Ep.20: 凶弾、狂暴、狂犬と狂人のその暮れ行く夕べ

20.1 「最高の夜にしようよ」

 タタンタタン、タタン、タンタン。

 タタンタタン、パタタン、タンタ。


「この最後の、パタタンタンタタ・・が難しくてね」


 勇者はそう言ってタップダンスを踊る。

 テーブルの上だ。


「新しい趣味なんだ。さっき習った」


 タタンタタン、パタタン、タンタッ。


「――惜しい。君達は、『一万時間の法則』を知ってる? ――知らないか。どんなことでもね、一万時間練習すると、そこで覚醒するっていうんだ」


 テーブルの上で足元を踏み鳴らし、軽やかな音を響かせて回り続けながら、彼は話した。


「本当の才能、センスっていうのかな。そこからが勝負だ。体力づくりみたいな基礎練習が終わって、ようやく人間らしい芸術の戦いになるんだ。一万時間。常人には途方もない時間だけど、僕にとってはほんの一瞬のことさ」


 タタンタタン、パタタタッ、ガッ。


「ええいっ、ちくしょう! 楽勝だと思ったんだけどね、どうもこういうのには上手くないらしい。さっきは上手く行ったんだよ?」


 苦笑し、長いテーブルの端から端へ落ち着きなく動き回っては、痙攣けいれんするように足元を鳴らす。


「どうも観客がいると気合の入り方が違うらしい」

「もうやめてください」


 泣きながらそう懇願こんがんするミーシャをかたわららに抱えて、サイラスは「しっ、黙って」と言った。


「やめる? なぜ? これからだよ! あと少しなんだ。もう少し練習したら――」


 やめたほうがいいですよ、とサイラスは言った。


「それで一万時間? ちっとも上手くない。あなたは足先で踏むことばかり考えて、上半身のサポートができてない」

「言うねえ。君はダンスに詳しいのかい? 君はいくつ? 十七? 十八? 一万時間も打ち込んだものはある?」

「僕の家はポート・フィレムの大きな宿だ。素晴らしいショーを沢山観た。タップダンスも」


 勇者はテーブルの上で指を立ててサイラスを制し、嬉しそうに回転を続ける。


「『アグーン・ルーへの止り木』。いい宿だ。すると君がサイラス君? ノヴェル君のお友達の。ならその泣いてる子はミーシャちゃん? 随分印象が違うもんだね」

「――!? あなたは一体」

「勇者さ。ここ何時間かは真実のセブンスシグマと名乗ってる。呼びにくいけどね。他の名を言うと頭が締め付けられて、寿命が縮むような気がするんだ」

「あなた達は――一体ポート・フィレムやベリルに何の恨みで、こんな――」

「おおっと、違うよ。君達を調べたのは、僕が勇者だからじゃない。仕事だ。この老人たちの命令でね。ポート・フィレムに関しちゃ僕も君達と同じ、犠牲者さ。僕もあの日、門にいた。やぐらの上でね。ゴアにもやられた。会議にも出た」


 サイラスが信じられないと言った。

 タタタンタンとステップを踏んだセブンスシグマは足を止め、「僕が嘘く必要ある?」と答えた。


「君達が真に恨むべきは僕よりまず、この老人たちだ。王でもない癖に人をチェスの駒のように考え、暇さえあれば悪企わるだくみばかりだ。勇者を使って皇室やモートガルドを倒すのもその氷山の一角」

「だからこんな――虐殺を」

「人聞きが悪いな。家来をしつけただけだよ。ダンスも教わった。見てよ」


 家来? といぶかしむサイラスをよそに、セブンスシグマは「もう一度最初から」と再び踊り始めた。


「始めは単純で短いリズムを刻んで――沸き起こるように」


 タラッタッタッタタ、タラッタッタッタタ。


「『ダンスはいつから?』『ついさっき! 君と会ってから!』」


 上半身の動きを加えて、表情を付ける。


「『お上手なのね』『僕が王様になったら毎晩ダンスパーティーを』『まぁダンスがお好きなのね』」


 見えない相手と手を繋いで、右へ回転。左へ回転。

 タララッタタタ、タンタンタン。


「『踊るのが好きさ』――実のところそうでもない。君の横で転がってるペーリー運輸局長にさっき教わったんだ。王の犬のお世話係から、今じゃ社交界のスター。年甲斐もなく始めたんだってよ」


