17.2 「五中隊分です」

 夕方、首都ベリル北の空に、ドラゴンが目撃された。

 軍事用に小型化されたロードドラゴンの亜種である。

 騎乗者はなく、野生化したものではないかと言われた。

 その騒動はすぐに鎮静化したが――ややあって二匹、三匹と続けて目撃例が上がり、都は騒然とし始めた。

 ハンス・オルロが見物がてらに訪れた庁舎の謎の尖塔でも、観光客らが次々と空を指差して「ドラグーンだ!」と騒いでいたのだ。

 そもそも騎兵が居ないのならそれはドラグーンではなくドラゴンである――などと観光客にさとしても詮無い。

 ドラゴンは凶暴な魔獣だが、ドラグーンは飼いならされている。

 野生化しても高が知れているだろうとオルロはあまり気にしていなかったが、ふとすれ違った市民が言い放った「軍事用」という言葉が引っかかった。

 元軍人であるから――軍事用という言葉には胸のざわめきが立つ。

 何より、オルロはドラゴンのうろこや、爬虫類めいた声が嫌いだった。

 神聖パルマ・ノートルラント民王連合国の軍隊にもドラグーン専門の兵科はもうないが、軍人であれば教練で習っている。


(委員長殿、遅いでありますな)


 午後いちに元老メンバーに呼び出されてしばらく経つ。

 よっぽど紛糾ふんきゅうしているのだろうか。糾弾きゅうだんされていないといいが。

 あの人は、下につくぶんには妙な安心感があるのだが、上の年寄りから見ると苛々するタイプだろう。

 気をまぎらわせるために仕事のことを考えていたオルロだったが、またしても観光客の「ドラグーンがいる!」の声で平静をき乱された。

 

「モートガルドの侵略じゃないか?」


 そう不穏なことを言う者もいた。

 ――取り合うことはないのである。

 オルロも、モートガルドはならず者国家だと思っているがこんな無謀を働く間抜けではないことも知っていた。

 何よりモートガルドでドラグーン部隊が主力だったのは先帝時代のことだ。

 それにモートガルドのドラグーンなら翼が黒っぽい。あれは鮮やかなビリジアングリーンでどう見ても我が国のドラグーンで、しかも大群・・だ。

 ――大群であるか?

 塔から二度見した。

 ドラグーンが飛来している。

 一匹や二匹ではない。

 五十、百……いやもっと。

 ベリルは崖の上に作られた新しい街だ。殆どの建物は白レンガや白い土壁で化粧し、小高く尖った丘に白い都市が作られている。

 総勢二百匹に及ぶ無人のドラグーンが、首都ベリルを包囲していた。




***




 サイラスとミーシャに助られたジャックは、彼らを見送った。

 一刻も早くポート・フィレムに帰ったほうがいいと主張したのだが、彼らはそれでは用事が済まないと言った。

 庁舎の窓口が閉じるまではまだ時間はあったが彼らは急いでいるようだった。


「早く用事を済ませて今日中にここを離れたほうがいい。ポート・フィレムに戻るんだ」


 宿のキャンセル代はこっちで持つと話した。

 転がり込んだ部屋の老人にも礼を言い、ジャックは一息ついて再びベリルの街へ出た。

 裏道を選んで宿に戻ろうと車椅子を転がしていると、どうも表通りが騒がしい。

 ――まだ官憲が騒いでやがるのかな。

 お騒がせの張本人の俺が言うのもなんだがな、と思い直す。

 とにかく見つからないことだ。

 そうすれば世は事もなし。

 あれだけしつこかったスティグマももう――。

 そう家々に切り取られた狭い空を見上げる。


「――なんだありゃ」


 思わず声を出していた。

 それは、切り取られた空に沿って飛ぶ、大きな羽を持つ魔獣――。

 西から東へ、空に架かる渡し通路の向こうを――ドラゴンが横切った。


「おいおい……おいおいおいおい、おい!」


 一匹ではなかった。

 次から次へ、同じ方向へ向けてドラゴンが飛んでゆく。

 すぐにスティグマの顔がよみがえった。

 ――ポート・フィレムと同じだ。あいつら、またアレをたくらんでやがる。

 しかしドラゴンなど……一体どこから?

 そしてどこへ?


