Ep.19: この隧道を往く者は生の穢れを棄てよ

19.1 「でな、切符ならあるぞ」

 両脇の山が作る日陰の谷。それよりも高いところで西日を受けながら、イグズスは列車の遥か上方から投下された。

 ――あれが、潰滅かいめつの――。

 認識がまとまるのと同時に、潰滅の名を冠する勇者は砂煙を上げて、列車のわずか後方に墜落した。

 煙の中で、ゆっくりと立ち上がる巨人。

 やべえ。マジででけえ。


「あ――ありえねえでかさだ」


 列車の高さを二メートルとしよう。

 そしたら大体二倍くらいだろうか。身長がそれだけあれば幅も半端なくごつい。まるで巨岩だ。

 イグズスとの距離は開き、間もなく百メートルほどにもなりそうだったが、本人はあまり気にしてないようだった。

 あの高さから落ちて、ダルそうに首を回しただけ。

 やおら手にした、岩盤でもブチ割りそうな長柄の巨大ハンマーを両手で振り上げると、それで地面を叩いた。

 するとその反動で、奴の巨体が空中へ跳びあがる。

 オレ達はその衝撃で転げた。

 列車のややカーブした屋根の上を軽く転がる。

 梯子のところで巨人に見惚みとれていた乗客はたまらず手を離して、途中下車――列車の後方へゴロゴロと転がっていった。

 オレは転がった先で、必死で屋根の出っ張りにつかまる。

 後ろ――列車の進行方向を見るとミラもゴードンを抱えながら必死で掴まっていた。


「中に戻るぞ!」


 同時に、列車のすぐそばにイグズスは着地した。

 屋根の上の小人三人をて――奴はニヤリとわらった。

 戻ってどうなるという気もするが、ここにいるよりはマシだ。


「前へ!」


 ミラは向かい風に逆らって進行方向へ走り、十九号車と十八号車の連結部に飛び降りた。


「待てよぉ、ミランダ・・・・。ミランダだろ?」


 オレじゃない。イグズスがそう言った。

 右を見るとイグズスが列車と並走している。

 上りの線路を滅茶苦茶に踏み壊しながらだ。


「お前は待ってくれるよなぁ? ジャック」


 オレはジャックじゃない! 随分若いだろうが!

