Ep.18: 線路は続くよ地獄までも

18.1 「乗客を大勢巻き込むことになるのですよ!」

 列車が急発進して、オレは席の間の通路を転がった。

 思い切り顔面を車両間の扉に打ち付ける。

 車掌も転んでいた。

 これが本気の加速だ。常客どころか車掌すら置き去りにされる。

 帽子を拾って起き上がった車掌はえりも直さず、座席の背凭せもたれにつかまった。


「皆さま、どうか冷静に。本列車は只今、四時間三十分遅れでオルソーを出発しました――」


 まだ言うことがあるんだろという余韻よいんを残しつつも、車掌は「ほかの車両に参りますので。ベリルの件は事実がハッキリするまでどうか口外なされぬよう」と言いながら後ろの車両へ向かって歩いてゆく。

 オレは横に避けて車掌を通したが、すれ違い様に見た彼はどうにも心ここにあらずといった様子だった。

 無理もない。

 他の常客も騒然としていて、おそらく誰も車掌の口上なんか聞いていなかった。

 それぞれ勝手に窓を開けて後ろを確認し、悲鳴を上げている。


「――なんだあれは!?」

「追いかけてくるぞ!」

「カーブだ! こっちからは見えない!」


 大声を上げて右から左へ反対側の窓へ移り、後方を見る。


「動力車両しかないぞ!」


 ――さっき駅で見たとき、先頭しかないように見えたのは間違いじゃなかった。

 後ろから走って来た列車A50は、客車や貨物車のない動力車だけだったのだ。

 残りの車両はどこへ行った?


