18.5 「ゴードンを……お願いします」

 十八号車に向かう間、ミラが小声でオレを呼んだ。


「さっきの変態殺人鬼の話だがな。ジャックには言うな」


 ジャックには言うな――だって? なんでここでジャックの名前が出てくる?


「理由はあたいには言えねえ。とにかくそれだけは言っとく。その方がアイツの為だ」


 あのミラがジャックをおもんばかるなんて。

 正直意外過ぎてその真意を考えるのを忘れていた。

 というより仲間だからだろうか。大事なことなら勘繰かんぐらなくてもいつか話してくれるのだろう。

 十七号車に着いた。

 十八号車はこの隣だが、そこへ至る連結部への扉は強面こわもての乗客らによって封鎖されていた。

 係官らの話では、二等客車の客らがゴードンを取り押さえ、排除しようとしているらしい。

 もし記者ハックマンの話の通りなら――これはまずい。

 本当にこれで爆発する爆弾があるのかはともかく、そこで悩んでいる余裕はなさそうだ。

 爆弾魔ギルバートの模倣犯はこの騒動をこそ望んでいたのだろうか。


「お客様方! おやめください! 彼の者は皇室護衛部に保護され、管理下にあります! この場を離れ、係官にお任せください!」


 ぞろぞろと一等客車の客らもオレ達についてきた。野次馬以外の何物でもない。

 セスが「ハックマンを近づけないように」と指示した。奴の不用意な発言を警戒したのだ。

 奴は少しおかしい。多分自分の作り話の模倣者が現れて嬉しいのだろう。妙な高揚感に支配され、今にも頭が割れて悪魔が飛び出してきそうに見える。

 何より、ああいう奴を警戒しなければならないくらい、既に一触即発の空気が出来上がっていたのだ。

 ロウを中心とした一等客室組と二等客室組の間には、瞬時にして異様な緊張が構築されつつある。

 あちらはこちらを、こちらはあちらを信頼していない。

 不信の壁。新聞記者が大好きなアレだ。


「誰だおめえはよう。挨拶もなしかい。車掌を寄越せよ」

「大変失礼を。ハムハット車掌は先ほどの騒動でこの場におりません。私はロウ・スナイデル車掌代理」

「俺達ゃよう、二等だが正規の客なんだぜ。それが自分の席を譲って、車両を移ったんだ。あんたの顔を立ててやったのよ」

「ご協力痛み入ります。重ねてのお願い、大変恐縮でありますが」


 難しい話はわかんねえんだよう! と数名が怒鳴り声を上げた。


「静粛にお願いします。冷静に。とにかく負傷者の件は我々にお任せを」


 そうだそうだ! と一等の客らが尻馬に乗る。

 ロウが我々と言ったのはあんた達のことじゃないと思うぞ。


「あんたらの要求は何じゃ! あの男は、今にも爆発するかも知れんのじゃぞ!」


 要求――要求なァ、と男は天井を見上げた。


「強いて言えば安全な旅だ。お前らが居なくなりゃァイイ」

「手荒な真似なんかしねえよなァ。車掌サンよ、代理でも判ンだろ? あんたらの言う『安全で快適な旅』だよ。俺達はそれが欲しい」


 一等の老紳士は顔を真っ赤にした。


「わしらに降りろというのか! どだい無理な話じゃ!」


 何言ってんだこのジジイ、と冷ややかな反応があった。

 ロアは老紳士に「お下がりください」と強い口調で命じた。


「負傷者は危険な状態です。仰る通り、安全で快適な旅のために、我らにお任せください」

「それが信じらンねえからこうやってんだよ!」


 仕方がないですね――とロウが帽子を取った。

 皇室の精鋭部隊が、戦闘態勢をとる。

 セスが前に出た。


「鉄道法の定めるところにより、運行妨害現行犯であなた方を逮捕します」

「オイ、やんのか? 俺達ゃ、冒険者としちゃちょっとしたもんだぜ」


 先に動いたのは向こうだった。

 誰が、じゃない。扉の前に陣取っていたうち七、八名がほぼ同時に、狭い通路と座席の上を通ってこちらへ襲ってくる。

 それは驚異的なコンビネーションだった。

 森や、狭い洞窟で戦い慣れている冒険者だからなのだろうか。

 手刀をナイフに見立てるだけで、一瞬でオレの視界に――ありもしない鋭利な刃物を出現させる。

 それは護衛部隊にとっても同じだったらしく、あのロウが一瞬だけひるんだ。


「な――武器を――?」

「幻覚です!」


 幻覚と判ってもどうしようもない。体が勝手に応じてしまうのだ。

 彼らは次々に繰り出される斬撃に防戦一方。

