【第五章】 奈落は夢と鋼鉄のワンダーランド

Ep.21: 夜明けと共に去りぬ

21.1 「勇者は勇者にしかなれない」

 マルケス達が立ち寄ったその村はひどくすさんでいた。

 畑は荒れ仕事はなく、大人たちは皆悲嘆に暮れていた。

 その村の子供たちが消えてしまったのだという。

 ある時不思議な笛の音を奏でる男が現れ、その笛にいざなわれて子供たちが皆連れ去れてしまったのだ。


「勇者様方、どうかあの子供たちを連れ戻してくださいまし」


 お礼は何なりと致しますと言われ、マルケスはにやりとした。



***



 鬱蒼うっそうと街をおおった宵闇よいやみが晴れて、朝靄がすっかり冬めいた弱い朝陽を散乱している。

 ベリルの長い夜は明けた。

 ドラグーンは夜明けを告げる鳥のようにき、空を我がもののように飛び回る。

 残るドラグーンたちは、もう市民を襲うことはなかった。

 朝になって市民らは事態の深刻さを知った。

 特に庁舎周りの殺戮さつりく、事故も含めた死体の数はおびただしく、市街の白い壁はあちこちが血に塗れていた。

 無言で顔を見合わせる彼らは、昨夜の出来事が夢でも冗談でもなかったことを改めて理解した。


「……なぁ、俺達これからどうなるんだろう」

「どうなっちゃうんだろうなぁ、ノートルラント……」


 その答えを知る者がいるとしたら、昨夜市民の前に立ったあの男だけなのだ。

 昨夜、庁舎の屋根の上に奇妙な男が現れた。

 男は屋根の上に片膝を立て、庁舎に集った野次馬たちに「臣民よ!」と語り掛けた。


おそれよ臣民! これなる竜どもは天のつかい! 衆愚なる王制のけがれを焼くため、天子が遣わした!」


 臣民、と言われて自分のことだと思った聴衆はいなかっただろう。

 軍用ドラグーンをして天の御使いなどと言われても時代錯誤以前の問題だ。

 多くの野次馬は何のことかと戸惑い、またある者はせせらわらった。


今宵こよい、天の遣いはこのベリルで、元老ハマトゥ以下、二十名の元老院議員を残らず処刑した!」


 そうまで言われてもまだ笑っている者はいたが、数名がざわつき始めた。

 多くは逃げ延びた役人らだ。彼らはその日の午後、ドラグーンの襲撃が始まって以来元老院の誰とも連絡がつかないことを知っていたのだ。

 ドラグーンの大半を倒したのは皇室の部隊で、民王の軍はまだ現れてさえいないことに気付いた者もいた。


「民王は何をしているんだ!」


 野次の声に、高い高い庁舎の天辺てっぺんに立つ男は答えた。


「民王か? 諸君らの中に民王はいるか! この危機に際して諸君らを守るべき民王は、今どこにいるのだ!?」

「民王はどこだ!」

「民王はいない! 胡坐あぐらを掻き、腹に緑のベルトを巻いた民王は何処へ行ったのだ! かの下賤げせんの者は、未だこの地のいずこかにつくばって逃げ回っているだろう! だが諸君らの足元を見よ! 民王はそこにいるか!?」


 何人かが思わず足元を見た。


「いない! 民王は逃げたのだ! 諸君らの後ろを見よ! そこにの者の軍はいるか!? いない! 軍は今彼の者を守り、諸君らを見捨てた!」


 ざわざわと周りを見る者は多かった。


「上を見よ臣民! 天上を見上げよ!」


 殆どの者が上を見上げた。


傀儡くぐつと悪しき元老の居ぬ今、諸君らを我が導く! 新王朝をここに宣言する!」


 片膝を立てたまま、男はサーチライトをバックに高々と拳を振り上げる。

 市民らは沸いた。

 ブーイングと歓声、そして嘲笑が同時に起きてベリルの乾いた空気を震わせる。


「我を迎える者は共に笑え! 怒れる者は我と共に来て戦え! 無関心なる者は我につき従え! 我は――」


 庁舎の傾斜した屋根の向こうから、ヌッと無数の影が現れた。


「我こそは正統王、シドニアなり! マルスの海よりここに再臨し諸君らを導く!」


 最早、嗤う者は誰もいなかった。



***



「真実のセブンスシグマ」とインターフェイスが呼び止めた。


「今シドニア一世だって名乗ったばっかりだよ? ちょっとは空気読んでよ。それにしても慣れないことはするもんじゃないね。脇がびっしょりだ」

「……あなたは自分が何を言ったのか、判っていらっしゃるの」

「少し時代がかってたかなぁ? 色々試したけど、これが一番効いたんだよ」


 そうではないわセブンスシグマ、とインターフェイスは彼をにらむ。


「……それは君の言葉かい。あのお方の言葉?」

「私の質問よ」

「だろうね。あのお方ならそんなことは聞かないさ。彼は判ってる。判ってて僕を勇者にした」

「王にしたおつもりはないわ。あなたの立てた計画は失敗。そのことを言ってるの」

「心配してくれるのかい? 確かに失敗だ。ベリルの昼の人口が二十万人として、犠牲者を二割……まぁこれは仮に濃度として計算すると五万人。ドラグーンには一機あたり少なくとも百二十人を殺せと命じたんだけど」

