18.3 「自分から餌台に乗って喰われに行くとはなぁ」

「こちらであります」


 オルロに車椅子を押されて導かれた先は、庁舎の真裏だった。

 入口から最も遠い一角だ。

 激しい発砲音と悲鳴がここまで絶え間なく聞こえてくる。

 庁舎の壁の中からも、鳴き声や悲鳴が聞こえている。

 恐れていた通り、中もパニック状態になっているのだ。


「思ったより四角いんだな」

「四角でありますか?」


 ジャックの言いたかったことは庁舎の構造だ。

 正面からみると横長の平たい構造を思わせたが、回り込んでみると城のようなロの字に近い。

 いやいいんだ忘れてくれ、とジャックは言う。


「エレベーターって――えっ?」


 いかにも後付けといった金属の両開き扉の横に、もう一つチェーンのかかった扉がある。


『昇降機・故障中』


 そう書かれた木札が下がっていた。

 木札は古く、ここ数日のものとはとても思えなかった。少なくとも一、二年はこのままという感じだ。


「って壊れてるぞ!」


 そう言われましても――とオルロは短く刈り上げた頭を掻く。


「おお、こちらであります。これが臨時のエレベーターではないでありますか?」


 ないでありますか? ありませんか? じゃダメなのか? と首をかしげるジャックをよそに、オルロは庁舎の壁から突き出した高い塔のほうまで歩いて行った。

 そこだけが周囲の壁と異なり、古い建築様式だった。庁舎正面側と同じ年代のものである。

 それは庁舎に繋がる鐘塔しょうとう所謂いわゆるベルフリーである。

 庁舎の備える他の塔と異なり唯一明確な存在理由が判る。元々は独立したカンパニーレだったものだが庁舎の増改築に伴って一体となったのだろう。

 正面から見えてもひと際印象的な、庁舎の象徴であった。

 オルロは鐘塔の壁に取り付けられた二本の太いワイヤを指差す。

 それのどこがエレベーターなのかといぶかしんでいると、オルロは壁に紐で括り付けられたそのワイヤをがした。

 片方のワイヤは、下は地面のほうまで伸びている。

 ワイヤを引っ張ると十字になった棒に繋がっており、その十字が四本の鎖で板の四隅と互いに繋がっていた。

 ガシャリ。

 頼りない音がして、ジャックは上を見上げる。

 ワイヤは、鐘塔の天辺てっぺんから張り出した滑車かっしゃを通って戻ってきていた。


「おいおい――冗談じゃないぞ!? これはエレベーターなんかじゃない! ただの板だ!」

「これで荷物を上げているのなら使えるのであります。しかし仰るように非常に危険に思えますし、かといって中を通って階段を上がるのは――」

「それはそうなんだが――……ええい、上までどうにか引っ張りあげてくれよ!?」

「えっ、自分が引くのでありますか」

「他に誰がいるんだよ!」


 滑車があるのだから難しくないだろう、と説得しジャックは包帯を切って手に巻くよう促した。

 オルロは渋々、本当に渋々とワイヤに手を掛ける。


「中の人たちをお願いするのであります」


 ――なんだか無理を頼んでるみたいになってるが、いやなのは俺のほうだぞ。

 車椅子で板の上に乗りつけてハンドブレーキをロックし、膝の上に狙撃銃を置いて合図する。

 厭がっていたオルロだったがいざ拳にバンテージを巻いてワイヤを掴むと、どうやらその気になったようだった。

 勢いよくワイヤを引く。

 十字の棒が頭上へ持ち上がりジャラジャラと鎖が張る。

 やがて底板が持ち上がった。


「いいぞ!」


 オルロの引いたワイヤの長さにくらべて上がる距離は僅かだ。

 ジャックの視線は徐々に高くなってゆき、脚を骨折する前の高さになった。


「ヒューッ! 久しぶりだな、この景色!」


 調子が出てきたのか視線はどんどんと高くなってゆく。

 二階の高さに達して、ジャックは少し怖くなってきた。


「ゆっくりでいいぞ」

「――何か言ったでありますか!?」


 一階部分が非常に高く、二階から三階はそうでもなかった。

 そうして三階の高さに達したときだ。