 サイラスはすぐ横を見た。

 口に山ほど布切れを突っ込まれて絶命している、壁際の死体があった。

 死体とテーブルの間は不自然な程片付いていた。そこで練習したのだろう。


「最後のステップを僕に教える前に死んだけどね。だから最後のステップは僕のオリジナルだ。可哀そうに。こんな間抜けが運輸局長じゃなかったら、今頃ノヴェル君達も死なずに済んだろうね」

「ノヴェルが――えっ、今何と?」

「聞いてなかったのかい僕の話。だめだなぁ。まっ、僕も足元が忙しい。さぁ、クライマックスだ」


 立てた指を振り、セブンスシグマは荒々しく足元を踏む。

 ひと際高い音を響かせて、バックステップでテーブルの端へ――。


「ノヴェルの身に何が!?」

「そこまで知らないって。列車のシステムを悪用された。白状したよ。運行スケジュール、駅間の連絡方法、管理者特権、全部乗っ取られたってさ」

「それで――」

「逃げられっこないってことだよ。さぁ、行くよ。ここから僕のオリジナル」


 セブンスシグマはテーブルから飛び降りた。

 サイラスとミーシャ、運輸局長の死体、そしてセブンスシグマ。

 虐殺のステージで、彼はどこか不気味で不穏なリズムを踏みながらサイラス達に近付いてくる。

 ひぃぃぃっとミーシャが噛み殺した嗚咽おえつを漏らし、サイラスが彼女を守るようにきつく抱き締める。

 セブンスシグマは笑って、バックステップで弧を描きながら再び距離をとってゆく。


「追えば逃げる。追うのをやめれば振り返る。二人の距離はつかず、離れず――いいだろ?」

 

 タラタタン、タンタン。

 タラタタン、タンタン。

 タラタタタタ、タラタタタタッ、ツタタタタタタタタタ……。


「いくよ。キメだ」


 タタンタタン、タタン、タンタン。

 タタンタタン、パタタン、タンタタ・・


「キマッ――」


 セブンスシグマが最後のステップを決め、満面の笑みで両手を広げてサイラスを見たのと同時に――。

 その右胸に血の華がパッと咲いて、背後にあったランプが吹き飛んだ。


「え――」


 闇の中で、セブンスシグマの短い声と弾けたガラスが散らばって転がる音がした。

 中庭に残響するのは火薬の破裂音。


(そ、狙撃――?)


「ミーシャ、今だ! 逃げよう!」


 言う必要はなかった。

 サイラスは、戦慄おののき硬直した彼女の体を支えて起こし、肩を抱えて暗闇の中を走り出す。

 扉へ。

 外へ。

 ――逃げろ。



***



 回廊の向こうから、狙撃銃を抱えた車椅子の男がやってくる。

 ジャックだ。


「ジャックさん!」

「サイラス! ミーシャ! 無事か!」

「今のはジャックさんが!?」

「ああ、待たせて済まなかった。あいつが狙える位置に来るのを待ってた」


 チャンスはおそらく一度きりだった。

 まとはドラグーンよりずっと小さく、動きも読めず、暗い。

 ランプの手前に来て停止した、その逆光の人影をジャックは撃った。

 

