Ep.15: 雪原に咲く華を束ねて

15.1 「火炎放射器の使用を許可!」

 ジャックが死ぬ――。

 心肺停止、バイタルサイン低下。

 ノヴェルは、忘我の足取りで大きなガラス窓の向こう、集中治療室の中へ入った。


「ここは立ち入り禁止です! 出て行ってください!」

「……」


 彼の耳には届いていない。

 医療スタッフも、それ以上重ねて警告したり、彼をつまみだすようなことはなかった。

 それよりも彼らは今必死に救命処置を施そうとしている。

 動き回る彼らに遮られて、ノヴェルからはジャックの顔すらもよく見えなかったのだ。


「ジャック――おい、死ぬなよ――」


 顔の見える位置まで歩く。

 ベッドは部屋に対して斜めに曲がっていた。揺れで動いたのだろう。

 生気のないジャックの顔が見えた。

 もう三日以上、ここで寝たきりの彼を見ているが、それと比べて一層生気がない。

 未だ倒れたままの機材もある。

 ――あれを直したほうがいいんじゃないか。

 それを戻すくらいなら、ノヴェルにもできそうだと思われた。

 邪魔にならないよう大回りをしてその機材の傍に行くと、ふと、床に妙なものが落ちている。

 それは粒と言ってもいいような極小さな、光球だった。


(――これは)


 見たことがある。

 マーリーンからもらった謎の小瓶。その中に入っていたものだ。

 リンに飲ませ、窮地を救った。

 なぜあれが、今まだここに。

 ――ジャックもあれを呑んだって……。

 あれはひょっとして消化も吸収もされず、ジャックの鼻腔か、肺か、どこかを彷徨っていたのではないか?

 いやそもそも、それは消化されたり吸収されるようなものなのか?


(――わからないけど)


 やるしかない。

 ノヴェルはそれを拾って、「退いてくれ!」と叫んだ。

 医者の間に割り込んで、ジャックの顔を見る。


「なんだ君は! 退きなさい!」


 取り押さえられるノヴェル。

 それに必死に抗いながら、握った手をジャックに向けて伸ばす。

 ――これを。

 ノヴェルのあご下に後ろから手がかけられる。その手に噛み付く。

 左腕を解いて、ジャックの顎を開く。

 ――この薬を!

 右肩を掴まれる。

 肘を暴れさせ、かかとで滅茶苦茶に何かを蹴って、右腕を動かす。

 ――ジャック!

 その口に、右手につまんだ光る粒を――。

 放り込んだ。

 ――飲み込め!

