19.2 「裸踊りをするとかかな」

「サイラス! ミーシャ! どこだ!」


 ジャックは声を上げながら庁舎四階を進んだ。

 陽が落ちても庁舎の照明は点かなかった。

 スリット状の狭い窓はもう役には立たず、廊下は暗闇に近かった。

 四階は思ったようなパニックではなかったが、階下からの悲鳴と外からのドラグーンの絶叫が入り乱れ平静には程遠い。

 ――まだ結構残っていやがるみたいだな。

 両方のことだ。

 日没を迎え、一体どのくらいのドラグーンが残っているのか何の情報もない。

 だいぶ始末しただろうにまだ避難が進んでいないということは、この庁舎に残戦力が集中しているのだろうか。

 ――何のために? 市民をここに閉じ込めておくためか?

 

「サイラス!」


 端から扉を開けてゆくと、その部屋の暗がりには数名、下から逃げてきたと思しき市民や役人が固まっていた。

 ジャックが飛び込むと彼らは一様に「ヒィッ」と跳びあがって驚く。


(なんだよ。俺がドラグーンに見えるっていうのか?)


 竜騎兵は車椅子に乗っていない。

 車椅・・兵だ。もっとも本来ドラグーンとは竜でなく馬であったとも聞く。ならばもしかすると、車椅子でも悪くはないのかも知れない。


「よう、正義のドラグーンだ。これくらいの少年と少女を探しているんだが」


 役人らしき女性が数名「あっちへ逃げた」と四階の奥を指差した。

 やはり正解だ。

 ドラグーンたちは二階より下へ向けて集中的に炎を吐いていた。

 しかも四階に入って初めて知ったが、ここの外周回廊の窓は下よりも狭く、頑丈だ。

 サイラス達なら四階に逃げる。ジャックはそう踏んでいた。


「助かる。一応聞くが、俺の助けは要るか?」

「誰か呼んできて」

「だよな」


 外は――? と男が小声を絞り出した。


「この周りには四、五十いた。うち十匹くらいはオレが倒した。皇室の部隊もきているからそれくらいはもう片付いたろうが」

「じゃあもう出られるのか!?」

「いいや、街から他のが飛んできてるみたいだ。ただ多くはないだろう」

「民王様の軍は――?」


 民王? そういや居たな、とジャックは素で返した。


「おお! 軍が来たならもう安心だ!」

「あ――いや、言い難いんだが、軍は見てない。街の憲兵は居たが手も足も出ずだ。居たなと言ったのはそんなのもいたなぁって話だ」


 喜んで立ち上がった男は再びぐったりと座り込んだ。

 ベリルの行政は民王の管轄だ。役人として思うところはあるのだろう。

 気の弱そうな女性がスッと手を挙げ「あの」と言った。


「少女と仰るのは、何歳くらいでしたか」

「ああ、女の年齢を聞くべきじゃないな。特に男にはな」

「あの、冗談じゃなくて……その」


 ジャックも別に冗談のつもりはなかった。本気で訊かれても困ると言いたかっただけだ。


「その、何だ?」

「二人いたもので」

「――少女って感じの女の子がか!?」


 彼女はうなずく。


「それはもしかして、黒と紫の、変なドレスみたいなのを着ていたか?」

「はい。変わったお洋服でしたので、よく覚えていて――」

「どこにいた!?」

「この階の廊下を歩いていて――外があんなのことになってるのに、平然と……大丈夫かなって。あ、でも銀髪の、やっぱり変な服の保護者の方と一緒だったようなので」


 間違いない。午後、ジャックを追跡して老人のアパートを訪れたあの少女だ。

 しかもスティグマも一緒だ。勇者の一味であることに疑いの余地はない。

 この惨事を引き起こした張本人の可能性がある。


「いつ見た?」

「……判りません。でも銃声は聞こえていたので」


 なら午後四時過ぎ。皇室部隊による包囲が始まった後だ。

 それならば勇者はもう外には出ていないはずだ。少女は一般市民に紛れることができてもスティグマは悪目立ちするだろう。

 ――しかもまだここに留まっているということは。


「助かったぜ。必ず助けを呼んでくる。それまでここを動くな。大窓からは離れろ。いいな?」


 ジャックはまた廊下に出る。

 奴らはここに居た。まだいる可能性が高い。

 ――なぜだ? ここがでっかい密室だから?

