23.4 「死の王に取り憑かれてしまったのだ」

「おい! イグズスだ! ハックマン! 鞭を打て! 加速だ!」

「やってる! 全速だ!」


 イグズスが見えた。

 奴は街道にキャラバンを停めていて、その傍でやおら立ち上がった。

 道幅は七、八メートル。追い越すことはできそうだ。

 イグズスはどうやら驚いているようだ。オレが後ろから来ることは予想外だったのかも知れない。

 キャラバンはおそらく子供達だ。そこに子供達を詰め込んで運んでいるのだ。

 オレはチャンバーレインの言葉を思い出す。

 彼はイグズスについても詳しかった。

 イグズスは土魔術のエキスパートで、鍛冶職人なのだそうだ。あのハンマーも自分で作ったものらしい。

 色々な話を聞いたが、オレの関心は主に奴を倒すための情報。

 当然、オレはイグズスの弱点について聞いたのだった。


「――弱点? 巨人の弱点は足だ。骨格は儂らと変わらんから、体重を支え切れず膝と足の裏がダメになる」


 そういう長生きの秘訣みたいな話じゃなくて――とオレは老人に食い下がった。

 チャンバーレインは暖炉の前の安楽椅子で、面倒くさそうに言う。


「さっきも言ったが、そんな押せば死ぬツボのような弱点があるわけはない。ガラス細工じゃないのだ」


 でも彼はしばらくふっと静かに物思いを巡らせ、唐突に口を開いた。


「だが巨人は皆もろい。体は強いが、精神はすっかり弱くなってしまった」

「精神――?」

「生きることについての考え方が、我々と根本的に変わってしまった。長く差別され、巨人たちは生を呪った。死の王・・・に取りかれてしまったのだ。それが彼らがおちいった反生殖主義だ。とりわけ子供を憎み、ネグレクトを繰り返すようになった」


 見ちゃおれんかったよ、と悔しそうにチャンバーレインは吐き出した。


「彼らの家を見た。子供たちだけで、獣のような生活をしておった。大人達はどこへ行ったのか聞こうにも、言葉が通じないのだ。何語とかそういう問題ではない。彼らには言葉という概念すらない。彼らは我々を恐れ、逃げ、そして次々と崖から――身を投げた。それはもう、何の躊躇ちゅうちょもなく、次から次へと――」


 チャンバーレインは何人かの巨人の子を保護し、ウェガリアに連れ帰った。

 ウェガリアには鉱山という働き口があったわけだ。

 それだけじゃない。


「儂はな、このウェガリアで巨人が暮らすための下地を作ってきたのだ。ペンなど何の力も持たなかった。モートガルドの振るう力に、彼らの心は負けてしまったのだ。そのハックマンなどはよく『ペンは剣よりも強い』などとうそぶくが、そんなわけがあるか。だがもしそうなら、彼らをここまで追い詰めてしまったのは、元を辿れば儂のペンだ。そうは思わんか?」


 オレは彼の問いに何も答えられなかった。

 代わりに、オレはたずねた。


「イグズスも――そうだと?」


 オレが列車で、イグズスに殺してやると啖呵たんかを切ったとき、奴は嬉しそうにした。

 オレのほうは何か考えがあったわけじゃない。売り言葉に買い言葉。空手形だ。

 もしかするとそれは――奴のほうは本心だったのか?