「今のところ竜あたり二十人にも足りませんわ。それなのにあなたは計画を終了しようとしている。どう考えているのかしら?」

「それも君の質問?」

「いいえ、あのお方の御言葉よ」


 インターフェイスは冷たくそう言い放った。


「……ならこう伝えてくれ。計画は第一段階を終了した。残念ながら未達だったけど、次のステージで取り返す」

「そのステージであなたは王になると言ったのよ。自国民を殺すことはできないわ。王は人だもの」

「なるほどね。大体君の言いたいことは判った。でも杞憂きゆうだよ。僕は本当の王にはなれないんだ」


 セブンスシグマは自嘲を込めて笑ったつもりだったが、傍目はためにはふざけているようにしか見えなかった。

 あなたは何がしたいのかしら、とインターフェイスは聞いた。


「それは君の質問?」

「そうよ」

「僕はなりたいものになる。勿論君達の役にも立つさ。よその国の王様の骨を拾いに行くよりはずっといい」

「――ひとつ個人的な助言を差し上げますわ」

「なんだい」

「勇者は勇者にしかなれない。どちらも求めるならどちらも失うことになる。あなたを待つのは無限の地獄よ。永久に逃れることはできない」

「なんだいそれ。それのどこが助言なんだい」


 セブンスシグマは笑った。


「――だからあのお方は勇者ではないの」


 インターフェイスの、その珍しく人間のような言葉はふと響いた。

 セブンスシグマは笑うのをやめ、「上手くやるさ」と言った。



***



「……食べなよ」

「……いらない」


 宿の朝食を挟んで、サイラスとミーシャは押し黙った。

 昨夜、彼らが庁舎から脱出した後、あの勇者が庁舎の上に現れて新王朝を宣言したのだ。

 一人だけなら狂人だが、あの時屋根の上に現れた無数の人影は――彼が本気だということを何より雄弁に語っていた。

 その何十人、いや百人もの人影はひとつとして例外なく、皆あの男と同じように見えていた。

 それが異様だった。

 そのタネを、サイラスとミーシャは知っている。

 ――きっとあの勇者は、他に何人もいるんだ。

 

「勝てるわけない」

「ジャックさんの敵だって決まったわけじゃないよ。だって……」

「ノヴェルを殺したって言ってたわ」

「わかるもんか。それにあのセブンスシグマって人が関わったわけじゃなさそうだったじゃないか。今、僕らが気にすることじゃないと思う」


 ノヴェルとミラは何か秘密の任務を受けていた。だが鉄道網は既に勇者らに掌握されていたらしい。彼らの安否は不明ながら、セブンスシグマの言った通りならきっと酷いことになっているだろう。

 セブンスシグマはそれまで全く知られていなかった勇者で、本人も新入りだと言っていた。彼はなぜか元老院に強い恨みを持ち、ドラグーンを呼び寄せて街を破壊し、その裏で元老院のメンバー二十一人を拷問し、虐殺していたわけだ。

 その後、セブンスシグマは新王朝を宣言したことになる。

 サイラスもミーシャも一時彼の手に落ち、どうやら結果的にジャックをおびき寄せるのに一役買わされていたようだ。

 あの場でジャックを殺すつもりならできたはずだ。

 だがそうしなかった。どういうわけかあの勇者はジャックの活躍を一方的に知っていた。おそらくジャックを必要としているというのも、本当のことなのだ。


「違うわ。わたしたちの問題でもあるでしょ。ジャックさん言ってたじゃない――」


 二人を助けたあと、ジャックはこう言った。


『いいか、ここまで逃げたらもう俺の責任は果たした。だがこの後は君達で考えろ』


 どういう意味かと問いただすと、ジャックはこう答えた。


『俺よりあいつにつく方が得策だ。あいつは他の勇者と何か違う。新世代の勇者だ。シャクだが、この国の人心も遠からず掌握しちまうだろう。俺についても勝ち目はねえ。損するだけだ』


