくとも、神学者はそこには答えを出せていない」


 くそっ。なんてこった。

 二人を助けるための時間も、もうそう多くは残されていないのか。

 沈黙が訪れた。

 もっともオレにとっては沈黙じゃない。オレは、オレの中で叫んでいる。わめいている。みっともないほど八つ当たりして、イグズスのハンマーで手当たり次第に街を破壊している。

 ノートンはよくよく悩んでいるようで、煩悶はんもんしつつ眼鏡を直し、煙草に火を付けた。

 ジャックはそれをひとにらみして、黙認した。


「これは――私の、ただの思い付きだ。スプレネム捜索にはもう一つ狙いがある。実は――いや、やめておこう」

勿体もったいぶらず話せよ、官僚さん」

「検討中の事項だ。神学者はまだアグリーしていない。ノヴェル君をぬか喜びさせることは……」

「俺んちで煙草吸ったんだからな。それくらいの代金はいただく」


 ノートンは再び眼鏡を直して、煙を深く吐くと諦めたように語った。


「いいかね。これは不確かなことだ。だが――マーリーンを他の神・・・に転生させることで、この神格の競合状態を脱して、安定状態にもっていけるのではないか。この方法で、リンさんを救えるかは判らない。だが時間を稼ぐことはできる。マーリーンを安定させれば、彼から有用な情報を引き出せる可能性もでてくる」

「――いいアイデアじゃねえか」

「そのためにもスプレネムの発見、確保、収容だ。そのための力を君達に借りたい。フィレム神以外の神と、新しい泉がるのだ。まずはスプレネムの助力を取り付けなければ話にならない」


 ようやく本題に入りやがったな、とジャックは笑った。

 オレも、少しだけその話に光明を見た。


「そして先月だ。私の部下のチームが、隣国ファサのアレンバラン領山地でスプレネムを発見したが、取り逃した。だが泉は発見した。スプレネムは近くにいるのだ」


 ミラ君――とノートンが突然ミラに振った。


「君の父上のご領地の隣だ。土地かんがあるのではないか?」

「アレンバラン――『昔過ぎて忘れたぜ』ってわけにもいかねえ雰囲気か? ああ、十二年も前だ。そこでスプレネムに会った」

「やっぱり! スプレネムはどんな神だった?」

「なんてぇか――フィレムはああ激情型だろ。スプレネムはなんていうか――冷酷だった」

「その後、スプレネムは長らく現れていない。だが私の部下はスプレネムと交戦し、痕跡こんせきも発見した。部隊は負傷し、一度は退却したがその後もスプレネムの捜索を続け――居所に見当がついた」


 ロウのチームだ。

 オレだって皇室に厄介になってるし、それくらいは見当がつく。

 でも、あのロウのチームと交戦するような女神なのか――?

 ノートンは持参した袋から写真を取り出した。

 切り妻屋根に、妙なシンボルがくっついている。

 丸くり抜いた板の中央で、太い板が二枚垂直に組み合わせられたシンボルだ。


「このシンボルをかかげた『神と人々の家』を名乗る謎の集団が、スプレネムを監禁している可能性がでてきた」


 ノートンが淡々と説明するうち、見る見るミラが不愉快そうになってゆく。


「神の私物化か。大ッ嫌いな手合いだぜ」

「ミラ君、君が頼りだ。ジャック君、ミラ君のサポートを頼む。君達にはこの集団について調査し、ことの真偽を確かめてほしい。確実になったら部隊を派遣し、スプレネムを確保する」


 ミラは何も答えなかった。

 でもオレのほうをちらりと見て、「リンちゃんのためなんだな」と念押しした。


「ああ。約束する。皇女陛下はこの件について私を全面的につけている。私も尽力する。君達にも力を貸してほしい」

「断れねえな」

「俺もやるぜ。勇者についちゃ、ノートン、話がある」


 ジャックは低いテーブルの上に手を出した。

 何のつもりだ。

 ミラもその手に自分の手を重ねた。

 ノートンも更に手を重ねる。

 三人はオレを見た。


「ノヴェル。お前はリンちゃんについていてやれ」


 でも――。

 オレはそこに手を重ねた。


「リンのためなんだろ? 勇者じゃなく」


 迷いはある。

 それでも、何もしないまま、何もできないオレに戻るのだけはいやだった。


「作戦開始だ。ロックンロール」

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