 何の躊躇ためらいもなく列車の乗客を皆殺しにしたのももしかして――。


「イグズスは死にたがっている?」

「かも知れん。だが現実として奴はまだ生きている。何十年もな。奴を生かし続けるものは何だと思う?」

「生存本能?」

「普通はな。だが巨人の子らにはそんなものはなかった。そして今では絶滅寸前だ」

「じゃあ――勇者だから自分の意志では死ねない? いや、違う。勇者だって死ぬんだ。なら、なら死ぬよりも――やるべきことがある?」


 死ぬよりもやるべきこと。

 それが何だって言うんだ、と今にしては思わなくもない。

 でもチャンバーレインとその話をしたとき、オレはやっと奴の弱点を見つけた気がした。

 普通の方法では倒せない。奴の体ははがねのように重く、硬く、柔軟だ。

 しかしその心は海風に舞う白い泡――波の花のようにはかない。


「ノヴェルさん! しっかり! しっかり掴まって!」


 ロウの声。

 はっとした。

 不意に現実に逆戻りすると、馬車の激しい振動がよみがえってくる。

 ――そうだ。オレ達はそのやたら硬い肉の体に向けて馬車を走らせてるんだ。

 前を見た。

 イグズスまであと五十メートルもない。


「避けろ! ハックマン!」

「無理――馬が、言うことを聞かな――」


 ハックマンには制御できないのだ。

 イグズスはオレ達を見て、待ってましたとばかりに腰を落として捕まえる姿勢をとった。

 何が『心は泡のように儚い』だ。体は鋼じゃないか。

 それに突っ込んでいくなんてオレ達は馬鹿だ。

 しかし――そのときだった。

 キャラバンから子供たちがバラバラと飛び出した。

 彼らは一瞬だけ互いにうなずきあい、まるで訓練したかのように統率された動きで――壁を作った。

 あろうことか、イグズスを守るように並んで自ら壁となったのだ。

 全く、僅かな迷いの片鱗へんりんもなく胸を張って。


「――!?」

「ハックマン!!」

「うあああああっ!!」


 ハックマンは力の限り叫んで、手綱たづなを引いた。

 あと二十メートル。

 奇跡的に、馬車の軌道は少しだけ横を向く。

 街道は決して狭くない。でもこうなると避けられるほどは広くない。

 その街道幅一杯に子供たちが広がって、どこへ曲がろうとももう子供を跳ね飛ばしてしまうのは避けようがない。

 街道から飛び出して崖下にダイブか――。

 子供を跳ね飛ばして進むか――。

 あと十メートル。


「もうだめだあぁぁっ!」

「飛べ! ハックマン! 崖下へ飛べ!」


 オレは力の限り「飛べ!!」と叫んでいた。

 オレは子供を盾にするような奴とは違う。

 一か八かでも飛んで見せる。今までだって飛んできた。

 だが。

 眼前で、イグズスがその太い腕を振った。

 ハンマーは握られていない。

 力強いその腕は、左から右へと、街道に飛び出した子供たちを――。

 ――救った?

 子供たちの壁が途切れた。

 馬車は、その壁の隙間を抜けてイグズスの横を通り過ぎた。


「は」

「や」


 オレとロウは、それぞれ一文字ずつ発声して、馬車の床に倒れ込んだ。


「……や、や、やりました。あ、あ、あぶなかった。なんてことだ。なんて、本当になんてことだ」

「は、話が違う。ど、どうして、どうしてイグズスが――」


 潰滅の勇者は遠ざかってゆく。

 子供たちは飛び上がって喜んでいた。

 自分と他人の生を心から憎むはずの潰滅かいめつの勇者・イグズスは、なぜか自ら盾にした子供たちを救った。



***



 セブンスシグマは早馬が運んできた手紙に目を落とし、「残念だ」と言ってそれを畳んだ。

 ジャックは「ふん」と鼻を鳴らす。


「だから言っただろ。姫さんは俺を見捨てるって」

「――もう少し、悩んでくれると思ったんだけどね。君だってそう思ってたろ?」

「織り込み済みだ。あんたの良心の呵責かしゃくのために国を売るような真似をするな! ってな。姫さんはあんたの王位継承を認めねえ。冠は無駄だったな」


 そいつはどうだろう、とセブンスシグマは不敵に微笑んだ。

 そして畳んだ手紙をひらひらと振って、縛られているジャックに見せた。


「皇女ミハエラは、僕、シドニア一世の王位継承を正式に認めたよ」

「なんだと」


 嘘なものかい、とセブンスシグマは、シドニア宛ての親書を拡げてジャックに内容を読ませた。

 見る見るうちにジャックの表情が苦悶に満ちてゆく。


「――なんてこった。クソ、どうしてこんな――」

「俺なんかのために、と思うかい? 皇女陛下は僕に屈したと? そうじゃない。そうじゃないのさ」


 セブンスシグマは椅子を引き寄せ、ジャックの前に座った。


「これこそ、僕が君にあげたかった贈り物さ。皇女様はね、君を必要な人間だと認めたんだ。ただの出入りの刺客じゃない。国のために、どうしても君が必要なんだ。君を取り戻すことは彼女にとっては勝利」

「違う! そんなわけねえだろ!」

「違わないね。いい加減認めなよ。君は優秀だ。ヴィジョンも人望もある。ただのはぐれ者に、勇者は殺せない」

「どうしてどいつもこいつもそう俺を買い被りやがる! 俺はそんなじゃない! そうでなきゃ人違いだ!」

「君は刺し違えても勇者を殺そうとしてるだろ? 僕に対する態度を見れば判る。冗談じゃない。そんなことは僕が許さない」


 復讐なんかやめるんだ、とセブンスシグマは言った。


「くだらない復讐心なんか捨てて皇女陛下に尽くすといい。それは僕の為になる。皇室と王室、二つで一つの国なのだからね」


 笑ってはいない。

 少しもおかしそうにしていない。

 真剣そのものだ。

 彼がセブンスシグマとなる前、ボルキス・ミールであった頃から一度でもそんな表情をしたことがあっただろうか。

 それほどに真剣な眼差しで、ジャックを見据える。

 ジャックは「そんな手に乗るかよ」と眼をらした。


「まぁいい。一度ちゃんと考えてくれよ」


 そう言いながらセブンスシグマはジャックの縄を解いた。


「きっと気に入ってくれると思うね」

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