 ギャーッとドラグーンのこえがした。

 聲のほうを見たオルロが声を上げる。


「まずいであります! ドラゴンどもが来ます! 九時方向! 回り込んでくるであります!」


 ――くそっ。

 オルロはワイヤを引く手を止める。

 ジャックは護衛部隊から借りた狙撃銃を構える。

 これはかつて使われた銃そのものではない。

 対勇者のために皇室が密かに改良していた武器の一つだ。そのためか一丁しか借りられなかった。

 従来長い砲身は嫌われていたが、これは更に長い砲身を持つ。

 鎧も撃ち抜ける大口径。

 極めつけは高倍率スコープ。

 ――九時方向って、オレから見て左か?

 ストックを抱え、銃身全体で周辺の空を探る。

 背後には鐘塔の古い壁。庁舎はベリルの丘の上だ。急激な丘に沿って下る家々の屋根が見える。

 ドラグーンのき聲も、人の叫び声も、火薬のぜる音も――このまま遠く離れて天に昇るようだ。

 左側の庁舎の端を回り込んで、空から二匹のドラグーンが現れた。

 チークレストに顔を乗せ、高倍率スコープを覗き込む。

 ――クソ、安定しねえ。

 照準を合わせようにも、車椅子を乗せた板は一本のワイヤで宙吊りされているだけだ。

 しかもドラグーンの飛行速度は、人間の全力疾走よりも数段速い。


(このままじゃただの餌だ)


 そうなった場合、後日現場検証をする者はジャックの死体を見て不快感をもよおし、真剣に罵倒するだろう。


『鐘楼から宙吊りとは。この間抜けは一体どんだけハードなプレイの最中だったんだ?』

『自分から餌台に乗って喰われに行くとはなぁ。これから餌台のことを〝ジャックの間抜け板〟と呼ぶことにしようぜ』


 ――ああ、それだけは……それだけは絶対にイヤだ。

 片方のドラグーンがジャックに気付き威嚇いかくするように、あるいは嘲笑あざわらうように小さく二度旋回した。

 そしてこちらへ向けて真っすぐ降下を始める。

 その瞬間をスコープは捉えた。

 引き金を引く。

 ダーンと金床同士を激しく撃ち付けるような音がして、反動でジャックは板ごと後方へ持っていかれる。

 頭を狙った銃弾はわずかに外れ、ドラグーンの腹ギリギリのところへ当たった。


「やったぞ!」


 ジャックは銃身のボルトハンドルを起こして引き、再装填を行う。

 空中でドラグーンは回転しながら、そのまま裏庭の地面へと落下する。

 もう一体のドラグーンはひるみ、上昇に転じて後方へ飛び去った。

 すかさずジャックはその後ろ姿を狙うが、宙吊りの板が揺れ続けており照準が定まらない。


「引き上げてくれ!」


 再び上昇が始まる。

 背後側に鐘塔の窓が現れた。高度が三階に達したのだ。

 ここで車椅子をひっくり返して三階の窓に飛び込んでしまうのも戦略的には有効な手段だ。その場合四階の捜索は諦めることになる。

 ジャックはオルロに「まだ上だ」と合図した。

 上昇は続く。

 ベリルの空に夕暮れが迫りつつあった。

 空にドラグーンが飛び交い、そこら中で火の手が上がり、街中心の鐘塔から車椅子の男がぶら下がっていなければいい景色だ。

 表の部隊はまだ戦闘中だ。ドラグーンは残りどれくらいだろうか。

 物語に終わりがあるように、ベリルの命運も残り時間が決まっている。

 日没までにドラグーンの多数を殺せなければ狙撃部隊には手も足も出なくなるのだ。

 四階まであと少し。


「来るであります! 九時方向! 三時方向! 数――六、七、八――たくさんであります!」


 発砲音に気付いたのであろう。

 ジャックは見た。左から回り込んで五匹、右からも遅れて五匹。


(一匹逃すと十匹になりやがる)


 三階で降りとくんだったなぁ、と思いつつジャックは銃を構えた。

 ドラグーンは先ほどと異なり最初から真っすぐにジャックを狙っていた。

 真っ直ぐ伸ばした長い首を軸にバレルロールをしながら急降下をしてくる。

 人を乗せたドラグーンならばまずあり得ない動きだ。

 

(くそが!)


