15.5 「ここがお前の家」

 勇者・高潔のオーシュの事件から数日。

 オレ達は最初の四日ばかりポート・フィレムに滞在した。

 宿無亭に戻ることは許されず、用意された宿屋でひっそりと過ごしただけだ。

 まぁ仕方がない。オレ達は勇者殺しの容疑者。しかも大筋じゃ間違ってない。

 事情を知るポート・フィレムの人たちは元老会含めてオレ達の味方だとは聞いたが、元老院の厳しい目がある。

 皇女様以下、霧の船団の乗組員たちは沖合に停泊したクイーン・ミステスで待機していた。

 そんな中でもノートンあたりが手を回したのだろう。

 リンとサイラス、ミーシャだけはオレ達に会いに来てくれた。


「前に会ったときはろくに自己紹介もできなくて済まなかったな。俺はジャック。こっちはミランダ卿」


 ミラでいい、とミラは言った。


「君達には礼を言いたい。俺達をかばってくれて助かった。こんな格好で済まないが」


 ジャックは全身ギプスと包帯姿で、ベッドに寝ながらそう言った。

 ミラが「役立たずが偉そうに」とギプスの上から小突いて、ジャックが悲鳴を上げる。

 ミラの話には驚かされた。

 貴族の出だというのも驚いたが、かつてスティグマらしき人物と接触していた。

 しかもオーシュの意識世界で、あのソウィユノと会ったらしい。

 あの・・ソウィユノというのも語弊があって、実際には別の、ただの・・・ソウィユノだったというし、全く訳が分からなかった。

 そのせいか、認識技術が大幅に上達した――というのは本人の弁だ。

 オレ達が娑婆しゃば隠遁いんとん生活をしているというのに、ミラは別人になりすまして外をフラフラしている。何なら裸でもいける程だという。

 ただまぁ、ソウィユノの話はリンには一切しなかった。

 リンといえば――。

 一人で宿無やどなし亭の切り盛りをするのは大変だろうと思っていたが、そうでもないらしい。というのも、サイラスが手伝ってくれているのだそうだ。

 なんと、サイラスは宿屋観の違いから家出し、今は宿無亭に身を寄せているのだという。


「お兄ちゃんより全然頼りになるんですからね!」


 本当にサイラスには頭が上がらない。


「――気付いたか、ノヴェル」


 ジャックが小声でオレに訊いてきた。

 オレは少しヒヤリとして、「な、何に……」と聞き返す。


「ミラをよく見ろ。あいつの、リンちゃんを見る眼――なんかやばくねえか?」


 言われてみれば。

 砂漠に三年埋めたサンダルみたいにドライな性格のミラが、ミーシャやリンを見る眼が妙にねっとりしている。

 特にリンに対してだ。

 なんだかボディタッチも多い気がするし、積極的に話かけてる気もする。

「同年代の友達はいるのか?」とか質問もなんだかアレな感じだ。


「――いや、なんだろう、たしかにちょっと違う気がするけど、まぁ女子同士、仲良くなったらあんな感じなんじゃないか?」

「海賊船で何かあったのかなぁ」


 海賊船といえば――。

 ダイムラーを中心に、生き残った海賊達はまた一旗揚げる気満々なんだとか。

 ナイト・ミステスの中で海賊とモートガルドの――敢えてザリアの、と言おうか――水兵達は意気投合し、共に海の男としてやってゆく気になったんだとか。

 よくりないなとも思うが、海にはそういう不思議な魅力があるのかも知れない。



***



 夜半。

 ふと、部屋の窓に何かが当たる音がして、オレは窓から下を見た。

 するとそこに、サイラスとミーシャがいた。

 二人は周囲に目を配りつつ、こちらを手招きしている。

 ――出入りは禁止されていたが。

 まぁこんな時間だし、少しなら大丈夫だろう、とオレは一階へ降りた。

 二人は「早く早く」と急かす。

 なんだよ、と追いかけると彼らは街の北側、小高い丘のほうへ走って、海の見える断崖に着いた。


「おい、なんだよ。こんなところに――」

「さっきちょっと実家に寄ったときに見えたんだ。ほら」


 水平線を指差す。

 不思議なものがあった。

 真っ暗な海を進む一隻の船――それは、怪しげに光っていた。