「ミラ、セスさん、どう思う?」


 座席まで戻ったオレはミラに意見を求める。


「どうもこうも逃げられる訳ゃねえだろ」

「同感です。あちらが客車と貨物を捨てたなら、速度はあちらが上です」

「このままだとどうなる?」

「カマ掘られんだろ」

「追突されるでしょうが――その場合どうなるのでしょうね? 動力車だけだと重量でこちらが勝りますが、こちらもスピードが出ていますので」


 オレは座席からパンフレットを取って広げた。


「この列車は二十二両編成。先頭から、動力車、炭水車、車掌車、客車五、食堂車、寝台車四、二等客車六――十九しかないぞ?」

「残りは貨物が三両です」

「寝台車があるってことはゆっくり寝られるんじゃねえかよ」

「夜までこの列車が無事ならお取りします」


 ――取れる対策はひとつ。


「貨物を切り離すよう車掌に言おう」


 オレははっきり言わなかった。つまりこれは切り離したこちらの貨物を後続の機関車にぶつけるということだ。


「それしかないですね。車掌を探しましょう」


 オレとセス、それからロウといういかつい係官が立ち上がる。

 窓の外は見たこともない速度で景色がぶっ飛んでゆく。

 ミラも渋々ながら立ち上がった。

 足早に次の車両を通り抜け、更にもう一両を抜ける。

 途中の車両の乗客は皆不安そうに座席にしがみついていた。


「よくついて来る気になったな、ミラ」

「朝、駅で子供を見かけた。乗ってるかも知れないからな」


 そういうことか。

 更に次の車両へ入る。

 ここにも車掌の姿はない。ミラの好きそうな幼女もいない。

 どこにいるんだよっ! とミラは苛立った声を出したが、さて誰を探しているのやら。

 空っぽの食堂車を抜け寝台車に入る。

 寝台車四両目で、これから二等客車に入ろうとする車掌を見つけた。


「車掌、私どもから提案があります」

「――お聞きかせくださいませ」

「後続のA50は機関車はもう動力車のみです。速度ではとてもかないません。もう間もなく追いつかれ、追突されます」


 車掌は何かに耐えるように無言で目をつむった。


「貨物を切り離すのです。後続に巻き込めばは確実に減速します」

「A50を敵――と」


 車掌は投げ出すようにぽつりと言った。

 セスが少し表情を曇らせた。


「あ――明らかな害意が」

「本日A50に乗務した運転士は――長年肝臓をわずらっておりました。酒のやりすぎです。業務に差し支えるからと私は言いましたが、あれは会社には隠しておったのです」


 しまった、とオレは思った。

 車掌と後ろの列車の運転士は友達か――きっとただの同僚ではないのだ。

 でも他にも何か肝心なことを忘れている気がする。


「害意。害意とはなんでしょうか。意識を失っておるだけかも知れない」

「だとしても! 停めなければこちらの乗客を大勢巻き込むことになるのですよ! このまま次駅に二車両が暴走状態で進入すれば、何が起こるか判りません!」

「警笛も効きませんでしたが――何か、何か他に手段があるはずです」

「ご友人なのですか? だったら尚のこと、あなたが決断してください! A50を停めてあげなさい!」

「私にはできません! 他に手が――なかったとしても、私には……!」


 心配するんじゃねえ、とミラが言った。


「あたいらがやる。お前は祈ってろ」

「死ぬと決まったわけじゃないです」


 オレは自分に言い聞かせるようにそうフォローする。

 がっくりと悲嘆に暮れる車掌の肩に気さくに腕を回し、ミラは「大丈夫、上手くやるって!」と促して隣の車両へと進んだ。

 あの自信はいったいどこから来るんだ。

 ふと――妙な気がした。

 オレ達はもう少し考えたほうがいい気がする。

 仮に病気で意識が消えたり戻ったりするとしても、列車は線路の上から消えたり戻ったりしないんだってことを。



***



 二等客車の最後の扉を開けると、吸い出されるような風が吹いた。

 ガタガタと鳴る金属音が飛び込んでくる。

 逃げるように――本当に逃げたわけだが――オルソーを出てからまだ十数分しか経っていないのに、河ひとつ超えてもうだだっ広い丘だ。

 扉の外は連結部。その先は貨物車両だった。

 平べったい荷台のような車両に、何やらシートに包まれたモノが紐で固定されている。

 どうも思ってたのと違う。船のコンテナみたいなものを期待していたオレは若干頼りないなと思ってしまった。

 その向こう、おおよそ二十メートルほどのところまで黒い機関車が迫っていた。

 むき出しのパイプに囲まれた円筒形の煙室。

 おそらくはこの列車と同じ型式なのだろう。テンダー機関車というんだったか、どっしりした長いボイラーの奥に狭い運転席があり、その後ろには何もない。

 どこか異様だった。全体が少し歪んで見える。

 走る姿もガタガタと上下に激しく揺れており、普通ではなかった。


「様子が――変だ!」


 風と騒音に負けないよう大声で不安を訴えたが、ミラは軽く肩をすくめる。


「当たり前だろ。普通の列車は他の列車のケツを狙ったりしねえ」

「いや、そうじゃなくて――」


 車掌はやはり大声で、貨物の連結部を示した。


「自動連結です! ナックルの錠を抜けば切り離せます!」


 ガシャガシャと揺れ、少しだけ離れたり近づいたりする二両の間の不動点。

 目立たずとも動いていればそれはいやでも目に付いた。

 車両から突き出た連結器が互いに握手をするような形で接続されている。このナックルという部分が握り合う手とすると、手首の辺りに上から刺さってるのが錠だった。


「随分簡単だな――大丈夫なのか?」

「簡単ですとも! 難しいと駅で事故になります! でも梃子てこがないので錠を手で抜く必要があります! 危険ですよ!」


 自分がやります、と武闘派のロウが上着を脱ぎながら出てきた。

 連結部にしゃがみ込んで柵に掴まりつつ、錠に手を伸ばす。


「――! ぬっ! ぬううううっ」


 口で説明するよりも難しいようだ。

 ガタピシと揺れながら、A50の式ボイラーの丸い顔が徐々に近づいてきている。


「ロウ! 早くしないと手遅れになります!」

「わかっているセシリア! だが――ぬううううっ!」


 難しいのか? と尋ねると、ロウは「ビクともしないね」と言った。


「車掌! どうやるんだ!」


 オレが車掌に聞こうと顔を上げると、車掌がいない。

 ――車掌?

 見れば車掌は貨物車両の上にいた。

 三両のうち手前の連結部を乗り越えて、真ん中の車両に移ろうとしている。


「車掌! あんた何やってんだ!」


 貨物の上で、長いドレスの裾が暴風に煽られてはためく。ミラが車掌を追ったのだ。


「離――さい! ゴードン! おれだ! 停まれ!」

「気を確か――! そい――! 戻っ――!」


 風と金属音で会話までは聞こえない。

 機関車は少しずつ確実に距離を縮めてきている。

 二十メートルは離れていると思った距離が――今は十メートルかそこらだ。

 痛んだ様子がはっきりと見える。あちこち凹んでいるし、印象的な円筒形のボイラーの煙室えんしつにも白く傷が走っている。

 煙室の左右のパイプは折れ、そこから煙が漏れている。


「ノヴェ――! こ――よ!」


 呼ばれた気がした。

(聞こえない)とジェスチャーで示すと、ミラは手招きする。

 ふざけるなよ! どうしてこれから追放される車両に行かなきゃならないんだ!

