19.3 「乗客を見殺しにするお積もりですか」

 マルケスは旅で訪れた異国の地で、初めてのハンマーを握った。

 名匠と言われる武器鍛冶屋のアトリエでだった。

 それは武器ではなかった。

 ある石匠いしだくみの名人に頼まれて製造された鉱具だったがその木工名人が他界したため行き場を失くし、アトリエの一番目立つところに飾られていたものだった。

「丸損だよ」と丸い肩をすくめる鍛冶屋の横で、マルケスはハンマーとは武骨な道具だと思っていた。

 ただ重く、叩くだけの工具だと。

 しかしそれは本当に強くしなやかで、美しかった。

 安くしといてやる、と鍛冶職人は言ったがそれでも到底マルケスに払える金ではなかった。

 山のオークを狩ってやるからと提案したが、そんな安い仕事じゃだめだと突っぱねられた。

 暫く鍛冶職人のところに世話になったマルケスが知ったのは、地の魔術のことだ。

 四大要素魔術エレメンタルでありながら、火、水、空にくらべて存在感が薄いのは地の魔術が直接攻撃魔術の様式を持たないからだ。

 最高位ともなれば地脈を操って地津波すら起こせるとは、いささか神話みた物言いに聞こえた。

 地の魔術の本質は鍛冶であるというのだ。


「星なんてもんはどだい、どこまでいっても鉄でできてんだよ。その鉄と一層仲良くすんのが地の女神アセム様のご加護よ」


 職人は迷信深い。会ったこともない女神のことを里に出した娘のように語る。

 だがその話は、マルケスの胸を打ったのだった。



***



 列車は山間を走行中だった。

 右手にはギザギザした岩肌がき出しで、路線はその岩肌を削って作られている。左手側にかけては崖といっても良いような急斜面が下って、その先はのっぺりとした針葉樹の森が広がっている。

