23.2 「ネタバラしをするな!」

 その爺さんは、暖炉の火に当たりながら安楽椅子に座っていた。

 そしてオレとハックマンを見るやいなや、立ち上がって鋭い右ストレートをハックマンのあご先にお見舞いし、ダウンを奪った。

 とても「間もなく死ぬ」と言われた爺様とは思えない見事な一発だ。


「ハックマン! まったく! 貴様と言う奴は!!」


 殴った手を痛そうに撫でながら、爺様は更に声を荒げる。


「何度出入り禁止だと言わせるつもりだ! 言葉の意味がわからんのか! 破門と言わせたいのか! 入門させておらん!」

「ふ、ふひはへ」


 すみませんと言いたいのだろうが、膝から崩れ落ちたまま顎を押さえている。


「何が見舞いだ! 訳のわからん小僧を連れ込みおって!」


 憤懣ふんまん遣る方ないというか、一撃浴びせても少しも老人の怒りは収まる気配がない。


「不出来な弟子が迷惑をかけた。いや、この男は弟子でも何でもない。アカデミーの教え子だったが成績も悪く、ろくな就職先がなかったのだ。新聞などに行きおって、不幸の尻を追っかけておるのだ」


 親でも師匠でもないのによくそこまで悪く言えると思う。日頃からよっぽど手を焼いているのだろう。

 早く死ねとでも言い兼ねない勢いは本物だ。

 オレは見かねて弁解した。


「いえ、オレなんかより世の中全体に迷惑をかけています。今更殴ってどうこうなりません」


 返す言葉もない、と爺様は唸って、一旦のところまた安楽椅子に落ち着いた。


「失礼した。儂はアストン・チャンバーレイン。物書きをしておる」


 やはりどこかで聞いた名だ。


「オレはノヴェル、ノヴェル・メーンハイムといいます」

「メーンハイム……」


 老人は安楽椅子一杯に体重を預けて天井を仰ぐと、やがて驚いて上半身を起こした。


宿無亭やどなしていにいた子供か! ポート・フィレムの!」

「確かに、オレは宿無亭の下男です」

「じゃあお主、マーリーンの……」

「孫……らしいです」


 聞けばチャンバーレインは、十年ほど前にも宿無亭を訪れたのだという。

 オレとも会ったらしいが、オレのほうは小さかった。さすがに覚えていない。


「そうか――マーリーンは逝ったか。儂も早く楽になりたいと思うて隠棲しとるが、一向に死ねん。こんな老いぼれを、まだ世界は必要としているのか」

「あの、うちの爺さんとは」

「昔馴染みだよ。マーリーンとは色んなところを回って旅をした」


 ハックマンが「その旅とは」と訊くと、チャンバーレインはハックマンの膝頭を思い切り蹴りつけた。


「お前は黙っておれ」


 うずくまるハックマン。


「ノヴェル君。お主にはいずれ判るだろう。お主の爺は何者だったのか。何を考えてどうしたのか。そればっかりは、儂の口で説明しても意味がない。信じておらんのだろう?」


 オレは小さく頷いた。


「無理もない。そこのハックマンとて、外じゃあ儂のことを法螺ほら吹き爺と呼び、言うに事欠いて師の名前を使ってゴシップ誌に三文記事を書いておる。そうだろう、ハックマン。ん?」


 老人が朗々と罪状を読み上げる間、「滅相もない」とか何とか抵抗していたハックマンは最終的に委縮し、座り込んだまま小さく「はい」と言った。

 そうだ。チャンバーレインとはハックマンの別の筆名だ。恩師の名で売文とは。酷い話もあったものだ。


「だが強くは言えん。儂もこやつよ同じよ。皮肉なもんだ。このハイエナは儂の悪いところだけを継いでしまった。儂の授業の何を聞いていたのか」

「――チャンバーレインさん、あんたは一体」

「巨人開放の父などと呼ぶ者もおるが、逆だ。儂は巨人を縛り上げた張本人。諸悪の根源だ。お前も聞け、ハックマン」


 老人は遠くを見るようにして、自ら罪の吐露を始めた。


「大きな問題がひとつ片付いた後だ。今から百五十年ほど前、儂はマーリーン達と世界を回ったとき、見聞きした未知の文明について本を書いた。馬鹿な本だ。生意気にも『前世紀の総括』と名付けた。儂はくだらんと思って書いたが、丁度世の中、博物学というものが出てきておってな」


 博物学。

 それはかつて大流行した、学問のようで学問ではないものなのだそうだ。

 世界にある奇妙なものを殊更ことさら煽情的に紹介し、奇異の視線に晒すものだった。

 全員裸の部族とか、おかしな成人の儀式とかそういうものだろうか。

『――エキゾチック!』

 当時の貴族社会や資本家達は、異国情緒エキゾチックと言ってはそうした異国の文化・文明を興味の対象として消費・・したのだという。

 オレにはこの爺さんのいうことは良く判らない。

 未知の文化や文明に心がおどる気持ちはわかる。

 それを消費するって?


