29.3 「渇きとでも云おうか。哀れにも、勝利でそれが癒されるなどと信じておる」

「間もなくロ・アラモだ――」


 ジャックはキュリオスの中で海図を見ていた。

 深海探査船キュリオスは、攻撃にも使えるとはいえ多数の軍用船が相手では分が悪い。

 まずはモートガルドの船団の行方を確かめることにした。

 結局、敵船団を追うことにしたのはキュリオス・ワンを含む五機。残りは防衛用にベリルに残した。

 ポート・フィレム沖を南下して例の『魔の海域』に入ると、敵船団はオーシュののこした船の墓場に迷い込み、小型船を次々に座礁させた。

 夜間に通ろうとしたのが間違いの元だった。

 ようやく『魔の海域』を抜けると今度は別の脅威に見舞われた。

 南へ進んだところで、海上に浮かんでいる自軍の型と似た哨戒しょうかい船を見つけたのである。

 仲間は無事だった――と奴らは飛びついたのであろうが、その船は鈍く光っていた。リヴァイアサンの浮かべた疑似餌だ。

 海中から伸びた捻じれた触手に絡めとられ、中型船二隻を消失。

 今もその船はぼんやりと輝きながら、浮かべられて海を漂流していることだろう。


「まったく、運のねえ奴らだ」


 まるでツキに見放されていた。

 せっかく後を追っているのに、途中で全滅されては困る。

 もっとも、奴らがロ・アラモの御所へ向かっていることは予想されていた。

 予想通りロ・アラモに近づいた頃には、船は大型船二隻、中型船二隻、及び小型哨戒船を四隻残すばかりであった。


「見ろ、とんでもない崖だ――これはどこから登ればいいんだ?」

「御所はこの上です。高度千五百」

「それは知ってたつもりだったが――これほどとはな――」


 わずかに水面に船首を出して見る景色は、モートガルドともパルマとも異なる世界の姿だ。

 敵船団はそこで動きを止めた。


「よし、どうやらここだ。アンテナを海面に出せ。ノートンもいるはずだ。通信を試みる。チャンネルを合わせろ」


 了解、と操縦士は敬礼して操作パネルのボタンを押した。


「さて、こんな崖下で奴らは一体何を企んでいるのか――」


 パルマから来たモートガルド船団は、その崖下に停泊した。

 丁度、千五百メートル上の崖の上で大皇女アリシアが絶命した頃である。



***



 戴冠たいかんのメイヘムは、山に埋まっていた。

 己をおおった多量の瓦礫、石くれを取り除き、ようやく穴から出る。

 振り返ると自分の居た場所は月のクレーターのようである。


(やりおったわ)


 彼の言うところの肉襦袢にくじゅばん、鎧の内側を満たした黒い力であっても、その衝撃を耐えきることはできなかった。

 殆どありったけに近い魔力で相殺そうさいを試みたのに、痛みで体がバラバラになりそうだ・

 パルマの大皇女アリシア。

 かつて世界中の神を戦い従えたという最初の勇者にして救世の大英雄。


(衰えぬな――おぞましいほどだ。後ろから引導を渡しておらなんだら、おれでもまるで赤子のようだわ)


 眼前は高い壁にはばまれていた。

 回り込むよりほかにない。

 高地には低い雲がかかる。

 先ほどまでの晴れ間が嘘のように雲り、周囲を覆っていた。

 晴れ間――。

 大皇女暗殺は念入りに仕組まれた。

 壁を飛び越えることはできても、気付かれずに近寄ることは難しい。

 あの図書館が目隠しの役割を果たして、よほど山を登らなくては御所の様子が判らない。そうすると今度は距離が遠すぎる。

 図書館はおそらく敢えて造られたものだ。あれには御所側に窓が一つもない。

 更にはフィレムまでいる。

 アリシアが庭に出ている可能性の高い、客人のいる晴れ間を狙ってファンゲリヲンの傀儡くぐつを放った。門に邪魔者を集めたのだ。

 それでも首尾よくいくかは出たとこ勝負だった。

 歩くと鎧が落ち、黒い力が漏れ出る。

 ――忌々いまいましい。

 この力は、彼には懐かなかった。

 宇宙を生み出し、ソウィユノには質量を、イグズスには剛柔を与えたこの力も、メイヘムのものにはならなかったのだ。

 だからこうして鎧のうちに封じ込めて従えている。

 まるで自らの国のようだ。

 本当に忌々しい。

 何層にも造られた壁を避け、ようやく御所に戻ったメイヘム。


(さて――聖地――であるか)