 もっともこいつからしたら、小人のディテールなんか誤差みたいなものなのかも知れない。

 イグズスは屋根の上に手をかざして、デコピンをするようにそのゴツい中指に力をめる。

 勿論、オレに向けてだ。


「お前の席、くれよ」


 そう言うと、イグズスは中指を弾いた。

 指だけでオレの手首くらいの太さがある。

 その瞬間、列車が急加速しオレは転んだ。

 中指は勢いよく風を斬って、オレのすぐ目の前を通り抜けた。


「転んでんじゃあ……ねえよ、ウスノロ!」

「うるせえ、バカ野郎! 切符買って出直せ!」


 聞こえねえなぁ、と言いつつもイグズスは若干不機嫌そうな顔をした。

 列車はだいぶ加速したのに、奴はついてきている。それだけでも脅威きょういだが――さすがに少し辛そうだ。

 こっちはまだだ。まだいけるだろう。さっきゴードンの暴走機関車から逃げていたときは、まだまだこんな速度じゃなかったはずだ。


「俺は馬鹿じゃねえよ。数字も判るしな。計算もできる。ほで、頭がいい」


 聞こえてるじゃねえか。


「――でな、切符ならあるぞ。ごまんとな」


 そう言うと、イグズスはどこであつらえたのかサイズのよく合うチョッキの胸ポケットをまさぐり、何かをその大きな手一杯に取り出した。

 中空に向けてそれをバラく。

 ばら撒かれたそれは花びらのようにひらひらと、風に負けて列車の後方に流れていったが何枚かは屋根に落ちた。

 オレはそれを拾って、見た。

 立ち上がって逃げるのも忘れてしまった。


『ベリル発ウェガリア行 午前五時発 自由席十六号車乗車券――A50』


 血塗ちまみれの乗車券。

 A50の全車両をハイジャックしたのは――こいつだ。


「お前が――」

「ほで『切符を拝見』っていうんだろ? 見ちゃった? でな、見ちゃった奴は生かしちゃおけねえ――って言われてんだ」

「ふざけんな! A50を返せ!」

「すまんすまん、手違いだ。だから、返してやった・・・・・・ろ。あ――何? お前も俺にそういう顔するの? ファンゲリヲンにも散々怒られたのに」


 何もかも理解した。

 黒幕は放蕩ほうとうのファンゲリヲンだ。駅でたった一度見かけた、あいつは列車事故に偽装してオレ達を始末しようとしたが――こいつはA51とA50を間違えたのだ。

 手違いで別の列車を潰した奴らは慌てた。

 足止め、爆発物を仕掛けた機関車――ゴードンを操ったのは機関車をオレ達にぶつけて走行不能にするためだ。

 オレは血塗れの乗車券を拾い、立ち上がった。


「何してるノヴェル! また死ぬ気かよ!」


 連結部のところからミラが顔を出して叫んだ。

 オレは人差し指を立てたジェスチャーで「加速して」「錠を抜け」と示した。

 ミラは――さすがに何の気遣いも見せずに頷いて降りた。


「イグズス! てめえだけは絶対に許さねえ!」

「はあん。お前も俺を怒るのか。ほで、許さねえと……どうする?」

「ぶち殺すって言ってんだ!!」

「お前……おもしれえなぁ。ほで、どうやって?」

「てめえの仲間の、ゴアとソウィユノ、それからオーシュも! 全員オレが殺した!」


 へぇ、とイグズスは驚いたような、感心したような表情をした。


「そいつぁすげえや。よくやるなぁ! ゴアはともかくソウィユノとか、オーシュなんかどうやって捕まえたんだよ?」

「あいつが興味あるエサで釣った!」

「おお! あいつそうゆうとこあったよなぁ! マジで! 礼を言うぜ!」


 ――礼?


「ほで、ほでな? メイヘムの奴もか?」


 ――メイヘム?

 そういえばそんな名前の勇者がいると聞いた気もする。

 古パルマ語じゃ-emは神格を表す変形だ。今でもこの大陸の人間なら俗語には使わない。

 列車が再び加速した。ミラが伝えたんだ。

 山肌がぶっ飛んでいく速度。これだ。これが最高速だ。

 イグズスはやや遅れ始めた。


「おい、行くな! ぶっ殺してくれるんだろ!?」

「今じゃねえ! 首洗って待ってろデカブツ!」


 オレは車両の上を駆けだす。

 案の定、奴は車両の最後尾を走って追いかけ始めた。


「行くなぁ! おぉい! ほで! もっと話をしようぜ! せっかく!」


 話だって? もうこっちの声は聞こえまい。お前の地鳴りみたいな胴間声と一緒にしないで欲しい。

 振り返ると奴は、手にした長い柄の巨大なつちを肩越しに振り上げていた。

 ――くそ、やっぱそう来るか。

 逃がしてはくれないようだ。

 オレは車両の連結部に辿り着き、下を見る。

 誰もいない。


「ミラ!」


 見ると次の車両の連結部から掌が振られている。十八と十七の間だ。

 ハァッ!? 遠い!! 遠いんだよ!!

