第四章: 世に正義がなくとも立つ者はいるのであって
Ep.16: 英雄の帰還
16.1 「後悔することになるぞ」
マルケスはモートガルドの生まれだ。
六人兄弟の末っ子で、小さな家の外のことを彼はあまり知らなかった。
家では親のことをよく覚えていない。
あまり明るい少年時代を過ごした記憶もない。
モートガルドの者なら誰でもそうだろうが、皇帝ディオニスには憧れて育った。魔力では決して贖えない、その勇壮さ、強靭さ。
尤も彼には、そのような強靭な肉体はなかった。
生まれついての病弱な体質で、兄達は彼を庇うように皇帝の存在を隠していた。
実は皇帝は見た目ばかりでそれほど強くないんだとか、どこどこの戦いでまた負けたとか、そういう話ばかりをまことしやかに語った。
やがて兄達は皆死んで、彼は一人になった。
末っ子だった彼はある男に連れられ、旅に出た。
そのようにして冒険者に育てられる子供は、少なくないのだ。旅先で自分と同じような少年に会うたび、彼はもっと強くならなければと思った。
旅に出て彼は変わった。
病弱な体質と
***
「ジャックさん、ジャック・トラスポ……ポンデさん」
「トレスポンダだ」
「珍しいお名前ですね」
ああ、偽名だからな、とはさすがに言えなかった。
車椅子の車輪を自分で回して、処置室に入る。
船でヤブ医者呼ばわりをした皇室の医者によると、ジャックの怪我はかなり早いペースで治りつつあった。
「全治四か月といったが、この分なら三か月かからず完治するよ」
通常、全体の傷がゆっくりと治ってゆくはずだが、どういうわけか体の上の方から急速に治っているのだそうだ。
まるでパズルが組み上がるみたいに骨がくっついている、と医師はいう。
従って足はまだ駄目だ。
ベリルの宿に
先月、見舞いに来たノートンが「不便だろう」といって車椅子を置いて行った。
新型で極めて機動力に優れ、しかも電動らしい。
「見たまえ。怪我人にも革命が起こる。電動で移動が楽。ハの字になった新機軸の車輪は恐ろしく小回りが利く。坂道も苦にならず、私も自分の足を折って乗りたいくらいだ」
「すげえな。でもこれ電気はどこからとるんだ」
「それは魔術で起こす」
「電気魔術なんか使えねえぞ。どうするんだ」
「……この機会にどうだね。学んでみては。どうせ暇なのだろう?」
たしかに小回りは効くし、重心移動にもよく追従する気はするが、
他にないからありがたく使っているが、電気を起こせない限りただただ重い。
大体、この街は無駄に坂と階段が多いんだ。怪我人に優しくない。
帽子と眼鏡で変装して皇室から宿までの道を車椅子で移動していた。
人通りの少ない道を選ぶと、そうした道は概して坂がきつい。
これもリハビリだ。
すると街の警備兵が声をかけてくる。
決まって坂の中間――最も勾配のキツイところを狙って止めてくる。
偽造の障害手帳を見せると、認識阻害を使わなくても簡単に突破できた。
坂を転がらないように踏ん張っているのに、その上認識阻害だなんてとんでもない。
(それにしても官憲が多いな)
警備兵だけではない。
ゴア殺害犯包囲網が作られている。
俺一人だけならなんてことはないが――ノヴェルとミラは大丈夫だろうか。
警備兵をやり過ごして長い坂を上がってゆく。
人は急な坂の両側に家を作ると、坂の上をアーチのように渡り廊下を通して繋げてしまうらしい。
それが作る日差しと日陰の繰り返しが、必死で坂を上がっている人間には何とも
――トリーシャ。
ジャックは頭を振って弱気を追い払った。
体が重く感じると弱気が顔を出すらしい。
ふと。
自分が目指す坂の上に、誰かがいる。
少女だ。
歳は十三、四歳くらい。
ジャックの年齢審査眼が怪しいことは、リンの例でも明白だ。十四歳くらい、と言っておけば大体オーケイと思っている節がある。
それでも――どこかで見覚えがあった。
この季節にはちょっと寒いのではないかというようなひらひらしたドレスを着ていた。
――どこかで――どこだ。ロンディアか?
