18.2 「真実と、明日の列車の安全な旅のために」

 死んだ――と思った瞬間、オレの腕を誰かが掴んだ。

 オレは腰から下を足場から落とした状態で、意識のほうは一足先にあの世に旅立ってしまっていた。

 線路の枕木が、餌を求める魚のようにかかとの下で待っていた。

 その遥か下には雄大な河。

 オレの腕を掴んだのはミラだった。


「『あ』じゃねえよ馬鹿野郎! 幅三十センチの足場でフリースタイルのタコ踊りしやがって! 自殺志願者かてめえは!!」


 ミラは平然とパイプを掴んでいた。

 オレを引っ張り上げると、ミラは溜息をついた。

 ミラとのファーストダンスは酷い罵倒で幕を閉じたのだ。


「下の太いやつは水を送ってるパイプだ。熱くねえ」


 それにしても誰も彼もちょっと鉄道に詳しすぎないか? 学堂で習う? 普通のこと? オレが知らないだけ?

 列車は丁度長い橋を渡り切っていた。

 運よく拾ってもらった命をしむ間もない。ミラはどんどんと足場を進み、バックミラーに掴まって体をひるがえすと、脇から運転席へと滑り込んだ。



***



 狭い運転席では奥の壁際に車掌と、運転士がいた。

 そしてその向こうに転がっているのはおそらく機関士――その死体だ。


「この野郎! てめえ、どういうつもりだ!」


 生きている野郎は二人いる。どちらなのかといえばミラが今首に掴みかかっているほうの「この野郎」だ。


「てめえは一体、どれだけの命とそいつを天秤にかけやがったのか!? 判ってんのか!? アアッ!?」

「判っております。いえ、そのつもりでした――。A50の運転席に、盟友が見えてしまったのです。決心がにぶってしまい」

「てめえは! 車掌だろ! クソ客の命をコンマゼロイチで数えても! 釣り合わねえって、知ってたろうが!」

「ミラ、気持ちは判るが、後にしよう」


 ミラは舌打ちしながら車掌を床の上に放した。

 車掌は尻もちを突き、項垂うなだれた。

 車掌も自分の方法で列車を止めようとしたのだろう。

 でも――それならなぜ今もこの暴走列車は速度を緩めていない?


「ミラ様、アントン様、私にも矜持きょうじがあります。A50に何が起きたのか、それを明らかにして友人の無罪を証明してやる必要があるのです」


 ビル・アントンはオレだ。オレの偽名だ。


「それは命より大事なことなんですか!?」

「列車が何の痕跡もなく消え、ボロボロの動力車だけが戻ってくるなど前代未聞の大事故です。このままゴードンに全ての罪が着せられてしまえば、彼の家族、同僚、後輩までも――居場所を失い兼ねません。これは私の問題でもあります」