 薄っすらと夕闇に覆われつつある森の木々がなぎ倒された後、空から勇者・潰滅のイグズスが森の中に落ちてゆく。

 ジャンプは一進一退――列車が過ぎると大きな衝撃があって、また空からイグズスが落ちて来る。

 奴は自分のハンマーで地面を叩いた反動で跳びあがっては距離を稼いでくる。

 衝撃でやられた耳が戻る暇もない。

 一瞬だけオレは、滅茶苦茶遅いウサギと滅茶苦茶速いカメが競争したらこんな感じだろうかと考えた。

 カメは子亀を連れて縦に連なっている。ウサギはどこからひっくり返してやろうかと窺っているのか。

 ――ところで何で奴は森の中を進んでるんだろう。

 そんなことを頭の片隅で考えていると、奴はオレの疑問に答えるように線路を飛び越えて右の山肌に着地した。

 ガラス片でぐちゃぐちゃになった通路を横切って、オレは右側の窓から山の上を見る。

 列車の進行方向、尾根の上に奴は居た。そこから列車とその進む先を交互に見降ろしている。

 そしてまた一発地面を叩くと尾根に沿って山の上へと跳んで行った。

 思わず指差して叫ぶ。


「――上へ向かったぞ! 離れていく――ってロウさん大丈夫ですかその傷!」

「落石が、落石だ! 全員後方へ!」


 右の尾根を見たロウは血が噴き出すほどの声で叫んだ。

 落石――と見ると山肌を高速回転でバウンドして、砕けながら飛んでくる岩が見えた。

 警笛が何度も鳴るが――無意味だ。

 ガシャンと鋭い衝撃があって、岩は前方車両の右から左へと抜けていった。

 岩だけじゃない。

 一等客車の座席と、乗客までもが、左手の森へ向けて転がり落ちて行くのが見えた。

 岩のいくつかが前方車両を直撃したのだ。

 こっちの車両も大きく傾いたが、どうにか脱線は免れた。列車は両方の車輪をつけて線路の上を走り続けている。


「間もなくトンネルです! 奴はそれを見越して、山越えをしようとしている!」


 正気ですか、とやはり傷だらけのセスが頭からの出血を押さえながら唖然あぜんとした。


「この辺りが既に一千五百メートル級ですが、これから超えるアースマル岳は二千以上なのですよ……」


 確かに高い――壁のようにそびえ立つ、山脈の最後にして最高峰の輪郭が寒々とした空に浮かんでいる。


「とにかく、動ける者は負傷者の救助を! 私たちは運転席に行って最高加速を命じます!」

「加速だぁ!? 脱線するんじゃねえか!?」

「トンネルは真っすぐです! というよりこれはお互いにとって最後のチャンスで、且つ最悪の事態です! 奴より先にトンネルを抜けないと……!」


 もし奴が先に山越えをすると、トンネル出口で待ち伏せに遭うということだ。

 いや――おそらく出口自体がなくなっている。

 その後入り口もなくなる。

 そうしてA50とA51は、地上から消えてなかったことになるのだ。

 冬が来る。トンネルの復旧工事が始まるのは春だ。夏前には掘り出してもらえるかも知れないがこの列車に何が起きたかなどは永久に闇に葬られることになるわけだ。

 ――止まれ……はしないのだろうなぁ。


「止まれねえのかよ」

「無理です! この速度では制動まで十五キロかかります! トンネルの中です!」


 既に走り出したミラとロウがそう言い合っている。

 やっぱりそうだよなぁという話だ。

 オレも彼らに続き、一等客車に入った。

 落石が抜けていった一等客車――だったところは、壁はなく、座席も所々抜け落ちていて無残な有様だった。

 倒れていたうちの一人、ハックマンがロウを見るなりわめき声を上げた。


「お前達!! これはどういうことだ!!」


 最早ロウもミラも無視して歩き去る。

 セスが汚物を見るような目を向けた。

 ただ――責任を追及するとか不手際を責めるというより、純粋に判らないといった様子だ。必死なのだ。

 買収された二等の客がハックマンをいさめた。


「イグズスでさぁ。あいつが出てきたらもう敵も味方もねぇ。ぐちゃぐちゃのゴチャマンだ」

「狙いは何だ!? 鉄道事故を調べに来たんじゃないのか!? 事故を起こしてどうする!?」

「そりゃ旦那の言う通りですがねぇ、話の通じる相手じゃねえ。やることなすことなんでさ」


 そこだけはハックマンに同意する。

 しかしイグズスからしたら記事のために事件を起こすのもいとわないような奴にだけは言われたくないだろうとは思う。

 それにしてもイグズスに関してだけは「雑」という言葉で全てを説明しきってしまうのはなんだかずるい。

 でも――直接対峙したオレとしては、奴が雑で話が通じないという風評にも違和感があった。

 諸々もろもろを呑み込んで、オレはセスとゴードンを連れて一等客車を通り抜けた。

 先頭から動力車、炭水車ときて三両目、車掌車に入る。


「魔力は――? いけるか? 頼む。最高速だ――そう、もう加速を始めろ。以降警笛の使用は不許可。私はここに留まる」


 既にロウは伝令管を使って運転士と機関士に指示を送っていた。

 ここで決戦すると腹をくくったわけだ。

 列車が急加速するのが判った。魔術による補助は利くのが速い。


「間に合うでしょうか」

「間に合わせます。普通ならこのトンネルは抜けるのに十五分かかります。八分で抜ける」

「イグズスは山越えにどれくらいかかりますか?」


 セスとロウはなぜかオレを見た。

 まぁ、確かにイグズスが飛ぶのを一番多く見てるのはたぶんオレだ。


「ええと――一回のジャンプで大体百メートルくらい? でも間隔が大体三十秒くらいだから、上り下りに大体千メートルちょいとして」

「千六百はあるでしょうね」

「じゃあ十六回……ちょうど八分だ」


 セスとミラは頭を抱えた。


「いえ、いかなイグズスといえどこの高度と気温です。足元も斜面ですから、さっきみたいにはいかないでしょう」


 確かに。確かにそうだ。カメにだって勝ち目はある。

 列車はトンネルに入った。

 車掌車は窓が無事で、音もそれほどではない。


「車体へのダメージが大きい。グラスゴに着いたら、少なくとも列車の乗り換えは必要です」