「あいつはセブンスシグマ! 勇者の仲間が、列車のシステムを奪ってノヴェル達を――」

「ああ話は判った。だがここを出てからだ。こっちへ」


 ジャックは車椅子を回して、来た回廊を戻る。


「なぁ、俺の弾は当たってたか?」

「右胸に一発、当たりました」


 やったぜ、とジャックは喜んだ。

 回廊の途中、外に出る扉を開けた。

 冷たい風に乗って喧噪が吹き込んでくる。

 四階では裏手から鐘塔までの外廊下が続いており、錠前はジャックが破っていた。

 そして外には――庁舎を囲む無数のサーチライト。

 ドラグーンと街の警備部隊、皇室護衛部隊が庁舎を取り囲んでいた。

 市民と思しき人々も押し寄せ、孤立した庁舎の戦いを見守っている。


「ああ――、街のドラグーンが退けるや否や見物に来やがったのか? 見せ物じゃあねえぞ。これだから都会の連中は」


 ジャックさん、とサイラスがおずおずと口を開いた。


「ぼくもここで、あなたのお手伝いを」

「いいや、まず姫を下まで送れ。それが出来たら騎士ナイトだ。車椅子に乗って来い」


 サイラスは頷いた。


「ジャックさん・・


 サイラスではない。

 ミーシャでもない。

 ジャックの知らない男の声だ。

 背後からした。

 振り向くと、暗い廊下の奥から誰かがやってくる。

 その人物は朗々と――。


「僕もあなたを探していたんですよ。ずっとね」


 なぜ、生きてるはずがない、とサイラスは喘いだ。

 その反応を見てジャックは察した。

 ――敵だ。

 銃身のボルトハンドルを起こしながらサイラス達へ言う。


「いいか、ここで俺が援護する。外を通って鐘楼しょうろうへ行け。塔の階段は途中の階が封鎖されてるから使うな。ワイヤで地面まで降りろ。行け! 行け行け!」


 サイラスとミーシャは、同時に扉から飛び出た。

 サーチライトが空を照らし、それを横切るドラグーンが囲む庁舎。そのロの字になった最上階裏手側から伸びた短い外廊下の上へ、サイラスとミーシャが走り出す。

 鐘楼に至る外廊下は短い。十メートルあるかないかだ。

 だが塀の上のようになったそこには壁も屋根もなく、空からは無防備になる。彼らを隠すものは濃紺の宵闇だけだ。

 ――ドラグーンの夜目よめじゃ二人を捉えられねえだろうが。

 ジャックは狙撃銃を構え、銃身で空をカバーする。

 一匹のドラグーンの影がこちらに気付いて降下してきた。

 ――くそっ、見えてんのか!?

 ジャックは慌ててスコープを覗いて照準を合わせる。急降下してきたドラグーンは鐘楼まで近づいて急に方向転換し、上方へ過ぎた。

 ジャックはほっとして二人を見て、ハッとした。

 鐘楼まであと数歩というところで、サイラスとミーシャが立ち止まっている。

 ――どうした。なぜ入らねえ。


「もたもたすんな! 早くそこから逃げろ!」

「そんな言い方ないでしょう? 彼らだって一生懸命なんですから」


 すぐ背後で声がした。

 近づいてきている。

 ジャックは回廊だが銃口は扉の外に出ている。

 振り向けない。

 サイラス達は――少しずつ、後退ってきている。

 その向こう、鐘楼の中から誰かが姿を現した。

 ――誰だ。スティグマか? 見えねえ。

 スティグマにしてはシルエットが小ざっぱりしている。スティグマが連れていた少女では明らかにない。

 人影は天を真っすぐに指差すと、腰に手をて、小刻みに――ステップを踏み始めた。


「今は逃がしたくないなぁ。彼らにはね、まだ僕だけのスペシャルダンスを披露していないんで」

「お前は誰だ」


 ジャックが振り向くと、回廊の男もやはりステップを踏んでいた。

 タタンタンタンタンタン、タタンタタンタンタン……。

 それは外から聞こえる石畳上のリズムと少しだけずれ、重なり、まるで大勢のダンサーが奏でるようなタップダンスを――。


「まずは自己紹介を。僕は真実のセブンスシグマ。新米の勇者です」


 踊りながらだ。


「あっちのも紹介してくれ」

「彼は真実のセブンスシグマ。新米の勇者です」


 同じ奴が二人いるのか? とジャックは外廊下を見る。

 信じ難いが――さっきの狙撃が成功したのなら。


「どうです? 常人には不可能でしょう。こんな一糸いっし乱れぬダンスは一流のショーでも見られない。そうだよね? サイラス君、ジェイクス君。ジャックとお呼びしても?」

「構うな!! 逃げろ!!」


 ジャックが外に向けて叫ぶ。

 サイラスとミーシャは弾かれたように走り出し、鐘楼から現れたセブンスシグマの右と左をそれぞれに駆け抜け――たはずだった。

 だが二人は、セブンスシグマの両腕に捕らえられていた。

 確かに横を抜けたはずなのに。


無粋ぶすいだなぁ、ジャック君。夜はまだ始まったばかり。君達はお客さんなんだよ」


 すぐ横で、セブンスシグマが言う。

 鐘楼のセブンスシグマは両手に二人の手を取り、踊るように回しながら外廊下の中央まで躍り出る。

 そうら踊って! ハハハハ!

 そう聞こえた後に、二人の絶叫が響いた。


「……イカれてやがるぜ」

「イカしてるだろう?」


 最高の夜にしようよ、とセブンスシグマは笑った。

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