インターミッション 世界の片隅で憎しみの機械は回る

インターミッション1 「俺は巨人をぶっ殺してみてえんだ」

 モートガルド帝国の国旗――「砂漠の満月」。

 それは濃紺の中に浮かぶ黄色い丸だった。

 名の示す通り、砂漠の空に浮かんだ満月を模したとされており、その周囲に並んだ十九の星はモートガルドが併合または滅ぼした国の数だ。

 戦わずに降服した国は勘定に入っていない。それでも初代ディオニスの頃に既に数が多すぎるのではないかとは言われていた。

 ディオニス二世が即位した際に星は全てなくなり、中央の丸の中にたった一つ大きな星があしらわれた現在の意匠になった。

 彼の国の歴史は戦乱の歴史だ。

 それは兵士の歴史でもある。

 ここには冒険者やそのギルドはない。冒険者のやる仕事は全て軍がやってきた。北限のドラゴンを掌握し、戦術兵器ドラグーンとしたのもモートガルド軍が最初だ。

 かつてはモートガルド大陸北限、東部側の沿岸からの南の湾岸部は人の住めない混沌とした大地だった。

 まず広大な山脈と砂漠が、南進をはばむ。

 伝説によればそこは太古から巨大なロードドラゴン、オーク、一つ目の巨人サイクロプスが大地を闊歩かっぽしていたのだという。

 有史以来、モートガルドは軍隊を編成しこの脅威に対抗した。

 今やロードドラゴンは品種改良を経てドラグーンになった。

 オークは数を減らしたし、進歩した軍事技術にとっての敵ではなくなった。

 サイクロプスもヒトとの交配が進んで巨人種と呼ばれる二眼、ヒトスケールの集落を形成するに至った。

 敵は南部大陸の小国をいくつか残すばかり。

 悲願、大陸統一は目前と思われた。



***



「何だよ、巨人なんか居ねえじゃねえか」


 重戦車と歩兵からなる隊列が、蟻のように燃え盛る夜の町へと流れ込んでゆく。

 モートガルドの重戦車部隊は全世界的に恐れられている。その黒鉄の平べったい躯体くたいは砲塔はおろか一切の可動部、開口部を持たない。超重量、低重心。足回りの高い密閉性と走破性を併せ持ち、ただ走るだけですべてを更地にしてしまう。

 たとえそれが巨人の町であってもだ。

 前線までの途中にあるこの巨人の町には名前がない。モートガルドの地図にはないのだ。

 そこでも蜂起は起きた。

 ディオニスを失って僅か二週間。この国は絶え間ない蜂起と暴動に晒されていた。これまで侵略してきた周辺諸国の各民族を抑えつけられなくなってきたのだ。

 夕刻、ここで暴動が起きたと伝令が入った。重戦車部隊はルートを変更し、ここを鎮圧することになったのだ。

 確かに日没後とは思えぬほどあちこちで火の手が上がり、歩兵部隊との衝突は起きている。

 町の門は大きい。炎を背景に浮かび上がる家々のシルエットも、二階建てにしては他の町の建物よりも割りあい大きい。かと思えば普通の大きさの家もあり、他の町にはありがちな統一感というものが凡そこの町にはないのだ。

 巨人の暮らしには建築様式というものが希薄らしい。

 そして、肝心の巨人らしき姿は見当たらなかった。


「巨人はどこだよォ。俺は巨人をぶっ殺してみてえんだ」

 

 いよいよ町に差し掛かって傭兵ジョン・オズワルドは、カノコソウを噛みながら誰にともなく文句を言った。

 オズワルドは重戦車の随伴ずいはん歩兵である。

 オズワルドはモートガルドと戦火をこよなく愛する傭兵である。大抵の兵士は、戦場のストレスやPTSDから身をまもるために煙草を吸いカノコソウを噛むが、彼の場合は衝動を抑えるためだ。

 オズワルドは好戦的な人間だった。弱者とみれば誰彼だれかれ構わず殴りつけてやりたくなり、殺してよい相手ならば殺す。

 手の付けられない乱暴者――とも違う。祖国の村では大人しく内気な少年で知られていたし、ジョン・オズワルドという名前も生名ではなく、まして生まれも辺境国ヘライである。

 モートガルドはそんな彼に大義名分を与えてくれる、最高の国だった。

 だから彼は生まれてからずっとオズワルドだったとも言える。

 その国に、今かつてない脅威が迫っている。

 ディオニス二世が沖で行方不明になったと報じられた。

 海軍を作り、遂に本格的な海洋進出かと言われたその矢先のことである。

 一説には没したといわれ――軍では誰も信じなかったが、辺境でくすぶっていた反逆者ども、反モートガルドの者どもはそうではなかったということだ。

 既に滅ぼしたはずの諸国が一斉に反旗を翻したのだ。モートガルドの兵力は徒に分散し、全ての戦場で苦戦している。

 どこにもディオニス二世が現れたという話は聞かない。

 帝国中枢は混乱していた。

 ――もしや本当に……。

 本当にディオニス二世が死んだとなればこれは大事だ。

 ディオニスの統率力とカリスマ――ただ戦場に立つだけで見る者を心から後悔させ、茫然ぼうぜんと立ち尽くして斬られるのを待つばかりの人間わら人形にしてしまう死のカリスマ性がなければ、このいびつな国をまとめることはできないだろう。

