20.2 「お二人はまだやり残した仕事がございますので」

 マルケスは旅で訪れた国に長く逗留とうりゅうした。

 ノートルラントというその国の王は民衆に親しまれていた。

 マルケス達は手厚い歓迎を受け、しばらくは面白おかしく過ごした。

 やがて王、カイザル・ノートルラント十五世に遠くパルマ国境付近に巣食った邪神討伐とうばつを依頼された。

 マルケスと彼の仲間たちは邪神と戦って打ち払ったが、南部へ退しりぞかせたのみで討伐には至らなかった。

 この結果がカイザル十五世の不興を買った。

 マルケス達の扱いは露骨に悪くなったし、町に放り出された彼らは民草たちの王への評判も決してかんばしいものではないことに気付いた。

 民衆は王を恐れて、ご機嫌をとっていたに過ぎなかったのだ。

 残虐で冷淡。

 傲慢で浪費家。

 王も悪いが若き宰相ハマトゥの評判は輪をかけて悪く、トカゲかゴブリンかのように忌み嫌われていた。

 マルケスを旅に連れ出した者は、そのハマトゥの頼みで何らかの汚れ仕事に加担しているようで、仲間に黙って宿を空けることが多くなった。

 困窮した者、おとしめられた者――町人は次々にマルケス達を頼り、宿を訪れていた。

 それでもマルケス達は民衆を見捨て、ノートルラントを去ることにしたのだった。



***



 サイラスとミーシャは四階大会議室のテーブルに着かされていた。

 セブンスシグマによってその場にあった二つの死体が片づけられ、Uの字のテーブルには複数の白いクロスが敷き詰められてゆく。

 ジャックの姿はない。


「お二人はまだやり残した仕事がございますので」


 支度していたセブンスシグマがわざとらしい口調でそう言い残して奥へひけた。


「どうしよう。あいつほんとにヤバいよ」

「――どうこうできると思うかい? 逃げるにしてもまずこの縄をどうにかしないと……」


 二人は椅子に縛られていた。



***



 ジャックはセブンスシグマに車椅子を押されていた。

 入った会議室には椅子に縛られている男がおり、その前のテーブルにはやはりクロスが敷かれていた。

 ランプは一灯のみ。

 テーブルクロスの上にはコインが山と積まれていた。


「サイラス君達が外を通るまで、ここでちょっとしたゲームの途中だったんだ。こちらは元老院のハマトゥ院長。院長、こちらがジャック君」


 ハマトゥは硬直した面持ちで、首だけをジャックのほうへ向けた。

 老人は顔面に脂汗を浮かべ、ランプの明かりを反射していた。


「ここに百枚のコインがあってね。このうち一枚でも表が出れば彼の勝ちだ。残すところは二枚。これまでは全部裏だった」

「イカサマだ」

「そう言われないよう、このコインは来場者から集めた」


 ランプを翳すと、そこにはテーブルに座らされた他の死体が並んでいた。

 セブンスシグマはハマトゥの後頭部に狙撃銃の銃口を押し当てる。

 ジャックから奪った銃だ。

 あと二枚裏が出て続けたら、引き金を引くつもりなのだろう。


「さぁ、コイントスだ」

「や、やめろミール」


 首がお辞儀するほど銃口を押し付けられ、促されてもハマトゥは動けない。


「仕方がない。ジャック君、君が代わりにコインを投げて」

「いいけど、俺を恨むなよ」


 ジャックがコインを手にする。

 

「例えば君と僕がコインで勝負するとしよう。僕が勝つ確率は五十パーセント。僕が確実に勝つまで何回勝負すればいいだろう?」

「二回だろ」


 大窓から外を見ながら、ジャックは答えた。


「僕もそうだと思ったけどね。実験したら実際はそうはならなかった。何でだろうね?」

「そりゃ裏が二回続けて出ることもあるだろ。――ん?」

「そう。だから君が二回で確実に勝てるといったのは期待値の話だよ。二回だとせいぜい七十五パーセントってとこ。三回でも八割強。昼御飯なら悪くないけど命をけるにはちょっと心許こころもとない」

「そもそもコインに命を預けるのをやめたらどうだ」

「ところがこれを百パーセントにする簡単な方法があったとしたら? 抽選方法を変えてしまえばいい。確率の一番基本的な考え方は何だと思う?」

「さあな」

「事象――つまりある結果の確率は、それを構成する結果の確率の和。つまり足し算になる」

「わからねえな」


 窓の外の真っ暗な空。ジャックはそれを見上げる。

 おそらく午後七時くらいだろうか。日没から二時間ほどは経っていそうだ。


「コインを投げれば結果は二つ。裏か表だ。つまり僕が二人いて、それぞれに裏と表に賭ければいんだ。そうすれば僕の求める事象は『コインの裏か表がでること』。それぞれの確率は半分でも、これを足すことができる」