 ある者は座席の陰に隠れながら、またある者は天井を使って。

 狭い場所をモノともせず、むしろ地の利として生かす戦い方だ。

 背凭せもたれの死角から突き出されたナイフを叩き落とすも、床には何も落ちない。

 セスはそのまま脇腹に拳を受けて膝を突いた。

 また二等の客は巧みにロウとの対決を避け、オレ達乗客のほうへと手を出してきた。


「おら、邪魔だ! ガキ!」


 銀色に光る槍の切っ先が、真っすぐにオレ目掛けて突き出された。

 咄嗟に避けようとしたところを、ミラが振り上げた蹴りが男の顎先に決まった。


「助けてくれぇぇい!」


 老紳士が通路にうずくまり、逃げようとした他の乗客がつまずいて転んだ。

 乱戦だ。

 誰がどうやってこの混乱を収めるんだ。

 車両扉近くでハックマンを捕まえていた係官が、コメカミを殴られて為す術もなく倒れた。

 暴徒化した客らはハックマンなどまるで眼中にないかのように、倒れた係官を蹴りつける。

 ハックマンは呆けたような表情で蹴られる係官と蹴る客を交互に見ていたが――不意にそれはきた・・

 奴は満面の笑みになり、「うっひょおおおお!」と謎の奇声を上げた。


「大スクープだぁぁぁっ! 書いちゃうぞぉぉぉっ!!」


 豹変ひょうへん――それとも日頃からああなのだろうか。

 ハックマンは尻に火のついた猿のように跳びあがって小躍りしながら、倒れた係官や老人など乗客の上を乗り越え、ロウの腕をくぐり、ミラが引っ掛けようと出した脚を飛び越え、うずくまるセスの短い髪をひと撫でし、ドン引きしている二等の乗客の間を堂々と走って座席の上に乗り、そのまま背凭れの上から上を飛び移って――十八号車の扉へ消えていった。

 セスが脇腹を押さえながらこっちを見た。


 ミラさん! ノヴェルさん! ゴードンを……お願いします!


 喧噪けんそうで声は聞こえなかった。

 でも口の動きがそう言っていた。

 オレは頷いた。


「ミラ! 偽装を!」

「やってる!!」


 暴漢どもの間を抜ける。

 多いといっても二十人か三十人。ミラの強化版認識阻害があれば、一瞬くらいは何とかなる。

 十八号車へ飛び込む。

 既にそこは混乱をきわめていた。


「うっひょおおお~~! お話をっ! お話を聞かせてください!!」

「なんなんだコイツは!!」

「や……やべえよっ!」

「殺せ!! 絶対にゴードンに接触させるな!」


 大勢の乗客の間を、ハックマンは異様なテンションで掻き分けてゆく。

 彼らは幻の刃をハックマンに見せて威嚇いかくするが――。


「認識術が利きやがらねえ!」


 無理だ。

 あいつにはもう、スクープ以外は何にも見えていないんだ。

 奴のライフワークというほどのものではないのかも知れない。沢山書き散らしたデマゴーグの一つなのだろう。

 それでも。自分が書いた出鱈目でたらめが、そこで現実になると知ったら矢も楯もたまらない。

 それを見ずして、書かずして何の記者かというような執念、いや欲求。

 ハックマンの横から突き出された手が、光った。

 記者の腹に、小さな魔術の炎が直撃する。

 しかしそれすら意に介さず、ハックマンは走り続ける。

 不幸、断絶、そういうものが好物なのだと話していて判った。それでもこうしてあの記者はオレの理解を遥かに超えてゆく。

 好物なんてものじゃない。あいつはそうした負のエネルギーを取り込んで生きる、都市のハイエナだ。

 ハイエナは、遂に十九号車に至った。

 オレ達は数秒遅れてそこに飛び込む。


「ハックマン! やめ――」


 そこには、立ち尽くすハックマンだけだった。

 ゴードンも、ゴードンをリンチしていたかも知れない二等の乗客も、誰もいないのだ。


「お、お、お話を……」


 ハックマンは燃え尽きていた。

 背中や脇腹、腿にフォークや鉛筆が刺さっており、服はあちこちが破れ、焦げていた。

 血塗れになりながらハックマンは走り、止まった。

 ――奥の扉が開いている。

 ビョウビョウと風が鳴る。

 その先にあった貨物車両は切り離した。何もないはずだ。

 いや――梯子はしごが。

 梯子があった。


「ミラ、連結部に、梯子が――」


 あったな、と不機嫌そうにミラは言って、ハックマンを押しのけて連結部へ急いだ。

 そこにもゴードンはいない。

 身を投げたか、上へ上ったか。

 ――上へ? あいつには両眼がないんだぞ?

