21.3 「ここに勇者が現れた」

「――笑ってるわよ、あの人」

「叩き起こせ」


 ハムハットは覚醒した。何やら少しだけ楽しい夢を見ていたような気がする。どこからか笛の音が聞こえるような、そんな夢だ。

 跳び起きて見れば家人二人が、ドアのところから警戒しつつこちらを覗き見ていた。


「あっ、あのっ、これは! 大変失礼を! その、雨が! わ、私は――」


 雨はもう上がっていた。

 霧も晴れて視界が開けている。

 二人の中年の男女――といってもハムハットよりは随分若そうだが――は一層警戒を強め、男のほうが力強い足取りで一歩部屋に踏み込んだ。


「出て行ってくれんか」

「出ていきます! その前にまず、お詫びを!」

「詫びなど要らん」

「私はトップ・ハムハット! 国営鉄道の車掌をしております!」

「車掌がなぜこんなところで寝ているか。駅などないぞ」

「鉄道事故がありまして! 一晩、森を彷徨さまよってここへ迷い込んだものでして――」


 男は足を止め、振り返った。

 女のほうと何やら目配めくばせをしているようである。


「――事故ならあんた、こんなところで寝ているわけにはいかんのではないか」

「そうなのです! 私は一刻も早く、駅に連絡を――」

「ここにゃ連絡の方法なんかねえ。どこへ行けば連絡できるのかも知らねえ」


 あんた、と後ろから女が口を開いた。


「ルセッタに行くように言っとくれ。ルセッタからなら早馬車が出てるよ」

「ルセッタは遠かろう。二十キロ近くあるぞ。二十キロ以上ある」

「ルセッタに行くなら馬車だよう。門のところからルセッタ行きの馬車に乗るよう言っとくれ」


 ルセッタルセッタと言われてハムハットは困惑したが、沿線にそういう名前の町があったことを思い出した。大きな町ではないが、ここよりはだいぶ大きいはずだ。


「あんたも大変そうだが悪いな。すぐに出て行ってくれ。昼には馬車が出る。昼前には馬車が出る」


 妻のほうは顔も出さず、真っすぐに壁の崩れたところを指差していた。

 ハムハットは礼もそこそこに、這入はいって来たその穴から外を見た。

 霧が晴れてロードリンの村がよく見える。噴水の周囲にはぽつぽつ家や商店があり、その外側はかなり離れてまた家がまばらにある。霧が出ていては何も見えないわけだ。

 見える限りでせいぜい四、五十戸。全体でも百戸かそこらで、人口にすると五百人規模ではないかという小さな村だ。

 不釣り合いに立派な石畳の通りが、噴水広場を貫いて一直線に、南北の村の門を繋いでいた。まるで入ってきた者を無表情に北から南へ『どうぞ』と追い出さんばかりだ。

 世界はどこまでも均質だと信じる者が列車乗りの仲間にもいる。

 だがハムハットは同意しない。皆が魔術を使い、溢れる魔力の恵みを享受する世界でも、こんなに表情は異なる。

 その無表情な石畳が所々潰れたように崩れているところも、まるで北から広場まで続く巨人の足跡のようではないか。

 そんなことを考えつつ恐る恐る壁を下りて地面に降りると、先ほどの旦那が丁度玄関のドアを開けた。


「――朝飯、食ってくか。母ちゃんが子供らのぶんも作っちまってよ。余るんだ。二人じゃよ。二人ぶん以上あってよ」



***



 重苦しい朝食だった。

 キッチンは暗く、食事の量は多い。

 大きなテーブルは空席だらけだ。


「――余所よそ者の私が聞いてもよろしいでしょうか」

「なんだい。聞けよ。聞いてみろ」


 お子様は、とハムハットが口を開くと、離れた席で妻がヒッと引きったような悲鳴を上げた。


「聞くなよ」

「すみません。こんな朝食までいただいたのに……」


 ウウウと唸って、妻はエプロンで顔を隠しながら奥へ走り去ってしまった。

 平べったいパンを千切って口に放り込みながら、不機嫌そうに旦那はうつむく。

 余程のことがあったに違いない。

 想像を絶する不幸だ。

 いつのことかは知らない。だがその反応の生々しさを見るにごく最近の傷だ。

 妻の逃げた方をちらり見て、旦那は「しようがねえ」と溜息をいた。


「――昨夜だよ。日が暮れて夜になった頃に、ここに勇者が現れた。イグズスっていうんだっけなあのバカでけえのは。おれも見るのは初めてでな。たまげたわ。家くらいでかい。家以上にでかかった」


 昨夜――とハムハットは絶句した。予想より遥かに最近だったからだ。

 偉い勇者様だっていうからよ、と旦那は肩を落とした。


「足を怪我しとった。ブーツの底がなくなっててよ。そりゃあ村中の皮を集めても作れねえくらいごつい、そりゃあ立派なごついブーツだったが、いったいどこであんなでかいブーツを作ったのか、おれは聞いてみたかったけどよ」


 イグズスといえば潰滅かいめつのイグズスだ。

 巨人といえど殆どすべての巨人は、普通の人間と比べてそれほど大きくないし単眼でもなかった。

 その中でイグズスは別格である。まるで伝説の一つ目サイクロプスのように巨大だ。

 余り先を語りたくないのかも知れない。それとも余程ブーツに感銘を受けたのか、旦那は暫くイグズスのブーツについて語っていた。要するにそのブーツが壊れ、イグズスは足を怪我したわけだ。