 そう思ったときには体が勝手に連結部を乗り越えていた。我ながら調教が行き届いている。

 貨物の上をバランスを取りつつ、真ん中の車両まで行く。


「コツがある――よ! タイミング――! ――が離れるタイミング――一気に!」


 だいぶ聞こえる。

 聞き出したのか。それとも車掌の意識を読み取ったのか。

 いずれにせよ、オレは振り向いて叫んだ。


「コツがあるらしいです! タイミングを! 車両が離れるタイミングを狙って!」


『離れる』を大きく身振り手振りで示しながら、オレは叫んだ。

 セスはうなずいて、しゃがみ込んだロウと共にタイミングを見計らい――。


「――やった! 抜けた!」

「抜けました!」


 やったぜ。

 これで連結部――鋼鉄のナックルでがっちりと固い握手をした二つの車両は、その手を離す。

 足元がガクンとした。

 セスとロウが少しだけ遠のく。

 一瞬前まで無邪気に喜んでいたはずの二人は、口をあんぐり開けて「やっちまった」表情になっていた。

 自動連結がどうとか車掌は言っていた。そうか、これが自動ってことか。

 そうだ。オレ達は追放される車両の上にいたんだ。


「戻って! 早く!」


 二人がすごい速さで手招きしているが――戻れるのか?

 オレは船から船まで飛んだぞ。

 だがこの向かい風――足場の悪さ。

 海と違って落ちたら百パーセント死ぬ。線路に落ちた瞬間、後続の車輪に巻き込まれる。

 無理としか思えない。

 それに二人だ。ミラと車掌を。


「おいミラ! 戻れ!」


 オレは振り向いてそう叫ぶと――後ろの機関車はもうすぐそこに迫っていた。

 ガシャンという容赦ない衝撃に、オレは足元をきれいにさらわれて激しく転倒する。

 線路に置き去りにされた貨物車両は暴走機関車に巻き込まれてバラバラになる――と思った。

 バラバラになったり線路からはじき出されたりしていない。

 奇跡的にオレが転んで顔面を打っただけで済んだ。

 いやこれは奇跡なんかじゃないんだ。

 そうオレは頭を振る。二つの機関車の速度はとても近かった。切り離された貨物車両も、慣性でしばらくは速度を維持する。

 といっても同じ速度でいられるのは僅かな間。あっという間に減速を始め、オレ達は皇室の優秀な護衛二人から離れて、正体不明の暴走機関車に――ガシャコン!

 オレたちは暴走機関車の一部になった。

 でも安心するのはまだ早い。

 最後尾の貨物車両が変な角度にじれ、下から後ろから絶え間ない火花を散らし始める。まるで悲鳴だ。

 暴走機関車の一部になったとはいえ、だいぶ微妙な立場にあるようだ。


「ゴードン! ゴーオオオオドン!」


 車掌はその捩じれた車両も物ともせず渡り、暴走機関車の煙室の脇に飛び乗った。

 パイプかられる蒸気をくぐり抜け、狭い足場を通って運転席を目指す。

 ミラも後を追う。

 オレも追うしかない。いつ足元の貨物車両が後ろから押されるのに機嫌を損ねて、線路からイチ抜けしてしまうとも限らないのだ。

 さっきまでより足場の安定感が悪い。

 揺れも激しいが複雑な捻りが加わっていて、四つん這いに近い格好でないと進めない。


「ミラ! 待ってくれ!」

「待て! 車掌!」

「ゴードォォォン!」


 パッと視界が開けたと思うと横殴りの風が吹いた。

 河だ。また大きな河の、その橋に入ったのだ。

 時速は――全然わからない。物凄く速く、息をするのも難しい。

 さっきまでオレ達が乗っていた列車は着かず離れず、微妙な距離を保って先行している。

 信じられないが、あの列車のかなり上等な席に居たんだぞ。

 オレはなんとか貨物車両の端まで来た。

 思わず車両の最後から下を見る。列車用の鉄橋は下がスカスカになっていて、遥か下の川面が見えた。


(ああ、だめだ。下を見るな)


 畜生、結局こうなるんだ。なんだってこんな目に――。

 オレは死に物狂いで飛んだ。

 暴走機関車の円筒形のボイラー脇を通る狭い通路に着地した。


「おおっとっと」


 ベリルの暮らしで運動不足気味だったか。列車の座席に長く座っていたせいか。

 着地の瞬間、ほんの少しひざが硬直していた。

 狭い足場の上で、自分の脚をつっかえ棒のようにして前のめりになってしまう。

 足場の下に流れる線路が見えた。橋も、川面も。

 思わずそこいらのパイプに掴まろうとした瞬間、迂闊うかつにも――。

 熱そうだな・・・・・と思ってしまった。

 つい手を引っ込める。

 だが既に体はそのまま前に落ちかけていた。

 慌てて腕をばたばたとさせる。

 腕は高速走行中の空気抵抗と強い横風を掴む。

 その手ごたえはあったが――腰から下はまるでいけなかった。前へ後ろへ、全く重心のやる方なく――。


(あ――)


 主観的には随分と長い間ぐるぐると腕を回していたように感じるが、実際はたぶんオレの抵抗はごく短いものだったかも知れない。

 オレの体はまるで、車体に弾かれ滑り落ちる雨粒のように――落ちた。

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