15.2 「全く、強情な姫さんだな」

 クレーンがキュリオスを海面に下し、その新型深海探査船は三度みたび出航した。

 オーシュから見えるよう、敢えて船の周りを一周する。

 オーシュは残った船員と交戦しつつ、左舷通路から見下ろしていた。

 ノヴェルは、船上のオーシュを見た。

 二人の眼が合う。

 オーシュは飛び、空中で身をよじると、真っ黒な巨大鮫の姿に変じ、飛沫をあげた。


「いいぜ、オーシュが釣れた!」

「エイス船長、潜水しろ。予備開放、全速力だ」

「船長はやめてくれよ係官、アイアイサー!」


 ソナーを撃つと、後方にピタリとける光点が見えた。

 オーシュだ。

 一度は皇女が却下したおとり作戦――潜入したオーシュの撃退に失敗した今、事実上これが最後の作戦になる。

 エイスがかつてキュリオスの操縦訓練を受けていてくれたのは幸いだった。クイーン・ミステスの船長は、気圧変化で古傷が痛むらしく、無理なのだそうだ。


「しかしエイス君。さっきはよく船の墓場の中でまったな。素晴らしい判断だった」

「ああ。浸水さえなきゃあのまま行っても良かったんでしょうが――あの手合いには白旗揚げるのも船長の仕事でさぁな」


 もしあのまま逃げ切ろうとしたら、オーシュは更なる強硬手段に出た可能性もあった。


「四十五ノット。このままオーシュを惹きつけ、陛下たちがポート・フィレムまで逃げ切る時間を稼ぐ」


 時速八十キロ以上だ。

 クイーン・ミステスをオーシュに奪われ、いよいよ万策尽きてノートンが再度囮作戦を提案した。

 オーシュはあのように、何時いつでも船を奪うことができた。

「なぜあんな大仕掛けの罠を用意したのか」とノヴェルは疑問に思っていたが――ノートンらの出した結論は恐るべきものだった。

 ノートンによれば、ポート・フィレムを目指すことにしたのも、奴に揺さぶりをかけられたからだ。奴は船団の針路を予測し、その前から罠を準備していた。

 スクリューなどの推進装置を破壊しなかったのも、針路が予測から外れないためだ。

 オーシュの目的は二つ。ミラとキュリオスだ。一方こちらの船も二隻あった。

 複数の目的、複数の船。どちらの船を襲っても、片方には逃げられてしまうリスクが敵にはあった。どちらの船にどちらの目標があるのか、判らなかったのだ。

 そこでオーシュは、それを一つにまとめる・・・・・・・計画を立てたのだろう。それこそ奴の本当の狙いだ。

 海上の罠に誘い込んだ。

 二隻とも同時に座礁するか、或いは片方の船を捨てる状況に追い込む。

 そうすることで、霧の船団が捨てた船は、船の墓場に残る。すると仮にキュリオスが置き去りにされ流されたとしても、強烈な目印を元に後から探すのが容易だ。

 これでオーシュはもう一方の船に専念できる。

 簡単ではないだろうし、船団が一路ベリルに向かうのを見て、もしや慌てもしたのかも知れない。

 だが――やってのけた。

 ここまでオーシュの計画が成功してしまった以上、もう目的を遠くへ逃がす他、ないのだ。

 ――この囮作戦さえ、オーシュの狙いのうちである可能性はあった。

 皇女は最後まで抵抗したが、他に方法はなかったのだ。


「全く、強情な姫さんだな」

「言い出したら聞かないのだ」

『こちらクイーン・ミステス・ワン。聞こえていますよ。ノートン、エイス』


「皇女陛下」「姫様」と二人は気まずい顔をした。


『囮作戦は追認いたしましたが、これよりは一人の犠牲も許可しません。その点は努々ゆめゆめお忘れなきよう』

「ご安心を。我々も死ぬつもりはございません」

「早く通信圏外まで逃げてくだせえよ」


 直後、床が抜けるような強い衝撃があった。

 船が小さいぶん、衝撃はダイレクトに伝わる。

 構わずキュリオスは航行を続ける。

 蛇行したり潜ったりと、攻撃を避けるような素振りを見せつつ、なるべく遠くを目指して――。


「構わず速度を維持しろ。さて、いつまでもつか……」


 オーシュは右から左から、または下から上から、小突くような攻撃を仕掛けてくる。

 やがて苛々し始めたのか、その攻撃が激しくなってきていた。


「あいつには疲れるということがないのか? どうする」

「この船の潜在能力はこんなもんじゃないさ。機関室、掴まれ。技官、アームを外側へ」


 技官が右のアームを限界まで外側に伸ばす。

 エイスがアームの操縦桿に手を伸ばし、握った。

「しっかり掴まってな」と言って、強烈な魔術をめる。

 アームの先から衝撃が放たれ、船は直角に近い角度でターンした。


「どうだ! これにゃ対応できんだろ!」


 エイスの魔術は、かなり強烈だった。ノヴェルは加速で首がもげるかと思ったほどだ。

 ソナーで周辺を確認すると、オーシュは曲がり切れず、かなり先まで大回りしているようだった。

 一方、クイーン・ミステスの船影はもうない。


「いいぞ! もう少し惹きつけたら補助を切って痕跡を消せ!」


