29.4 「ああ――ちょっと行ってくるぜ」

 死にたくて言い出したことじゃない。

 ただこの中で、ゴアが飛ぶのを一番多く見てるのはオレだ。

 とはいえいざ崖から跳ぶとなると――自分で提案したこととはいえ、一体オレは何をやってるんだろうなと思う。メイヘムの毒気に当てられたとしか思えない。

 重機の部品、そして坑道の入り口をおおっていた半透明のシート、あとは皮ひも。

 なんてモノだ。まさか本当に三十分で作ってしまうなんて――。

 オレはその即席のはねを背負っていた。

 背負うだけで相当に重い。

 風が吹くとそれだけで倒れそうになる――というか何度も風に煽られて引きられた。

 首を横に向けると、不格好で巨大な翼が見える。

 その金属フレームとシートの繋ぎ目が気になった。


「ノヴェル君。その、フレームとシートの繋ぎ目だが――」

「おい、そこだ、丁度そこについて訊きたかった。本当にこれで――」

「大丈夫かは訊くな。それが紳士的態度だ。科学的に答えよう。『君の体重なら理論上耐える』。まぁ能書きは戻ってからにしよう。段取りは判っているな?」


 まずここから下に降りる。

 船に行ってメイヘムを見つける。

 正確な場所を知らせる。

 ――御所の庭に、それぞれ離して設置された三本の鉄の柱。


「マーカス――メイヘムが沢山通信機を壊してくれて助かった。部品だけなら山ほどダブついているからな」


 オレの通信機からの電波をそれで受ける。位置によって強度――電波の強さがわずかに、非常に僅かに異なるのだそうだ。

 その微妙な強度の差を、ノートンが読み取って正確な位置を割り出す。

 到底上手くいくとは思えないが――ノートンはその点については自信がありそうだった。信じるしかない。


「位置が割り出されたら――おお、丁度着いたようだ」


 御所の庭に、例の遺物が運び込まれる。

 遺物はとても重く、重機で二台がかり、設置したコロの上を牽引けんいんされてきた。

 イグズスのハンマーだ。

 高炉で発見されたときは重量おおよそ千二百キログラムと推定されたが、鉱山の爆発跡で発見されたときは二倍以上の重量になっていた。

 どういうことか。

 ハンマーは表面にオリハルコンが使われていた。オリハルコンはゴアのはねにも使われた金属で、途轍とてつもない硬度と剛性があり軽量。

 更に、破壊されても自己修復するのだそうだ。そんなものをどうやって加工したのか、それはイグズスしか知らない。

 高熱で溶解したオリハルコンが復元する際、気化した構内の金属を取り込んだと思われる――とノートンが言っていた。

 本当かよ、と思うが運び込まれたハンマーを見たらもうそうとしか思えない。

 記憶にあるイグズスのハンマーより二回りも大きく、メイヘムの鎧やフルメタル・イグズスを思い出させる禍々まがまがしさだった。


あれ・・を落とす。君はギリギリまで引き付けろ。合図を送ってとにかく逃げろ。チャンスは一度」

「ノートンさん、リンのことだけど――ああ、もう時間がないな。じゃあちょっと行ってくる」


 崖下をのぞむと、海よりまず雲海。というよりここがもう雲の中だ。海も船も見えない。

 飛ぼうと思っても足が動かない。


「ちょっと行ってくるといい。戻ったら何でも好きなものを買ってあげよう。皇室のカネでだ」

「ああ――ちょっと行ってくるぜ」


 崖下を臨むと、海よりまず雲海。というよりここがもう雲の中だ。海も船も見えない。


「――どうした。背中を押す必要があるかね? それともカウントがいるか?」

「カ――カウントで頼む」

「三、二、一、ロックンロール!」


 ロックンロール! オレは――。

 崖下を臨むと、海よりまず雲海。というよりここがもう雲の――。

 尻を蹴飛ばされた。

 落ちながら振り返る。

 ミラだ。


「うわああああ――」


 ちくしょう。ミラめ。

 あいつには列車で一度落ちて死ぬところを助けて貰ったから、これで貸し借りはなしだ――ってそれも少し違う気がする。

 あっという間に落ちて死ぬのと、翼を背負ってゆっくり落ちて死ぬのとは違う気がするぞ!

 だが――まだオレは死んでない。

 風に乗って雲を突き抜けてゆく。

 下へ落ちるだけではなくて前に進んでいる!