だとすればもう随分前に去った街だった。
「ちょっと、君、どこかで」
思わず声をかけると、少女は左を向いて逃げ出した。
無理もない。
ただ気になっただけだ。
それでもジャックは必死に坂を上がり切り、左を向いた。
「――ちょっと! ジャックさん!?」
見知った二人組がいた。
「君達は――ミーシャとサイラスか?」
「やっぱり! どうしたんですか!? 危ないじゃないですか、こんな真昼間に外を歩くなんて……」
「いや、女の子が走っていかなかったか? 十四歳くらいの」
そういうと二人は更に声を潜めた。
「ミラさんだけじゃなくて、ジャックさんまで……? 当てられたのかしら」
「何か良からぬ想像をしているなら間違いだ。それより君達はどうしてベリルに?」
年一回の更新です、と二人は酒類販売許可証を見せた。
「はぁ? そんなものわざわざ首都まで来ることないだろ」
「ポート・フィレムの庁舎は何やらごたついていて……行政がストップしてるんです。ひと月待ちだとか言われて」
サイラスが説明した。
ははぁ、とジャックは顎を
物流の多い街だ。行政が数日止まったら混乱が収まるまでは暫くかかるだろう。
「ついでにノヴェル達の様子も見てみようって」
「ああ、それなら入れ違いだ。残念だな」
「どこかへ向かったんですか?」
「ノートンを探しに、南のウェガリアの御所だ」
立ち話もなんだから蟹でも食わせてやる、とジャックは二人を連れて食堂へ向かった。
***
民王庁の庁舎は、ベリルができる前からそこに存在していた、とある。
道理で、あらゆる建物が白いこの街で、その四階建ての庁舎だけが白くない。
敷地には何に使うのか判らない塔が複数建っていて、数少ない観光スポットになっていた。
ボルキス・ミールは大きな鞄を持って、観光客の間を
その前では観光客が造影だか撮像だか――なんだっけ?――を撮っている。
――そうだ、写真だ。
そうボルキスは思い出す。
写真を報告書に使いたいと彼は思うのだが、未だ証拠として受け入れられないので仕方がなく絵師の模写を使っている。
その報告書の行き先がこの庁舎だ。
建て増しを繰り返して迷路のようになったこの庁舎のどこか。それ以上は外から見てもよく判らない。
神聖パルマ・ノートルラント民王連合国ができて三十年。その前にはここには何もなかったのだという。
それならこれは一体何のための建物だったのか。
古い造船所とも言われるが、こんな崖の上に造船所を作る者もいないだろう。
ただ確かに、建物のあちこちに造船所らしい名残はあるので納得してしまいそうになる。
まるで聖堂のように広々して高い天井の一階から狭い階段を上がると、二階から上は随分と狭苦しいお役所感がある。
廊下の窓はどれも小さく、まだ午前中だというのにやけに暗い。
四階まで来ると廊下の片側に会議室が並ぶだけだ。
そのひと際暗い大会議室の中。
今ボルキスは横に大きな鞄を置いて、法廷染みたUの字の巨大テーブルの真ん中に立たされていた。
テーブルの上のランプだけがお歴々の顔を照らしている。
真正面に元老院長、左右それぞれ十人の元老院審議官がおり、全員不機嫌そうにしていた。
――突然の召喚。針の
「針の筵ってやつですかねぇ」
苛立ちや不満が
咳払いが一つ返ってきたのみだった。
いやぁ、こりゃ長くなりそうだ。
「ミール君、君がなぜここに呼ばれたか、承知しているかね」
「先日お送りした報告書の件で、お褒めに預かるものかと」
このお歴々の冷え切った表情――ここから褒められる絵はなかなか描けない。
右手の一人が、紙束を机に押し付けたまま立ち上がった。
「我々は君にゴア殺害の容疑者三人を捕えよと言ったのだ。何なのかね、この『スカイウォーカー』だのモートガルドだのは」
「ですからね、容疑者はモートガルドに渡ったのです」
「その方法がわからんのでは納得できん」
「細かい方法は調査中でして」
