21.2 「まずは冠を手に入れなきゃあ」

 ロードリン。

 アースマル山脈のふもとに位置する小さな村だ。

 窪んだ谷にあって周囲を山と森に囲まれており、極めて視界が開けないことで有名だった。

 山側から尾根に沿って下ると辿り着く。それ以外では場所を知っていても迷わずに着くのは難しい。

 少し離れれば開けた平原があるのにどうしてこんなところに村を作ってしまったのか、アースマル地方でロードリンといえば「阿呆」か「間抜け」の隠語だ。ニュアンスは「足元を見ているのになぜかつまづいて転んでしまう間抜け寄りの阿呆」といったもの。

 転じて酒場などで「あいつ転ぶぞ――ほら!」となると、周囲の酔客が「ロードリン!」と叫ぶのがお決まりになっている。

 そのロードリンに、震える体を自ら抱えて覚束おぼつかない足取りで近づく者がいた。

 ハムハットである。

 彼は自ら列車を下りるまでは車掌であった。

 魔術式蒸気機関車テンダー型A51車両。ベリルからウェガリアへ向けて出発したその列車は、皇室の賓客ひんきゃくと護衛を乗せていた。

 思えば朝からおかしな日だった。先行するA50が行方不明になり、鉄道網は混乱。そこへ勇者と、暴走列車が現れた。

 ハムハットは盟友ゴードンを暴走列車から救い出すために暴走したのだ。

 皇室の客は、ミラ嬢という随分育ちの悪そうな貴人とビル・アントンというぼんやりとした弟君――だろうか。奇妙な二人組であった。奇妙であったが行動力は並みはずれていた。思えばゴードンを助けようというハムハットの話をまともに聞いてくれたのは彼ら二人だけだったし、彼らの助けがなければゴードンを助けることはできなかった。

 ハムハットは二人にゴードンを託し、そのまま暴走列車と共に爆死した――と思われた。

 しかし蒸気エンジンの機嫌に精通した彼がその金属の悲鳴を聞き逃すはずもなく、寸でのところで機関車から飛び出し、崖を激しく転がり落ちはしたものの一命を取り留めていたのだ。

 まったく、転びようがない鉄道のレールの上で、彼は見事に転んでしまったわけである。

 彼は針葉樹の森で目を覚ましたが、まさかグラスゴまで歩いて山を越えるわけにはいかない。線路を戻るにも崖を上ることはできなかった。

 あてどなく緩やかな丘を越え丸一晩歩き続けた。

 すっかり夜は明け、辺りは一面白いかすみで雲海のようだった。

 どれくらい歩いただろうか。

 いつの間にか足元はレンガ敷きで、靄の間から石造りの建物が顔を出した。


『ロードリンへようこそ』


 看板を見てハムハットは愕然がくぜんとした。

 沿線ではないとはいえ、ハムハットは勿論その村の噂を聞いていた。

 生きては辿り着けない幻の村というのは心無いジョークであるが、その村はせいぜい線路から十キロの場所にあるはずなのだ。

 疲労と負傷があったとはいえ、一晩がかりで歩いた実際の距離は十キロ程度だった。

 そうして彼はロードリンに辿り着いた。否、迷い込んだ。



***



 ハムハットは村のメインストリートと思しきレンガ敷きの道を進んだ。

 赤道に近く温かいと思われがちだが、アースマル山脈が受ける大陸北からの寒風はすさまじいものがある。

 標高も高く海からは遠い。夏は暑く冬は寒い。大陸有数の豪雪地帯でもある。

 そういう気候を刻んだレンガは歪み、歩きにくかった。

 ハムハットは何度も転んだ。

 やがて中心らしき噴水のある大きな広場に出た。

 噴水から水は出ていない。それでも排水が詰まっているのか、漏れ出た水が広場にまで溢れてハムハットの靴を濡らした。

 霧が濃い。

 広場際の建物が辛うじて見渡せる程度で、その向こうは見えない。

 どの家も堅く雨戸が閉ざされており、物音ひとつしない。

 手当たり次第家々の扉を叩いても返事はなかった。


(――私は本当に助かったんでしょうか)