 左手で顎を動かし、無理矢理に飲ませる。


「何をする! 何を飲ませた!」


 ノヴェルはついにベッドから引き剥がされる。


「へへっ……わかんねえ・・・・・


 だが次の瞬間――ジャックのまぶたが、ぴくりと痙攣けいれんした。

 更に、頬、顎、首――と細かい痙攣が伝わってゆく。


「……心肺、回復しました。バイタルサイン、正常値……」


 唖然と、医療スタッフの一人が告げる。


「信じられん……。なぜだ、最後に投与した薬ももう切れている時間だぞ」


 ジャックは、目を開けた。

 同時に激痛で、苦悶の表情になる。


「ジャック! 気が付いたか!? ジャック!」


 うるせえなぁ聞こえてるよ、とジャックは辛そうにした。


「くそっ、ヤブ医者めっ……! 何を注射しやがった」

「痙攣を抑える薬だ。内臓に副作用はあるが、呼吸器の痙攣を止めなければ命がなかった」

「ああ、きっとそれだ……、畜生、麻酔をくれ」


 麻酔の準備が始められる。

 ジャックは自らチューブを外し、上半身を起こそうとしたが、痛みに叫んでベッドに沈みこんだ。


「君は体中の骨が折れている。何箇所か忘れるくらいだ。カルテを確認してもいいかな?」


 ジャックは手首から先だけを挙げて「結構」と示した。


「ノヴェル、世話をかけた。今、いつだ」

「海の滝に落ちてから、たぶん四日かそこらだ。オレ達は霧の船団に助けられて……そうだ、ミハエラとノートンを呼んでくる!」



***



 オレは甲板へ上がる階段を駆け上がり、船首甲板に出た。

 まだ船の墓場の中で、ナイト・ミステスに横づけしたままだ。

 先ほどの衝突で、船の甲板は傷つき、左側の柵はなくなっていた。

 乗客の移動のため、船尾側がやや騒がしい。

 夜明けが近いのか、風向きが変わっていた。

 雲は多いが、東の水平線にうっすらと朝日の気配がある。

 丁度、定時の見張りの甲板こうはん員二人が船首にいた。


「おい、デイブ! 皇女様はブリッジか!?」


 デイブは振り返ってこっちを、返事をしない。


「なんか呼ばれてるぞ。お前か?」

「俺じゃねえ。お前か?」


 二人は首を傾げる。


「おい! お前だ、デイブ! 返事しろ!」

「……何だガキ! 俺はそんな名前じゃ――」


 言いかけたデイブの背後。

 そこはもう船の外のはずだ。

 そこに、オーシュの尖った頭があった。


「――後ろ! デイブ、後ろだ!」

「だから俺はデイブじゃねえって……」


 振り返って、デイブは叫んだ。

 水面から伸びた水の柱。

 それはまだ高く伸びる。

 その上に、オーシュは立っていた。

 水圧で自分を持ち上げているのだ。


「やあ、君か。ノヴェル・メーンハイム。ということは、ミランダもこの船だね?」


 はっきりと、オーシュはそう言った。



***



「助けてくれ! 化け物だ!」


 訓練を受けた水兵らしからぬ不格好な悲鳴が聞こえた。

 それは不幸にもというか不幸中の幸いというべきか、最後の怪我人を収容した後のことだ。

 ナイト・ミステスからクイーン・ミステスに残りの船員がばらばらと乗り移ってくる。

 最後の船員達が橋を渡ってくる中、船首のほうから声が上がった。


「クイーン・ミステス全戦闘員! 甲板こうはん長、檣楼しょうろう長、掌砲長、それぞれ班を編成し、三班に分かれて客室中央、右舷、左舷を船首方向に向かえ! オーシュを発見次第報告せよ! 甲板員班は下層、医療班を優先して保護!」


