17.3 「いよう、お役人! 今日は随分と忙しそうだな!」

 ドラグーンの大群に襲撃されるベリルの様子は、南部インスマウス村からも確認できたという。

 二匹のドラグーンが低空飛行で、ベリル山手通りに飛来した。

 観光客らが逃げ惑う中、レストランのテラス席を襲い、逃げ遅れた食事中の客らを次々と噛み殺す。

 ドラグーンは皆無人だった。騎竜でないのにドラグーンと呼ぶのも妙だが、それは明らかにドラグーンとして生育されたドラゴンであったと目撃者は証言している。

 騎乗者の居ないドラグーンの動きは、それまで知られていたどのドラグーンよりもトリッキーで、攻撃的で、凶暴だった。

 何とか撃退しようと撃った魔術が外れ、流れ弾が家を破壊する。

 下町の狭い裏道を器用に飛び、逃げ込んだ人々を空高々と掴み上げ、落とす。

 裏道を飛ぶドラグーンは、ある家に窓から飛び込んだ。

 足の不自由な独居老人が暮らしており、その寝室の窓からドラグーンが飛び込んできた。

 ドラグーンは床に落ち、数度回転して態勢を立て直し、老人へ向かって咆えた。

 老人はドラグーンを見て驚いた。


「――お前、ヘンゼル。ヘンゼルじゃないか……?」


 ドラグーンは驚いたように首を曲げ、何もせずに再び窓から飛び去った。

 老人は無事で、後に「あれは軍事学校のドラグーンじゃった」と証言した。



***



 白い民王宮殿にも、皇女宮殿にもドラグーンは訪れた。


「皇女陛下! 地下研究施設へどうかご避難を!」


 テラスから襲撃を見ていた皇女ミハエラは、部下らに迎えられて階段を降りてゆく。


「被害状況は」

「調査中です。現在のベリルの人口は十四万人と推測されます」

「観光客を含めての数字ですね? 十四万人が、何の人口の二十パーセントに相当するか調査なさい」

かしこまりました」

「民王部は動いているのですか」

「まず警備兵を総動員して対応しております。微力ではありますが、こちらからも精鋭を援護に向かわせております」

「民王は」

「地方の会議に出席しており不在の予定です」

「こちらの戦力を総動員なさい。ベリルの民を守るのです」

「現在、招集をかけておりますが、所在の不明な者もおりまして……」

「どのチームですか」

「チームではなく、流れ者の冒険者の――」


 別の者が「無礼者」と睨みつけると、部下は慌てて書類をめくった。


「し、失礼いたしました。こちらは、ええと、ご賓客ひんきゃくでいらっしゃいました。ジャック・トレスポンダ様がリハビリの後、宿に戻っておられません」


 ――ジャック。

 皇女は、階段の窓からベリルの白い街並みを見た。

 



***



 ジャックは車椅子を転がし、庁舎に辿り着いた。

 ここまではずっと上り坂できつかったが、ドラグーンの数は民草の街区とは比較にならないほど多かった。

 庁舎には塔が四本建っており、観光客が昇れるようになっている。

 その塔の周りが特に酷い。倒れているのは民間人ばかりだ。

 中には勇敢な者もいるようで、大声を上げて観光客らを誘導し、避難を呼び掛けている。


(――官僚じゃないな。まして観光客じゃない。――役人か?)


 坊主頭のような短髪で体格からすると軍人と言われても納得するが、役人が着るような平服姿である。

 呼びかけに応じて避難しているのは行き場のない観光客ばかりのようだ。

 サイラス達は中だろうか。


「中はどうなってる! おいっ! 誰か!」


 車椅子で叫ぶ憐れな男の声に答える者はいない。

 代わりに――ドラゴンのうち一匹がギャアギャアと大きくいた。

 一匹のドラゴンが庁舎の上空を大きく旋回し、蛇のように口を大きく開ける。

 空中で両翼を開き、ホバリングのように態勢を変えて――火球を吐いた。

 火球は激しく燃焼しながら他のドラゴンの間を抜け、庁舎の二階の端に着弾する。

 轟音、悲鳴、壁や床の崩れる音。

 年代物の庁舎の壁を突き破って更に床を突き抜け、カッと炎の上がる様子は一階の窓から見えた。

 ――なんて破壊力だ。

 ただの火球じゃない。

 ジャックは思わず顔をそむける。

 熱波をわずかに感じたからだ。

 質量弾だ。ターゲットが建物内にいるのならば――魔術による火球より遥かに効果的だ。

 ドラゴンは魔力を持つとも言われるが、あの火球は純粋な魔術ではない。

 ドラゴンは火を吐く。うろこに含まれるリンを自ら舐め取り、吸収することで僅かな魔力を火焔かえんに変える。

 ドラグーンとなると更に金属粉末コーティング施すことで、テルミット反応を起こす。アルマイト鉱やボーキサイト鉱を体内でアルミニウムに精製し、添加物と激しい高温の燃焼と、酸化金属による質量攻撃を可能とした。

