14.4 「彼の嘆きが聞こえるようではないか?」

 その少し前。

 クイーン・ミステス、医務室。

 かつては先代皇女の医療にも使われた、大陸一の最先端医療設備を備えた医務室である。

 繰り返し鳴り響く警笛や、俄かに慌ただしくなる甲板上のざわめきは、ジャックのいる集中治療室にも伝わってきていた。

 やがて衝撃とともに船が右に大きく傾き、国内最高の医療設備が滑り始める。

 チューブが伸び切り、ジャックの腕や喉、胸、口元からブチブチと音を立てて離れてゆく。

 電気の供給が不安定になり、照明が明滅する。

 ベッドもやや傾き、斜めになった。

 即座に、生命反応モニターがけたたましく警告音を立てる。

 船医ら医療スタッフも、倒れながら起き上がろうと必死になっている。

 続いて左へ激しい揺り戻しが来た。

 転がっていった機材が戻って来て、ベッドを押し流す。

 ジャックが、ベッドから転がり落ちた。

 腕と足のギプスが破断する。

 衝撃で、何かが鼻から飛び出した。

 全身を骨折し、未だ意識の戻らないジャックは、絞った雑巾のようになって床を転がってゆく。


「まずい! 急いで患者を戻せ!」


 スタッフらはジャックを抱え上げ、大急ぎでチューブを繋ぎなおす。


「……バイタルサイン戻りません! 血圧、心拍数ともに低下!」

「呼吸補助器が故障! ポンプ部品が損傷しました! 誰か、空気魔術を!」


 そこへ、ノヴェルが飛び込んできた。

 呆然と医療スタッフの様子を見守っている。


「君! 空気魔術は使えるか!?」


 船医がノヴェルに訊いたが、彼は力なく首を横に振る。


「――心肺停止! 電撃を寄越せ!」


 医療スタッフが、電気魔術をチャージする。


「チャージ! クリア!」


 ジャックの胸に機材が押し当てられ、彼の体が跳ね上がる。


「――戻りません!」

「もう一度!」


 ノヴェルは、両親の死にも立ち会っていない。

 祖父の死は突然訪れ、あっさりと光の壁の向こうで消えてしまった。

 祖母のことは――覚えていないが、穏やかな最期だったと聞いている。

 近所の町人は首を切断されて、やはりあっさりと死んでしまった。

 勇者は転落して死んだ。即死であったことだろう。

 目の前の喧噪けんそうはいずれの死とも違っていた。

 戦いで死ぬのでもなく、天寿をまっとうするのでもない。

 ――これが死ぬっていうことなのか。

 ここは彼の戦場ではない。

 船の墓場の真っ只中であるが、医者達の戦いとは異なる。

 何もできることはない。ノヴェルはただ見守っていた。

 ――本当に?

 前にもこんなことがなかったか。

 義妹のリンが瀕死の重傷を負い、ミラがそれをかばって――。

 あの危機を、オレはどうやって乗り越えた――?



***



「驚いたね。まさか、こんな罠があるとは――」

「何なんだこれ……。いったい、いつこんなに船を集めやがった……。いいや、そもそも何のために」


 霧の船団が船の墓場に絡めとられたとき、オーシュの意識世界も激しく揺れていた。

 感情が激しくたかぶり、オーシュの様々な記憶が活性化されたのだ。

 ミランダも目を覚ました。

 記憶の奔流ほんりゅう――抑えきれなくなったように、十三の扉が音を立てて次々と勝手に開いて行く。


「ねぇ、おじさん、私、これ――」


 扉の向こうには大きな船。

 漁船だろうか。船体には、グレート・フォリア号とある。


「こっちの扉も――」


 サン・フォリア号。やはり大型の漁船だ。


 こっちにも、これも――そう言いながら、ミランダは図書室の中をクルクルと駆け回る。

 ミラはそれを追い、次々扉の中の風景を見た。

 船、船、船――。


「フォリアという船に執着があるようだ。それを中心に――彼は海底の大博物館を作っていた」

「あの野郎、一体何を考えて――」

「理解できない。まるで我欲と物欲の塊だ。これは、あっちの私が知ったら――怒るだろうな。これのために、あの黒い力を使っていたのならば――」

「待て。この景色は、葬式か?」


 ミラの見つけた扉の先は、葬式だった。

 幼い少年に、参列者の冷ややかな視線が投げられている。

 ミラには見覚えのある少年だった。


(こいつは、あの時、桟橋にいた――)