 ライトも切ると、ガラスの向こうは殆ど何も見えなくなった。

 減速し、しばらくゆっくりと進む。


「水深四百。かなり深くまで来てしまった」

「この深度でもあいつは対応できるのかねぇ。人間じゃないな」


 ソナーを見ると、オーシュは少し離れたところでキュリオスを探しているようだ。


「……本当にしつこいな」


 ノヴェルは先ほどの状態を思い出しながら水槽を眺め、「あっ」と声を上げた。


「妙だ。距離が開いていない」

「……たしかにそうだ。エイス、速度を上げてくれ」


 二十ノットに上げて少し進む。

 視界が効かず、神経を使う航行である。


「……距離が開かないぞ。一旦目視できるまで浮上しろ! またソナーを偽装されてる!」


 キュリオスは急速に上を向いた。

 水面を目指して進むと、突然脇腹を殴られるような衝撃が走った。


「やっぱりだ!」


 最早目視の必要はない。すぐ傍を泳いでいるのだ。

 キュリオスはライトを点け、再び海底へ向かって全速力で進み始めた。


「全員掴まれ! もう一度ターンしますぜ!」


 また外側一杯にまで右のアームを伸ばそうとする。

 しかし技官はどうも苦戦しているようだった。

 ガチャガチャと操縦桿を動かすも、固い。


「何か挟まっているのか……動かなくて」


「まずい!」と叫んで、ノヴェルは球面ガラスに手を突いて身を乗り出し、右のアームを見る。

 船内外に魔力を伝えてしまうアーム――その先端に、鮫形状を解いたオーシュが、馬乗りになっていた。


「レバーから手を離せ!」


 ノートンは、火の粉を払うような勢いで技官の手をアームの操縦桿から払いのけた。

 ノートンと技官は顔を見合わせ、一瞬だけホッとしたような表情をしたが――急ターンするつもりで高速潜行していたのではなかったか。

 前を見ると海底が迫っている。

 また急激に船の姿勢が変わって、ノヴェルは前につんのめり、球面ガラスに顔面を打ち付けた。

 あのねぇ! とエイスが怒鳴る。


「言ったでしょうや! 四十五ノットですぜ!」


 曲がれなければ、突っ込むしかないのだった。

 海底への衝突はどうにか免れたが……速度は落ちない。

 海底すれすれのところを、全速力でキュリオスは暴走していた。

 頭をぶつけたのか、ノートンはメガネを直しながら「減速を」と言った。

 やってまさぁ! とエイスは叫ぶ。


「どういうわけか、効かねえのさ!」


 ノヴェルは、今見たばかりのオーシュを思い出す。

 奴は鮫ではなく、人間の形をしていた。


「オーシュが鮫の変態を解いていた。きっと後ろから船にへばりついて、推進してるんだ……」


 なんですって、とエイスが応じる。


「じゃあ何ですかい。この船は、もう奴に乗っ取られてるって言いたいので?」

「なんてことだ。さっきの罠と同じだ。奴には、いつでもこれができた・・・・・・・・・・。目的さえ絞れれば、いつ我々が囮となっても、構わなかったのだ」


 この広い海、様々な船。それを知り尽くしている。

 結局は、オーシュの掌の上――なのだろうか。

 前方、遠くに黒々とした岩の輪郭が見える。

 このままいけば、十数秒であれに衝突するだろう。

 一同は、来るべき衝撃に備えた。


「ノートンさん! オーシュは後ろだ! 今のうちにアームで急制動を!」

「エイス! 技官! 頼む!」


 マジなんですかい、とエイスはこぼした。

 ――急制動と言ったって。

 近付けばそれは、岩などというものではなかった。

 高々とした巨大な海底の、山だ。

 海底には山も谷もある。

 それは闇の中で、ライトを点けなければ人には見えない。

 探査艇の強力なライトでも視界には限りがある。

 こうして充分近づいて、ようやくその山は、左右には避けがたく、登るには高すぎると判る。

 ソナーを使えばその姿に絶望できるだろうが、もうそんな時間さえない。

 エイスは両腕をあらん限り伸ばし、両方のアームに魔力を籠める。


「……どうにでもなりやがれ!」


 アームが光った。

 全速力からの、全力逆噴射。

 反動で大きく揺れ、アームの先端が海底に刺さる。

 キュリオスは前方につんのめるような姿勢で、大きく船尾を上げ、回転しながら上昇した。

 視界は真っ白な砂煙に包まれる。


「うあああああっ」


 回転、回転、衝撃――。

 キュリオスの鋼鉄の船体は岩山の天辺付近を削り、尚も上へと回転を続ける。

 オーシュも振り落とされ、海底の暗がりへと落ちてゆく。

 岩山を超え――反対側の斜面をごろごろと転がる。

 アームはもげ、ライトは一灯を残して損壊し、更に暫くズルズルと滑り――キュリオスは海底に墜落し、その活動を停止した。

 真っ白な、雪原のような底であった。

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