 速度もノッている。ノッたらもう降りられない。

 水滴が顔面にぶつかってとにかく痛い。冷たい。

 空を飛ぶのは全然楽じゃない。

 ――と、雲海を抜けた。

 ドウドウとなる海鳴りが下から突き上げるようで眩暈がする。

 空気の壁と音、そして重々しい灰色の海の迫力――あらゆる圧力がオレを押し上げている。

 この海の向こうがモートガルド大陸。

 長らく戦争の続く、混沌の大地だ。

 イグズスや同胞が追い詰められ、生を呪ったあの大地。

 チャンバーレインは書いた。砂漠の民は月まで届く塔を建てる選ばれた民族であると。

 メイヘムは言った。帝国は砂上の楼閣ろうかく。いくら戦争を繰り返しても、彼らの憎しみはえることがないと。

 ――随分崖から離れてしまったことに気付いた。

 振り返り見れば崖が遠い。このままでは予定よりも着地点からずれてしまう。

 旋回しなければ――とは思うが、手にした紐を引くと全体がひっくり返ってしまいそうで怖い。

 ゴアをイメージしろ。ゴアはどうやっていた?

 悠然と飛ぶゴアを思い出しながら慎重に紐を引いて重心を移す。

 ゆっくりと傾いて風を切る向きが変わる。

 上手く旋回できた。

 すると――前方におかしなものが見えた。

 垂直に切り立ったテーブルマウンテンの中腹に、大きな洞窟が見える。

 その洞窟の中には――神殿だ。

 大きな泉の奥に、かなり立派な神殿が見える。

 聖域――。

 魔力と、世界を支配することわり、その総本山。

 勇者達の目指す場所でもあるらしい。

 誰がどうやってこんなところにつくったのかは判らない。太古のことは判っていないのだ。

 ここで何があったんだ。

 そして今、始まろうとしているんだ。

 手の届かないそれは、オレを嘲笑あざわらうように通り過ぎて、遥か上方に見えなくなった。

 下を見れば海が近い。

 いや、遠近感がなくなって近いのかどうかさえ判らないが――船がある。

 大型船は二隻。おそらくどちらかにメイヘムはいる。

 どうやらバカンスに来たのではない。リゾートビーチとはいかず、浜と呼べそうなところは殆どない。

 波が断崖を打ち付け洗うような場所で、長年の堆積たいせきが作り上げたゴツゴツした岩場が少しだけある。

 そこに四機の黒くて平たい何か――写真で見たモートガルドの重戦車が並べられ、それを土台として上にやぐらのようなものを組んでいる。

 足場だ。

 奴らはここに、七、八百メートルも上の聖域を目指して足場を組んでいる!

 難攻不落のエストーア中立国の獲得を諦めて、こんな公共事業に乗り出したのだ。


「おい! なんだあれは! 飛んでるぞ!」

「撃て撃て!」


 気付かれた。

 バカバカ、撃つな撃つな――。

 下から光球やら弓矢やら銃弾やらが次々飛んでくる。

 総攻撃じゃないか。こっちは初心者なんだぞ!

 オレはひょろひょろとした動きで右へ左へ旋回を繰り返し、どうにか奴らの攻撃を掻いくぐる。

 勿論偶然だ。

 大きく旋回して船の船尾側を目指す。そこから乗船だ。

 高度を順調に下げてゆくと、大型船の機銃がゆっくりとこちらを向いた。

 ――バカか!? 常識で考えろ! 子供相手に機銃掃射なんて!!

 機銃のマズルフラッシュが激しく明滅を始め、僅かに遅れてドガガガガガという音が聞こえてきた。

 数百発に一発くらい入ってるらしい光弾の筋が、オレから離れた場所を通り過ぎてゆく。

 奴らも今まで撃ったなかで最も小物なのだろう、その狙いは最初こそ外れていたが――徐々に修正され、オレに近づいてきている。


(この野郎――!)


 思い切り背中の翼を傾けて、急旋回――すると激しく減速し、唐突に高度が下がる。


(――!)