「たとえば川で五歳と十五歳、二人の兄弟が溺れていたとしよう。親はどちらを助けるだろうか」

「五歳のほう?」

「それはなぜだ」

「十五歳の方は自力で泳げるかも知れないでしょう? 小さいほうを助けるのが当たり前だ」

「ところがある種族は、迷わず十五歳のほうを助ける。我々の尺度だとそれは変に思うだろう。だが彼らは違うのだ。十五歳のほうはもう子供を作れるし、育ててきたコストも三倍多くかかっている。年長者を助けるのが合理的なのだ」

「そりゃあ非人間的じゃないのか」

「それも我々の尺度だよ。十五年育てた子供を見捨てるのが人間的と言えるか? こういう話を書くと、読んだ人間はその種族に奇異の目を向け、ある者は野蛮だと断じる。我々は自分たちのほうが文明的だと勘違いして、優越感を得る。それこそが消費だ」


 ろくでもない、そんなものが大流行りしたのだ、と老人は溜息をく。


「その、最たるものが巨人族だ。儂は巨人について、沢山のことを書いた。人々は喜んでそれを読んだ。それで終いのはずだった。ところが――」


 なぜか百五十年経って、その本を見出みいだした者がいたのだという。

 初代ディオニス王。モートガルドの皇帝だ。

 彼はこの老人が書いた巨人の本から、巨人について都合のよいところだけを抜粋して野蛮な巨人像を作り上げた。


「ディオニスは、南方大陸進出のため巨人が邪魔だと考えおった。だが巨人には並大抵のことでは勝てん。当時の巨人は結束力が強く、魔力でも力でも敵わなかったのだ」

「それで――巨人を野蛮人だと?」

「さよう。奴らは巨人差別を始めた。巨人の文化・文明は失われ、それは巨人たちの全てを破壊することになってしまった」


 ちょっと待ってくれ、とオレはあえいだ。

 ついていけない。差別などであの巨人に勝てるのか?

 オレは否が応にもイグズスの歪んだ巨大な笑い顔を思い出す。あんなのは巨人族でも異例中の異例だ。代表にするべきじゃない。

 それでも――。


「勿論、一方的に差別しても効果は薄い。ディオニスはまず、巨人に仕事や教育を与え、彼らの村を、家族を破壊した。奴は儂の本から削除したが、儂の本を参考にしたことは間違いない」


 グローバル化、近代化、そうした融和政策を推し進め、それは巨人の家庭を破壊したのだそうだ。

 父は働きに出、子供たちは学校に通い――それが良いか悪いかは何とも言えない。だってオレにはどっちもできなかったことだ.

 でも巨人が進出すればするほど、外社会との軋轢あつれきが浮き彫りになった。

 それこそ初代ディオニス王の狙いだったのだ。

 モートガルド社会は、すぐに巨人差別を始めた。

 街へ出て、差別されて挫折した巨人にとってもう帰る家はなかった。

 村も――なくなっていたからだ。


「再開発を理由にな。巨人は住む場所を追われ、どんどんと大陸の僻地へきちに押し込められていった。モートガルドの作った学校やら病院やらはな、とんでもない山の中に建てられたものだよ」


 巨人たちの苦境をよそに、モートガルドの巨人差別は苛烈かれつさを増していった。

 沢山の学者が巨人を悪く書いたのだ。


「優生学。モートガルド人は我らこそ未来を約束された『約束の民族ガーディアン』であると信じ、人種で差別することを正当化しおった。演劇、美術、音楽。あらゆるものがモートガルド人を賛美し、巨人を野蛮で狂暴な亜人であると唄った。儂の著作はどちらにも利用された」


 老人が書架から取り出した一冊のふるい本。

『約束の民族』と題されたその薄い本は、表紙に子供っぽくつたない絵が描かれていた。


「えっ、表紙に、絵?」

「これはな、君くらいの子供向けの読み物だ。全然流行らなかったが、空想科学読本というジャンルを作ろうと思っておった。モートガルド人が巨人より優れているとか、そんなことは書かれてはおらん。勿論、モートガルドで売るために少しは褒めたがね」


 チャンバーレインはその本を開き、一文を朗読した。


 砂漠の土を積み上げてごらんなさい。月まで届くように。

 できないでしょう?

 でもそれができる人がいるのです。砂漠の民は、あなたにはとても想像もつかないような魔法を使って、月まで届く高い塔を建て、欠けた星空に新しい星を飾ろうとしているのです。


「当時のモートガルドは北部の小国。欠けた星空は見えん。でもあそこには砂漠があった。砂漠の月――モートガルドの国旗だ。奴らの国旗に星が増えるたびに、儂は身を引き裂かれそうな思いがした」

「師匠、でもその本では、星を奪ったのは巨人だというふうに続きます」


 ハックマンが恐る恐るそう言うと、チャンバーレインは「ネタバラしをするな!」と一喝した。


「大きな人だとは書いた。巨人種のことではないわ、たわけめ。大体儂がそんな出鱈目でたらめを書くわけがなかろう!」


 何となく、含みのある言い回しだとオレは感じた。

 南の空――オレも初めて見た。

 確かにその南天の一画には、星がなかったのだ。

 それは歌でも読み物でもない。事実だ。

 確かに星のない、真っ暗な穴のような空間をそこに見た。


「チャンバーレインさん、あんたは巨人が星を奪ってないと、そう断言できるんですか」

「――勿論だとも」


 チャンバーレインは少し襟元を整え、息を大きく吸った。


「だって儂とマーリーンが戦ったモノこそが、あの星空を破壊したモノだもの」

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