第七章: 祝福の子らを包むその邪悪な胎盤

Ep.31: 神無き世界のホーム・カミング

31.1 「とっても素敵な眺めね、オフィーレア!」

 北半球の春。

 神聖パルマ・ノートルラント王国の西の小国、ファサ。

 ここも長い歴史をほこる王国である。

 景勝けいしょうで名高い滝の横、切り立った崖を登り水源を目指す一団があった。

 岩面に打ち込んだロックピックを足場に、十名からなるチームは崖を登り切る。

 ファーの着いたえりを寒そうに立て、ロウは言った。


「凍えるな」

「春とはいえ、山の上ですからね」


 息が白い。

 ロープで荷物を引き上げながら、部隊員の一人は疑問を口にした。


「本当に、こんなところに女神の泉があるんでしょうか」

「どうだかな。だがこの記録によるとこの滝はここ十年、一度も凍結してない」

「水神スプレネム――その力でしょうか」


 わからん、とロウは投げ槍に言って背負った荷物を直した。

 一歩踏み出すと、浅く柔らかい雪が足元でねる。

 春だというのにこの積雪。

 柔らかい雪の下にはまた凍結した硬い雪がある。その下は真っ黒な岩だ。

 山頂は近い。ここから山頂までは殆どゴツゴツした岩の突き出る、上り斜面だ。

 そばを流れる濁流だくりゅうに沿って、その斜面を登ってゆく。

 雪の凹凸からそこに獣道があったことは間違いない。

 しかし今やそこには小さなひづめの跡ひとつない。もう長い間、獣すら通らないのだ。


「獣、魔物――何もいない。どうやら結界だ」


 気を付けろよ、とロウが振り返る。

 すると、すぐ後ろを歩いていたはずの若者が少し後方で止まっていた。

 名はフランツ。元狙撃部隊のルーキーだ。

 ロウが「ルーキー?」と声を掛けるも、フランツは蒼白になって首をわずかに横に振る。

 そのままフランツは自分の足元を指差す。

 そのすねが引っ掛けた長いワイヤが、横の低木のもりの中へと消えている。

 ――罠だ。


「全員伏せろ!!」


 ロウが叫んで、十名の小隊は次々と伏せる。

 低木の間で何かが鋭く光った。

 風を切る音。

 細かい氷柱ツララが、ロウの顔前を高速ですり抜ける。

 ウッとうめいて何人かが雪の上に転がった。

 フランツはおろおろと立ち尽くしている。

 倒れたメンバーは二人。

 それぞれ、腿などに飛んできたツララを受け、脚を押さえて横向きに倒れていた。


「動けない!! 助けてくれ!!」


 氷柱は体温を奪って急速に溶け、容赦ようしゃなく出血を誘う。

 倒れているメンバーを中心にして、流れ出した血が真っ白な雪に広がって行く。

 無事なメンバーのうちから何名かが駆け寄ろうとするのをロウが右手で制した。


「待て! 大勢で近寄るな! 一名ずつ慎重に歩け!」

「た、隊長――」

「ルーキー! お前は動くな!」


 フランツの脚はワイヤにからんだまま――そちらを左手で制し、ロウは周囲に目を配る。

 山頂へ続く斜面。

 右手側に黒い低木。左手側には黒々とした岩場。その向こうは滝へと続く濁流だ。

 白と黒の世界を汚してゆく赤い血液。


「負傷者をその岩場へ! ゆっくり動け! ここはもう女神の狩場だ!」


 ロウはナイフを取り出し、動けないでいるフランツの傍まで戻る。

 既につけた足跡のみを踏んで、慎重に近づいてゆく。

 他のメンバーも、ナイフで雪の中を探りながら負傷者まで近づいているところだ。

 ロウはフランツの足元にかがみこみ、ワイヤを握って雪に刺したナイフで固定した。

 フランツはようやく脚を引っ込めることができた。


「隊長、火魔術で一帯の雪を――」

