23.3 「契約――否、法則かのう。『第二法則』だ」

 皇女ミハエラは玉座の肘置きに片肘をつき、目をおおっていた。

 民王シュミット奪還作戦は失敗に終わった。

 処刑は実行され、部隊も大勢を失った。

 そしてジャックも敵の手に落ちた。

 無数にある建物のうち、潜伏場所がいとも簡単に割れてしまうことは想定外だったのだ。

 ブラフとして配置した別の部隊には手つかずで、ジャックとジャックをサポートしていた部隊だけが的確に攻撃を受けた。

 シドニアは、ジャックと引き換えにシドニア王朝の成立を公認せよと迫っている。

 今度ははっきりと交換条件を示して脅迫してきたのだ。

 今やシドニアは王冠さえ持っている。

 ここで皇女がシドニア王朝を公認すれば、それは事実上の敗北を意味した。

 当面、神聖パルマ・ノートルラント王国としての体裁ていさいは変わらない。

 だがジャックの言う通り、国政の半分を手に入れただけでシドニアが満足するとは到底思えなかった。


『――あんたは、ご自分の高邁こうまいな良心のために、全ての国民を危険に晒そうとしてる』


 ジャックは自分と引き換えに皇女が国を売ることを、決して良くは思わないだろう。

 ――わたくしは。


「わたくしはどうするべきなのでしょうか」


 ノートンもジャックもいない。

 皇女の投げた問い掛けは誰もいない謁見えっけんの間に落ち、誰に届くこともなかった。


「――母様、お婆様」



***



 ノートンは何かの部品の山をかき分けて、座る場所を作った。


「ご婦人方にはあんまりですが、こちら男所帯でね。ろくな茶もありません。マーカス君、例の茶を出せそうか?」


 マーカスと呼ばれた男は、お湯を沸かしに席を立った。


「こんなところにまで探しに来られるとは……。いえ、もうしばらく音信不通が続いたらそういうこともあるかと思いましたが、私の予想ではもっと早く復旧するはずでした。ここには資材が山ほどあるのだし」

「余裕じゃねえか。心配して損したぜ。じゃああたいらは別の用事あっからよ」

「ミラさん、ノヴェルさんが合流しなければ、その、御所には――」

「おっと、ノヴェル君も来ているのか?」

「それが――」


 セスはベリルが襲撃を受けたこと、ここまでの道中イグズスとファンゲリヲンの妨害があったこと、ウェガリアでノヴェルとはぐれたことなどをノートンに話した。

 ベリルが大変だと聞いてノートンは酷く狼狽うろたえたが、皇女が無事と知ると一気に落ち着いた。


「イグズスか。それは厄介だな。奴には弱点がない」

「調査不足かよ」

「そうかも知れないが、調べた限り奴に弱点があるとは思いがたい。完全無欠、まさに無敵の超人だ。君達も見たなら判るだろう」

「防衛線は万全でした。メガマシーンを投入したのです。ですが、イグズスはあろうことか子供たちを盾に――」

「そういうところを含めて無敵だと言っているんだ私は。見た目でオツムが鈍そうだと思ってはいけない。あいつは抜け目がない」

「見た目がアテにならねえことはオーシュでりてるからな。で、オマエの方は一体どうしたんだ」


 意識のある状態では数度しか会っていない。

 オマエと呼ばれたノートンは「オマエ、オマエか」と反芻はんすうし、「まぁ悪くない」と受け入れた。


「実は御所で調査中、突然この中継所が何者かに破壊されてしまった。連絡がとれないと困るから急ぎ修理を始めたわけだが、修理できる人間は私しかいない。もう少しで修理完了――というところで、またしても破壊されてしまった。それで私はまた直した。そうしたらまた壊された。それの繰り返し――何回だったかな?」

「私の知る限り四回で」


 マーカスがお茶を持ってやってきた。


「お陰で調査の進捗は無し。皇女陛下に合わせる顔がない。このままここに骨をうずめようかと思っていたところだ」

「犯人に心当たりは?」

「あるわけない。ウェガリアはここロ・アラモ鉱山を含めて友好的な土地だ。人々は素朴で皆、温かい」


 ノートンは、「温かい」のところを強調し、マーカスのほうを見た。

 マーカスは「さようで」と笑った――のかどうかは、ひげまみれで判りにくかった。

 ぼさぼさに伸びた頭、むさくるしい髭、ただ風体の乱雑さとは裏腹に酷くせた男だった。お茶を配るその腕も枯れ木のようである。

 彼も流れ者であり、ロ・アラモ鉱山に辿たどり着いて世話になっているらしい。


「彼はマーカス君。鼠駆除業者だったそうだ。今は助手を頼んでる。呑み込みが早くてなかなか筋がいいよ。君、これを機に電気魔術を学びたまえ。見た目はむさいがこれで炊事など家事もこなすのだよ」