 落差で気絶するかと思った。

 慌てて立て直したと思うと今度はどこを向いているか不明。視界には崖も船もない。

 やばい――パニック寸前だ。

 機銃の音を聞きながら、辛うじて位置のあたり・・・を付ける。

 後ろ、左斜め後ろだ――と再度旋回すると、もう船が近い。

 減速が――間に合わない。

 経験がなくとも判る。これは死ぬやつだ。

 せめて水に――水に落ちなければ――。

 オレは胸のところで固定したベルトを外す。

 即席の翼を離れて、オレの体は海へ落ちた。

 ドボン――ではなく、ドカンと激しい衝撃があって――オレは約一か月半ぶりにしっかり気絶した。


 

***



「おい、ノヴェル、起きろ。日が暮れる」


 オレが目を覚ますと、ジャックが居た。

 なんだか懐かしい場所――深海探査船キュリオスの内部だ。


「ジャック! 足がある! 生きてたのかお前!」

「自分の心配をしろ。まったく、初めてこの探査船で採集したのがお前とはな――」


 ジャックと会うのは久しぶりだ。


「間もなく日没だ。で――派手に空から登場したんだ。何か策を持ってきたんだろうな?」

「ああ。イグズスのハンマーを上から奴に落とす」

「バカな名案だ。バカだが名案だ。バカが考えたうち、たまたま出たような名案だ」


 バカバカ言うな。オレが考えたんだぞ。


「オレを船に乗せられるか? 奴の居所を正確につかんで、上に信号を送る」

「奴はあの船だ。この喫水だから甲板には上がれないが――船の位置だけじゃダメか?」

「メイヘムをこの目で見たわけじゃない。出来るだけ正確な情報を――待て。あの建設中の足場だ。オレを岩場につけてくれ。足場から甲板へ飛ぶ」

「蜂の巣にされるぞ。角度的に機銃は問題ないが、甲板には魔術師が多い。上から見ただろ」


 と、横からキュリオスの操縦士が「奥の武器庫に煙幕弾とランチャーが」と言った。

 それだ――とジャックとオレは同時に言った。



***



 敵船の死角を避けて、オレは岩場近くでキュリオスのハッチから出た。

 泳いで岩場へ上がり、重戦車によじ登る。


「いいぞ。やってくれ」


 キュリオスにあった替えの小型通信機で、オレはジャックに合図を送る。

「オーヴァーってのは言わなくていいのかよ」とジャックは言いつつも――攻撃が始まった。

 シュポンシュポンとキュリオスのハッチから煙幕弾が飛び、甲板上をパニックにしてゆく。


「敵襲だ!!」

「皇帝陛下をお守りしろ!!」


 いいぞ――既に辺りは黄昏たそがれだ。

 下からでは雲が厚く、また西は高地のせいでで太陽の位置が判らない。それでももう日没なのだ。

 オレのミッションに視覚は重要じゃない。視界が悪ければ悪いほどオレには有利。

 オレは足場の階段を上がって、船の高さに並んだ。

 そして船まで――跳ぶ。

 楽勝だ。

 と思ったがやはり勢い余って前のめりに転び、顔面で甲板上を滑った。

 船用のトレーニングをやっておくんだった――。


「侵入者あり!! 子供だとの報!!」

「正気か!?」


 ――ああ、同じことを前にも言われたよ。

 煙の中をバタバタと敵兵が動く。

 オレは身を低くして船首甲板を走ってメイヘムを探す。


「下がれ」


 新しい剣で濃い煙を切り刻みながら――再び奴は姿を現した。


「子供というから来てみれば――やはり貴様か、少年」


 大口を開けて呵々大笑かかたいしょうする。


「何。詫びよう。ここまで追ってくるとは――少し見くびっていたようだ。大モートガルド皇帝、西南王ディオニスとして相まみえようぞ」

「ふざけるな! 何が皇帝だ! お前にそんなことを言う資格はない!」


 資格とはこれか――と奴は冠を出した。

 ごつごつして悪趣味な冠だ。

 奴はそれを頭にいただき、甲板を突いた大剣のつかの底に両手を組み乗せる。

 それは不思議と――イグズスの鎧によく似合った。

 戴冠たいかんのメイヘム。


「名も知らぬ少年よ。ここで貴様に名誉の戦死を授けたいが、実を言うと着水の衝撃を吸収するのに、残りの魔力を全部使ってしまった。今日は少々疲れた。どうだ。楽に死んではくれぬか」

「どの口で名誉の戦死なんて言うんだ! 断る!」


 かかかか、と奴は笑った。


しかり。であろうな。ならば我が部下がお相手しよう。何、後世にはが直接討ち果たしたと――そう伝えてやろう。さて、見ての通り聖域に至るにはまだ幾ばくかの時間がるでな。余はそれまで眠ろうぞ」