「だめだ。女神は狡猾こうかつだ。紐で固定された罠があるかも知れない。しかもここは知られた聖域じゃないが、スプレネムの庭も同然だ。火魔術は危険すぎる」

「この罠を女神が? 女神なんでしょう? そんなことって」

「奴らならやる」


 ロウは吐き捨てるように、フランツの疑問をさえぎった。

 冬、あのウェガリアの御所で何が起きたか。

 それを知らなければそう思うだろう。

 豹変ひょうへんしたフィレムの横暴を知らなければ、ロウだって信じなかったに違いない。

 ならば今頃、彼も氷柱の餌食えじきだ。

 負傷したメンバーは無事、岩の陰まで引きられて行った。


「二名負傷だ。フランツ、ここで二人の世話を頼む。残りは俺と共にスプレネムの捜索を続行」


「た――隊長、女が」とメンバーの一人、ジェイクが声を上げた。

 ロウが顔を上げると、彼らよりやや上、坂の作る切り立った陵線りょうせん上を何かが動いた。

 黒い木々の間でひるがえる、白い聖衣のすそ

 それは稜線の向こうへと走り去る。

 わずかに見えた。


「い、今、その木の向こうに女が」

「確認した。女神だ。こんなところに人間がいるわけがない」


 雪の中に気を付けて移動しろ、とロウが命じる。

 ベテランのジェイクは身を屈めたまま、素早く雪の中を進み始めた。

 ジェイクの作った道を部隊が進んでゆく。

 川に沿った上り坂。

 川からもりまでは充分広く十メートルはある。


「水に気を付けろ。川と距離を保つのだ」


 突然、部隊の左右で何かが飛び上がった。

 積もった雪を突き破り、空中でそれは回転する。

 氷のように透明――小さなヒト型魔術生物スプライトだ。


「スプライトだ!」


 スプライトはその全身を魔力で構成されている。

 その本体は妖精のように小さいが、引き寄せた同相物質を媒体ばいたいにして自身を拡張し――最大で人の二倍ほどのゴレムに化ける。

 その数はロウを含む残存部隊と同じ七人。

 ――どこからかられている。


「応戦を許可! 空気魔術のみ使用を許可する!」


 雪から現れた小さなスプライトは、くるくると回転しながら雪や渓流の水を巻き上げ、あっという間に人間ほどの大きさに成長した。

 ある個体はあでやかな氷の妖精に、ある個体は雪のゴレムのようになる。

 部隊は散開しつつ、次々に暴風を起こす。

 それはスプライトの体表を削り、吹き飛ばしてゆく。

 七人がそれぞれに戦い、スプライトを無力化するが、一息つく間もなくスプライトは再生した。

 一歩後退しながら魔術を放つ。

 ゴレムの頭を削り、ダメ押しのダウンバーストで足元の雪諸共もろとも消し飛ばす。

 だが――巻き起こした雪風がくるくると舞い、コアとなるスプライトの周辺で再結合を始めてしまう。

 削っても削っても再結合する魔力生物。

 そうしているうちに散開したはずの部隊は、ロウを中心に追い詰められてきている。

 すっかり円陣様に固まった部隊員は、外周から次々襲い掛かるスプライトを壊しては後退を繰り返し――。

 ロウの腕が、別のメンバーの腕に当たった。

 ジェイクだ。


「ロウ隊長! キリがありません! 火魔術の許可を!」


 むう、とロウはうなる。本来なら風魔術すらけたい。スプライト相手に水魔術を使っても、本当に徒労でしかない。

 有効な魔術は火だけ。

 ――女神は嫉妬深い。

 聖域など女神の眼前で系統の異なる、しかも相性の悪い魔術を使うことは、予期せぬ結果を生む。

 暴発くらいで済めばよい。

 逆鱗げきりんに触れれば神罰か、それに近い災害をも起きうる。


「――火魔術は――」


 ダメだと、そう言おうとしたときだ。

 うあああっ――と叫び声がした。

 ゴーレムの突進が、円陣の一部を突き崩したのだ。