 オレは再び全力で、風に逆らい、ガタガタと揺れ狂う車両の屋根を――走る。


「話を――!!」


 イグズスが振り合上げたハンマーに力をめる。

 待ってくれ。もう少し。

 次の車両まで。


「――しようぜ!!」


 横からハンマーを振り下ろす。

 ガツンと、爆音よりも酷い音がして後ろの車両が吹き飛ぶ。

 連結されたオレの足元の車両も左へと引っ張られ、消える。

 オレは――跳んでいた。足元が消える瞬間、オレは自力で跳んだはずだ。

 向かい風。

 連結部デッキはやや遠い。

 だが慣性を信じろ。物理を信じろ。

 切り離しは間に合っていた。十九、十八号車は脱線し、足元から山の中腹に向けてすっ飛んでいったが、十七号車から先は無事だ。

 オレはあのデッキまで――届くはずだ。

 ミラとセス、ロウの待つあの場所まで。

 ミラがオレの手を握った。

 足元はやや足りず、オレは落ちた。彼女の腕を支点にして、連結部に腰を激しく打ち付ける。

 オレはまた線路に落ちる寸でのところで彼女に助けられた。

 振り返ると、全力でハンマーを振り抜いたままのイグズスがこっちを見ていた。

 左側遠くの山肌に、烈しく激突してバラバラに砕け散る二つの車両。

 奴はまだ無事な車両があることが信じられない顔で――止まっていた。



***



 助けられたオレはミラ達にイグズスから得た情報を話した。

 A50はA51と間違えられたことや、その後機関車のみを線路に戻したこと、ゴードンを操っていたのはファンゲリヲンであることだ。

 どうやってイグズスがA50を脱線させたのか、それは自分たちの目で見なければとても信じられなかっただろう。

 たった一撃で軽々と二車両を吹き飛ばしたあの怪力だ。

 先頭側の重い車両を狙って叩けば、一発で全ての車両を線路上から消せただろう。大した痕跡も残らない。細かい破片や燃料は葉っぱの下に入ってしまえばパッと見は判らない。


「勇者イグズスはこの車両をもう諦めたと見ていいのでしょうか」


 オレは血塗れの切符をもう一度見せた。


「どうだろうな。行先はバレてる。奴らも焦りはしないだろうけど、それだけに――」

「警戒するだろうな。逃したとなりゃあたいらもこのままおめおめとウェガリアに行くとは限らない。奴らはそう考える」

「では――追いついてくると? 可能ですか?」


 現に一度は追いついた。

 上空からのドロップ――どうやったのかは、見たオレにもそのトリックは解明不能だ。

 でもあんなことができそうな奴には一人心当たりがある。


「スティグマだ。――あいつがその気になったらオレ達は逃げきれない」

「あの爆発の後ですから、当列車の位置が割れたのは不思議ではないとして――本当に貨物車が飛んでいたのですか? 飛行機ではなく?」


 貨物車のように見えた。それに飛行機とは何だ?


「飛行機でも今のところは想像上の存在です。模型スケールでの実験ですらまだ――」


 ロウが飛行機と言い出したので、セスは困惑しているようだった。

 ロウによると飛行機とは空を飛ぶ乗り物だ。実在はしない。それでも人類の空を飛びたいという欲求は根強いらしいのだ。


「かつてある王朝の高名な学者は、椅子に黒色火薬を入れた筒を多量くくり付け、それで宇宙に行こうとしたと記録があります。今でも世界中で、様々な飛行機を試作しては年間三百人くらいは墜落死しています」