「そいつはすげえな」

「だろう? この力で僕は負け知らずさ」

「しかしどうかな。そんなことができるのか? 勝負は投げてみるまで判らねえ」


 そう言って、ジャックはコインを投げた。

 ハマトゥが椅子の上でびくりと暴れたが、何もすることはできずコインはジャックの手の中に落ちた。

 裏だった。

 セブンスシグマはけらけらと笑う。


「さぁ、残るコインは一枚。いよいよ最後だぞ!」


 ひいいい、とハマトゥは喘ぐ。


「ミール、何が望みだ! 言え! なんでも言うことを聞く!」

「元老院長、そんなあなたは見たくないなぁ。望みだって? あなたこそ一体何がしたかったんです?」

「何って――」


 ハマトゥは虚を突かれたような顔をした。


「長いこと国の中枢に居座って、何をしたんです? 何を手に入れたんです? あなたは何がしたかった? 単に人が思い通り動くのが面白かった?」

「ぐ――わ、私は、民衆のため、国家のためを思って」

「それがどうしてポート・フィレムを勇者に差し出すなんてことになった」


 ジャックが口を挟むと、ハマトゥは懇願するような顔をジャックへ向けた。


「差し出してなどいない! 断じて! 我々が差し出したのは大賢者とゴア殺しの犯人だけだ!」

「ああ、世話になったな。そのゴア殺しが俺だ」


 ジャックはテーブルの最後のコインを手に取る。


「ジャック君、君達を陥れた偽のオーシュもこの人の差し金だよ」

「畜生、騙された。余計なことしてくれたぜ。あの邪魔がなきゃ全部上手くいってたんだ。俺も死にかけずに済んだ。モートガルドも今よか少しマシだったろうさ」

「違う! あれはカスパーの発案だ!」

「カスパーさんは先に死にましたよ。あなたのせいだと思ってください。承認した責任者でしょう?」

「何のためにあんな回りくどいことをした」

「大賢者を手に入れるためだ! 我々が! 聖痕の男にあれを引き渡さなければ! ならなかった!」

「その聖痕の男は何のために大賢者を探していた」

「知らん! 知らんが――たぶん奴は勇者を増やすつもりだったんだ! 奴の計画のために、もっと沢山の勇者が必要だった!」

「それはお前の推測か? 根拠はなんだ」

「ハースの予測だ! 根拠など知らん! 報告書を読め!」


 誰だ? とセブンスシグマを見る。


「ハース情報局長。もう死んでるよ」


 こいつから引き出せる情報はもうなさそうだな、とジャックは思った。


「ジャック君、そろそろ最後の運試しを」

「狂ってる! お前は狂ってるぞ、ミール!」

「かもな。俺やお前より少しはな」


 ジャックはコインを投げた。

 また裏だ。

 セブンスシグマの言葉通りなら連続百回とも裏。


おおよそ百二十六じょう七千六百五十じょ六千二がい二千八百二十二京九千四百一兆分の一の確率だね。この人は運がない。僕が強運過ぎるだけかな?」


 顔面をくしゃくしゃにし、ハマトゥは唇を噛んでうめいた。

 ハマトゥの後頭部に押し付けられた銃口がぐりぐりと捻られる。


「ジェニファ……いや、銃を貸せ。こいつは俺がやる」


 ジャックが手を伸ばすと、セブンスシグマは「仕方ない」と銃を渡した。

 それをハマトゥに向けて構え――直後、セブンスシグマに銃口を向けた。


「この銃は俺のだ」

「あはは、なんだいそれは? ジェニファーってその銃の名前? 新しい余興はこの人を始末してからにしてよ」

「両手を挙げて頭に乗せ、膝をついてゆっくり床に伏せろ。妙な力は使うな」

「僕の話を聞いただろう? 君も理解したはずだ。僕を撃っても、当てることはできない。当たっても、僕を殺すことはできない。その小さな弾が僕の心臓を破壊できる確率は、そのコインよりもずっと低いんだ」

「たぶんな。だが有効な手段はある」


 ジャックは銃口を更にランプに向け、撃った。

 ランプが飛び散って、中の燃料をぶち撒ける。

 燃料はクロスに広がって引火し、燃え上がった。

 ジャックはテーブルを蹴って車椅子を大きく後ろに下がらせる。


「なるほど! やるもんだ――って出口はそっちじゃないよ?」


 大窓へ向けて車椅子を後退させるジャック。

 クロスの端を、ジャックは手に掴んでいた。

 燃え上がるクロスが、集められたコインをばらまきながら引き抜かれる。

 ジャックは空気魔術で大窓を破壊し、燃え上がるクロスをそこから垂らした。


「頭がどうかしたのかい? それを伝って窓から逃げる? 端を持っていてあげようか」

「ぶら下がるのはもう御免だ。お前らこそ息が詰まるぜ。換気・・したらどうだ」


 外から――ドラグーンの殺気立った叫びが聞こえた。

 血と煙の臭い。

 軍事用ドラゴンの好物だ。

 ――餌の時間だぞ!

 十機のドラグーンが真っすぐにこちらを狙って来た。

 次いで、燃え盛る質量弾が一直線に、ジャック達のいる会議室へ向けて――。

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