 長い桟橋の先で、船の玩具を沈めていたあの子供だ。

 葬式の席で彼は、彼の父とその船と思しき肖像を見て――微笑んでいた。


 ――いいなぁ。パパもおじいちゃんの所へ行ったんだ。

 ――光る船に乗って、海の底の国に。

 ――ぼくもはやくそこへ行きたい。


 ミラは頭を抱え、うずくまる。

 フラッシュバックのように流れ込むオーシュの声に、耐えられない苦痛が走った。


(あいつは――そうか、あいつは、親父はそう聞かされていたんだ)


 祖父は海で死んだ。そのことを伝えるとき、オーシュの父は「おじいちゃんは海の底の国に行ったんだ」と――。


「馬鹿な。馬鹿げてるだろ。それも漁師ジョークってやつなのか?」

「なるほど。この肖像に描かれたものはサン・フォリア号と同じ船だ。コレクションはオーシュの執着の為せる技だが、その芯なるものはこの記憶なのだな」

「お前、今までここにいて気付かなかったのかよ」

「さて、私はここに棄てられてからというもの、彼はずっとクック=ロビンだったのだ。彼の認識力は低下していて、感情が激しく動いたのはたった一度きりだ。それは――」


 これ何かしら、とミランダが言う。

 その扉の向こうにある景色は、やはり夜の海だ。

 一隻の船が浮かんでいる。

 だがその船はどういうわけか、鈍く発光しているのだ。


「こりゃなんだ? 船が魔術を使っているのか?」

「これはおそらくリヴァイアサンの犠牲になったおとりの船だ。彼はリヴァイアサンの習性をヒントに、博物館を作ることを思いついたのかも知れないな」


 リヴァイアサンは船で船を釣る。

 釣った船は次々と海に沈められ、そこに集まってしまうのだ。

 オーシュがリヴァイアサンを利用したのか、それともオーシュもリヴァイアサンの使う囮に釣られた一人だったのか――。

 この景色を見る限り、後者のようだとミラは思った。

 海に焦がれ、彼が勇者になっていたとき、海もまた彼を呼んだのだ。

 彼はソウィユノによって海賊に潜入させられたときも、きっとそれほどいやではなかったのだ。

 彼は海底探査船を見て、歓喜した。それを手に入れられると思ったからだ。


 ――ついに、完成したんだ。ぼくの船だ。ぼくのものだ。


 珍しい船ならなんでもよかったのかも知れない。

 だが、そうではないのかも知れない。

 いずれにせよ、彼の博物館は今、罠として利用された。


「ねえ、これ! 私、いえ、あなたよ!」


 ミランダが叫んだ。

 ミラとソウィユノがその扉のほうへ走る。

 十一番の扉だ。

 その向こう、闇の中にぽっかりと明るく浮かぶ、ミラがいた。

 真っ暗な船倉だ。

 鎖に繋がれて横たわるクック=ロビン。

 その視線の先に、ミラがいた。

 ランプを灯し、メルセデスの日記を捲っている。彼女は毎晩そうしていたのだ。

 横で「やれやれ」とソウィユノは首を振った。


「できることならこの記憶は、彼だけの秘密にしてあげたかったのだがね」

「あたいだ……あいつ、見ていやがったのか」

「彼の嘆きが聞こえるようではないか? 彼の孤独は彼自身が選んだ道、自業自得でもあったろう。それでも彼は『孤独でないこと』を知ってしまった」

「……まるで見てきたように言いやがる」

「見てきたさ。君達が眠っている間にね」


 ソウィユノはそう言って、閉ざされたままの十二番のドアに視線を投げる。


「あの扉の向こうは、今は別の沈没船の船倉だ。彼はオーシュとして復活した後も、船倉のかわやで眠っているんだ。孤独に震えて、泣きながらね」


 あんな姿、君達にはとても見せられるものではない、とソウィユノは呟く。


「――どうした? 『キメェ』ではないのか?」

「……」


 ミラは何も答えられない。

 オーシュは、確かにミラを探していた。スティグマを知る者を、残らず殺すつもりなのだと、そう思っていた。

 これが、高潔なる勇者の、その闇の最深奥しんおうだ。

 そこに辿り着いた彼らには、もう何の言葉もなかった。


「そうしたわけで、今や君も、彼のコレクションの候補なのだ」


 全く趣味が悪い、とソウィユノは苦笑した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る