 ロウもジェイクも、突進を受けて弾き飛ばされ、雪の中に転がった。

 顔についた雪を払い落とし、辺りを見る。


「――ハザイル!」


 ゴレムが、ハザイルに馬乗りになっている。

 ハザイルは部隊きっての魔術師だが――風魔術は不得手ふえてなのだ。


「こっ、こいつ!」

「ハザイル! 今助ける!」


 ゴレムの背後によじ登ったメンバーが、その氷の頭をつかんだ。

 その手に魔力を込めるが、ゴレムはすぐさま太い氷の腕を振り回し、背中にとりついた部隊員を叩き落す。


「こ、この野郎――!」


 下敷きとなったハザイルの風魔術が、ゴレムの頭を吹き飛ばした。

 だがゴレムの肩から下は、ハザイルを押さえつけままだ。

 見る間にもゴレムは再生を行い、より強大になった手でハザイルのくびと、頭を掴んだ。

 弾き飛ばされたメンバーも、氷の妖精に抱えられ渓流のほうへ連れて行かれている。


「ハザイル! ミスカータ!」

「ひゃっ!! ひゃああっ!!」

「ヒィィィィッ」


 氷の妖精に組み付かれ、雪まみれで半狂乱になる者。

 抱えられ、濁流へと投げ捨てられる者。

 ゴレムに殴りつけられ、雪に埋まって動かなくなった者。

 ロウは眩暈めまいがした。

 部隊は次々と、スプライトどもに倒されてゆく。

 ロウとて、自分に飛び掛かってくるスプライトを壊すので手一杯だ。

 ――らちが空かない。

 いや――違う。有効な手段がないのだ。通常なら恐れるような敵ではないが、地の利は一方的にあちらにある。このままではいずれ全員が殺される。

 火炎放射器を持って来れればよかったが――あの兵器と燃料を持って崖を上がることは不可能だった。


「この野郎!! 消えてなくなれ――!」


 ハザイルが魔術を放った。

 一陣の炎が、丸い爆炎となってゴレムを吹き飛ばした。

 熱風がムワッと広がり、部隊を取り囲んだスプライトどもは一斉にひるむ。

 それは大きさ、熱量ともに申しぶんない、実に最適な――炎の魔術だった。

 水蒸気となったゴレムの欠片が、雨になって辺りへサッと降り注ぐ。


「やった……やってやったぞ!」


 ロウは「馬鹿者め!」と毒づきながらハザイルを起こした。


「だが見事だ。見ろ、魔物どもは怯んでいる」

「暴発がないなら――暴れちまっていいですかね」

おどかすだけで充分だ」


 ロウたちは火魔術をちらつかせつつ、円陣を立て直す。

 じりじりと足元を確かめながら、川へ捨てられた一名、動かない一名を除く五名は背中合わせになった。


「――よし、このまま女神を探しに行くぞ」


 氷の妖精の一体が、円陣に飛び掛かった。

 ハザイルがこれを焼き払う。

 猛然と熱風が巻き起こり、雨を降らせた。


「ハザイル、出力を調整しろ」

「――や、やってます――」


 飛び掛かってきた妖精を掴み、雪の中に叩き付けてからそのコアに最小限の火魔術を食らわせる。

 だが――ドンッと大きな音がして、起きた爆炎が隊員の足元をがした。

 ――まずい。暴発か何か、やはり何かが起きつつある。

 ロウは周囲をうかがう。

 ふと、妙な音がするのに気付いた。


「総員、火魔術の使用を止め!」


 ――この音は何だ。


「隊長! 奴らが」

「シッ! 静かに。この音は」


 低音だ。

 大きくなっている。

 次の瞬間、彼らのいる斜面の先、空と斜面の境界で――波頭はとうの砕けるような真っ白い爆発が起こった。


「――雪崩なだれだ!」

「総員退避! 岩陰へ逃げ込め!! 体の前で腕を組み、空間を――」


 大波が叩き付けるように、雪の波が彼らのいる斜面を襲う。

 大規模な雪面の崩落ほうらく