 ゴードンというこの男はアル中で持病まであった。

 そこを突かれれば、彼一人の責任に帰せられるということだろう。

 もっとも現時点じゃそれが言いがかりとも言い切れないが。


「簡単なことだぜ。すぐに証明してやる。だがまず列車をめろ。いいな? 簡単な計算だ。てめえが正気だって証明して見せろ」


 ゴードンは――車掌の陰に隠れて、首を振っていた。

 わずかに見える顔色は恐ろしく悪く、頭をかばうように抱える腕も真っ白だった。


「車掌、次の駅までどれくらいだ」

「次はグラスゴ。この速度ですと四十分か五十分。日没前には着くでしょう。山を越えます。脱線しなければ、ですが」


 こんなところで列車を捨て、どうやってセス達に追いつこう。迎えに来てくれるだろうか。


「――何してる。早く停めろ。これが停まらなきゃ前の列車も減速できねえ」


 外を流れる景色は既に山間だ。

 ここからは線路もそれほど真っすぐじゃないのだろう。この速度ではいずれ脱線する。


「それが――」

「そいつが使えねえならお前が停めろ、車掌」

「誠に遺憾いかんながら……ブレーキが壊れているのです」

「なら火力の燃焼を停め」

「やめろォッ!!」


 突然、震えていたゴードンがその場で吠えた。


「やめてくれぇぇっ! 頼む!! が来ちまう!!」


 奴。


「おい、奴ってなんだ」

「アイツだ!! アイツ――うっ」


 車掌の陰でゴードンはまた苦しそうに頭を抱えた。

 記憶を操作されていやがる、とミラは言った。


「勇者か!?」

「知らねえ!! ゆ――知らねえが!! とにかく、逃げないと、俺は――お前も!!」


 お前もとはいうが彼はこちらを見もしない。ずっと隠れたままだ。

 ミラは何故かオレを見た。

 オレは首を振った。


「何を見た」


 ミラは車掌とゴードンの間に入り、ゴードンの震える手首を掴む。


「あたいを見やがれ――」


 そう言って手首を思い切り引っ張り、ゴードンの顔を見た。

 そして、絶句した。


「お前――目ん玉はどうした」


 ゴードンの顔にあるはずの二つの眼球は、どちらも失われていた。


「お判りでしょう。私は先ほど、運転席に見えたゴードンに目玉がないことに気付いて、彼の無実を直感したのです。ただの事故でこんな風になる筈がありません。彼をここで死なせるわけにはいかない。真実と、明日の列車の安全な旅のために」


 固い決意があった。


「あなた方は皇室とご縁のお客様なのですよね。A50、ベリル、ファンゲリヲン様、危険物、危険人物――私たちは、一体何に巻き込まれてしまったのでしょうか」


 オレは言葉を失った。

 勇者がでてきて何かをたくらんでいるのなら、オレ達が彼らを巻き込んでしまったことになる。

 オレ達だって別に好きでウェガリアに向かうわけじゃないといっても言い訳にしかならないだろう。

 だってこれはオレ達の始めたことの、そのひとつの結果なのだ。

 素性がバレてしまった以上、いつかどこかでそのツケを払わせられることは決まっていたのだ。


「お願いがあります。一度列車を捨てた以上、私にはもう車掌の資格はありません。ゴードンを連れ、列車に戻ってください。この機関車は、私が停めます」

「戻るってどうやって」

「魔力で加速し、A51に前三両の貨物の再連結を。要するに来た時の逆をやります。お足元の悪いところ恐縮ですが」

「おい、車掌。バックレる気じゃねえだろうな? そいつはてめえで連れて来い」


 残念ですが、と車掌は首を振る。


「この機関車は炭水車が切り離されております。残る燃料はボイラー内に残るものだけで、魔力なしでは前の列車に追いつけません。誰かがここに残らなくてはならないのです」

「わかった。オレたちは前の列車に戻って、減速するよう伝える。それでいいな?」


 車掌はうなずいた。


「車掌さん、あんた名前は?」

「トップ・ハムハットと申します。ハムハットが車掌命令で、とお伝えください」



***



 オレとミラは左右から視力のないゴードンを支えて、貨物の荷台の上を渡った。

 列車は山岳部に入っていた。

 揺れは一層激しく荷台の上のオレ達を揺さぶってきて、足場に気を付けながらどうにか元の列車に戻った。

 車両端の連結部の鉄の足場に両足を乗せ踏みしめる。

 安定した床って――最高だ。


「ノヴェルさん、ミラさん、よくご無事で……。一体その男は」


 セスとロウに愛想よく返事する余裕もなく、オレは手摺に掴まって一息く。


「ふう、なんとか戻れ――」


 オレのなけなしの一息は、背後の大爆発でさえぎられた。

 驚いて振り返ると――遠巻きに離れつつあった後ろの機関車からふくれ上がったであろう爆炎が、周囲の空気を巻き込んで縦に長く収斂しゅうれんするところだった。

 このところ不幸にも爆発に巻き込まれる経験を人より多くしている。殆どは空気魔術の爆発だった。炎を伴う爆発も海底だったし、オレは深海探査船の中にいた。

 しかしこれは、爆発とはこんなにも熱く、はげしく、一体何がこんなに――。


「車掌……」


 セスの呟きでオレは現実に引き戻される。

 車掌は。


「お――オイッ!? 何だ!? 何の音だ!?」


 ゴードンが裏返った声を張り上げて叫んだ。


「おいっ!! 何だ!! 今のは何の音なんだよっ!?」


 答える者はいなかった。


「教えてくれよ!! 何があったんだ!! おいぃぃぃぃ!!」


 オレ達は暴れるゴードンを両脇から抑えながら、車両の中へと連れ込んだ。

 ゴードンの叫びは長く長く尾を引いて、やがてすすり泣きに変わっていた。

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