 非戦闘員は船尾側へ移動、ナイト・ミステスの戦闘員は民間人、非戦闘員を守って待機、とノートンは付け加えた。


「相手はオーシュだ! 魔術兵装は使うな! 通常兵装のみ使用を許可! 全員盾を持て! 右舷、左舷は火炎放射器の使用を許可!」


 魔術兵装というのはアームと同じ技術を利用したものだ。

 開発者が相手では分が悪い。


「倒そうと考えるな! 時間を稼ぎ、海に追いやることだけを考えろ!」


 盾と火炎放射器、及び槍と剣で武装した掌砲員たちが左舷通路を走ってゆく。

 大砲の扱いにけた者達である。

 火炎放射器は背中に背負った燃料タンクから気化した燃料を噴出する、魔力によらない武器だ。

 延焼、同士討ちの危険があるため、各班四名のみがこれを所持している。

 通路上にも、海上にも敵影はない。

 湾曲した通路を進み、船首に辿り着いた。

 船首の向こう。柵があったはずの場所の外。

 伸びた水の柱がある。

 その上にオーシュは立っていた。

 デイブが倒れている。

 ノヴェルと、もう一人の甲板員が、甲板を転がりながら次々繰り出される水の矢をどうにか避けていた。

 そこに丁度、右舷側の班も合流する。


「民間人を守れ!」


 盾を持った船員が前に出、水の矢を防ぐ。

 ノヴェルはどうにかその後ろに転がり込む。


「右舷班、指揮官代理へ通達!」


 二人が班を離れ、走り出す。

 走り出した船員を逃すまいと、水の矢が彼らを刺し貫く。

 刺された二人は甲板上に転がるも、一人は起き上がり、肩を押さえて走り出した。


「あの柱を断て!」


 盾の影から、水魔術で対抗する。

 オーシュが立つ水の柱を、右へ左へ散らそうと試みたのだ。

 柱が揺れて、オーシュはややバランスを崩すも――負けじと暴れる水の柱を乗りこなしている。

 そこに更に、客室内中央廊下を通ってきた班が到着し、更に分かれて一部は階段を下りてゆく。

 船首甲板は戦闘員で一杯だ。

 勇者・高潔のオーシュとはいえこの多勢に無勢――いささか不利のように見えた。

 だが、オーシュが身をかがめて両足に力を入れると、水の柱は、三つ又のほこのように分裂した。

 それぞれから、多量の水の矢が降り注ぐ。

 船員は盾を構えてこれを防ぐが――防戦一方だ。火炎放射器を持ち出す余裕がない。

 オーシュは三つ又になった柱のうち、中央から右へ乗り換えた。

 そこを中心に別の柱を生やし、攻撃の角度を変える。


「くそ! 右へ展開しろ! 動いてるぞ!」


 対応しきれず、矢に撃たれる者もいた。

 再び中央の柱に戻るオーシュ。

 慌てて対応する盾部隊。

 ――遊ばれている。

 そのとき、急に船が動き出した。

 ノートンだ。

 船は水の柱に突っ込んだ。

 大量の水飛沫が上がり、柱が完全に断たれる。

 オーシュは高波に洗われるように、甲板に落下した。


「放射! 放射しろ!」


 火炎放射器を抱えた部隊が前に出た。

 囂々ごうごうと唸る火炎が噴出する。

 動物的な脊椎反射でオーシュはこれを逃れるが、体勢を維持できない。

 少し飛びのいては、また甲板に倒れる。

 腰の抜けたような、手負いの狐のような動きである。


「効いてるぞ! 追い込め!」

「おらおら! くたばれ化け物!」


 甲板際に追い詰められるオーシュ。

 柵はない。もう一息で海へ追い返せる。

 背後に、新たな水の柱が上がった。


「焼き殺せ!」


 部隊は構わず一歩詰め寄る。

 火炎の先端がオーシュを炙った。

 船はまた水の柱に突っ込み、甲板に多量の水飛沫を降らせる。

 だが、火炎の勢いは衰えない。


「水なんかが効くかよ!」

「おいっ! 待て!」


 誰かが気付いた。

 水が――甲板に降り注いだ大量の水が、オーシュの足元に集まっている。

 それに気づいたときには、一歩遅かった。

 オーシュはそれを噴出させ、自らの体を高く放り上げる。

 空中で一回転して、火炎放射器部隊のすぐ背後に着地した。

 そして、船員の背中の燃料タンクを軽く蹴る。

 蹴られた水兵は、火炎が衰えるのを見て、一瞬小首をかしげた。

 ノズルの先端から噴出していた炎が、ブスブスと黒煙を上げながらぐっと小さくなる。


「ん――あれ?」


 ぽんぽん、とその先端を小突く。

 瞬間、水兵は爆発した。

 燃料タンクだ。

 船員の千切れた両腕と、タンクが炎を噴出しながら空高く打ち上る。


「あああああっ!」

「後退! 後退!」


 多量の燃料が飛び散り、それに引火する。

 燃えながら海に飛び込む者。

 火に巻かれて甲板を転がる者。

 爆発の衝撃で気絶する者。

 また別の水兵は何が起きたのかわからないまま、盾を構えてキョロキョロしている。

 吹き飛ばされた別の者は、慌てて背中の火炎放射器を外そうとしたが――誘爆。