「村のもんはイグズスに『そこの噴水で足の傷を洗ったらいい』と言ったんだ。そうしたらよ、子供らが起き出して、上の子はまだ起きとったが、部屋から出て、友達らとつるんでその噴水のとこにだな」


 集まったのだそうだ。

 子供たちにとって勇者潰滅のイグズスを間近で見られる機会などそうそうない。多分一生ないかも知れない。

 ロードリンの村人たちは包帯や薬などを持ち寄って勇者に献上した。

 イグズスによれば、列車で逃げた悪党を追っている最中なのだという。アースマル山を越えてグラスゴ側まで行ったが、逃げられたため仕切り直すことにしたのだそうだ。

 子供らがせがんだため、イグズスがハンマーを振り回して見せた。

 それが弾みでハンマーヘッドが壁をかすったため、この家の二階はあのように崩れたのだそうだ。

 ほんの僅かに掠っただけだ。イグズスは悪びれもせず子供たちも大いに喜んだ。

 大人たちは皆慌てて、少し騒ぎになった。

 そうして目を離した隙に、いつの間にか巨人は消えていた。

 広場に出てきた子供たちも、消えていた。一人残らずだ。


「この村には百人近く子供がおった。百人以上だ。それが四十人以上、もう半分も、フッと消えちまった。何も言わずだ。うちの子らなんか全部だ。長男から末っ子まで全員だ。車掌よ、そんなこと考えられるかい」


 イグズスといえば子供たちの憧れだ。ついていきたい子供がいても不思議ではない。一人ついていけば二人、三人、四人……数が多いことも問題ではないだろう。

 しかしそれだけの子供たちが、一人も親に断りなく出ていくことがあるだろうか?

 ――認識阻害でしょうか。それにしても何のために?


「あのつええ勇者が一緒ならまず滅多なこたねえと、母ちゃんには言って聞かせてるんだが、おれも気が気じゃねえ。車掌よ、方々ほうぼうに知らせて子供たちを見つけたら帰るように伝えちゃくれねえか」


 一宿一飯の恩がある。

 ハムハットは一も二もなく快諾した。



***



 シュミットは二代目民王であった。

 生まれも育ちもノートルラント。それどころか民王になるまでノートルラントを出たことは一度もなかったし、今でも出たくない。

 許されるならパルマにも行きたくないほどだった。

 孫のように愛らしいミハエラ皇女に会うのは楽しかったが、ミハエラのほうはシュミットを祖父のようには思ってくれてはいないようだ。

 彼が選挙で民王に選ばれて二十年。パルマとの統合は進まないどころか後退したと批判があるのも知っている。

 初代民王がパルマ生まれで政策もパルマ寄りと言われたのに対し、生粋きっすいのノートルラント人のシュミットには勿論そういう期待があった。

 だが彼に言わせれば自分はお飾りなのであって、本当の原因は宰相たる元老院なのだと、許されるなら言いたかった。

 だからこうして首都を離れて、勝手知ったるノートルラントの地方を回る遊説は何よりも楽しみであったのだ。


「――民王陛下。間もなくベリルです」


 馬車の窓から外を見ていた従者がそう報告する。

 うむ、と大儀そうにシュミットは外套がいとうを着て、座席に投げ出していた王冠を頭に乗せた。

 ベリルに戻るのは気が重い。

 本来は鉄道でベリルに戻る予定だったが、鉄道は昨日から少しも動いていなかった。

 上りは動いていたのだが来る予定の下りが来ず、代わりに来た連絡車両の連絡員が言うにはどうもオルソー方面行き南部路線で事故があったらしいのだ。

 それが昼くらいのことだった。

 ベリルに行くぶんには問題ないかも知れないとのことだったが、詳細判明するまで列車の使用は避けたしとの従者の進言もあり、シュミットはこれ幸いと鉄道の使用を避けたのだった。

 そのまま一泊延期できるかと思ったが従者によると元老院との会議があり、急ぎ馬車での夜行となった。

 外を見ると既に夜は明けきっており、パルマへと続く長く平坦な街道の只中ただなかだ。

 間もなくとは言え、たっぷり一時間はかかる。


「気が早いのではないか?」

「いいえもう街道に市民らの出る時刻です。陛下のお帰りを待つ者共がこうして――」


 確かに、街道沿いには市民がいる。

 ただ王の帰還を迎えるという感じでもない。皆一様に疲れたように、肩を落とし、またある者は街道脇に座り込んでいた。


「様子が少し……。者共に話を聞いてみましょうか」


 従者がそう進言したが、シュミットは不機嫌そうに一蹴した。


「捨て置け。面倒だ」


 だが更に進んだところで馬車が立ち往生した。

 従者が窓を叩いて御者を呼び、「どうした」と訊いた。


「前馬車が全部詰まってます。先のほうで、市民が道に出ているようです」

「――退かしましょう。往来の邪魔になります」

「うむ」


 総勢十台。馬車の車列は立ち往生していた。

 うむ、とは言った民王シュミットだったが――どうにもいやな予感がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る