Ep.30: やがて1になる

30.1 「私はアリシアのいない世界を生きるのが厭です」

 ――マルケス。

 戴冠たいかんのメイヘムは、誰かに名を呼ばれた気がして足を止めた。

 甲板上には大勢の部下が居たが――そのふるい名を知る者はもう一人を除き存在しないはずだ。

 二世代、三世代勇者の導き手たる「あのお方」ただ一人。

 しかしその風音にも似た特徴ある胴間どま声は、同期の潰滅かいめつのイグズスのものに聞こえた。

 風を聞き違えたか。


(――どうやら今日は本当に疲れているようだ)


 無能な部下を見るのも嫌気がして、メイヘムは船室に戻ろうとした。

 そのとき、ふと――言い知れぬいやな予感がした。

 天上を仰ぎ見る。

 その瞬間だった。

 ちてきた何か不格好な塊が、甲板の、今さっきメイヘムが立っていた場所を直撃した。


「――!!」


 衝撃はまだない。主観的時間は捻じれ――全てがゆっくりと流れ始めた。

 イグズスの得物より二回りほど大きなハンマーが、天よりきたりて甲板に触れる。

 くまで形がハンマーのようなもの・・・・・だ。イグズスのものより大きなハンマーなど、武器としても工具としても用をさない。

 誰にも振るうことができないからだ。

 メイヘムがかつて憧れをいだいた得物――あの名匠の槌のような洗練された魅力はそれにはない。

 名匠の一振りに比べれば、それはただ大きいだけ、重いだけ。妄執もうしゅうを固めただけの代物である。

 甲板を満たしたスモークで空気の流れがよく判る。

 それは後ろに小さな渦、大きな渦を伴って降ってきた。

 渦巻いた空気は直撃とともにブワッと弾け、拡散した。

 甲板に居た部下達は、皆船外へ吹き飛ばされるような恰好になる。

 メイヘムは踏ん張った。

 衝撃を流すように斜めに構え、姿勢を低く――だが。

 鉄筋コンクリートの大型軍船も、超巨大ハンマーの落下を妨げることはない。

 ハンマーは甲板を粉々に破壊しながら落下を続け、破断した無数の建材を波打つ暴風雨のように叩きつけてくる。

 崩壊は容赦なかった。


(うぬううぅぅぅぅ――!)


 部下たちは高々と打ち上げられ、落水前には甲板は消滅するだろう。

 作り始めたばかりの足場――それはまさに、聖域を侵さんとする彼の野望の架け橋だったが――衝撃でバラバラに倒壊してゆく。

 メイヘムは振り返って船室へと逃げ込もうとした。

 だが彼の眼前にはクルクルと回転しながら墜ちてくる赤い重機があった。ホイールローダーだ。

 船室の入り口の上でグシャリとその重機は潰れ、車輪やらステアリングホイールやら座席やらを方々に飛ばす。

 メイヘムは慌てて止まり、前のめりになった。

 前のめりになったのに、体は後ろ向きに傾いていた。既に足元が、沈没へ向けて斜めになっているのだ。

 ごろごろと転がり落ちてきたホイールローダーに押され、メイヘムは後ろに倒れる。

 甲板はもうなかった。

 その足元は船首側から連鎖的に崩壊していたのだ。

 第二甲板、下層甲板、貨物甲板へと各層を突き抜けて落下してゆくメイヘム。

 彼の軍船は、もう半分が粉々になって消滅していた。

 着水。

 自分が海の中にいると気付いた時にはもう水深十メートル。

 輝く白い水泡に包まれ、あらゆるものが沈んでゆく。

 降り注ぐ瓦礫の山を避ける間にも、メイヘムは沈んだ。


(――鎧を脱がねば――)


 鎧の内部を満たした黒い瘴気を排出すると、代わりに海水が侵入する。

 鎧の中身はスカスカだ。

 そのとき、一層周囲が暗くなる。上からホイールローダーが沈んできたのだ。


(――!!)


 それに押されて、一気に水深が下がる。

 苦しい。もう肺の酸素は空だ。

 魔力も尽きて、メイヘムにはどうすることもできない。

 どうにかホイールローダーの下を抜け出し、少しでも上がろうと水を掻く。

 僅かに上昇する。


(水面へ――)


 しかし。

 海中で浮遊していた金属の破片が不自然な回転を始め、突然海底の方へ向けて沈み始めた。

 メイヘムの周辺に、沢山浮いていたものだ。

 それは沈むというよりは、海底へ引っ張られていた。


(なんだと――これは――オリハルコンか――?)