「奴はどうして線路を狙わないのでしょうね」

「さぁ……列車に乗る予定があるのかな」


 オレがそう言うとロウとセスはハハハと屈託なく笑った。


「いやいや、ジョークじゃなくて。あいつは乗らないとしても、あいつの仲間は列車で来るんでしょ」

「線路もぶっ壊してたろ」

「ああ、正確にいうと壊してた。ただし上りだけ。ウェガリア方面の線路は無事なんだ。つまり下り方面の列車で、まだ何かが来る」

「仲間というと――ファンゲリヲンですか? だとするとこれは見過ごせないですよ」


 そうだ。そこから判ることは沢山ある。

 まずグラスゴにまだ仲間の勇者はいない。

 イグズスとファンゲリヲンは共にA50脱線現場にいたわけだ。車両をイグズスが、ゴードンに仕掛けられた首がファンゲリヲンによるものなのだからこれは間違いない。

 なのにスティグマが運んだのはイグズスだけ。何らかの理由で、他の勇者は運べなかった。

 重量オーヴァー……そんなわけはない。オレはファンゲリヲンを見ている。はっきり言って誤差だ。――ん? ファンゲリヲンを見たのはオルソーだ。

 つまりA50脱線現場から、ファンゲリヲンだけが別行動をとり先にオルソーに来たのだ。

 となればさっきの列車移動説は、思い付きにしては信憑性が高い。

 イグズスは、おそらくあのはた迷惑なジャンプを使わなければ足が遅い。ファンゲリヲンが単独行動をしたというより、イグズスが置いて行かれたのだ。足が遅すぎたから。

 イグズスは一時列車に並走までして見せたが、ほんの一時のことだ。走りながら話すのも結構辛そうにしていた。

 つまり奴は持久走が苦手。長距離の移動は無理だ。

 これはもしかして、奴に勝つためのたった一つの突破口。


「――脚だ」

「あ? なんか言ったか?」


 ミラは今更ながら「あんまりじろじろ見るなよ」と自分の脚を隠した。


「森を選んでジャンプしていたのも――脚へのダメージを最小限にするためだ」


 ミラはハッとして、オレの意図を察したようだった。


「クソ乗客どもにガラス片を集めさせてくるぜ」


 そう言って、たまたま車掌車の扉を叩いたハックマンの首根っこを引きずって客車へと戻って行った。

 突破口がみえた。

 またトンネルの出口らしきうっすらとしたほんの僅かなぼやけた光も見えてきた。


「予定よりやや遅い――九分になりそうです」

「ノヴェルさん、先ほどの計算ですが」

「はい」

「上り下りに同じ時間がかかる前提で計算していましたが――上りには余分に時間がかかるとして、下る方はもしや一瞬かと」


 確かに。

 平地なら百メートルだ。だが下りなら水平に百メートル飛ぶ間に、もっと高度を下げることができる。

 でも平均なら――いや、そんな計算に意味はない。そんなの山の形によるのだ。

 出口は。

 トンネルの出口はまだ通れるのか。


「で、出口は!」

「まだあります!」


 外はもう暗い。

 あまりよくは見えない。

 だが窓から顔を出して眼をらせば辛うじて見える。

 トンネルの闇と外の暗がりの差が生み出す薄く――今にも消えてしまいそうな弱い光が。

 奴のスピードと列車の速度の差が残す、トンネルを生きて出られる僅かな可能性が。

 眼を凝らして観測しなければ消えてしまいそうな――。

 その出口の向こうを――何かが横切った。

 イグズスだ。

 間に合わなかった。


「イグズスに先を越された!」

「なんてことだ」


 崩落か、それとも。

 今出口があるということは、あのイグズスでも出口を崩落させるのは容易じゃないということだ。


「ロウさん! 車両の切り離しを!」

「今更速度を稼いでも無理です! もう間に合いません! それに乗客を見殺しにするお積もりですか――ミラさんだって今後ろに!」

「違います! 先頭を切り離すんです! 運転士を戻してください!」


 ロウは頷き、伝令管に向かって叫んだ。

 すぐに運転士たちが車掌車へ這入はいって来た。真っ暗なトンネルの、はげしい轟音と共にだ。

 彼らは手際よく炭水車から先を切り離す。

 ガタンと音がして、身軽になった動力車は急激に速度を速める。


「いいぞ! 頼む!」


 文字通り神頼みをするポーズで、オレは動力車を見送った。

 出口まであと数秒。

 八、七、六、五――。


「頼む!」

「お願い!」


 二、一。

 先行する動力車が、トンネルを出た。

 と、同時に視界から消えた。

 最期の一瞬、イグズスの銀のハンマーが振りぬかれ、機関車の横っ腹を捉えるとそれを炭水車ごと山脈のほうへ――打ち出していた。

 勝った。

 奴にも時間の余裕はそれほどなかった。トンネルの出口封鎖ではなく、出てきたところを狙ってA50と同じように脱線させるほうを選んだ。

 奴が気持ちよくフォロースルーを決めながら、「おや? 車両が短いぞ?」と気付く頃、オレ達は慣性のみで奴の足元を――。


「抜けたぞ!!」

「やりました!!」


 オレは窓から後ろを見た。

 イグズスが丁度「おや?」となっているところだ。

 そして車両の窓と言う窓から、次々輝くガラス片がばら撒かれているところだった。

 それはまるで傷だらけのランナーのギリギリの勝利を祝うブーケの花弁のように――。


「天の川みたいですね」

「銀河の鉄道――悪くないじゃないですか」


 似合わないことをロウがしみじみと言った。

 あなた血塗れですよ。

 ミラはまだ残っていた窓ガラスも次から次へと砕いているようだ。

 とんだ天の川だ。


「ところで、もう南半球に入って随分経ちます。山も越えたので、見知った空は見納めですよ」


 セスが言った。

 オレは車窓から南の空を見る。

 南半球。更に山脈を超えたその先。

 北半球からでは見えない天の南極が見え始めていた。

 そこを中心に回る南の空に――星は一つもなかった。

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