 やがて瓶の口から泡が噴き出るように――階段上の大きなゲートから、大勢の市民と役人があふれ出してきた。

 慌てて外に逃げてきた者達だ。

 ゲートを出てすぐは、七八段の低い階段がある。我先にとばかりに飛び出したうち先頭の何名かがその階段を踏み外し、転げ落ちた。

 後続が次々とまとめてそれにつまずく。

 パニックになった市民は次から次へと、階段下へ倒れて折り重なってゆく――。

 後ろから走って逃げて来た者が、惨事に気付いて階段から思い切りジャンプした。

 高々と飛んだその者を、横から飛来したドラグーンが空中でさらう。

 絶叫が長く尾を引いて、庁舎の上へと消えていった。


(ふざけるな。だめだこりゃあ。どうにもならねえ)


 手の施しようがない。

 いかなる聖者であっても、この庁舎の者達を救うことはできないだろう。

 サイラスとミーシャも――。

 ――待てよ。あれだけ勘の回る奴らだぞ。まだ役所で並んでるなんてことがあるか?

 役所に来て書式をそろえて並ぶという儀式は、人間を一段低いところに置き、知恵も勇気も奪ってしまうようなところがある。

 ただそれでも、彼らなら。

 いいや、ダメだ。希望的観測をするな。ここで彼らを見殺しにしたら、どの道俺はミラに殺されるぞ。

 ジャックは車椅子を駆って、階段脇のスロープに回る。

 だが――。

 既にスロープに回り込んだ群衆が、大挙してこちらに押し寄せてくるところだった。

 呑気のんきに状況を分析したり、考え事をしている局面ではなかった。

 このままではパニックになった群衆に呑まれて下手をすればこちらの命がない。


「おい、待て、やめろ、こっちへ来るな――」


 ジャックは両手を挙げて「止まれ」とアピールしたが、群衆は収まる気配がない。

 無理もない。空には無数のドラグーン。その狙いは後ろの民王庁庁舎だ。

 ジャックは慌てて車椅子の車輪に手を掛け、踏み出す。

 しかし遅かった。

 うわあああというジャックの絶叫はドドドと鳴る雑踏に呑まれ、右も左も前も後ろも判らなくなる。

 車椅子は押され、ぶつけられ、ジャックは地面に落ちた。

 足を踏まれ腰を踏まれしつつ、どうにか頭と腹だけをかばってひっくり返った車椅子の陰に避難した。


「お前ら!! おいっ!! 怪我人を労われよ!!」


 突然、爆音がした。

 群衆の向かう方向――ジャックからすると背中側だ。

 凶荒状態の群衆の動きが一瞬でギクリと止まる。

 ジャックは後ろを見た。群衆の先で煙が上がっている。人波の間でうつぶせせているジャックからはそれしか見えなかったが――ドラゴンの火球が直撃したと直感した。


(クソ――狙われたか)


 これだけの人間が固まっていれば、ドラグーンが見逃すはずがない。

 叫び声、様々な言語の怒号、命乞いが飛び交う中、竜の一聲ひとこえが全てを押し流して次弾が襲来した。

 次弾は比較的こちらの近く――衝撃と熱波、悲鳴と断末魔にジャックは顔をしかめた。

 人の動きが不規則になる。

 凶荒から混沌へ。

 ジャックはどうにか車椅子をひっくり返し、肘だけでよじ登った。

 ターンはできず、座面に右膝をついたまま胸を背凭せもたれに預け、車輪を逆に回す。


「退け退け!! 退かないと死ぬぞ!!」


 死ぬとは勿論彼自身が、である。この混沌の人の海であと一回転んで生還する自信はない。

 とにかく何とかスロープに入って人波を逆流して庁舎の中へ――無理だ。

 スロープはこの車椅子で横幅一杯。

 ――誰かの手を借りなきゃあ、とても無理だ。

 スロープの入り口のほうを見ると、その辺りで手を振っている男がいた。

 先ほどの、観光客を避難させていたあの風変わりな役人だ。

 ――あのガタイ。頼めるかも知れねえな。

 しかもその役人はこちらに向けて手を振って、何かを叫んでいる。

 ジャックはそこへ急いだ。


「――車椅子の人! こっちへ来るのであります!」


 変な言葉遣いだとジャックは思った。


「いよう、お役人! 今日は随分と――忙しそうだな! 収穫祭か!?」

「収穫祭は再来週なのであります!」


 冗談の通じるタイプではなさそうだった。

 どうにか男の近くまで行くと、男は「ハンス・オルロであります」と言った。


「ジャック・トレスポンダだ。実は役所に用向きがある。何とか中に入りたい」

「用――でありますか? 急ぎの用なので?」


 オルロは面喰らった。

 それどころではないのは明白だ。


「悪い、そういう言い方はよくなかったな。友人が中に取り残されている。助けに行きたい。力を貸してくれ」

「そういうことならそのスロープを上って――ああ、承知したのであります」


 こちらへ、とオルロはジャックの車椅子を押した。

 パニックの中を縫って庁舎の入り口から離れてゆく。


「裏手に回るであります。そこに貨物搬入口とエレベーターがあるのであります。しかしあまりに命知らず――ドラグーンはこの上空だけで四十機。火炎はまだ三発。残り三十七発で、この庁舎を粉々にできるのであります」


