17.4 「不測の事態、それも全く初めてのことでありまして」

 皇室部情報室通信交換係オルソー支局の職員はたった二名だ。

 実験配備であるから基本的には暇である。

 室長ノートンが梯子に上って組み上げたアンテナという呪術めいた塔。

 近隣住民から物凄く白い眼で見られている。

 同じくノートンが金属の線を手巻きでキリキリと巻き上げた拳大の変梃子へんてこな部品、それを並べた奇怪なボード。

 ピーピーと変な音が鳴ったらゆっくりと紙を引き出す。

 その紙にはギザギザした変な波模様が描かれている。

 それだけでなく点と線が蟻んこのように並んでいて、どうやらこれがメッセージらしい。

 笑える。

 相棒のキャスはこれを解読する紙を持っていた。

 自分にもできると思ったのだが、紙と紙を交互に見てるとどこまで読んだかわからなくなり、キイイイと紙を破り捨てたくなって無理だった。

 それ見ながら、今度はその紙の通りに別の機械のボタンを押してゆく。

 楽器みたいだが綺麗な音は鳴らない。ブツブツと不細工な音だけだ。

 笑える。

 何の意味があるんだろう? 忍耐?

 ベティはさぞ笑える日々が続くと思っていたが、ある日を境にぱったりと音は鳴らなくなった。

 そこからはただただ暇な毎日である。

 その日その瞬間、突然沈黙を破ってピーピーとまたあの音が鳴った。

 紙を引き出す。

 食事から帰ってからずっと居眠りしていたキャスが飛び起きて、紙を見た。


「――非常事態発生。敵襲――ドラグーン!?」

「室長から?」


 いいえ――ベリルからよ、とキャスは告げた。



***



「なぁ、遅すぎないか」


 と思ったが、愚痴は心の中に留めて口には出さなかった。

 二人分の座席を使って寝転がっていたオレは何度目かのうたた寝にも飽きてきていた。

 昼過ぎくらいまではお嬢様モードを保っていたミラもいい加減限界らしく、帽子を顔に被せたままだらしなく脚を開いていた。

 あんなに長いスカートなのに、内腿うちももまで見えるってちょっと異常じゃないか?

 いや、オレは別に変な意味で言ってるんじゃないぞ。西日がモロに当たって眩しいんだ。ほら、白いじゃないか。ペカーッと――。


「遅すぎますね」


 後ろの座席から皇室の係官が顔を出した。

 セスという女性で|華奢《》ながら護衛部隊の精鋭らしい。肩までよりも短い髪にすっきりとした細身の制服を着こなしており、ミラとは正反対だ。


「アッハイ、遅すぎですよね!」


 オレは跳び上がって小さく座り直した。

 せっかく時間通りオルソーに着いたのに、ここの駅で電車はもう四時間動かない。


「まさかオレ達が乗ってるってバレたんじゃ……」

「それはありません。万一バレたとしても、私たちが全力でサポートしますから大丈夫です。遅れているのは他の列車の問題のようです」


 彼女のいうサポートとは、ここでは身分偽証の隠語だ。

 まぁ皇女様直属だし、逆らえる者はいないだろ――あれ、どうなんだっけ。この鉄道の運営って民王部運輸局だったように思う。

 車掌は当初、線路上に問題が発生したとか、他の車両が遅れてるとかそんな説明をしていた。

 でも――その説明で納得した者がいるんだろうか?

 他の列車が遅れてもわざわざこの列車まで遅らせる理由にはならない気がした。

 それに先の線路で何か起きたって、知りようがないじゃないか? ノートンの通信機だかなんだかを誰もが持ってるわけじゃないんだ。

 馬より列車よりも速い移動手段があれば別だが、それならオレ達だって列車なんか乗ることもない。


「どうなってるんだよ! 車掌!」


 別の乗客が声を荒げた。

 車掌がおずおずと車両に入ってきて、帽子を取ったのだ。


「ご乗車の皆さまにかれましては、重ねての御辛抱をお願い申しまして、車掌としてまことに心苦しく、当列車のスタッフを代表致しまして――」

「いいから列車を動かせよ!」

「そうだそうだ! もう四時間以上、駅から動いてないんだぞ!」

「動かせないなら動かせるようになる時間を言えよ!」

「はい、それはもうすぐにでも発車いたしたく、不断の努力を講じているところでありまして」

「意気込みはいいから予定を言え!」

「説明を求めますわ!」


 可哀そうだが三時間前まではこうじゃなかった。

 まぁ仕方がないよね、そういうこともあるよね、とおおむね皆紳士的だったのだ。


「ご説明を申し上げたいのですが、なにぶん我々にとっても不測の事態、それも全く初めてのことでありまして――」


 車掌の説明によるとこうだ。

 午前十時三十分、この列車の前に別の列車が走っていたのだそうだ。

 細かいがこの列車がA51便で、前の列車がA50便らしい。どういう番号かは知らないが、ちょっと内部情報っぽいものが出てきたので真実味があるというか、車掌も愈々いよいよ後がないという裏方の切羽せっぱ詰まった様子をしのばせる。