 予見できなかったことではあるまい。だが避けなかった。つまりこれは勇者たちが望んだ状況なのだ。


(奴らの目的は最初からここってことなのか?)


 ジャックは廊下の一番奥を目指す。

 だがこの建物はロの字型であり、正面側の階段で別のフロアに繋がっている以外はループ構造になっている。


(一番奥ってどこだ? サイラス達の逃げ込みそうなところは――)


 人の多いところ? いや、逆だ。

 人が固まっていると標的になりやすい。彼らはそれを知っている。


(狭い部屋だ。狭くて頑丈な――金庫。いや入れない。待てよ、ロの字? 大窓?)


 ジャックは手近な部屋に飛び込んだ。



***



 大窓から外の様子を窺がっていたミーシャは、ふと我に返って背後のサイラスを見た。


「わたしたちっていつもこんな目に遭ってるよね」


 そのサイラスは大窓からは距離をとり、暗がりに溶けている。

 辛うじて輪郭が見えるだけ。

 そうだね、とサイラスは例によって気の弱そうな声を出し、少し笑ったように感じた。

 ――どうしてこの子はこうなんだろう。

 母親のような心境でミーシャは溜息をきそうになるのを我慢した。

 芯が弱いわけでもない。体が弱いわけでもない。むしろ頼りになるくらいなのに、自信がないのだ。

 いつも根拠のない自信にあふれているノヴェルとは対称的だ。

 ノヴェルは弱く、それ故に孤独を選んでしまう。その癖無鉄砲で、いつも自分のしたことの始末に追われて駆けずり回っている。

 今だってきっとそうなのだ。ジャックは詳細を教えてはくれなかったが、そうに違いないのだ。

 だからミーシャとしては支離滅裂なことを言うしかない。


「やめて」


 というとサイラスの影はビクリと動いて、絶句した。

『自分から振っといてなんだよ』と言いたいだろう。自分でもその通りだと思う。

 同意して欲しかったんじゃない。気休めでも打開策を考えて欲しかったんだ。


「何か言ってよ」

「何かって何を……」


 めんどくさい奴だと自分でも思う。

 こういうときはノヴェルを引き合いに出すと良いのは知っている。でもノヴェルが何をしているか、お互い情報がないことは確認済みだ。


「ノヴェルは今頃走り回っているわよ」

「……そうかもね」


 だめだ。これじゃ面倒臭い上にいやな奴だ。その上暖簾のれんに腕押し。


「日が暮れたのよ」

「そうだね」


 ……。

 どうしちゃったの、とは聞いても仕方がないし理由は想像がつく。

 ドラグーンの襲撃が始まってすぐ、ミーシャ達は一階にいた。

 サイラスはすぐに逃げるべきだと提案したが、すぐに何が起きたかを把握して動く人間は殆どいなかった。

 外で何か起きたとは誰もが気付いたが、自分の順番待ちを放棄することはできなかった。

 ミーシャ達はジャックが何かに巻き込まれているという情報を持っていたので、本来であればサイラスの言う通り即座に逃げるべきだったのだ。それができる数少ない人間であった。