 発砲。初弾は外れた。ボルトハンドルを引く。

 ワイヤが短くなったぶん僅かに揺れが細かく、速い。

 鼓動をそれに合わせるかのように呼吸を集中させ、予測する。

 揺れを。標的の動きを。

 発砲――命中。

 四匹のドラグーンの群れは一旦ばらけて旋回し、中空に戻る。


(逃すかよ)


 すぐさま次弾を撃つ。

 一匹の翼に穴を開け、錐揉きりもみ状に落下させた。

 空に戻った一匹がこちらへ向けて大きく口を開けた。

 ――やばい、炎弾を吐くつもりだ!

 ボルトハンドルを引き、ジャックはタツノオトシゴのような姿勢をとった一匹を狙う。

 発砲――。

 狙いは外れた。

 だが外れた弾は今まさに炎を吐こうとしたドラグーンの翼に大穴を開けた。

 空中でもんどりを打ちながら炎を吐き出す。

 その軌道はズレ、他のドラグーンへ命中した。

 ギャアギャアと啼きながら落下してゆく二匹のドラグーン。

 残り一匹。

 ――いい加減誰か助けにきてくれ。

 最後のドラグーンは表側へ撤退した。


が悪いと悟ったのか? 賢い奴らだ)


「助けてほしいのであります!!」


 下から、物凄い大声がした。

 地上ではオルロが逆から来た五匹のドラグーンに囲まれていた。

 ――つくづく知恵が回りやがるぜ。

 ジャックはオルロに忍び寄る一匹を狙おうとするが、位置が低すぎる。高低差があり過ぎて狙い難い。

 こちらは板の上、車椅子で、長物の狙撃銃を構えている。

 地上のドラグーンはひょこひょこと右へ左へ大きく重心を揺らしながら歩いており、スコープで捉えきれない。


くさびを打って逃げろ!!」


 あるはずだ。ワイヤを固定するための楔が。


「一旦退け!!」


 ジャックは咄嗟とっさに塔を見上げる。

 四階の窓までは手を伸ばしてもまだ一メートルほど足りない。

 普段なら何でもない距離だ。それでも両足が折れていてはどうにもならない。

 地上ではオルロが、外した片手のバンテージを口に咥え、フガフガと藻掻もがきながらどうにか片腕で魔術を撃っているが多勢に無勢だ。

 ひょこひょこと、それでもじりじりと確実に追い詰められている。

 ジャックは適当な地面に向けて威嚇いかくで一発撃つ。


「雑食トカゲども!! こっちだ!!」


 ドラグーンたちは一瞬だけこちらをた。

 その横っ面へオルロの火魔術が直撃し、トカゲは燃えながら転がった。

 四匹は大きく飛び退く。

 うち一匹は狙える位置に来た。

 ジャックはその機を逃さず、一匹を狙撃した。

 続けて銃声がして更に一匹が倒れる。

 援軍だ。

 庁舎の向こう側の角から、腹ばいになって狙撃銃を構えている者がいた。

 残り二匹。

 するとその二匹は翼を広げて飛び上がった。

 飛翔――ではない。

 激しく砂埃を巻き上げて、ほんの少し飛び上がっただけだ。


(煙幕――だと!? 馬鹿な――)


 如何に賢いドラゴンとは言え――ここまでの知恵が働くわけはない。

 ――誰だ。誰が奴らの手を引いている。

 ソウィユノは死んだ。死霊術師ファンゲリヲンか? 戴冠のメイヘムか? それとも俺の知らない別の勇者か?