「そのA50便が到着する前に――当列車が・・・先に・・到着してしまった・・・・・・・・のです」

「――は? あり得ないだろ! 追い越したのかよ!」

「あり得ないのでございます。ここまでご乗車の皆さまにはご承知の通り、ベリルからここまではフィレムの森を通る都合上単線で、複線化した部分も上下の二線まで。引き込み路線もなく退避はできません」


 ただ列車に乗ってるだけでそんなことまで「ご承知」なのかとは思うが、他の乗客は水を打ったように静まり返った。


「――脱線、したの?」

「そうとしか考えられません。しかし当車両からはそのような痕跡は発見できず、また線路にもその周辺にも異常がなかったことから――」


 A50便は消えてしまった。

 そう車掌は結論した。


「そ、そうだとしてもだ! この列車には関係ないだろう!」

「ですが、念のためここオルソーで全車両の点検と、危険物、危険人物の捜査を行いたいと、勇者様が――」

「勇者だと!? 誰だ!」

放蕩ほうとうのファンゲリヲン様と伺っております」


 なんだよファンゲリヲンかよ、とヒートアップした常客は席に着いた。

 確かにあまり聞かない名だ。

 誰だファンゲリヲンって? とミラに訊くと、ミラは帽子を被ったまま「知らねえ」と言った。


「死霊術師です。ポート・フィレムの事件にも関わった疑いが持たれています」


 後ろからセスが補足した。


「死霊術師? 死霊術はそんなに珍しくないんだろう?」

「死んだ動物を暫く動かすくらいのことは南海の術師が古くからやっています。ファンゲリヲンは別格と言われておりますが、私どももジャックさんから報告を受けただけで詳しくは知らないのです。何せあまり表立って出てこない勇者なのです」


 裏方の勇者。そういうのもいるのだろう。

 

「放蕩のファンゲリヲン様のご到着が遅れておりまして、こちらから何時いつと申し上げることができないのですが到着次第当車両の捜索を行いまして」


 そりゃまずい。

 圧倒的にまずい。


「どうするミラ。別の列車に乗り換えよう」

「勇者が来るなら殺せばいいだろ」


 だめだ。ど真ん中の危険人物は発想が違う。

 乗り換えるにしても、とセスが言った。

 そうだ。乗り換えるにしたって、捜索が終わるまでは一台も動かないのだ。

 そのとき、窓を叩く音がした。

 見るとセス側の列の窓の外、ホーム上に紙を持った小柄な女性が立っている。

 セスが窓を開け、小声で何かを話すと――。


「えっ!?」


 その声は、車両中に響き渡った。

 慌てて小声になった彼女は、他の護衛にも次々何かを伝え――最後にこの列に来た。


「皇室から伝令が――ベリルが襲撃を受けています。ドラグーン二百機による攻撃です」


 絶句した。

 それって――。


「まるでポート・フィレムの焼き直しです。民王部は元老院とも民王とも連絡がとれず混乱し、現在はミハエラ様直属の護衛部隊が応戦していますが――」


 いますが。

 いますが、なんだ。


「――ベリル陥落は時間の問題かと」

「おいっ、どういうことだそれは」


 怒声がして、ふと見るとセスの後ろに目を血走らせた乗客の男が立っていた。


「ベリルが――陥落? それで勇者が到着しないのか?」

「お静かに願います。確実なことは何もありません。席にお戻りください」

「ドラグーン二百? この大事だいじに民王は不在? 元老は逃亡? おう、そうだよなぁ。ベリルがそんなことになったら、勇者様もとても列車どころじゃあねえもの」

「お静かに願います! 列車内で騒乱を引き起こすと運行妨害と見做みなし、逮捕しますよ!」


 セスが凄むも時既に遅し。

 ――なんだって? というざわめきが車両を支配していた。


「ベリルが――? まさか」

「大変だわ! すぐに戻らないと!」

「車掌! ベリルに引き返せ!」

「馬鹿を言うな! すぐに発車しろ! 車掌!」

「降ろせ!」


「戻れ!」「出せ!」「降ろせ!」「謝れ!」「説明しろ!」

 大別するとその五種類の声が、そこら中で起きる。

 まとまりってものがない。何でもデカい声で言えばいいっていうものなのか?