 海賊の木造船も年代モノだったが、あれは更に古そうな船だ。

 三本マストがそれぞれ曲がってばらばらの方に向いていて、水平マストも折れていた。

 二人は知らないが、きっとオーシュの船の墓場から流されてきたものだろう。


「ほんとだ、光ってる」


 ミーシャは驚きの声を上げた。


「ねぇ、ノヴェル! 海であんなものを見た?」

「――リヴァイアサンだ」


 オレはそう言った。

 とうに絶滅したのだと聞いた。最後の目撃は十年前。

 あの勇者・高潔のオーシュを導いたとも言われる海の大怪物。その話を聞くのは少し後のことだが――。

 オレは不思議な光景に目を奪われ、なぜか涙が浮かんだ。



***



 その数日後、オレ達はベリルに移送された。

 霧の船団の他の船がやってきて、皇女様以下乗組員と、海賊とザリアの水兵ら亡命者達を連れてベリルへ戻ったわけだ。

 一か月ほどジャックは治療に専念し、オレ達は事情聴取と山のような報告書作りに追われた。

 モートガルド帝国皇帝、ディオニス二世は依然行方不明のままだ。

 暴君不在のの国は、国境という国境で戦争が起きていた。

 抑えつけてきた小国が、再び独立を目指して次々蜂起しているのだ。

 勿論、オレ達がザリアの蜂起、ましてや皇帝の最期の目撃者だなどということは公式の記録からは伏せられた。

 キュリオスの損傷は実験中の事故だ。


「いや、俺がつい調子に乗って無茶やっちまったんでさぁ。……ああ? 凹んだ? それくらいで良かったってことにしましょうや」


 クイーン・ミステス、ナイト・ミステスの損傷、及び船員の死亡は海賊との交戦ということで処理されたようだ。


「海賊ったって俺っちらじゃねえよう。荒っぽい、北の海のやつらだ。大暴れしやがって! 俺っち達は姫様に加勢して戦ったんだよう! 見やがれこの傷!」


 エイスとダイムラーは、それぞれそんな風に証言したらしい。

 つぶさに検証されればそんな嘘はたちまちバレてしまうだろうが、修理するのは皇室部門だし、予算さえ通ればよいらしい。

 そうして作られた調書に、オーシュの存在はない。

 どこにもない。

 もしかして本当に、オーシュは昔に研究所の図書室で死んで、長い夢を見ていたのかも知れないと思うほどだ。

 だが削られた詳細は、皇室の極秘資料として残される。


「お預かりした宿帳についてですが――まことに申し訳ないのですが、まだ何もわかっておりません。皇家の資料は膨大なのです」


 無理もない。その皇女様が、ずっと海の上でオーシュにかかりっきりだったのだ。

 ジャックも「まぁ、しょうがねえよなぁ」と寝たまま言った。

 歩く不敬罪みたいな男だと思っていたが、寝たきりの不敬罪だ。


「現在調査を再開していますが、まだしばらく時間がかかります」

「調査は、ノートンさんですか?」


 そう訊くと、皇女様は目を伏せた。


「わたくしとしても断腸の思いでしたが――ノートンは任を解きました。民王部の官職も、先週付けで辞職しました――」


 なんてことだ。

 あれだけ奮闘したノートンが、失職してしまったのか。

 オレはショックを受けたが――きっと皇女様が一番お辛いだろう。

 ノートンは皇女様の子飼いのスパイというより、むしろお世話係のようだったし、彼女もノートンを信頼していた。

 しかしあれだけ無茶をし、囮作戦だって皇女様の反対を、最後は「戦時条項に基づく何とかで委任された」とか立場をフルフルに生かした詭弁で押し切ってしまったのだ。

 皇女様としてはクビにするほかなかったんだろう。

 ジャックも遣り切れない様子で、寝たまま溜め息をいた。

 ミラはノートンを知らなかったが、コンテナから落ちたミラをオレ達が助けようとしたところを見ていたらしい。

 重い沈黙が流れた。

 コンコンと、ノックが沈黙を破る。


「失礼」


 と扉が開いた。


「えっ――あれっ?」


 全員がそちらを向く。

 そこには何事もなかったかのように、真新しい眼鏡をかけたノートンが立っていた。


「皇女陛下、こちらにおいででしたか。次の会議が」