「はい、兄が五人おりまして」


 むさいのはお互い様である。

 聞けば鉱山仕事にはとても耐えられず、ここでノートンの助手にありつけて随分助かっているらしい。

 他の調査員は三人。御所にはいられないため、皆ロ・アラモ鉱山の町で待機中らしい。

 彼らとマーカスの四人で中継所の見張りをしていたのだというが、それでも中継所は繰り返し壊されてしまった。それだけの人数ではまだ死角が多いのだろう。

 朝になると鉄の箱を叩き潰されていたり、鉄塔を折られているという有様だった。


「まぁ、元気そうで何よりだぜ。ジャックも結構心配してたんだぜ?」


 ははぁとかうはぁとか、ノートンは中途半端に笑った。


「あの怪我人にまで心配されるとは私も焼きが回ったものだ」

「直るまで待ちてえとこだが――敵さんはそんなに待ってくれなさそうだぜ」


 ノートンが「イグズスか。困ったものだな」と暗い声を出す。


「ああ。ここへ来るだろう。あいつはグラスゴからウェガリアまで二十時間で来た。ここへはどれくらいかかる?」

「私の予想だとウェガリアから十二時間」

「いいや八時間で来るね」

「昼過ぎにウェガリアまで来たばかりなんだろう? 四時間の休憩が必要だ」

「そっか。じゃあ十二時間。明日の早朝四時か五時。それまでに直るか?」

「ははは。とても無理だ」

「御所へ逃げられねえか?」

「イグズスが来るなら御所へは行けない。あいつを誘導するようなものだ。御所へはイグズスを撃退してからだ。これだけは譲れない」


 じゃあ、とセスが口を挟んだ。


「ここで掘削機械を借りられますか? ここで奴を迎え撃ちましょう」


 ――それしかありません、と彼女はきっぱりと言い切った。

 ミラは何か言いたそうだった。

 マーカスが淹れたお茶は、色といい舌触りといい、鉄錆のようであった。



***



 オレとロウは、馬車でロマン街道を爆進していた。

 合流地点のロ・アラモ鉱山を目指している。

 御者はハムハットだ。チャンバーレインにこっぴどく殴られ、彼は二度とオレ達のことを嗅ぎまわらない、記事にしないことを誓わされた。

 ロウはハムハットが馬車を動かすことについては猛反対した。今でも不満そうだ。

 でも代わりの御者を探す時間がオレには惜しかった。

 オレだってハムハットのことは信用できないが、記事にするしないはどうでもよかったし、向かう先に事件がある以上奴は絶対に辿り着く。

 その点では他の誰より信用できた。


「本当に明日まで待たずに良かったのですか。このままいけばイグズスに追い付いてしまいます。そうなった場合――」

「わかってます、ロウさん」


 オレ達がチャンバーレインの邸宅を出たとき、ウェガリアの街にはもうイグズスの姿はなかった。

 防衛線は突破されてしまったのだ。

 ならばどうしてもイグズスより先にミラ達に合流する必要があった。


「イグズスを倒すヒントを、先にミラ達に届けないと――。何としても」


 イグズスに勝ち得る情報――そんな大層なものじゃない。

 結局、爺さんとチャンバーレインが二百年前に何をしたのかは訊き出せなかった。

 世界の危機を救ったとか、御伽噺おとぎばなしに言われるようなこと以上は何もだ。

 その点についてはチャンバーレイン自身、他の英雄の生き残りに口止めされているらしいのだ。

 ゾディ爺さんでもチャンバーレインでもない、他の生き残りがいる。

 チャンバーレインは証書を持たせてくれた。


「これを最後の生き残りに見せなさい。後はあいつが判断するだろう」


 でもチャンバーレインは勇者については教えてくれた。


「鍛冶屋のイグズス、放牧のソウィユノ、鎧男メイヘム、風のゴアあたりは古い。その辺のことなら多少は知っとるよ」


 オレの知るのと二つ名が異なる。


「七勇者はあと三人……。オーシュはもう倒した。ファンゲリヲンは昨日見た。あと一人……」

「七勇者? ああ、新世代の勇者だな。上手くはいっとらんようだが」

「新世代?」

「知らんのか。この二百年間にも、勇者と呼ばれる連中はおった。まったくどこから書き集めたのか、七人も一堂に会するのは初めてだがな」

「奴らは一体何なんです」

「何って勇者だよ。勇敢さと力を併せ持ち、人の世を救ってきた。――だがそれも過去の話だ。あの男・・・はやり方を変えよった」

「それってどういうことなんです。世を救ったって? そんなのとても信じられない」

「――それは儂の一存では言えん。言っても理解できぬだろう。儂らに約束があるように、彼らにも約束がある。誰も逆らえん大きな約束。契約――否、法則かのう。『第二法則』だ」