 いやだとサイラスは言った。

 陽気で人当たりもよく話も通じるが、あのセブンスシグマは得体が知れず――何より人間とも思えなかった。

 それならジャックさんも一緒に行きましょう、と提案したのはミーシャだ。


『それはできねえ。俺は絶対に勇者の味方をするつもりはねえ』

『復讐のため? 本当にそれだけのために、あんな化け物と戦うつもりなんですか?』


 そうだ、とジャックは答えた。

 復讐なんて何の意味もないんですよとサイラスは言ったのだ。

 自分でも生意気だとは思ったが、ジャックはそうは言わなかった。


『その通り。お前が正しい。意味なんかねえ。だからこそやらなきゃいけないんだ。お前もいつか――いや、そんなこと判らねえほうがいいに決まってるな。判っちまう日が来ないといいな』


 意味なんかねえ。だからこそ。


「――ねえ、聞いてる? サイラス」


 サイラスは我に返った。

 ずっとジャックの言葉の意味を考えていたのだ。

 ――意味なんかねえ。だからこそやらなきゃいけない。


「ごめん、何だって?」

「わたしはジャックさんについてくから、あなたはあのセブンスシグマって奴についていってって話」


 サイラスは飲みかけていた紅茶を思い切り噴き出した。


「ごめん――え? 何?」


 何じゃないわよ、とミーシャは膨れた。


「あなたが言い出したことでしょ」

「そうだっけ――いつ?」

「昨夜よ。どちらかがスパイしようって」


 ――言ったような気もする。

 ただ思い付きだ。どちらがどちらにつくなんて話ではなかったはずだ。


「悪いアイデアじゃないと思うの。あいつも言ってたじゃない。あいつはコインの裏にも表にも賭けることができる。わたし達だってできるわ」

「それ……それなんだけど、なんだか変な話だと思わなかったかい?」

「変よ変。当たり前でしょ、勇者なんだから。そんなことじゃなくて!」


 彼の言いたかったこととは違うような気はしたが、まずはミーシャの考えを聞くことにした。


「あいつはサイラスが自分になびくと思ってたわ。だからあなたがあっちへつくのがいいと思う」

「待ってよ。そもそもあいつをスパイする必要は――」

「あるでしょ。あいつはまたジャックさんを狙うわ。そもそも勇者なのよ。黙ってたっていつかは――」


 ああ、それも言ったんだ――とサイラスはようやく思い出した。

 セブンスシグマは、ミーシャよりも自分に話を振ってくることが多かった。父と不仲のことまでダシにしてきたのだ。

 切り崩し易いと思ったのだろう。もしかしたら、何らかシンパシーさえあったのかも知れない。

 ――いや、それは自分のほうだ。

 そうサイラスは思い直す。認めたくはないことだが、セブンスシグマの抱える闇には思い当たるところがあったのだ。

 セブンスシグマにとってのジャックは、自分にとってのノヴェルと同じ。ならば二人の道は遠からず再び交わる。

 決して認めたくはなく――だからこうしてサイラスは、思考がまとまらずに自分の提案すら忘れるていたらくになっているのだ。勿論前日の疲れも大きいのだが。

 しかし自分で言い出したこととはいえ、なんと恐ろしいことを言いだしてしまったんだろうと思う。


「危険はないでしょう。ジャックさんも言ってたけど、むしろ安全なはずよ。わたし達はジャックさんを釣る餌なんだし」


 勿論それがこの作戦の前提だ。

 サイラスが恐ろしいと思うのは、あの男の元へ行く精神的な負荷のほうだ。

 あの男は自分を「空っぽ」と表現していたが、サイラスの見た彼はそんな生易しいものではなかった。

 ――沼。それも底無しの沼だ。


「確かに――僕がセブンスシグマのところに行くのがいいように思うけど、そんなに上手くいくかな」


 これよ、とミーシャは朝食の皿を退け、そこに小さなガラス玉のようなものを置いた。

 昨日、ジャックから渡されたイアーポッドだった。


「これを使えば上手く行く。まずいと思ったら逃げて」

「ミーシャ。僕たちは帰らないと。ポート・フィレムへ。リンちゃんもきっと心配してる」

「手紙を書く。あなたが言い出したの。それとも怖気づいた?」


 どうして、とサイラスは言ってから声を少し潜めた。


「どうしてそんなにムキになるんだい。怖いよ。怖いさ。君だってあんなに怖がっていたじゃないか」

「勿論怖かった! だからだよ! 何もしなければジャックさんは負ける。あいつが勝つ。ポート・フィレム? それどころじゃない。わたし達の知ってる世界がどうにかなっちゃうの。一つでいい。何か一つでも、あいつの弱点を――」


 サイラスは考える。

 弱点。そんなものがあるのだろうか。


「――どうする? やめとく?」


 いや、とサイラスはポケットから自分のイアーポッドを取り出した。


「やってみよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る