 だがポート・フィレムの事件の後ではすぐに逃げてどうこうなるとも限らないとも、また既知のことなのだ。

 逃げるなら街を出なければ意味がないが、手続きは混みあっていて一向に進まない。

 そのことがミーシャの判断を鈍らせた。

 やがて上階からパニックになった人たちが逃げてきて、何が起きたのかを知った。大勢が慌てて脱出しようとしたため、狭い出口は渋滞した。

 そこへ吹き抜けを突き破って、ドラグーンの火球が直撃したものだから一階、二階はまとめて大パニックになった。

 我先にと押し退けて外へ出た人たちもすぐにドラグーンの標的になったようで半数くらいはまた戻って来たため、出る人戻る人が衝突し出口は混乱をきわめた。

 サイラスとミーシャはどうするべきかすぐに判った。

 混乱を避け、倒壊の危険の少ない上階で身を潜める。

 今はドラグーンだが――やがてもっとくないものが来る。

 武器でも魔術でも、まして対話でもあらがえない何かが来る。

 そこは合意したが、そもそもサイラスの忠告を聞いておけばこんなことにはならなかった。

 それ以来二人の間には妙な緊張感が漂っているのだ。


「……怒ってる?」

「……怒ってなんかないよ」


 嘘だ。会話がまるで続かない。

 外は急速に暗くなってしまった。

 ぼんやりと辛うじて輪郭が知れるだけで、表情はうかがい知れない。

 とりあえず四階の手近な部屋に隠れたミーシャ達だったが、落ち着かずに次から次へと部屋を移動した。

 どこにいても空を飛ぶドラグーンたちからは見られている気がしたし、かといってこちらから外が見えないのも怖い。

 場所によっては壁に打ち損じた流れ矢が当たる音が響いていた。

 ドラグーンのき声、羽音。

 中庭に木霊こだまする人々のわめき声。

 暗いが静寂はない。

 空にはまだ照明に照らされて飛ぶ十数匹のドラグーンの姿があった。

 庁舎上空を旋回しながら、逃げ出す人間を狙っているのだ。

 暗くなり始めてから銃声は減り、打ち損じた矢が飛んでくる音もしなくなった。

 視認性が悪くなってお互い手をこまねいているのだろう。

 膠着こうちゃく状態というやつだ。


「わたし達みたいじゃない?」

「……何が?」


 この大きな部屋に逃げ込んだとき、既に外も中も真っ暗だった。


「ねえ、わたしがこの窓から中庭に降りて逃げるって言ったら止めてくれる?」

「そりゃあ止めるよ」

「じゃあそれよりマシなアイデアがある? あるならわたしは飛び降りるのをやめる」

「……さぁ」


 しっかりしてよ、と出掛かった言葉をミーシャは飲み込んだ。

 これ以上怒らせても仕方がないのだ。


「ノヴェルならどうするかな?」

「ノヴェルに訊いてよ」

「……きっと馬鹿なことを考えるわ。想像を絶するような奇策をね」

「例えば?」

「裸踊りをするとかかな」

「四階から飛び降りるよりはマシじゃないかな」


 四階といっても普通の建物でいえば六階近い高さがある。

 落ちても運が悪くなければ死にはしないだろうが、両足の骨がきれいに折れて動けなくなるだろう。着地の衝撃で体が折れて、脚だけでは済まないかも知れない。

 ――それに比べたら裸踊りのほうが確かにマシか。


「じゃあこうしましょう。部屋の灯りをける」

「ドラグーンに見つかるよ」

「見つかるわね。ここに飛び込んで来たら、捕まえて乗って逃げる」

「それはいいね。いかにもノヴェルが言い出しそうな突飛なアイデアだ。おとり役はぼくがやればいいんだろう?」

「調子がでてきたじゃない。じゃあ灯りを点けるよ」


 ミーシャが掌を広げ、それがやや輝きを帯びるとサイラスは慌ててその手を掴んだ。


「何してるんだミーシャ! やめなよ!」

「点けるって言ったでしょ!?」

「本当にやるとは思わなかった! 何のために隠れていると!?」

「逃げるためでしょ!」

「違うよ! 生き残るためだ! ノヴェルは関係ない! 突飛なアイデアも……今は必要ないんだ!」