 車掌も頑張って説明しようとしているが、要約すると「戻りたい奴と降りたい奴は降りろ」ということで火に油を注ぐようなものだ。

 彼の仕事は列車を安全且つとどこおりなく運行することで――どう頑張ってももう五十点だ。運行に差し障る奴は降ろしてしまったほうが賢い。


「――かく私から申し上げられますのは、列車を戻すことも独断で出すこともできないのでして、御不満の方は駅舎で話し合っていただきたく」

「降りろっていうのか!?」

「いえ、ご自分の判断で降りていただくことはお止めしませんと」

「ベリルはどうなってるんだ! 列車が動かないことと関係があるんだろう! 隠しても無駄だ!」

「それは私どもには何とも――」


 オレはあまりにも露骨な言いがかりに呆れ果て、窓の外を見た。

 一番向こうのホームに、妙な男がいた。

 反対側の線路にしばらく前に入線して乗客を降ろしてからずっと動かない他の列車がある。その窓の向こうにその男が見えた。

 老境の男だ。駅員じゃない。冒険者にしてはせている。旅人――そう、旅人というのが一番しっくり来た。

 旅人は余人とは一味違う妙なオーラを放って、真っすぐにこちらをていた。

 ――あれは。いや、あれが。

 勇者、なんとかのフォンなんとかなのではないか。


「まずい。ミラ、起きろ」

「うるせえ」

「セスさん! セスさん、あれを」

「お待ちください」

「陰謀だ! 先行車両が消えたなどとでたらめを! 本当はベリルを孤立せしめるために列車を止めてるんだ!」


 ハンチング帽に蝶ネクタイの男が車掌に詰め寄り、掴みかかる。

 車掌は突然の言いがかりに何も言い返せず、口を「な」の形にして止まっている。

 セスが止めに向かった。

 オレは外を見る。旅人が移動していた。

 旅人は他の駅員を数名ともなって、別の列車の中を悠然と歩いている。

 ――危険物を捜索中なのだ。ホーム上の列車は二つ。次はこちらだ。


「反論できないだろう! 本当は先行の列車などなかった! どこにも脱線した列車はなかったんだ! この列車には皇室関係者が乗り込んでいる! 彼らを逃がすためにこの列車だけ動かしここへ――民王が不在なのもきっと」

「静粛に願います! それ以上いい加減なことを言うと本当に――皇室権限であなたを」

「やれるものならやってみろ皇女の犬め! これは国民の知る権利の問題だ! 俺は新聞記者だ! 今すぐこれを記事に」


 スッとミラが立ち上がるのに、オレは気付いていた。

「おいミラ、勇者が」――そう言いかけて、オレは敢えて言葉を飲み込んだ。

 ミラはがなり立てる男の後ろに立ち、ダンスのようにその長い脚を高々と振り上げ――彼の延髄えんずいに鋭いかかと落としを決めた。

 男は白目をいて昏倒こんとうし、木の床に思い切り頭をぶつけた。


「うるせえ。こっちは朝早くてつらいんだよ」

「オホン。『やってみろ』とご本人の同意がございましたので――」


 車掌はそう言いながら男に掴まれていたえりを直した。

 オレは慌てて窓の外に視線を戻した。

 するとホームが何やら騒がしい。

 線路上の渡し通路の階段を駆け下りて、全力で走って来る駅員が見えた。

 まずい。とうとうバレたのか。

 そう思ったがどうも様子が変だ。

 彼らのうち数名はこの列車の後方、フィレムの森のほうを指して大声を出したり手を振ったりしている。


 ――出せ!

 ――降りろ!


 やだなぁ。外まで中と同じような騒ぎをしているのか?

 車掌に用だろうか。オレは窓枠を押し上げた。


「乗客は退避! 列車を出せ!」

「戻って来た! 行方不明のA50が、戻って来た!」


 そう言っている。

 この列車の前に来るはずだった列車が、今になって――?

 オレは車掌を呼んだ。

 窓越しに、駅員と車掌が何やら専門用語を駆使して話し始める。

 オレは一番後ろの列に行って窓を開け、列車の後方を見た。

 流れる黒煙が見えた。

 フィレムの森では禁止されているはずの石炭火力補助だ。

 スピードは出るのだろうが――もうすぐ駅なんだぞ? 停まれるのか?

 窓から身を乗り出してもっと遠くを見ると、列車が見えた。

 黒い鉄の機関車。それしかわからない。

 ただそれは猛然と――少しもスピードを緩めることなく、同じ線路上をこちらへ向かって爆走中だ。

 行方不明の列車は、暴走機関車となって……。


「皆さん! 列車を出します! すぐにお席について前の席に掴まり、衝撃に備えてください!」


 ――衝撃に備えよ。

 車掌が大声でそう宣告した。

 海の悪夢がよみがえる。

 それは、なるべくなら二度と聞かずに済ませたかった言葉の頂点に燦然さんぜんと輝く第一位だった。

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