 また一つ甲板に大きな爆炎の上がったことは、遠くからでも見えただろう。

 地獄の光景であった。

 無事の者も、大きく後退し、また散り散りに逃げてゆく。

 それを見届け、オーシュは悠然と歩き出した。

 最早――勇者の歩みを阻もうとする者はいない。たった一人を除いては。

 ただ一人、ノヴェルが立ち上がった。

 ガンガン痛む頭を押さえながら。


「おい、クック……! いや、オーシュ! ミラを探してるんだろ!」


 通路から船の奥へ向かおうとしていたオーシュは、「ノヴェル・メーンハイム」と振り返った。


「どこへいくつもりだ。こっちだ!」


 ノヴェルは走り出し、客室ろうの廊下へ飛び込んだ。

 客室は、甲板上の上部構造物内に並んでいる。

 中央を貫く狭い廊下。その左右にだ。

 ――ここでなら、オーシュは水の魔術を使えないはずだ。


「どこへ行くつもりだい? ぼくを、案内してくれるのかい」


 オーシュは誘いに乗って、廊下に入ってくる。

 ――上手くやってくれよ……。

 ノヴェルは、ここへ飛び込む前に残った部隊に目で合図をしていた。

 しかし気心の知れた連中ではない。ジャックならすぐに「待ち伏せだ」と気づいてくれただろうが……。


「案内してやるが、ミラは意識不明だぜ」

「へぇ。あのままかい。ぼくは目覚めたのに、変だね」


 廊下を後退ずさるノヴェル。

 それを追うオーシュ。

 間もなく客室楼の中間だ。そこで廊下は十字になっている。

 左右にも分岐して、左舷と右舷の通路に繋がっている。

 合図が通じていれば、そこが格好の待ち伏せ地点になるはずだ。


「お前がやったんだろうが! 戻し方を教えろ!」

「……ぼくじゃない。ぼくにはできない。ミランダが自分でやったんだ」

「じゃあどうするんだ! ミラは戻らないぞ!」

「構わないさ。ミランダは眠り続けていい。ぼくの船の中で、ずっと眠り続けるんだ」


 ――何、勝手言ってるんだこいつは。

 どいつもこいつも、勝手ばかりを言いやがって。


「ダメだ! ダメだお前は! 何にも判ってない! ミラのことを何も知らない!」

「知っているさ。あの子はぼくと同じ。つらい子供時代を送って、ずっと独りで、平気な振りをしてきた。お互い、それに気づいたんだ。あの海賊船で」


 中間地点の角では、班が待ち伏せしていた。

 そこまでもう少しのところで、ノヴェルは立ち止まっていた。

 彼は、我を忘れて怒っている。


「違う! ミラはずっと強い! お前なんかよりずっと! 十年も海の底に引きこもって、沈没船なんかで遊んでるお前と一緒にするな!」

「……それはちょっと、傷つくな」

「家族が死んで、辛いのはわかる。オレも爺さんを亡くした。天涯孤独だ。しかもお前みたいな魔力も、学もない。引きこもりだ! ……って何を言ってるんだオレは! オレのことはいいんだよ、そうじゃないだろ! オレはミラを守る! お前はオレと来て、ミラを起こせ!」


 ――何をやってるんだあの少年は、と待ち伏せ中の水兵達は顔を見合わせる。


「――出るか?」

「まだ待て。動きそうだ」


 オーシュはやや肩を落とし、力なく言った。


「……わかったよ。でも何もできない。それでもミラはぼくがもらう。いいね?」

「やることやってから言え!」


 再びノヴェルは歩き出した。

 オーシュはそれについてくる。

 ノヴェルが中間地点を通過した。

 部隊はそれを確認し、右と左からハンドサインを送って構える。

 オーシュは足を止めた。


「待ってよ。キュリオスはぼくのだぞ。あれは、ぼくの船だ。ぼくが造ったんだぞ」

「好きにしろよ! けどお前はあれの開発から逃げたんだろ!」

「……なんだよ。なんでそんなことまで知ってるんだ、ノヴェル・メーンハイム」


 その声には、強い疑念が込められていた。

 振り返ると、廊下の分岐の左右で、部隊が剣を構えてオーシュが横切る瞬間を待っているのがわかる。

 しかしそれを見てはいけない。

 ちらりとでも目線をそちらに向けてしまえば、待ち伏せがバレる。

 そこにあと少しのところでオーシュは、仁王立ちしている。


「ノヴェル・メーンハイム。お前って、何者だ。何を知って、何をたくらんでいる」


 ――しまった、とノヴェルは思った。

 失敗だ。

 片側の部隊がそれを察知し、飛び出した。

 オーシュの正面から、上下の剣撃を浴びせる。

 ――浅い。

 オーシュは傷を負いながらも後退してそれをかわし、片足から空気魔術を放出した。

 ボンッ!

 狭い廊下がやや変形する。

 立ち並ぶ扉がひしゃげ、オーシュはそのうちの一つに逃げ込んだ。

 彼らは、オーシュ撃退の最期のチャンスを失した。

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