 村の看板を見た時には助かったと思ったものの、人っ子一人いなければ助けも呼べない。

 それとも自分は助かってなどおらず、ここは死後の世界なのかそれとも死に際に見る幻なのか――という気さえしてくる。

 よたよたと噴水に近付いた。

 見れば噴水は壊れていた。水を溜めるレンガ積みが崩れており、水はそこから漏れている。

 壊れているのは噴水だけではなくその傍の地面は奇妙に陥没し、レンガが砕けていた。


「……?」


 足元をよく見ると、これまで歩きにくかった理由が判った。

 道を舗装するレンガが、あちこち派手に砕けているのだ。

 来た道を少し戻って見るとそれは奇妙なことに、数メートルおきに点々と窪みができている。

 レンガはどれも古いものだったがそれでも何か人為的だと感じた。

 そう思いながら後退あとずさると、ハムハットは落ちていた石くれを踏んで転んだ。


(『ロードリン!』って言うんでしたっけか、こういうときは――)


 それにしても彼が踏んだのはやけに大きな石の破片だった。

 背後にそれは沢山転がっている。

 石レンガの破片だがその角は鋭利で破断した面は白い。つい最近崩れたものだ。

 見上げると家の二階部分が大きくえぐられるように壊れていた。


(これは……一体どうしてこんな壊れ方を)


 ひとつ思い出すことがある。

 ハムハットが若い頃、格納庫へ戻す途中に軌道を外れた列車が暴走して、格納庫に衝突する事故があった。

 列車は格納庫の角にぶち当たり、尚も進んだ。レンガ造りの壁は脆くも破壊され、ごりごりと抉り取られたのだ。

 それとよく似た壊れ方。地震や経年劣化ではない。

 考えすぎだとハムハットは思う。レンガ壁など、壊れるときは皆似たような壊れ方をするのではないかと。

 そこへポツリと、頬に当たる雨粒を感じた。

 サーッと森の方から、風に乗って雨の音が聞こえてくる。

 周囲が明るいのであまり考えていなかったが、風向きで南側の雨が運ばれてくるのだろう。

 ただでさえ寒いのに雨に濡れては堪らない。

 どこか雨を凌ぐ場所はないかと見渡すも、霧の中で明らかに身を隠せるのは目の前の崩壊した二階だけである。

 見たところ屋根は残っているし、崩れた壁はどうにか登れそうだ。


(うう、この状況では……仕方ありませんね。住人には訳を話して軒先を借りましょう)


 ハムハットは壁を上る。

 突き出した窓枠や、レンガの出っ張りに手足を掛け、崩れた壁上部のまだ崩れそうにないレンガを探る。

 上りきるとそこは子供部屋のようだった。

 二階建てベッドが二つあり、机やおもちゃ、絵などが飾ってある。

 ベッドは空で、毛布は乱れていない。

 破断したレンガから出た土埃で壁や床はざらざらに汚れていたがそこは確かに子供部屋で、白く積もった土埃からすると壁が破壊されたときここには誰もいなかったようだ。土埃の上で誰も動いた形跡がないからだ。

 破壊はごく最近、おそらく夜のうちにおき、そのときここはもう無人だったということになる。


(はて、奇妙ですね。ここの住人はいったいどこへ消えたんでしょうか)


 壁際に身を沈めたハムハットは、壁の向こうに見える白い霧を見ながらウトウトとし始めた。



***



 サイラスは再び庁舎の前に立った。

 つい後ろを振り返ってしまう。見えはしないが、どこかにミーシャも隠れているはずだ。

 正直、気が進まない。セブンスシグマは恐ろしい男だ。

 ここへ来る途中、朝からベリルの街は混乱していた。というか夜明け間もないうちにベリルに人が沢山いるという状況がまず異様だ。

 この街の人口は少ない。皇室の潔癖症っぽい性向を反映してか、冒険者ギルドもない。酒場、盛り場の数も少なく、夜から朝にかけて出歩く者は殆どいないのだ。

 サイラスはベリルで数日過ごすうち、それを肌で感じていた。この街に住むのは商店主か上級役人、または軍人。大抵の庶民は外から通勤してくる。

 だから今ここに残っている者のの多くは市外から通う労働者や観光客だ。

 または、サイラスのように所用で逗留している者だ。

 おそらく正気の者は戸を立てて隠れているのだろうが、そうでない者達――店の扉を焼き破ったり屋台を吹き飛ばそうとしている小集団がいくつも見られた。

 彼らは皆、何らかの高揚感に駆り立てられている。

 ――新王朝をここに宣言する!

