29.2 「ノートンさん――後を、お願いします」
先に動いたのは意外にもノートンだった。
隠した掌に魔力を込めて、メイヘムの体の向き、剣の向きから予想される剣の動きを計算し――飛び出す。
体はノートンに対して左に四十度傾き、右手にした剣の剣先は地面へ向けられていた。
ノートンは勿論、荒事の得意なタイプではない。まして勇者と渡り合えるような力はない。
ロ・アラモへ来るまでは日頃体を動かしていなかったし、攻めても守っても眼鏡がずれる。
――そんな自分でも。
風魔術の生み出す推進力は人の限界を超え
だからノートンの左手は常に眼鏡を押さえている。
メイヘムが反応した。
剣を振るうのではなく、こちらにぶつけるように間合いを詰めてくる。
剣は見えない。見えないが――。
――右下の死角から振り上げる
ノートンはそれを予想して
「ほう」
ノートンは弾むような動きで剣を大きく
先ほどより距離を稼いでいる。
「動けるじゃないか、室長。二か月半、いや三か月。一度も動かぬ故、根が生えているのかと思っていた――ぞ!」
言い終えるより早く、メイヘムは飛んだ。
跳躍――。
ノートンは以前、船上でメイヘムの動きを見た。
だからノーモーションで飛び出す動きも知っていた。
メイヘムの跳躍は船から船へ、更には船のブリッジを裕に飛び超えたほど。
ノートンは空を仰ぎ、高く飛んだメイヘムの軌道を追う。
御所の高い塀も何の障害にもならない筈だ。
だが動きが大きすぎる。ノートンにこれを避けるのは
問題は着地後の切り替えの速さだ。
着地と同時に、奴は地上を滑るように間合いを詰めて切り込んでくるだろう。
剣の長さは一メートル七十センチ。
メイヘムの身長は一メートル九十センチ。彼がマーカスだったときは一メートル八十に満たないくらいと思っていた。
姿勢で低く見せていたのか――否。
ガシャンと金属音を立ててメイヘムが地面に着く。その目は真っすぐにこちらを捉えている。
そのまま
ノートンはその瞬間を見落とさなかった。
予測を修正。事前の予測よりも大きく身を引いて――。
〈ヒュッ〉
風を切る音。
首を狙った剣先を躱した。
眼鏡を押さえた自分の左手も計算に入っていた。
「――む?」
メイヘムはやや意外そうにした。
この一撃で決める、絶対に躱せないと思っていたからだ。
剣客なら熟練者ほどこの間合いを読めない――それが彼のセオリーだった。
ノートンも内心ひやりとした。
――間に合った。
通常ならもう二十センチ前でも良かったはずだ。
それが拳ほどの余裕もなかった。
(やはりな)
メイヘムは、自分の身長を伸縮している。
跳躍と衝撃吸収。そして飛び込み時の間合いの伸長。
全ては、奴の鎧の中で
マーカスの姿、奴の本体を知らなければ読めなかった。
メイヘムは大振りを外して硬直している。
反撃のチャンスだ。
だがノートンは更に後ろに飛ぶ。
(――奴に致命傷を与える攻撃方法がない)
ノートンが居たところを、戻りの
「ノートンさん! 大皇女様はまだ息がある!」
ノヴェルが叫んでいた。
大皇女はノヴェルに支えられ、こちらを
――意識がある。
「どうした室長。逃げてばかりではないか。曲芸は見事だ。海賊のほうが向いているのではないか?」
「挑発するな。お前こそ本当にそれで鼠が捕れるのか」
口の減らぬ男よ――とメイヘムは力を溜めた。
大地を踏みしめた両脚。両手で剣の
「気に
大皇女は――こちらへ向けて掌を
「そう、
ノートンは横に飛んだ。
大皇女が魔術を放っていた。
それは、大きな馬ほどもある巨大な火球。
いや、それは形を変えて――まさに馬になった。燃え上がる炎の暴れ馬。
馬は轟音を
直撃した。
それは振り返ったメイヘムの
ロ・アラモ鉱山の
続けて壁の向こうに、更に高い壁が何層にも立ち上がる。
壁は地面から直接
これも大皇女の、今度は土魔術だ。
「大皇女陛下!」
ノートンは、ノヴェルに抱えられて尚崩れ落ちそうな大皇女の元に駆け寄った。
「御無理を! 私があのまま奴めを引き付けておりましたのに!」
「――大技を使ってしまいましたのよ――何年ぶり――二百年ぶりかしら」