「丁度よかったです。今、あなたのお話を」

「官僚さん、いや、もう官僚じゃないのか? あんたどうして」


 ノートンはふっと、鼻持ちならない笑顔を作って眼鏡を直した。


「ジャック君。仲間に入れてくれと言ったじゃないか。もう忘れたのか?」

「あ……ああ、もう無職仲間だろ? お尋ね者も一緒にやるか?」

「それは遠慮しておくよ。残念ながら、私のように優秀な人材は引く手数多あまたでね」

「皇室に情報部門を新設しました。今後はわたくしの元で働いてもらうことになります。ノートン、自己紹介を」


 かしこまりました、とノートンはうやうやしく言った。


皇室付・・・情報室室長に就任した、ノートンだ。今後は君達を、陰ながらサポートさせてもらうこともあるだろう。引き続きよろしく」



***



 出発の日。

 拘留を解かれたメルセデスは、海賊仲間に合流した。

 彼女を取り調べしていたオルロという民王の捜査員が、ベリル南のインスマウス村から海賊達が出航すると教えてくれたのだ。

 海賊か。

 メルセデスは直前まで迷っていた。

 正直なところ、自分には向いていないと思う。だが他に居場所がない。

 久しぶりに会ったクライスラーの海賊達は――驚くほど数を減らしていた。

 自分をあの地獄のような故郷から助けてくれたクライスラーも、ランボルギーニもいない。

 皆死んでしまったのだという。

 一方で、見覚えのない顔も増えている。


「ようメルセデス! 久しぶりだな!」


 海賊はダイムラーが取り仕切るようになったらしい。

 村の船着き場では、どういうわけか見送りがあった。

 海賊に見送りなど、普通はいないものだ。

 殆どはインスマウス村の者ではない。

 ザリアの者で、新たに海賊になった者も、この地で暮らすことを決めた者もいるのだという。


「婆さん! また来るからな! 酒とを用意しておけよ!」

「ダイムラー、また酒かよ! こぉんな若ぇレディがおるのによ!」


 唯一の村人である老婆――確かフォリアと名乗った――は、長らく組合で下働きをしていた者で、海賊とは顔見知りであった。

 さっき村に着いたとき、その老婆とは少し話した。

 腐敗して解体された漁業組合をこれから立て直すのだという。

 これも世間話だったのだろう――かつてはここに、彼女のようにしいたげられた少年がいたのだと聞いた。

 少年は立派な海の男になって、二度と帰らなかった。

 それは漁師の間では、決して悲劇ではない。勿論、海賊の間でも。

 いつかはそれもジョークになって、酒場で語り継がれるのだろう。


「さぁ、さっさと出発するぞ! メル、船に乗れ!」


 海賊達は、最後に会ったときはどこか違っていた。

 どこが違うかと訊かれると困るが、強いていうとメルセデスに対して、屈託がなくなった。

 それまではこう、異物扱いとまではいかないまでも、どこか腫れ物に触るような――。

 新造の木造船は前のものよりも大きかった。

 二本の甲板マストと船尾マスト。船首楼も大きく、ブリッジは船首と船尾の二か所。

 この海賊を、もっと大きくできるだろう。

 輝く海を見た。

 また海賊の日々が始まる。

 クック=ロビンはどこへ行ったのかとキョロキョロしていると、ダイムラーが一冊の本を渡してきた。

 それは自分の日記帳だった。

 何もかもが海の藻屑と消えたと思われたが、なぜかこの一冊だけは誰かが持っていてくれたのだ。

 水没したのだろう、文字はにじんでいる。

 ぺらぺらと捲っていくと、最後のページに走り書きがあった。

 明らかに、自分の字とは違う。

 しかも滲んでいない。


『ここがお前の家 奴らをもっと信じてやれ』


 ――誰からのメッセージだろう。

 何にも知らない癖に、何を言ってるんだ。

 こんなきれいな字を書く人間に、海賊のことなんか判るものか。

 ただそれでも――彼女は口元を押さえ、静かに嗚咽おえつした。

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