「空気だ!! 空気魔術を使え!!」


 ジャックは声の限りに叫んだ。

 オルロは巻き上がった煙に向けて、渾身の空気魔術を――。

 そのときだ。

 煙の中から一匹のドラグーンが猛然とオルロへ向けて飛び出した。

 出の速い空気魔術を地面スレスレのバレルロールでかわし、オルロの左腕に噛み付く。

 外れた空気魔術は後方の一匹を吹き飛ばし、煙幕を払った。


「んんん~~~っ!!!」


 オルロのくぐもった絶叫が響く。

 喰い付いたドラグーンの勢いは止まらなかった。

 腕を喰い千切らんばかりの勢いで翼を動かし、オルロをジャックから離れた方へと引きずってゆく。

 それでもオルロの右手は、決して離すまいと固くワイヤを握っていた。

 ガラガラガラと激しく滑車が鳴って、ジャックは急激に上方へ引っ張られる。


「うおおい! おいおいおいおいおい!!」


 またたく間に四階を通り越して、最上階の鐘楼へ至る。

 慌ててワイヤを掴もうと手を伸ばすが、一歩遅かった。

 粗末なエレベータは上部の滑車に激突し、その衝撃でジャックは車椅子から放り出された。

 板の上を転がり、もう板の端――ジャックは両腕を踏ん張る。

 もう半回転で落下するというところで、ジャックの回転は止まった。


「んんん!! んんん~~!!」


 ピンと張られたワイヤの先――地上ではオルロが両足のかかとを踏ん張って、ドラグーンの猛突進に耐えている。

 果たして勝つのはドラグーンの突進か、オルロの腕か。

 ぎしぎしと金属のきしむ音がしてジャックは上を見た。

 滑車を収めたボックスは、鐘楼の天辺から張り出した頼りないはりの先についている。

 音はそこからだ。

 

(我慢比べに滑車も参戦か――)


 ――銃は。銃を落とした。

 ジャックはハッとして狙撃銃を探す。

 車椅子から落ちた衝撃で、銃を手放してしまったのだ。

 見れば狙撃銃は板の隅、ギリギリ落下しそうなところに引っかかっている。

 ――おおジェニファー、今助けてやる。危ないところだったな。

 ジェニファーはジャックが勝手につけた銃の名前であった。

 狭い板の上を匍匐ほふく前進で銃を拾い、腹這いになったまま板の端で構える。

 位置は申し分ない。

 今ならオルロを助けられる。

 しかし激しい綱引きのため振動が酷い。


(だめだ、悪くすりゃあの軍人崩れに当たっちまう)


 ジャックは意を決して、二度折れた足を鐘楼の壁につけた。

 今日の午後、スティグマから逃げながら折ったときの激しい痛みが、今また折れたかのように鮮烈によみがえる。額に脂汗がにじんで思わず声が漏れる。

 それでも、ジャックは両足を踏ん張って板を少しでも安定させた。

 スコープを覗く。

 日が暮れてきたのもあるが、スコープ越しの景色はやけに暗い。痛みで意識が飛びそうなのかも知れない。

 砂埃も多いし目もかすむ。

 照準は暴れ、ドラグーン、オルロ、ドラグーン、オルロと行ったり来たりしている。

 次第にオルロの体が持ち上がり始めた。

 ワイヤは張り詰めたままだ。

 ドラグーンはオルロを空へ連れ去ろうと――。


(――今だ)


 渾身の集中力をめて、ジャックは引き金を引いた。

 首元に大きな血煙が上がる。

 オルロとドラグーンは同時に地面に落下する。

 オルロはピクリとも動かず、その手が力なく――ワイヤを放した。

 張り詰めていたワイヤが蛇のようにたわみ、ジャックは今度は落下を始めた。

 叫ぶ暇すらもない。


(くそっ、間抜け板で死にたくねえ)


 バンッ。

 ジャックは板に叩きつけられた。

 死んだかと思ったが、まだ空中だった。

 落下したのはほんの僅かな距離だ。

 見ると再びピンと張り詰めたワイヤを、握る者がいた。

 オルロだ。

 倒れたのは――ドラグーンのほうだった。

 彼も傷付きつつ、ワイヤを逃さなかった。一瞬だけ手を緩めたが、必死に走ってワイヤに追いついたのである。

 血だらけになった左腕で、親指を立てたサインを送ってくる。

 ジャックは全身の息を吐きながら板の上に転がり、夕闇が迫る空へ向けて腕を伸ばし、親指を立てた。

 それは二人が分かち合った束の間の勝利であった。

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