 ――聞いてみるがよい。第二の法とは何か、と。

 オレは馬車の中で、チャンバーレインの言葉を思い出していた。

 窓の外の風景は想像を絶する。

 高地の上の更に高地。テーブルマウンテンの上に高々とそびえる鉱山が、ロ・アラモ鉱山だ。

 そこへ至るロマン街道は、ただの尾根などではなくてまるで長城の壁だ。

 天然の壁の上に道を作ってしまった。そんな感じだ。


「こんなものか!? もっとスピードを出せ! ハックマン!」


 ロウは思い切り怒鳴った。


「大人しく掴まっててくれ! 命の保証はないぞ! こっちだって六頭立てなんて初めてなんだ!」



***



 潰滅かいめつの名を持つ勇者、イグズスは道に座り込んでいた。

 山脈を越えての行軍だ。

 足のダメージはまだ回復しておらず、休みたかった。

 ましてお荷物を四十個ばかり抱えている。


「イグズス! 早く鉱山に行こうぜ!」

「ロ・アラモが見える! 早くあの山の天辺に上りてえなあ!」


 ――お前ら。

 そしてこのお荷物は、どれもうるさくて手間がかかった。


「なぁお前ら。もいっぺん聞くぞ。本当におれが怖くねえのか」

「怖くねえって言ったろ! 恰好いいよ!」

「――ほおか」


 モートガルド大陸では、どこへ行ってもイグズスは恐れられていた。

 子供だろうと軍人だろうと、巨人だろうと小人だろうと同じ。彼を見て縮み上がらない者は一人としていなかったのだ。

 せいぜい、あの皇帝ディオニスくらいのものだった。

 イグズスは思い出していた。


「――旅は道連れっていうんだっけか。でな、お前らは道連れか」

「知らねえ! 旅なんかしたこたねえもん!」

「ロードリンで生まれたら一生ロードリンだ! せいぜいルセッタの往復だ! 親父もお袋もそう言ってる!」


 いちいち声がうるさい。小さいのに耳の中で何度も反響して、頭蓋に響く。


「――ほおか。わかったから耳元で叫ぶな」

「無理だ! 肩に乗ってんだもん!」


 殆どの子供たちは道中調達したキャラバンに乗せていた。

 邪魔だから自分で歩けと言い、子供たちも従ったのだが一時間も歩かないうちにへばってしまったからだ。


「そんなに村が不満ならよ、何で生きてる? さっさと死んじまえばいいじゃねえか。おまえらは死ねる。死んだっていいんだ」

「死ぬのは年寄りだ! 俺達はまだ死なねえ!」

「楽しいもん!」

「――楽しいってなんだ」

「こういうことだよ!」


 イグズスにはよく判らなかった。


「年寄りは死ぬんだろ。なら別にいつ死んだっていいじゃねえか。長生きしたっていいことなんかねえぞ」

「よかねえよ! うちのひい婆ちゃんなんか八十の誕生日まで生きるって張り切ってるぞ!」

「誕生日――?」

「その人が生まれた日だよ、イグズスさん。大切な日。親戚皆で祝うの」

「ガキばっかりじゃなくてか?」


 子供達が口々に「そうだ」と言い張るので、イグズスは「はぁ~」と息を吐いた。


「誕生日には何をして祝うんだ。ケーキとかいうのを出すんだろ? 他にはどうする」

「ハッピーバースデイ! って言って皆で祝うんだ」

「ケーキも食べる」

「ああ? ケーキってのは石だろ。石なんか食うのか? 本当によくわからねえな」

「石じゃねえ! 甘いんだ! ナイフで切って皆に分ける」

「なんで分けるんだ? 誕生日ってのは、一人一人違うんだよな? それとも全員同じ日なのか?」


 ちーがーう! と子供達は怒った。


「イグズスさん、誕生日祝ったことないの?」

「俺たちが祝ってやる。いつだ?」


 知らねえとイグズスは答えた。

 本当に知らなかったからだ。


「やれやれお前らと話してると頭が痛くなってくるぜ。でな。もっぺん聞くぞ。お前らは道連れか? おれと一緒に――」


 イグズスがそう訊いたとき、ふと街道の下から走ってくる馬車が見えた。

 速い。

 六頭立てで全速力だ。


「――おい! お前ら! 何か来たぞ!」


 きっとおれを殺してくれるって言った奴だ――。

 イグズスはそう言って、嬉しそうに立ち上がった。

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