 邪魔者を排した今、彼はようやく悲願の聖地の上に立っている。

 聖地はこの地面の下、およそ七百メートル地中にある。

 発掘かそれとも――否、計画はできているのだ。

 メイヘムは崖ぎりぎりまで歩き、下を見下ろす。

 魔力が足りない。

 アリシアの攻撃から身を守るのに使用した魔力はあまりに大きく、体へのダメージも立っているのがやっとなほどだ。

 風が強い。


「メイヘム」


 そこへ声がして、メイヘムは振り返る。

 小柄な子供が立っていた。

 十六、七。平均より背は低い。

 青みがかった髪。


「大賢者が孫よ。なぜまだここにる。答えよ。手短にな。返答次第ではり捨ててくれる」

「あんたを殺すためだ」

「なるほど。手短さは評価する。しかしおれもまだ殺されるわけにはいかぬのでな。命のやり取りをするか?」


 メイヘムは握った剣を持ち上げる。

 だが、その剣は根元から折れ、もう刃はなかった。柄のみだ。

 メイヘムはそれを投げ捨てると、軽く息を吐く。


「好かんがやむを得んな。かかって来い」


 ファイティングポーズを取る。

 少年はナイフを取り出した。

 だが相手の少年の、どうしようもなく腰の入らない構えを見て――その気も失せた。


めだ。時間の無駄である。己は多忙でな」

「どこへ行く」

「後回しだと言ったのだ。もう迎えが来ているのでな」

「逃げるな!」


 少年は――走ってきた。

 走りながら無様に構えたナイフを繰り出し、イグズスの鎧の隙間を突き刺す。

 ナイフは通ったが――メイヘムの本体には遠く至らない。


「くそっ」


 少年はナイフを手放すと、拳で鎧を打ち付けた。

 ゴガン、と鈍い音がして、少年は腕を押さえてうずくまる。


「魔術はどうした」

「そんなもの、オレにはねえ!」

「母親の腹に忘れて来たか? ん? どれ、己が探してきてやろう。どの売女ばいただ」



***



 オレは蹲って、傷ついた拳を懐に隠していた。

 奴が崖に来てくれたのはラッキーだ。

 今ならノートンの風魔術で、この鎧野郎を千五百メートル下へ突き落すことができる。

 日没までできるのはせいぜいそれくらいだ。戻って対策会議をしている余裕はない。


「メイヘム――お前、皇帝なんだろ」

「だったらどうだというのだ」

「お前が生きてると、モートガルドは滅ぶぞ。フィレム神がそう言ってる」

「はん。古の神が何を」

「冗談だと思うか? だからオレ達だって必死なんだ。『なぜまだここにいるか』って訊いたな。短い答えはお前を殺すため。長いほうの答えがそれだ」

「なるほどな。得心がいったわ。しかしモートガルドが滅ぶとして、なぜに貴様らが躍起になる」

「期限は日没まで。チャンスをやる。ここから跳べ。そうすればお前の国は丸焼けにならずに済む」


 オレは覚悟を決めて座り込み、顎で崖の向こうを示す。

 メイヘムは――少しの間、眉間に深いしわを刻んでいた。

 でもそれも本当に少しの間だった。


「――少年、冥途めいどの土産にいいことを二つ教えてやる。ここで聖地を押さえてあのお方に渡さなければ、燃えずとも世界はいずれ滅ぶ。すべての人間が死ぬ」

「信じると思うか?」

「大英雄からは何も聞かされていないのか? 大層な御身分だな。貴様こそ、あの古狸どもを信じるのか? 神をか? 神は人間が敵ぞ?」


 オレは何も答えない。

 揺さぶられたからじゃない。

 答える価値がないからだ。


「もう一つ。おれは、モートガルドという国が嫌いだ。国民が嫌いだ」

「――だから何だ? どうしても国の為に死ぬつもりはないって言うのか? そんな王が居るか?」

「好きで皇帝になったのではない。イグズスが親父を殺して、むなくよ。これも血なのだろうな。国が憎くて憎くて仕方がない」


 ――血?