「あの方向は――」


 庁舎だ。

 サイラスとミーシャが危ない。

 ジャックは車椅子を急発進させ、ドラゴンの群れを追った。



***



 その一時間ほど前。

 ボルキス・ミール・ノートルラント、否――真実のセブンスシグマは民王軍の駐留基地を訪れていた。

 首都ベリルからは十キロほど離れた、北西の旧ノートルラント領である。

 大きな軍人学校があり、彼もかつてはここへ通った。


「変わらんねえ、ミール君」


 訓練場への渡り廊下で、セブンスシグマは声を掛けられて少し驚き、振り返った。


「……学長殿。まさか学長殿が直々に」


 光栄ですとヘラヘラすると、学長は咳払いした。

「気にするな。元老院案件なのだから当然だ」と言った。


「変わらんというのはな、我々軍人の間では誉め言葉ではないよ。軍人になった者は多かれ少なかれ、変わるものだ。仮に戦争がなくともな。冒険者とはそこが違う」

「それはまぁ……なんといいますか、面目めんぼくないことで」


 学長はしどろもどろになっているかつての教え子を眺め、「歩きながら話そう」と先を歩き出した。

 セブンスシグマも、長い廊下を彼についてゆく。


「退役したそうだな」

「ポート・フィレムで怪我をしまして」

「活躍したそうじゃないか。私も鼻が高い」


 廊下を数度曲がり中庭に出る。

 竜舎が見えた。

 異様な音が聞こえてくる。


「それで、急なことだな。軍を去った君から連絡が来たときは驚いた。連絡が来てすぐに君が来て、更に驚いた」

「明日になると?」

「使いの者も相当に慌てておったしな。何。火急か?」

「なにぶん、元老院のお達しでして。ご老人方は一体何を考えておられるやら」


 学長はポケットから鍵束を出した。


それ・・なんだが、まだ正式な文書が届いておらんでな」

「お持ちしております」


 セブンスシグマは訓練用ドラゴンを所定数借り受ける文書を見せた。

 ハマトゥ院長のサインがある。

 偽造したものだ。


「……よかった。訓練用とはいえ、さすがにこの数となるとな……」


 学長は竜舎の扉を開く。

 三階建ての檻がうずたかくく左右にずらりと並び、檻の中からは甲高く水っぽい擦過さっか音がしていた。

 素晴らしい、とセブンスシグマが言った。


「訓練用ドラゴン二百機。五中隊ぶんだ」

「増えましたね」

「モートガルドの情勢のせいだ。オールドファッションだが海上防衛には使える」

「攻城戦も?」

「城まで補給ラインが届けばな。この子らも訓練用とはいえ、獰猛どうもうだ。いつでも実戦に出せる」


 檻の間を歩くと、檻の中からドラゴンのぎょろつく爬虫類のような眼が見えた。

 翼が傷つかないよう翼かせを掛けられ、小さな檻に押し込められている。

 体長二メートル。尻尾まで含めても四メートルと少し。


「コーティングは?」

「ボーキサイト鉱粉末だ」

「凄い。実戦向けじゃないですか」


 彼らを毎日出して運動させてやるのも訓練生の務めだった。

 だがその頃見ていたドラゴンの眼とは異なり――今は怯えていた。


「この子、怯えていますよ。大丈夫ですか?」

「そうか? 私には元気そうに見えるが――」

「そうかなぁ。ああ、そうか、僕が怖いんだ」

「――ミール君、君は少し、変わったか?」


 セブンスシグマは学長を見た。

 学長は、一瞬だけまるで知らない誰かを見るような目を向けてきた。


「やだなぁ。僕は変わらないですよぅ。学長が仰ったんでしょう?」


 彼は学長の反応など意にも介さず、「こいつの名前は――?」とドラゴンの檻に掛けられた認識票を捲った。


「――『アーサー』だって? あははは、バカだなぁ。こいつはいいや。よし、決めた。僕はこいつに乗るぞ」


 檻の間を抜け、反対側の庭への扉まで辿り着いた。


「ところで、急ぎのようだが。何をさせるつもりだ? ショウをやるなら専用の訓練師を手配するが、国中からかき集めても一週間かそこらはかかる。収穫祭の農耕デモなら――」

「いえ、訓練師はこちらで用意します」

「そうか。いつ出庫する?」

「すぐにでも」


 セブンスシグマがそう答えると、学長はまるで馬鹿を見るような顔になった。


「――いつドラゴン達を引き渡せばよいかと聞いたんだ」

「ですから、今すぐに。三十分もあればしつけられるでしょう? 賢い子達ですからねぇ。あ、ドラゴンの話ですよ」

「一人一機ならそうだ。だが君一人でどうするつもりだ。どうかしてる」


 いいえ、とセブンスシグマは大きな扉を押し開けた。

 その向こう――庭には二百人のセブンスシグマがずらりと並んで居た。


「一人ではありませんので」


 学長は唖然と、口を開けたままになった。


「二百人の僕を用意しました」


 五中隊分です――そう言ってセブンスシグマはへらへらとわらった。

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