 それが作り出す急速な流れに、メイヘムは逆らえない。

 川を流れるようにメイヘムは海底へと引きずり込まれていった。

 最後の瞬間、メイヘムは見た。

 底に沈んだいびつなハンマー。

 そのハンマーヘッドは落下の衝撃で砕けており、今それが自己修復しようとしている。

 メイヘムを巻き込んで。


(――こんな)


 これより戴冠のメイヘムは、イグズスのハンマーの一部として半永久的に海底に存在する。

 数千万年の後には、大規模な地殻変動で海上へ出るかも知れない。

 そのときに彼は発見されるだろう。

 太古の昔――暴君として君臨しつつも、王にはなれなかった男の稀有けうな化石として。



***



「おい、ノヴェル、起きろ。日が暮れた」


 一日に二度も溺れやがって――とジャックは毒づいた。

 オレは飛び起きた。


「メイヘムは――!?」

「死んだよ。確認した」

「死体を神様に見せないと――」

「悪いが回収は不可能だ。海の水をだいぶ抜く必要がある」


 ジャックは顎でコックピットの丸い窓の外を示す。

 サーチライトに照らされたそれは、異様なオブジェだった。

 あの禍々まがまがしいイグズスのハンマーが、メイヘムを完全に取り込んで沈んでいる。

 不気味な彫像――唖然とそれを見つめるうち、一周して神々しくも見えてきた。


「官僚さんには報告済みだ。あとは上次第。お前はそうだな――こいつにタイトルを付けろ」

「まだ聞きたいことがあったんだけどなぁ――」

「よく知らんがマーリーンと話せるんだろ? お前の爺さんに訊けばいいだろ」

厭々いやいや戦乱を引き継いで投げ出した王の話なんか、こいつ以外には誰も知らないだろ」


 世界の歴史がどれほど長く続くとしても、メイヘムほど波乱に満ちた道を歩む人間は数えるほどだろう。

 こいつは本当の意味で王にはなれなかったのかも知れないが、こいつにしか辿り着けなかった境地もあったはずだ。

 望まなかったとはいえ何のために皇帝になったのか。友も国も国民も、全てを裏切り何を掴もうとしたのか。


「止せ。そんなこと俺らが知って何になる」

「こいつは『おれだけは勝ってみせる』と言ったんだ。何に勝とうとしてたんだろうなって」

「もう一人、似た境遇の王を知ってる。そいつに訊いてみればいいんじゃねえかな」


 はぁ――? とオレは呆れた。

 聞いてたか、オレの話。「とても珍しい」って言ったつもりなんだけど。


「ノートルラントの民王を処刑して王になった奴だ。そいつは先王の落としだねで、意地で王座に返り咲いたのに本当の王にはなれないんだとさ。しかも八人目の勇者で、俺達の大ファンだ」

「は――はあああぁぁ?]


 何だよ、なんでそんなことになってるんだ。

 ややこしい上に酷いこじらせ方をして、しかも行動力まであるのか。


「オレ達のファンで勇者ってことは、もしかしてそいつに奴らのたくらみを聞き出せたのか?」

「いいや。訊くだにどうもスティグマにも一目置かれたルーキーみたいだが、奴らのガードは相当硬いらしい。目的も計画も、本拠地も他の勇者のことも知らないと言っていた」

「信じられるかよ。一目置かれてるのに――何も知らされてないなんておかしいじゃんか」

「ま、詳しいことは戻りながら話す。お互い、積もる話もあるだろ?」



***



 ミラはフィレム神と向き合っていた。

 交渉は難航。

 というより神の意志は固かった。人間にそれを尽き崩すなど最初から無理だったのだ。

 そこへノートンが飛び込んできた。

 どうやらメイヘムの暗殺は成功したらしい。モートガルドの船団は潰滅し、残りは散り散りに敗走。ノヴェルとジャックは無事だ。

 フィレム神は安堵あんどを隠さない。

 ミラが見る限り、彼女の神罰を最も忌避きひしたがっていたのは――彼女自身だ。


「よかった――神罰を下さずに済みました。私からも皆にお礼を、とお伝えください」

「いいんだよ。人間のごたごたに巻き込んで悪かった」


 神罰は強力だが、下手をすれば自らの神格にもダメージを与える。

 フィレム神からすればこれは無理心中にも近い裁定であった。


「一先ずメイヘムの死をもって、アリシアの無念は晴れたとします。少なくとも私は、少しだけことわりなぐさめられたと感じています。あなた方の覚悟も見せてもらいました」


 ですが――とフィレム神は続ける。


「私はアリシアのいない世界を生きるのが厭です。暫く隠れさせてもらいます――はい、そして今後私は、勇者もあなた方も、ただの人とは思いません」

「それってどういう意味だい?」

「アリシアの為に尽くした人間たちよ。これまで私は神として、勇者と人を分けて考えることはしませんでした。ですがこれまでと同じではありません。神に連なる者を害し、聖域を侵した。今の勇者達を理にあだ為す者と考え、私はあなた方の覚悟に報いるつもりでおります。よいですか」

「またいつか、茶が飲めるといいな」


 ミラは、フィレム神と握手を交わした。

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