 その引き金は火魔術だったか、それとも水の女神スプレネムの気まぐれか。

 ロウたちは全力で岩場に飛び込んだ。

 雪崩がそれを呑み込むのと、ほぼ同時であった。

 轟音ごうおんは悲鳴をき消し、周囲の空気をも巻き込み、囂々ごうごうと彼らを――。


(――どうしてこんなことになったのか。我らは、なぜ女神などを探しているのだったか――)


 小さな人間達を呑み込んで――。

 滝の水のごとく、二百五十メートル下の崖下へと押し流した。



***



 その十二年前。

 ファサ王国、アレンバラン男爵の屋敷にて。

 十四歳のミランダは、窓から見える大きな滝「ウインターフォール」をながめ、歓声を上げていた。

 数年振りであった。

 かつては何度となく訪れた屋敷のパーティールームで、景色も当たり前のものになっていたのだが。

 改めてそこからの雄大な景色に彼女は感動したのだ。


「とっても素敵な眺めね、オフィーレア!」

「ミランダは久しぶりだったかしら。よろしいでしょ?」


 オフィーレアの誕生日パーティーである。

 有力な領民の他、周囲の貴族の子らも招かれていた。

 兄弟姉妹のないミランダは浮くと思っていたが、オフィーレアはずっと彼女に付き添ってもてなしてくれた。

 パーティーの主役は勿論令嬢オフィーレアである。

 なのにミランダももう一人の主役と言わんばかりのもてなし。

 彼女なりの気づかいなのだろうが、ミランダが逆に主役を独占して悪い気がしてくるほどだ。

 ヘイムワース子爵領とは隣同士とあって、ミランダとオフィーレアはしばしば顔を合わせ、打ち解けていた。

 互いに牽制けんせいしあう貴族社会においてそれは、親友と言ってよいほどだ。

 ミランダの父ヘイムワース子爵は医学者で「長寿子爵」として知られていた。

 実のところ――ミランダの父は貴族社会の中で、白眼視はくがんしされつつある。

 ここのところエキセントリックな言動や、彼の医術知識そのものの有効性についても疑問がていされ、追い詰められていることをミランダも肌で感じていた。

 アレンバラン男爵は小規模ながら私兵を持つ。軍隊を持てるかどうか、それがファサにおける子爵と男爵の身分の違いだった。

 したがって、パーティーともなれば男爵家の喧噪けんそうぶりはミランダの家とは比較にならない。

 まして今日は違う。

 水の女神スプレネムの祝福を受ける場でもあるのだ。

 参列者のほとんどは、オフィーレアよりもスプレネムを目的にしている。

 オフィーレアも、おそらくそこのところをわきまえていたのだ。

 彼女は、どこか物憂ものうげだった。

 大きな扉が開いて、荘厳そうごんな女神が入ってきた。

 素朴な聖衣にベールを被り、顔を隠している。フィレムのような派手な服ではないし、アトモセムのように洗練されたシックドレスでもない。

 それでもその水のようににじみだす聖性は、周囲を圧倒していた。


『いい? フィレム様の話は禁止』


 事前にそう言い含められていた。

 スプレネムは、自らの聖域を離れてファサの豊かな水源に宿っていた。

 水源は汚染される。理由は様々だ。

 だがファサの山々、そこに積もる雪けの水は汚染されることがない。

 うまく行けば当地にスプレネムの聖域を作ることも可能かも知れない――と、領民らはそう考えていたのだ。

 誰もが、スプレネムの癒しの力を求めた。

 それは医術によって発展を遂げたヘイムワース領への嫉妬もあったのかも知れない。

 しかし――このときより、水神スプレネムの行方はようとして知れない。

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