海賊については報告書からは消した。
海賊なんて聞くと元老院の半分は少年のように興奮するし、半分は赤子のように激怒してしまう。
それに、ボルキスにとっても重要な交渉材料である。「調査中です」のほうがよかった。
「容疑者について氏名がないじゃないか。ジェイクス・ジャン、なんとかと、なんたらヘイムワース卿、あと一人」
「消息筋からそうした報道がありましたねぇ。しかし我々の調べたことではないのでして」
「氏名まで判っているのだぞ。出身を調べて、一族郎党縛り上げるまでが君の仕事ではないのか?」
「それはいったい、何の容疑で?」
体裁のことはいいのだよ、とハマトゥ院長が重々しく口を開く。
「我々が憂慮するのは君の能力ではない。君は、我々に何を言わせたいのかね」
「何をご心配されているのか、僕には皆目分かりませんねぇ」
「報告書を交渉材料にしようとしているのではないかね」
「いいえ、そのような魂胆は毛程もないのでして」
「ではなぜだ。なぜ『スカイウォーカー』『偽のオーシュ』が出てくる。『容疑者は全員死亡にて捜査は打ち切りが相当』? 馬鹿にしているのかね?」
「いえそれはもう、大変面白いお話なのでお耳に入れておいたほうがよろしいかと思いまして」
ふざけるな! と怒号が飛んだ。
左右の二十人からも次々罵声が飛んでくる。
まぁ、さすがは海千山千の元老院長。全問正解といったところだ。
何人かは小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべていた。
ボルキスはその顔を見て覚える。
そして、目の奥にある怯えや
――こいつとこいつ、あとこいつは本当に何も知らないな。
元老院が全員グルというわけではなさそうだった。
元老院長、ハマトゥ・イスカゴルだけはその真意を鉄のように隠していた。
「モートガルドのかつてのザリアの領内の証言から、容疑者の少年がそこにいたのは確実と思われます。偽のオーシュに騙されたものと推測されます」
確かかね、とハマトゥ院長が水を向けると、バリアス卿は頷いた。
運輸局長だ。水運を司り、モートガルド情勢について詳しい。
サン=オルギヌアで見つかったノートルラント籍の商船について、彼は黙っていた。これはつまり、彼の落ち度になるからである。勿論報告書にも書いていない。
「偽のオーシュとはなんだ。なぜ偽と言い切れる」
「本物なら陸になぞ上がりませんので」
これはボルキスのハッタリだ。かなり入念に調べたが、本物かどうかはボルキスには判らなかった。
いずれにせよ、ここにいる誰かの差し金で動いたことは確信していた。
――誰だ?
一同を見渡す。不審な動きをした者がいた。
――カスパー労働局長か。
「『スカイウォーカー』については削除すべきだ」
「とんでもない。そこが一番面白いでしょう?」
「面白いかどうかという問題ではない」
まあまあ、とハース情報局長が割り込んだ。
「空を歩く人影なんて、面白いじゃないですか。しかも同じ
ハース局長が『スカイウォーカー』の模写を取り上げた。
証言に基づくものだが――人というより空に浮かぶクラゲのようであった。
しかもモートガルド側の証言とノートルラントの沿岸警備隊の証言を合わせると、ほぼ同刻に洋の東西で目撃されている。
「ハース君まで止さないか。ともかく、報告書は預かる。君から弁明がないのなら、本日は以上だ」
ハマトゥ院長はそう言って、ボルキスを見た。
ボルキスは「弁明? それは別に」と言った。
「後悔することになるぞ」
おっかないなぁ、とボルキスはへらへらした。
「そうだ。このまま帰るのも何ですから、今日はもう一つお土産をお渡ししますよ」
ボルキスは笑いながら、持ってきた大きな鞄をテーブルに上げ、開いた。
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