傷は大きくない。だが出血がひどい。
背中から剣を突き刺されたのだ。
「ノートンさん――後を、お願いします。ノヴェルさん、ゾディのこと、妹さんのこと、本当にごめんなさい。悪気があったわけじゃないの。――ミハエラと仲良くしてあげてね」
「喋らないでください! 止血します! ノヴェル君、陛下を連れて地下の書庫へ。私は応援を呼んでくる」
「
「何を仰るのです! あなた様こそが
「国の歴史は、私たち家族の歴史でもあるの。いいのよ、ノートンさん。いかに魔術で誤魔化しても、わたしたちは皆
「お諦めにならないでください! 陛下! あの書庫の中ならば、まだ望みはあります! 応急処置をして助けを待ちましょう! 私が呼んできますから! 必ずや、あなた様を救える者を!」
ノヴェル君、ここを押さえて、陛下を頼む――そう言ってノートンは立ち上がる。
「ノートンさん――もう――」
ノヴェルが首を振る。
大皇女は空を見ていた。
雨季の分厚い雲の切れ目、眩しいほど青い空をその瞳に映して。
「――夢、だったわ」
それだけ言い、大皇女アリシア・パルマはその長い生涯を終えた。
****
メイドを連れて戻ってきたフィレム神は、大皇女様の
瞬時には受け入れ
それは神らしくない姿だった。
定命の者の、それは宿命だ。大皇女様は非業の最期を遂げたが、それでもまだ幸せな方なのだ。神がそれを知らない筈はない。
勿論オレもショックだった。
それでも今はまだ悲嘆に暮れる余裕はない。
ハックマンの死も大皇女様の死も、オレ達にはまだ少しばかり早いのだ。
まずメイヘムをどうにかしなければ――。
ノートンは応援を呼ぶといって街へ走っていった。一人のほうが何倍も速いのだから、それは合理的な判断だ。
フィレム神は大皇女様の亡骸を連れて泉へ向かった。
合理的な判断からあぶれたオレは、所在なく神様について地下へ降りる。
「あなたもお逃げなさい、ノヴェル。ここに定命の者はあなただけです」
気が付いたらそうだ。メイドたちもフィレム神によって散らされていた。
でも逃げると言ったって、地下の書庫へは大皇女様の遺言で行けない。
「書庫へは行けません。フィレム神様こそ、まさか大皇女様を神にするつもりですか」
「アリシアほど石や惑星の組成に
判ってるじゃないか。大英雄は誰も復活など望んじゃいなかった。
この神は承知の上で大皇女様の望みを聞き、ゾディ爺さんを転生させたのだ。
「ならどうするんです」
「メイヘムは私が討ちます。見過ごすことはできません」
神罰。
それは可能なのか。して良いことなのか。
どうみても今のフィレム神は、神というより一人の友人として振舞っている。
今彼女が神の力を振るうことは、その神格に関わることのように思えた。
「――差し出がましいようですけど、それはやっていいことなんですか」
「善いか悪いか、それは神たる私の決めること。神罰はメイヘムのみに
火の雨を降らせたフィレム神だ。
やっぱり放ってはおけないじゃないか。
「フィレム神、勇者のしたことは人の問題です。オレ達でどうにかします!」
「いいえ、人の問題に留まりません。元を正せばこれは人と神との契約――神々の問題でもあるのです。しかしその犠牲は人に
「フィレム神! そうなのかも知れない! オレには判りません! でもチャンスを――人にチャンスをください! もしオレ達がメイヘムを倒せなければ、そのときは隕石でも洪水でも好きにすればいい!」
オレの必死の説得が功を奏したのか――フィレム神は少しだけ落ち着いたように見えた。
見た目では判りにくいが、目の奥に灯った復讐の炎が小さくなったように感じたのだ。
「日没まで待ちます。日暮れまでにメイヘムを討ちなさい。そうでなければ、二度と夜は来ません。大陸は千年燃え続け、世界から夜が失われるでしょう」
はぁ?
今はもう午後だぞ。日没までもう二時間もない!
「あれなる不浄の者をこの聖域に入れることは
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