 昨夜、勇者・真実のセブンスシグマ、否、シドニア一世はここでそう高らかに宣言した。

 その言葉に煽られた者達は、早くももうその気・・・になっているのだ。

 その意味ではサイラス自身もまた、自分が正気かどうかやや疑わしい部分があった。


(こんな朝から王の弱点を探りに来るなんて。僕も他人のことは言えないな)


 まだ眠っているんじゃないか? とはミーシャにも言った。

 ミーシャは答えた。


「寝てるでしょうね。あいつの、何人かはね・・・・・


 辛うじて死体は片づけられていたが、庁舎に入る石畳やスロープには昨日の惨劇の傷跡が残る。

 庁舎からはまだ所々煙も上っているくらいだ。

 そこを渡って庁舎に入る。

 時折、ドラグーンの耳障りなき声が中から聞こえた。

 聖堂みたいだと思った一階ホールは、昨日のお役所窓口からは想像もつかないほど荒れていた。

 ドラグーンの攻撃で空いた穴と穴。片づけられなかった市民の死体は脇に退けられていた。中央に積み上げられた財布や装飾品は、その死体から盗まれたものだろう。

 その周辺には数名の人影があった。

 セブンスシグマではない。

 

「おやぁ? おい、ガキだ」

「ガキが何の用だ」


 着崩した制服――街の警備兵だ。元警備兵といったほうがいいだろうか。元老院は壊滅し民王は不在。早くも新しい雇用主を見つけたのだ。


「シドニア一世に、お酒を買ってもらえないかと」


 サイラスはおずおずと許可証を見せた。


「――なんだこりゃ。期限が切れそうじゃねえか! 窓口はあちら!」


 彼らはげらげらと嗤った。

 男が指さしたほうは窓口があった場所で、勿論役人はいない。

『閉鎖中』の看板が二つに割れて、窓口のあった場所に投げ出されていた。


「……まだ期限が残っています」

「三日だ! それにおめえ、どこに酒があんだよ! この街にある酒なんか、一日で飲み尽くしちまう!」

「僕の店はポート・フィレムです。世界中から酒が集まってます」


 正確には友人ミーシャの店だし、サイラスの店といえば今やしがない貧乏宿屋だ。しかしそこは説明を省略しただけで、まるっきり嘘というわけではない。

 そこまでは許可証や、認識技術からは読み取れない。


「――アヘンも?」


 サイラスは目だけで頷く。


「ベリルに阿片窟アヘンくつか! 革命だな!」


 男達は嗤う。


「アヘンと酒。革命の味だ」

「嘘はいてねえみてえだ。通せ!」


 サイラスは元警備兵に促され、ホールの奥から階段を上る。

 案内された部屋は四階の会議室だった。例の大会議室とは別の部屋で、ジャックが呼び込んだドラグーンが空けた大穴はここにはない。

 扉は取り外されていた。

 長細いその部屋にあったであろう机は脇に避けられており、椅子だけが左右四列ずつズラリと続いている。

 その椅子が作る中央の通路の先――そこに。

 セブンスシグマがいた。

 彼はまたタップダンスの練習をしていた。サイラスに気付いてその動きを止める。


「やあ、サイラス君。来たかい」


 賓客だ下がれ、と男に命じ、セブンスシグマはこちらを手招きした。

 最前の椅子に誰かが座っている。

 勇者の仲間だろうかとサイラスは身構えた。


「君が来てくれるとは実にいい滑り出しだ。僕の仲間は下の害虫みたいな連中だけかと、少し落ち込んでいたところなんだ」

「あの、僕はあなたを信用するわけでは」

「いいんだいいんだ。わかってるって。ジャック君に言われて来たんだろう? ミーシャちゃんには嫌われたみたいだけど、君は来てくれると思ってた」


 サイラスは頷いた。嘘はどうせ無駄なのだ。

 セブンスシグマはまたステップを踏み始めた。

 サイラスは椅子の間を、彼のほうへゆっくりと進み始める。


「ところで、君は知ってた? ダンスパーティーで踊るのはタップダンスじゃないって」


 サイラスはまた頷く。


「知ってて言わなかった?」


 少し考えて――また頷いた。

 セブンスシグマは何も言わずに踊り続ける。