 彼は皇帝に心酔していた。かつてオズワルドが少年だった頃の話だ。

 だが二世が海に消えた今、オズワルドは自分が心酔していたのは、初代ディオニスに対してだったのだと再認識していた。

 勿論ショックだったが――それでも少年時代に味わった、あの喪失の無力感はなかったのである。

 オズワルドは現在のヘライ領、かつて大陸東部のヘライの生まれだ。二十五年前、先代ディオニス一世によって征服された国である。

 老人ばかりの閉塞へいそくした小国だった。

 いざ開戦となったとき、オズワルド少年は歓喜した。

 剣聖ディオニスのドラグーン部隊が、この気詰まりな国をぶっ壊してくれるんだ――それは彼にとって希望ですらあった。

 だが――モートガルドの攻勢は、彼の想像を遥かに超えて、過酷だった。

 ドラグーンも恐ろしかったが――より悪魔的だったのはそれを操る人間だ。

 全ての年寄りは殺された。

 全ての幼児は置き去りにされた。

 残りの者は奴隷になった。

 村を焼き、畑を焼き、山を焼き、モートガルド軍は凌辱りょうじょくの限りを尽くした。

 祖国は交戦したものの一週間で事実上陥落。

 強者が弱者を駆逐する。それがこの世のたった一つの正しさだと彼は思った。

 モートガルド軍は恐ろしく、凶暴で、彼はそれに感動した。

 このヘライには何もない――彼には村を支えたことも、畑の土を重ねたことも、山をおそれたこともなかったのだ。

 その祖国も今や国旗に輝く星の一つ。名前のない農奴になったオズワルド少年にとって、それだけが誇りだった。

 それを堕落と蔑む者もいるだろう。だが彼はそもそも堕落していない状態を知らなかった。堕落の反対が何と言うのかも、彼は知らない。

 もう一つ、彼が知らなかったことがある。交戦したにも関わらず、何かの手違いにより実は星は増えていなかった。

 オズワルドが奴隷になって五年ほどした頃、モートガルドと彼に転機が訪れた。モートガルド軍が南部の侵攻を進めていたとき、前線で何かがあらがったと聞いた。

 無駄なことだと彼は思った。

 山脈越えはモートガルド軍にとっても難しいと奴隷らは噂していたが、オズワルド少年は勝利を少しも疑っていなかった。

 奴隷が増えればいい。それすれば俺の仕事も少しは楽になるかも知れねえ。

 数か月後、初代ディオニスは戦死したと伝えられた。

 前線の崩壊は軍部の混乱を生んだ。ドラグーンという卓越した機動力に、兵站へいたんと給水が追いつかなかったのである。

 無理に伸ばした戦線があだとなり、崩壊。

 為す術もなかったのだという。

 軍人の二割が死んで、四割が再起不能となった。

 何者がモートガルドの軍勢を、剣聖ディオニスを叩いたのか?

 奴隷だったオズワルドは打ちひしがれた。

 後に人の噂に聞いた――それこそが勇者だというのだ。



***



 重戦車部隊は、町の家々を踏み潰しながら真っすぐに町の広場を目指していた。

 それが壁だったのか家だったのか、もしかすると人だったのか、そんなことはもう判らない。重戦車が踏み潰したものは、一様にただの土くれに戻ってしまう。

 一時期流行った遊びに、重戦車で建物を踏み潰して、それが何だったのか当てるというものがあった。


「うーん、気が多かった。家具屋か防具屋だ」

「違うな。ガラス工芸店だろ」

「いや、この湿った土は……魚屋か? 臭いが魚屋だ。間違いねえ、俺には判るぞ」

「正解は……なんと診療所!」


 マジかよとゲラゲラ笑ったものだ。

 一頻ひとしきり笑った後で、間抜けな新米は怪訝けげんそうに尋ねる。


「……けどよ、ならこれは血なのか? なんで赤くねえんだ? 血じゃなくて薬か何かか?」


 血は赤いと思っている新米の顔を見て、ベテランたちはまたひと笑いする。


「おう新米、知らねえのかよ。戦車でぶっ潰した血は赤くねえんだ。血の中の赤ぇのがぶっ壊れちまうんだよ」


 尚、その遊びはすぐにすたれた。正答率が低すぎたためだ。


「――痛ぇっ!」


 何かがオズワルドの頭に激しく当たり、彼の回想は中断した。

 彼はヘルメットをしていた。ただ音と衝撃に驚いて声を出してしまったのだ。

 見ると、石を抱えた子供がいた。

 ――お定まりだ。石を持った子供は殺しても構わねえってことに決まってる。

 楯突くガキは嫌いだ。粉にした麦の中から出てくる黒虫より嫌いだ。ゴブリンの声よりも嫌いだ。

 何より楯突くガキというのは、間違っている。

 ただ一つ正解である大国に逆らうのだから、間違っているに決まっている。

 間違いを認めず、その怒りに燃えた小さな目でこちらを睨むお門違いの正義感が――この世で一番嫌いだ。

 オズワルドは噛んでいたカノコソウをペッと吐き出した。

 その子供に掌を向け、魔術で焼き払ってやろうとしたとき、その手を掴む者があった。

 味方の歩兵、ホフマンだ。


「ジョン、止せ。足を止めるな。隊列についてゆけ」


 見れば重戦車の隊列は少し先に進んでいた。

 だがオズワルドはホフマンを睨む。


「てめえ、俺に命令するのかよ。ガキ一人殺すのに何秒もかからねえ。お前と議論さえしてなきゃな」

「巨人の子供はとにかく希少だ。殺すな」


 はぁ――? こいつのどこが巨人だ? とオズワルドは眉間を釣り上げる。

 巨人と言えば一つ目の怪物。身長は五メートル以上。それがサイクロプスのはずだ。

 彼の前に現れた子供は、どう見ても普通の子供であった。

 目も二つある。何より普通の人間の子供と大して変わらない大きさだ。

 少なくともその少年は、オズワルドが殺してみたかった巨人とは、全く違っていた。

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