インターミッション3 「       !!」

 ホフマンは仲間兵士が勇者と相対するのを見ていた。

 勇者、潰滅かいめつのイグズスは身の丈四メートルに及ぶ大男、いや巨人だ。

 巨人種は巨人とはいうものの概して伝えられるような巨人でないことも、ホフマンは知っていた。モートガルド大陸南部の戦線では幾度も「巨人種」と言われる者と戦ってきたが伝えられるような巨人を見たことがないからだ。

 他の者がどう思っているかは知らない。それを口に出すことは一種、タブーであったからだ。

 帝国は決して認めないが――巨人もモートガルド人と同じ、ただの人間である――筈だった。

 少なくともホフマンはそう思っていた。

 イグズスを見る、この瞬間までは。


「ジョン! どうするつもりだ! 戻れ!」


 ホフマンは叫んだ。

 戦車を下りたオズワルドは、老いた牛のようにイグズスのほうへ歩いてゆく。

 平伏すでもない、命乞いをするでもない。

 ただ歩いてゆく。


「戻れって! 戻れ!」


 ホフマンの叫びは、オズワルドには届かない。

 背後で一層慌ただしくなる重戦車の駆動音のためか。森から聞こえる仲間兵士の絶叫のためか。

 それとも真実、彼はジョン・オズワルドではないためか。奴隷であった彼は長い間番号で呼ばれ、今は新しい名で生きているはずだ。

 オズワルドはヘライ出身の奴隷に与えられた姓で、ジョンは成績は並みだが忠誠心のあつかった者に与えられた名だと、軍ではまことしやかに噂されている。

 ――「犬の名前だぜ」

 表立ってそう侮辱することは禁じられているが、陰でそう笑う将校は一人や二人ではなかった。

 いやもしかするとこの瞬間、彼はジョン・オズワルドも辞めたのかも知れなかった。

 ホフマンは戦車の上で一歩も動けなかった。

 オズワルドはふらふらとイグズスの前に立ちはだかる。

 イグズスも、その兵士に気付いたようだった。

 ほんの少し不思議そうに小首を傾げた後、イグズスはハンマーを振り上げた。

 巨人のつちはランプハンマーだ。頭の部分だけで酒樽よりもずっとデカい。

 何でどう出来ているのかまでは判らないが――途轍とてつもない重さであることは疑いようがない。

 アレで重戦車を叩き飛ばすのに、その反動を巨大な体躯で受け止めていることになる。

 物理的には到底あり得ないことだ。あり得るとするならイグズスの骨格と筋肉は目いっぱいデカいように見え、更にまだデカくなるだけの余地があるのだろうか。


「       !!」


 ホフマンは叫んでいた。自分でも何を言ったのか判らなかった。

 彼が叫び終わるより早く――イグズスのハンマーが振り下ろされる。

 一瞬。

 重戦車を打ち飛ばす槌の力だ。

 無論、小さな人間ひとりごときは。

 地面が波打つ衝撃で、ホフマンは戦車ごと僅かに浮かび上がって、転げた。

 ハンマーは地面に刺さり、その地面はオズワルドの立っていた場所を中心にクレーターのように凹んでいた。

 石組みの建物の、脆いところがガラガラと崩れてゆく。

 イグズスがハンマーを持ち上げると、そこには何もなかった。

 黒いようなシミが一つ。

 瞬間吹きあがった黒い霧でさえ、もう土埃と煙に紛れ――そこに一人の男がいたことは文字通り、ちりひとつ残ってはいなかった。


「ごじゅういち」


 地鳴りのような声が、イグズスの口から洩れた。

 そして周囲を見渡す。


「それと戦車が二百」


 口を開いて、そう言った。

 ホフマンは耳を疑う。

 ――こいつは、人間の言葉を話すのか?


「戦車が二百。違ったか? おい?」


 間違いなく、ホフマンに判る言葉を使っている。

 ホフマンは唇が震えて、イエスともノーとも言えなかった。


「――口が利けねえのか? おい、そこの金髪。お前だよ」


 イグズスがこちらへ歩いてくる。

 そこからものの数歩で、ホフマンの前に立った。

 重戦車の高さは一・八メートル。身長一・八メートルのホフマンが立てば、目線だけならいい勝負ができるかも知れなかった。

 だが腰を抜かした彼にすれば、潰滅の名を持つ勇者は山より高い。

 最早ホフマンの口はただの排気弁と化して、ハフハフと呼気を区切るばかりである。

 ――金髪?

 ホフマンはイグズスを見上げながら自分を指差した。


(――俺?)

「お前以外に誰がいるんだ」


 振り向くと、随伴兵は逃げ散っていた。

 命令系統を失って沈黙する重戦車の隊列が、処刑を待つ罪人の列のように続いている。


「戦車は二百だな」


 ホフマンは何度も頷く。


「あとよ、この箱ん中にゃ兵隊がいるんだろ? 何人だ」


 指を「三」の形にして突き出す。


「――三人? こんな小せえ箱に三人も? なんで?」


 窮屈ではあるだろう。

 左、右、そして後部の交代要員で、三人が基本形のはずだ。


「で、三千五百の二割って何人か、わかるか? 俺、わかんなくってよ」


 何を言っているのか判らなかった。

 少し間があって、ようやくイグズスの言っていることがホフマンの中に浸透した。

 三千五百の二割。難しい計算ではない。それでも――急に言われて、ホフマンの頭にはその簡単な計算に割けるリソースはなかった。


「ああ、お前もわからんの? 難しいよな。掛け算くらいはできるんだけどさ、ゼロ二を掛けるんだっけ……? でもゼロ掛けたらゼロになっちゃうだろ? こないだまではさ、計算とか、やってくれる親切な奴がいたんだよ。なんて名前だっけ、ソウイノ、ソイウ――ま、いいや」