「そうね。ノヴェルは関係ない。ここにはわたしとあなた、二人しかいないもの」

「何が言いたいんだい」

「聞いてサイラス。そのあなたが、怒ってるのか笑ってるのか、怖がってるのかも判らない。あなたの表情が見えないのが不安なの」

「――不安にさせてごめん。その……」

「それよ! それなの! でも付き合い長いし、普通なら判る。普通ならあなたがもしかしてそこにいないかもなんて考えもしない。でも」

「わかった。それじゃ少しだけ。窓を離れて、そっちのテーブルまで行こう」


 大きな部屋の真ん中にテーブルがあった。

 彼女の肩にサイラスの手が触れる。

 彼女は部屋の、おそらく中ほどまで誘導され、少なくとも窓からは充分に離れたのは判った。


「いいかい。少しだけだよ。灯りが消えても、僕はどこへも行かない」

「わたしを見捨てたりしない?」

「バカなことを。そんなことするわけないだろう?」

「灯りはわたしが点ける」

「君のは回転するから目立つ」


 ミーシャはかたくなに「わたしが」と主張した。

 サイラスの火魔術なら、確かに安定した明かりを灯せる。揺れも回りもしない。

 でもそれがなぜか厭だったのだ。ここでサイラスの炎を見るのが厭だった。

 いくよ、とミーシャが手をかざし、やや発光する。

 すぐに輝く小さな球体が二つ出現し、それらはもつれながら回転する。

 部屋を照らすには全く頼りないが、テーブルの周囲だけは少しだけ見えるようになった。

 倒れた椅子。倒れた老人――。


「誰――!?」


 二人は絶句した。

 テーブルやその周辺には、沢山の老人が突っ伏したり倒れたりして絶命していた。


「い、いや――」


 ミーシャが叫びそうになるのを、サイラスが口を塞いで止める。


「し、静かに――! これは」


 ドラグーンによるものでは勿論ない。

 皆、首をあり得ない方向に曲げたり、口の中に布を突っ込まれて――。


「殺人だ」



***



「見えた! いいぞ!」


 ジャックは部屋の窓から中庭を見張っていた。

 ロの字型の構造、廊下は外周を、部屋は皆その内側にある。つまりどこかの部屋から他の部屋を見て回った方が早い。

 幸い狙撃銃がある。

 敵を先に見つけられれば、こちらが圧倒的に有利。

 だが、既に外はすっかり暗い。

 作戦を変えようか迷っていたところ、突然ある部屋の灯りが点いた。

 酷く不安定な灯りだったが、それはポート・フィレムの灯りに違いない。


「ミーシャ! サイラスも――ん? あれは」


 ジャックもスコープ越しに、テーブルの上の複数の死体を確認した。


「なんだこりゃあ――どうなってる」



***



「ミーシャ、静かに。これは人殺しだ。誰かに殺された」

「こ、こ、殺されたって――」


 とにかく、とサイラスは考えを巡らせる。

 ドラグーン襲撃のどさくさに紛れて、元老院メンバーらしき老人をまとめて殺した者がいる。

 誰がこんなことをやったのかはさておき――。

 もしドラグーンのせいにするならこれはまずい。一目で違うと判る。つまりこれは犯行の途中だ。

 ならば――。


「ここを出よう」

「誰がこんな」

「ミーシャ! それは後だよ。ここにいたらまずいと思う」

「まずいって……どういうこと? まだ終わってないの?」


 それは、と言いかけてサイラスは再びミーシャの口を塞ぎ、壁際へ向けて彼女を押した。

 ドアの方から足音が聞こえたからだ。


「サイ――!?」

「し、静かに、誰か来る――」


 ドアが開いた。

 真っ暗な室内に、誰かが入ってくる。

 部屋に入って来た人物は、いきなりテーブルの上のランプを点けた。

 そして、驚きもせずに言う。


「おや、こんなときに上に逃げて来るとは――運の悪い子供たちだねぇ」


 男はへらへらとわらいながら言った。

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