 丁度、最前に腰かけた男の横を通り過ぎるところだった。


「そうだよねえ。そういう忖度そんたくは大事だ。そこの男はそういうところが足りなかった」


 そこの男、と言われてサイラスは横を見た。

 男は椅子に縛り付けられており、首を真っすぐ前に向けたまま――絶命していた。


「だいたいさ、うちの王朝じゃあパーティーでタップダンスしたっていいんだよ。想像力が足りない。あの勇者達もそう。だから弱いんだ」


 君は想像力がある、とサイラスに向かってセブンスシグマは言った。


「だから僕を恐れる。それは素晴らしいことだよ」


 そう笑いながら、セブンスシグマはくるりときびすを返す。

 その背中には、『弱点はココ↑』と書いた張り紙が張ってあった。矢印の先は頭である。


(お見通しってわけか……)


 そこまで読めていて自分を迎え入れる理由は何だろうかとサイラスは考える。

 一番ありそうなのは人質、ジャックをおびき寄せる餌だ。


「まぁせっかく来たんだからさ。くつろいで、ゆっくりすればいいよ。君を人質にとったりはしない」


 ――違うのか。

 サイラスは少し驚いた。


「意外そうな顔だねえ。まぁそれはちょっと分が悪い。一度使って失敗した手だし、ここの構造も彼にはバレてる。そもそも君をここへ寄越したのは、ジャック君の入れ知恵なわけだろ? 彼は織り込み済みなのさ。彼はここへ来たとしても僕の仲間にはならないっていうね」


 なるほど、とサイラスは思った。

 確かに昨夜、サイラス達を餌にジャックをここへ呼んだのに説得することはできなかった。彼を引き込むのに魅力的な材料がなければまた同じことをしても意味が薄いと考えたのだ。

 セブンスシグマは背中の張り紙を自分でがしながら、溜め息をいた。

 さっき少しだけ、勇者の愚痴を言いたそうにしていたのを思い出す。

 座りなよ、とセブンスシグマが死体の横の椅子を勧めてきたのでサイラスは嫌々ながら椅子に腰かけた。


「――他の勇者に何か言われたんですか?」

「よく聞いてくれたね。僕は王になれないってさ。いや、違うか。王になったら勇者はやれない、かな。両立しないんだって。どういう意味かわかる?」


 サイラスに判るわけはない。


「判らないよねえ。つまり王になったら自国民を助けても殺せないからね。それで散々嫌味を言われたけど、僕からすれば想像力の欠如って奴さ」


 いやな予感がした。きっとこの男は、ろくでもないことを言うつもりだ。


「失政、飢餓、差別、戦争――自国民を殺す方法なんかいくらでもあるんだよ。それがこの冠の力――あっ、まだ・・ないんだった」


 セブンスシグマは頭の冠を探して、大袈裟に手を拡げた。


「方法はいくらでもある。問題はどれが一番クレバーなやり方で、ジャック君が気に入ってくれるかってこと。その先を描けなきゃ僕にとって意味はない。そのためにもまずは冠を手に入れなきゃあ。その作戦を考えてたんだ。踊りながらね」

「ジャックさんはあなたを恨んでないですよ。他の勇者を差し出せば、喜んであなたに協力すると思います」

「部分的にはね。それですべてが終わったら、僕の国作りに協力してくれるかな。どうだろう。復讐を果たした彼に何が残っているんだろう。悩ましい。実に悩ましいね」


 悩ましいと言いつつも、彼は笑っていた。


「まぁ、でも基本は飴とムチだよ。判る? 与えるだけ、奪うだけじゃダメなんだ」


 僕は王だ、とセブンスシグマは言った。


「次は彼に与える。まずは民王を捕らえて処刑するとこからだ」


 なぜ民王を処刑することがジャックに与えることになるのか。

 ジャック達の指名手配は、元老院を虐殺したことで反故ほごになったのではないのか。

 サイラスには訳が判らなかった。


「判らない? まぁ、見ていてよ。必ず成功させてみせるからさ」


 セブンスシグマはそう自信たっぷりに――笑った。

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