 メイヘムはきびすを返す。

 煙の中、右と左から奴の部下が六人飛び出してきた。

 くそっ。


「メイヘム! 一つ聞いてないことがある!」


 奴は足を止めた。


「イグズスのことだ! イグズスはお前に――」


 言い終わらないうちに、奴は背を向けたまま手の甲をぶらぶらと二、三度振った。

 そのまま煙のなかへ消えてゆく。

 ――話すことはないってことか。


「くそやろう!!!」


 オレは全身の力を込めて怒鳴っていた。

 もういい。

 オレは小型通信機のボタンを押す。二回、三回、四回――きっかり一秒ずつ一秒間隔。それを――。

 五回。

 そして身をひるがえし、煙の中を全力で走って――海中へ逃げた。



***



 西の水平線に、太陽はもう半分以上沈んでいた。

 高地にかかった薄雲のため、赤い太陽の上弦がかえってハッキリと見えた。

 フィレム神はここにはいないが、きっと太陽が沈み切る瞬間を見逃さないだろう。

 どこかでその瞬間を、無感情な目で見詰めているはずだ。


「――来た。ノヴェル君からだ」

「位置は!?」

「三、四、五――五回の測定――二項分布を仮定して誤差を修正――誤差範囲適正」


 ノートンは三機の受信機に突き刺したプローブに直接触れて、端子間電位差の変化を感じた。

 電気の魔術師ならば、導通チェックくらい誰でも手でやるだろう。その応用だ。

 汗の出にくい耳や関節に固定した金属板。

 絶縁シートの上で、彼は必死に計算する。

 かたわらに置いた地図にコンパスで同心円を書き入れ、定規と鉛筆で直線を引いてゆく。


「判明した。このポイントだ。投下可能な位置と判断する。即座に投下にかかれ」


 ノートンの計算した放物軌道を描くよう、位置と角度を調整する。

 そのハンマーは禍々しく、しかし神々しく見えた。

 それはオーパーツ。

 歴史に名だたる勇者ののこした、残滓ざんしである。


「右側! ホイールローダー・アルファ! 百二十センチ引け! ――停止! そう! その位置だ! 切り離して投下姿勢へ!」

「ホイールローダー・アルファ、イグズス・ハンマーの切り離しを確認。クリア!」

「ホイールローダー・ブラボー、同じく切り離し確認! クリア!」

「行くぞ――三、二、一、投下!」


 赤いホイールローダー・アルファが前部バケットを下ろし、所定の速度に加速してハンマーを押す。

 ハンマーは崖に向けて少し動いたが――ホイールローダーの推進力ではそれ以上押すことができなかった。

 草原のような芝の上では、タイヤが滑って空転するのだ。


「――アルファ、空転しています! 重くて動きません!」

「ホイールローダー・ベータ、回り込んでアルファを後ろから押せ! 並んで押すと向きが変わる! 後ろからだ!」


 了解――とホイールローダー・ベータが押し手に回る。

 二台で押すと、車輪が地面を噛んだ。

 一気に速度を取り戻し――ハンマーを押し出す。

 イグズスのハンマーは海上の一点を目指し、ちていった。


「うわあああっ」


 前方の、ホイールローダー・アルファの前輪が崖を踏み外した。

 ガコンとバケットを含む前部を落とし、続けてすぐに全体が落下する。

 叫びをあげた乗組員は危ういところで脱出して無事だったが、ホイールローダー・アルファはハンマーの後を追うように回転しながら墜ちてゆく。

 イグズスのハンマーは回転もせず、振動もせず、真っすぐに――。



***



 甲板上――。

 メイヘムは足を止め、振り返った。

 ――はて。呼ばれた気がしたが。

 甲板は煙が濃い。侵入者は既に尻尾を巻いて逃げ去ったはずだ。

 ――あ奴の声がしたような気がしたが――どうやら今日は本当に疲れているようだ。

 まったく、勇者と王などを兼ねるものではないのだ――そう彼は少し自嘲気味に笑った。

 無能なる部下共は煙の中を右往左往しており、クリアリングごときに手間取っている。

 メイヘムは苛立つ。

 ――敗北主義者どもめ。どいつもこいつも使えぬわ。煙など吹き飛ばしてしまえばよかろうに。

 ふと上を見上げた。

 そこに何かが――。



***



 西の地平に太陽が沈み切る、僅か二分前。

 ロ・アラモ付近の海上、モートガルドの大型船は、上空から投下されたイグズスのハンマーの直撃を受けた。

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