「その学者はどうなったんだ」

「制御不能で墜落して爆発。死体も残らなかったとあります」


 やっぱりオレにはまるで理解できない話だ。

 でもあの瞬間、確かに目撃者は皆茫然ぼうぜんと空を見上げ、見惚みとれていた。

 聞けば聞くほどスティグマにしか不可能だという気持ちになる。

 しかもあんなチートを使われてしまっては、イグズスの移動能力を見積もるのももう無理だ。

 その点はロウもセスも同意見のようで逃げ切れたかどうかの議論は無意味と思えた。


「オレ達が逃げ切れたかは判らないけど、追いつかれた場合も対抗できない。ここはとりあえず駅まで逃げ切れたとして考えたほうがよくないか?」

「当列車は間もなく山越えし、すぐにグラスゴに到着します。いくら何でも、勇者が駅で暴れますか」

「イグズスじゃ無理だろうけど、ファンゲリヲンって奴なら上手くやりそうだな。おそらくソウィユノタイプだ」


 同感だぜ気持ちが悪ぃ、とミラは取り出した子供の生首をにらんだ。

 ところで、とセスが疑問を口にする。


「聞くところによると残る勇者は四人。そのうち二人が列車の襲撃に加担していたとなると、ベリルを襲撃したのは何者なのでしょうか」

「セシリア、ベリルの心配をしている余力まではないぞ」

「そういえばメイヘムって勇者をオレ達が殺したのかどうかと聞いてたぞ」


 戴冠たいかんのメイヘムですね、とセスが言った。


「七勇者一の武闘派と言われますね。力ではイグズスには及ばないものの、戦闘技術に長けて全ての魔術が通じないという噂も――」

「年寄りにファンが多い。最近はあまり聞かない名だな。ここ十年は聞かない」


 あのぅ、グラスゴまで逃げたあとの話は――? と思ったがロウまで乗っかってしまったら議論の矛先ほこさきを戻せない。

 いやでもグラスゴから先どうするかなんて、それも出たとこ勝負なんじゃね? という気もするから定まらない。


「マスクしたジジイか? デカヨロイか?」


 不意にミラがやぶから棒が出たみたいな問いかけをした。


「――? まぁ、そこそこ高齢かも知れませんが、どちらかと言えばデカヨロイかと」


 ふぅん、アイツか、とミラは納得してみせた。

 そういえばミラはオーシュの意識世界で何かを見たとも言っていた。


「待てよ? 戴冠の――メイヘム?」

「メイヘムはモートガルド古語で『騒乱』を意味します」

「戴冠――新聞記者の別名ってなんだっけ」

「それは無冠です。無冠の――帝王」


 そして名の意味は『騒乱』――自分でそう言ってセスは少し考え込んだ。


「――ハックマンの見張りを強化しましょう」

「無関係と思うが、一応……念のためな」

「で? ベリルの犯人は? 判らずじまいか?」

「正体不明の七人目の可能性が残りますが――メイヘムは死んだのですか?」

「イグズスはそれっぽいことを言ってたけど、どうかなぁ」

「生きていたとしても、メイヘムならそんなからめ手はやらんでしょうなぁ」

「スティグマ本人が直接てのはどうだ?」

「あり得ない。スティグマはこっちでイグズスの配備をしていたんだぞ」


 イグズスを配備できたのはスティグマだけだ。そこは間違いないと思ったのだ。

 でもミラは「断定するんじゃねえよ」とたしなめるように言った。


「見たのか? スティグマを」

「いいや、姿は見えなかったけど……」

「じゃあ判らねえだろ」


 それもそうなのだ。

 スティグマがこっちへ来ているなら来ているで、何故奴が直接手を下さなかったのか――判らないことだらけだ。


「――議論は出尽くしたでしょうか。それでは当列車は間もなく、ウェス・アースマル山脈最長のトンネルに入ります」


 ロウは心なしか楽しそうにそう言った。

 そのときだ。

 見覚えのある地鳴りが響いて、列車が再びおかしな振動に見舞われ始めた。


「車掌! 車掌――!! 大変だ!!」


 隣の車両から大騒ぎが聞こえてくる。

 やめてくれ、その先は言わないでくれ。

 ドーン、ドーンと地鳴りは断続的に、どんどん大きくなってくる。

 この振動は――体が覚えている。

 どうやら列車は崖のような場所を走っているらしく、列車進行方向に対して右側は山肌で左側は下った先に針葉樹の森がある。

 その窓の外を流れる針葉樹が、突然列車後方側からメリメリと倒れてゆく。

 針葉樹の波はあっという間にオレ達を追い越して、それとまったく同時に内臓を背中から蹴られるような感覚があって窓ガラスが粉々に吹き飛んだ。

 立ったままだったロウとセスは吹き飛ばされるように転ぶ。

 オレも座席から放り出されそうになって、必死に掴まった。


「――!! ――!!」


 ガラス塗れで血塗れになったロウが起き上がりながら何かを叫んでいる。

 叫んでいるが――何も聞こえない。

 耳をやられた。

 衝撃波だ。

 イグズスだ。

 奴があの、壊滅的な移動方法を使って列車に追いついたのだ。長い柄のハンマーで地面を叩き、その反動で信じられないほど高々とジャンプするあの移動方法だ。

 しかも今度は、今度こそは――。

 潰滅させるつもりだ。

 そう感じた。

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