 オルロが言いたいのはドラグーンのコーティング補給とアルミニウム精製のメカニズムのことだ。

 一発撃てば、その個体は次弾の補給に四時間から六時間かかる。


「詳しいな。軍人か?」

であります。現役が来るまで待機をお勧めするものであります」

「現役とは、アレか?」


 ジャックは馬車の一団が到着するのを見た。


「いえ、あれは――皇室の護衛部隊なのであります」


 馬車から降りてきた連中は、確かにジャックも見知った制服を着ている。

 ――さすがは姫さんだ。自分の尻の心配もせず、護衛を差し出してくるとは。


「民王の軍は――まだなのでありますか」

「こっちが聞きたい。あんた役人だろう?」

「役人……なのでありますかね。その実よくわからないのであります」


 背後で車椅子を押すオルロはガタイにそぐわぬ弱気な声を出した。

 顔は見えないがジャックは「おいおい、こんなときにやめてくれよ」と思った。


「当職は軍人の時分じぶん、あのドラゴンの鳴き声や鱗が嫌いだったのであります。しかし怖いとは一度も思わなかった。こうなって初めて、ドラゴンの牙や爪、炎がいかに怖いか知ったのであります。欠けていたのでありました」

「軍人なんて大体そんなもんなんじゃないのか」


 そこら中で市民がドラグーンにさらわれたり噛み付かれたりしている。

 自分に向けられるまでその大きさが判らない力というのは、あるのだろう。

 オルロがどんな顔をして話しているのかは窺がい知れなかったが。


「いいえ、当職は軍人として死ぬことはできぬでありました。生き方だけが軍人で、中身がなかったのであります。そこのところを、当職の上長にはよく揶揄やゆされておりました。見透かされていたのでありましょうね」

「上長とは軍人時代の?」

「――いえ今の、役人のであります」


 いつまでも軍人気分でいるなとでも言われたのだろうか。酷い上司もいたものだ。

 見ると皇室の護衛部隊は庁舎の周囲に展開し、黒く長い鉄の筒を抱えて物陰から空を狙う。

 ドラゴンを狙撃した。

 火薬の爆ぜる音。

 ――あれじゃあダメだ。下からじゃ狙えない。

 狙撃手は物陰に転がり込んで、鉄の筒に次弾を装填していた。

 手ごたえはなかったのだろうがそれでも、音に反応したドラゴン達の動きが変わった。

 地上に降りて市民を襲っていたドラゴン達が、一斉に空に舞い戻る。


「ならやっぱり役人なんだろう? あいつらを見ろよ。皇室の護衛部隊だ。あいつらだって別に軍人じゃない。役人でも戦える。そういう役人を知ってる」

「上長と連絡が付きませんで。指揮系統からはぐれた役人など魔力のない人間みたいなものであります」

「そうか。ならまだ使える。あれを一本借りてきてくれ。俺のぶんも頼む」


 ジャックは護衛部隊の携帯する黒く長い鉄の筒を指差した。

 銃だ。それもあれは、狙撃銃だ。


「ははあ、ドラグーンと聞いてあんな骨董品を持ち出してきたのでありますね。皇室部、いささか戦にうといのであります」

「なんだい。ドラグーンにゃアレがいいんだ。素早いからな」

「騎兵に当たればいいにしても……しかし無人のドラゴンに銃は……」


 空の敵に有効な攻撃は少ない。まして素早いとなればなおさらだ。

 炎は当たらない。水は届かない。風は当たってもダメージが小さい。

 銃という兵器は、トラブルと歩留ぶどまりの悪さから弓矢に敗北している。ドラグーン対策の為に考案され、ドラグーンの流行と共にすたれた。

 高価で重い癖に繊細な兵器などを歓迎する人間はいない。弾速が速いのも考え物で水膜に弱く、何より火薬を詰めて持ち歩くのがナンセンスだ。

 しかもオルロの言う通り、鉄の弾を当ててドラゴンを倒せるかは別の話である。


「そこは畜生だ。当てて痛がればどっか行ってくれるかも知れないだろ」


 渋々ながら、オルロは銃を取りに行った。

 その前に彼は振り向いて言った。


「ドラゴンの収穫祭というジョークは、上長のジョークの次くらいに笑えないのであります」


 そうか、通じてないのではなく詰まらなかったんだな、とジャックは反省した。

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