「モートガルドはな、負け犬の国よ。何も賭けずにいくさをし、殺しても殺されても何も得られぬ。己の兄貴共もそうであった。戦争狂ばかりで勝手に死んだわ。何が名誉の戦死だ。名誉なものか」

「負け犬? 戦争には勝ってるだろ。国はでかくなったんだろうが」


 貴様らには判らぬか――と諦めたようにメイヘムは言う。


「判らぬだろうなぁ。自分と他人への憎しみ、怒り、苛立ち、怨み――いずれとも同じようで違う。砂漠の砂にも似ておる。渇きとでもおうか。哀れにも、勝利でそれがいやされるなどと信じておる。戦など手慰てなぐさみだ」


 見よ! とメイヘムは大声で言う。

 奴は、雲に隠れた水平線の向こうを見ていた。


「見よ、あのばらばらの国を! 戦で手に入るのは輝かしい未来などではない。まったく別のことわり、新世界だ。受け入れる度量がなければ、勝利など何の意味もない。昔のように奴隷にすることもできぬ。開放した奴隷にさえ、モートガルドの苦しみは病のように広がっていった。救いようもないわ。いっそ灰となれ。清々せいせいする」

「その負け犬の王がお前だ、メイヘム」

「そうである。だが己は勝ってみせる。この剣が折れようとも、魔力が尽きようとも、身を投げようとも、己は死なぬぞ!」

「――そうか。三つ教えてくれたな・・・・・・・・・――今だ、ノートン」


 オレは懐に隠した手を取り出す。

 そこに握ったノートンの小型通信機を見せた。

 お屋敷の陰から、ノートンとロウ以下、皇室の部隊が飛び出した。

 ばらばらと横に散って、距離を詰めながらメイヘムとオレを包囲する。


「メイヘム、いやディオニス二世! 手を挙げて頭に乗せろ!」

「お前を大皇女暗殺の現行犯で逮捕する! お前は黙秘権がある! 司法庁の定めに従い――」


 ロウがこちらへ詰め寄りながらそう宣告するが、ノートンが手を伸ばしてそれを遮った。

 ロウも負傷している。ハックマンにやられたのだ。


「逮捕はしない。権利もない」

「ノートン室長――?」

「超法規的処置だ。メイヘムをここで殺す。他に道はない。あの神はやると言ったら必ずやる」


 メイヘムを殺さねば、フィレム神の怒りに触れる。

 彼女は本物の神だ。

 まるで人間のように振舞っていたが、彼女を人間側に留めていた大皇女様はもういない。

 ノートンは掌をメイヘムに向けた。


「ぬあっはははは! しかり然り! 愉快である! 腰抜けめ! 遂にやる気になったか!」

「残念だ」


 メイヘムは――オレを見た。

 そしてこう言った。


「少年、時間を稼いでいたのは貴様だけと思うか?」


 そして――動いた。

 自ら上体を後ろへ逸らし、崖下へと――。


「――さらばだ!」


 メイヘムは落ちて行く。

 瞬く間に奴の姿は、雲に消えていった。

 後には風の音だけが残っていた。


「――死んだか?」

「千五百だぞ。いくら奴でも手負いだ。生きているわけがない」


 ノートンは、小型通信機を取り出してダイヤルを弄った。


「ジャック君。ノートンだ。メイヘムの死体を確認してくれ。――オーヴァー」

『何か落ちてきたぞ!? あれがメイヘムか!? ちょっと待て。オーヴァー』


 ジャックの声だ。

 下にいるのか?


『――救命ボートが向かってる。奴の部下どもだ。メイヘムは――生きてる。相当弱っているように見えるが、生きてる。オーヴァー』

「なんだと!? 本当か!? 確認しろ! オーヴァー」

『うるせえなあ。フラフラだが自分で立ってるよ。疑うなら自分で見に来い。オーヴァー』


 ノートンは頭を抱えた。


「なぜかは判らないが、失敗したようだ。日没まであとどれくらいだ。せいぜい一時間だ。ロウ君、ミラ君を呼んでフィレム神と交渉を。なんとか明日の朝まで期限を延ばしてくれ」


 ロウは了解しましたと言って走って行った。


「なんとかなりそうか?」

「望み薄だ。幸い、先ほどジャック君からの通信を受けた。彼はキュリオスで崖下にいる。敵艦隊は下で何か、足場を建造しているようだ。ジャック君達に任せるにもキュリオスでは――ああ、どうしたらいいのだ」


 メイヘムは二つどころか三つ、三つどころか四つ教えてくれた。

 魔力が尽きたのも事実だったのだろうが、身を投じても死なないのも事実だった。下へ逃げられるだけの魔力を稼いだのだ。

 考えてみればあいつが自分で崖ギリギリまで行ったのも――元々そのつもりだったとしか思えない。


「オレが下へ行って時間を稼ぐ。そうしたらここから何か、重いものを落とせるか?」

「下にはもうジャック君達がいる。そもそもどうやって下へ行くつもりだ。あと一時間ほどしかないのだぞ」

「――年に三百人くらいはやってるんだろ?」


 ロウに聞いた。

 人は何とか空を飛ぼうとして、年に三百人は墜落死していると。

 でもオレは一人だけそれを果たした人間を知っていた。


「――ゴアの真似をする」

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