 この戦車、全部ぶっ壊せば頃合いだろ――そう言ってイグズスはわらった。

 何が頃合いなのか、何が可笑しいのか、ホフマンにはこれっぽちも判らなかったが、一つだけ、口を突いて出てきた言葉がある。


「〇・二」

「あ?」

「ゼロ二、じゃなくて〇・二――」


 ホフマンは、イグズスに二を掛けて桁を一個削ると計算手順を教えた。


「なるほどなあ! お前、親切だな! 俺、金髪の奴に親切にされたの初めてだよ!」


 お前気に入ったぞ、とイグズスは満足げに言う。

 ホフマンはほんの少しだけ緊張を解いたが――。

 イグズスは「七百人殺せばいいんだな」と言った。

 聞き違いだろうか。

 だが。


「七百引く……戦車に六百。百人殺さないといけないのかぁ。あと……五十くらい? 五十でいいや。小さいの追っかけるのは面倒臭えんだよ」


 ホフマンは硬直した。

 さっき「五十一」と言ったのは、戦車以外で殺した人数だったのだ。

 オズワルドのはここでも丸められてしまった。


「まぁ、お前は気に入ったから一思いに潰してやる。戦車の横っ面に立てよ。そこにいると痛いぞ」


 勇者は、オズワルドを殺したことなどもう覚えていないようであった。



***



 巨人の子供には名前がなかった。

 彼には親がない。親代わりに育ててくれる大人もいなかった。

 どういうわけか巨人種は皆、ネグレクトが普通であった。

 子供たちは子供たちだけで、助け合いながら生きていくしかない。

 彼は言葉がわからず、イグズスとホフマンのやりとりも判らなかった。

 彼は崩れかけた建物の陰からそのやりとりを見守り、その間何度か飛び出して行こうかと思った。

 彼からすると、ホフマンはあの苛立った兵士、オズワルドからかばってくれたように見えたからだ。

 巨人はモートガルド人を許さない。モートガルドの兵士が相手ならば、ただ一人の例外もなく殺すだろう。

 今、家ほどもある巨人に睨まれたあの金髪の兵士ホフマンは、殺される運命にある。

 だから助けたいと思ったのだ。勇者も、同じ巨人種の子供の頼みなら聞き入れるかも知れない。

 ――ただ彼には言葉が話せなかった。

 巨人の言語も殆どは判らない。彼の周囲には、一貫して同じ言語らしき言葉を話す子供などいなかったのだ。

 結局、イグズスは戦車の側面、丁度モートガルドの国旗「砂漠の満月」の真ん中を打ち抜いた。

 金髪のモートガルド人は、戦車を下りることはできず、そのまま高速で回転するうちに空中でバラバラになって飛んでいってしまった。

 飛んでいく兵士を眺め、イグズスは声を弾ませて「ファー!」と叫んだ。

 その場には、イグズスと巨人の子だけが残った。

 イグズスが次の戦車を打とうと一歩踏み出したとき、巨人の子に気が付いた。

 少年は物陰に隠れていたつもりだったが――その物陰は衝撃で既になくなっていたのだ。

 こちらに気が付くと、イグズスはズンズンと歩いて来て、何か話しかけてきた。

 言葉が通じないとわかるとダルそうに首を回し、すぐにハンマーを持ち上げた。

 思い切りではない。

 ほんの少しだけ。イグズスの膝の高さほどでもない。

 ハンマーヘッドの打面は、明らかにこちらを狙っている。

 自分を殺すのに最低限の高さなのだ。

 巨人の子は叫んで、弾かれたように逃げ出した。

 イグズスは不満そうに何か叫ぶと、少年が逃げ込んだ建物に一撃を加える。

 たった一撃で、建物はケーキのように潰れた。

 彼の知るケーキは土でできていた。ある時は石でできていた。

 何もないときは土だったが、何度か「オメデタイ」ことがあるときだけ子供たちは石のケーキを作ったのだ。

 彼にはその意味は判らなかったが――他の子らは無邪気に手を叩いて喜んでいたので、そういうものなのだと理解した。

 飛び散る石レンガと共に、小さな少年は吹き飛ばされ、むき出しの地面に転がった。

 ――逃げられない。

 自分が逃げ込んだ建物はもはや跡形もなく、手足を動かすたびに瓦礫がガラガラと派手な音を立てる。

 その音に気付いて――逆光で真っ黒な巨人の影が、こちらを見た。

 イグズスは何かを話しながら、こちらへ来る。

 いや――イグズスにすればたった三歩の距離だ。

 イグズスの言葉は判らない。

 ただ一言だけ、知っている言葉があった。

 それは少年が、ずっとずっと投げられ続けてきた言葉だ。


『可哀そうに』


 そしてイグズスは、巨人の子を潰した。

 勇者は「やれやれ」と意味のないことを言って、重戦車の隊列へ戻っていった。既にそこから一部の重戦車は逃げていたが、全滅は時間の問題である。

 ――ところで。

 倒すべき兵士が目の前にいるにも関わらず、勇者は何を思って同族の子供を無慈悲に殺したのか?

 このときのイグズスの行動は、余人には理解できないことだろう。

 一部始終を目撃して生存した者はおらず、イグズスと少年の会話を聞いていた者もまたいない。

 理由などなかったのかも知れない。だがイグズスにとっては重要なことだったのかも知れない。

 それは少なくとも現時点においては謎である。

 一か月半後、海の向こうのポート・フィレム出身の少年がその謎に手をかけるまでは。

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