 行ってみようと言い、オレは梯子を上った。

 灰色の岩肌がむき出しの狭い谷間を、列車は進んでいた。

 空が暗くなり始めている。

 日没が近い。

 その薄ぼんやりとした風景の中、暴風に逆らって、上半身裸のゴードンが立っていた。

 車両の屋根の上だ。

 背中しか見えない。

 オレは意を決して屋根に立つ。

 当然のようにミラも続いた。


「ゴードンさん、落ち着いてください。オレ達はあんたの味方だ。ハムハットさんからあんたのことを――」

「やめろぉぉ! やめてくれ!! 俺は死ぬんだ! 爆発して死ぬんだ!」

「てめえの腹にあるのが爆弾なんて決まってねえんだ! あのイカレた記者がそう言ってるだけだ!」

「そうだ! 爆弾魔なんて居ない! 少なくともここにはいないんだ!」


 それは半分は本当で、半分は嘘だ。腹にあるというサインを確認しなければ本当のことは判らない。

 オレ達の言葉はゴードンに届いているのか。

 もしここでゴードンに死なれれば、A50の事件も真相は闇の中だ。爆弾魔のことも、勇者との関連も何も判らない。

 オレはゴードンの言葉を待って黙ったが――彼は何も答えず、こちらを向きもせず、その代わりに「えっ!?」とか「やめろ!」とか「うるさい!」と独り言のように騒いでいる。


「――ミラ、あいつは誰と話して――」

「取り押さえて腹をさばくぞ」


 ミラが前に出た。

 え? 今なんて?


「それ以外にねえだろ。あいつはあたいらと話してるんじゃねえ」


 がやがやと背後から人の声がした。

 見ると二等の乗客が梯子のところから顔を出している。


「おおい! 旦那! 戻って来い! 俺達ゃ何もしねえよ! 知ってんだ! 虐めなきゃ爆発しねえって!」


 残念ながらそれも嘘だ。下で正体をなくしている記者がでっち上げた架空の設定だ。


「本当だって! 信じてくれよ! 俺達ゃただ、あの金持ちの自己中どもからあんたを守ろうと――!」


 ――なんてことだ。

 それが本当なら、誰もゴードンをどうにかしようなんて思っていなかったことになる。

 一等の客は二等の客を、二等の客は一等の客を信じられなかっただけ。

 振り向くとミラはゴードンの近くへ寄っていく。


「誰が!? 誰だって!? こっちへ!? どっちだ!? 風がうるさくってよく聞こえねえよ!」


 ゴードンはきょろきょろと顔を振り回しながら、車両の屋根の上で狼狽うろたえていた。

 ミラはつかつかとその背後に迫り、ゴードンの肩を掴んでこちらを向けた。

 オレは――息を呑んだ。

 横に裂かれたゴードンの腹。

 その縫い目から、二つの眼がこちらをのぞている。

 ミラはその傷に手をかけ、上下に少し開いた。

 首だ。

 腹の中に小さな、子供の首が入っている。


「やられた!! 死霊術だ!!」


 ば――馬鹿な。

 こんなことが、あっていいのか。

 行方不明の列車から暴走機関車を操って生還し、爆弾を抱えていると言われて乗客同士の対立にさらされた憐れな運転士は――体内の首の声に操られていた。

 爆弾魔なんていなかったんだ。

 ただ噂があっただけ。

 いたのは――。


「ノヴェル! 呆けるんじゃねえ! ファンゲリヲンだ! 放蕩のファンゲリヲンが黒幕なんだよ!」


 V。

 たった一文字。それがゴードンの脇腹に残されていたサインだ。

 ミラはいつの間にかゴードンの腹から血塗れの小さな首を取り出していた。

 首は生きて――いや死んでいるから首だけで生きているのか?

 小さな声でオシャベリをしている。


『クルヨクルヨ、ユウシャサマガクルヨ』

「誰だ。ファンゲリヲンか!?」

『ヨーキョウダイ! ゲンキソウダナ! オトウサマカラコトヅテ伝言ダ! プレゼントハキニイッテモラエタカナ!?』

「ふざけんじゃねえ! ぶち潰すぞ!」

ジンセイ人生イロイロダー。マッスグナミチナンカナイ! シタ・・バカリミテルナヨ! カオヲアゲテウエ・・ヲミロ!』


 上。

 オレは上を見た。

 何かがある。

 列車の後方、上空を何かが飛んでくる。


「スティグマか!? いや――あれは違う。なんだあの四角い箱は」


 二等の乗客たちもそれに気づいて騒ぎ始めていた。


「貨物車だ! ありゃあ貨物車だよ!」


 貨物車が空を飛ぶものか。

 貨物車に限らず何だって空を飛んだりするものか。

 あのゴアだって自力じゃ飛んでいなかったんだぞ。


「こっちへ来ンぞ!」


 それはぐんぐんと速度を上げ、列車に追いついてきた。

 空は日没が迫り、丁度ここは谷間。

 目をらしてもはっきりとは見えにくい。

 確かに――貨物車だ。なんせオレはさっきあの上を歩いたからな。

 空飛ぶ貨物車は、かげる西日を受けて輝きながらぐぐっと傾いた。

 重たい荷物を下すように、前のめりにぐぐっとお辞儀をして――。

 四肢を投げ出して上に寝ていた巨大な人間のように見える何かを――ドロップした。

 貨物車からはみ出すような大きさの人間。

 まさかと思う間もなく、風を切って上空から自由落下してくるそれは一瞬ごとに遠近感を強め、また破壊するような巨体だ。

 眩暈めまいがした。

 それは――文字通りの巨人。

 七勇者、潰滅かいめつのイグズスに間違いなかった。

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