14.3 「こうなっちゃもう、あとはせいぜい祈りますわ」
魔の海域に入るぞ――とノートンが言った。
妙な緊張がブリッジに走る。
オレも魔の海域についてのレクチャーは受けていた。
ただの噂だ――と切り捨てることはできなそうだ。行方不明になる船舶は確実に多いのだそうだ。
不気味なものでは、あるとき漁船が近くの船を目撃したが、ほんの僅かに目を離したうちに
そうした証言を集めて地図に記すと、ある海域が浮かび上がる。
ポート・フィレムとベリルの間、南寄りに位置する横長の海域だ。
ノートンは迷信だと言い切ったが、船乗りは皆、縁起を担ぐ。
ブリッジに二人の船員が入ってきた。
「定時報告。海上にオーシュの姿はありません」
「二時か――」
あれから、オーシュの攻撃はなかった。
しかしあのしつこい勇者が諦めるとも思えず、厳戒態勢を維持している。
凡そ三時間だ。
「皇女陛下はお休みください」とノートンは繰り返し言っていたが、皇女様はこれを固辞するうち、若干不機嫌になってきている。
過保護なんだ、あいつは。
「おい、あんた、ちょっと休めよ。オレも見回りにいくからさ」
オレは報告に来た船員の一人を呼び止め、タッチした。
皇女様は何か言いたそうにこちらを見ていたが、何も言わなかった。
「いいよな、ノートンさん」
「構わないさ。ただし気を付けることだ」
無茶はしない。何せ虚勢を張るほどの魔力すらオレにはない。
ブリッジを出て階段を下りる。
風は相変わらず軽快だが、やや雲がかかって月が
中央甲板から右舷側に出、付近の海面を確認しながらブリッジを回り込んで船尾側へ回る。
「三時方向から時計回りにいくからな」
「わかった。オレはノヴェル。あんたは?」
お前があの勇者殺しの――と船員が言った。
船員は名乗らなかったので、仮にデイブとする。
船尾側の甲板はやや狭く、その代わりクレーンがあった。
そこからキュリオスがぶら下げられている。
ミラはまだ中の加圧室にいるはずだ。
縄梯子がかけられており、船医以下医療スタッフがサポートしてくれている。
異常はないな、とデイブは言った。
海上にも敵影はない。
更に左舷側を通って、海面を確認しながらブリッジ横、中央甲板――へ戻り、客室横を通って船首側へ回る。
大きな船だ。ゆっくり見回りながら一周したら十五分はかかる。
「なぁ、オーシュに会ったのか」
「ああ」
「どんな奴だ? 俺はオーシュに憧れて船乗りになったんだ」
「知らない方がいいと思うぜ」
なんだよ、と若い船員は言う。
「上官の話じゃ、鮫だとかっていうんだぜ。意味わかんねえだろ」
皇女様の船にもこんな奴がいるんだなぁ、と思った。
……オーシュに憧れてなぜ船乗りに? 鮫になれよ、とオレは内心毒づく。
「マジだ。鮫に変形できる」
マジかよ、とデイブは笑顔になった。
俺は断然ゴアよりオーシュ派だな、などと聞いてもいないことを言う。
船首に着いた。
船首側の階段を下りるとすぐジャックの病室がある。
あいつの様子も見にいかないとな。
船首はサーチライトが甲板と前方の海面上を照らしており、明るい。
遠くに山影が見えた。
久しぶりの――陸だ。
「もう、着くんだな。オレはポート・フィレム生まれだから――」
「はぁ? 早くて明日の昼だよ」
「そんなにかかるのか? もうすぐそこに見えるのに」
何言ってるんだ、とデイブは前方を見た。
「まだ陸なんか――……なんだあれ」
山だろう。
ギザギザした影が水平線に広がっている。
ボォーッと汽笛が鳴って、オレは身を
「ほ、報告だ! あれは陸なんかじゃねえぞ!」
「じゃあなんだって言うんだよ!」
「船だ! 馬鹿みたいに沢山ある、大船団だ!」
***
走って主ブリッジに戻ると、既にそこは大騒ぎになっていた。
「十二時方向に、船団が!」
「わかっている!」
「汽笛にも応答しません!」
「さっきは本当になかったのか!」
「ありませんでした!」
ブリッジ上部から見張りをしていた
「自分らも前方を見ていましたが、今しがた、突然現れたように思います!」
「くそ! そんな、急に出たり入ったりするような船が――」
なくもないのだ。
霧の船団がそうだし、キュリオスだってそうだ。
振り上げた拳を下す先がなく、船長は「クソたれッ!」と自分の膝を叩く。
「距離三千!」
「現在対水二十八ノット!」
「ソナーを撃て! 機関士長! 船員を集めて船首へ! 逆噴射を!」
「アイアイサー!」
ノートンの命令で、航海士がソナーを撃つ。機関士長は伝令管に向かって怒鳴った。
大きな水槽に、前方の様子が映し出された。
無数といってもいいような数の光点が水槽に浮かぶ。
「これ全部が船ってわけじゃないだろうが……」
望遠鏡を覗いた船長が否定する。
「いいえ全部船です!」
ノートンはテーブルの上の物を乱雑に払って海図を平らに
そこにペンで水槽中の光点をマッピングしてゆく。
「船長、避けられそうか?」
船長はノートンのところまで走って、海図を指でなぞりながら言う。
「ここを、こういうルートであれば……しかしいかんせん距離が」
水槽の光点が消えた。
「消えた! もう一度ソナーを!」
再度、水槽に光点が現れた。
「この距離だとこの角度から……航海士! すぐに
光点と海図の印を見比べている。
ノートンも、何かに気付いて「もう一度ソナーを頼む!」と叫んだ。
光点が更新される。
オレにもわかった。変わってしまったのだ。
それは――更新するたびに、まったく違った隊列を見せているのだ。
「なぜだ! ソナーを撃つたびに変わるぞ!」
「距離千五百! 現在対水二十二ノット!」
「止まれませんか?」
「制動まで十キロは必要です」
船は急には止まれない。
この規模であればなおさらだ。
「逆噴射はまだか!」
「係官、なぜソナーが機能しないんです! これでは回避は不可能だ!」
「これは……なぜだ……わからない」
「故障か?」
「魔術だぞ? 故障など……いや……そうか、これはエコーだ」
ソナーは音波を利用している。
撃ったタイミングで、似たような音波を撃ち返されてしまえば、実際には無い虚像が出現する。
理論上はそうだが、これは最新鋭の装備のはずだ。
「馬鹿な! 音波といっても、人間には聞こえない周波数のものだぞ!」
おいそれと真似できるものじゃないのだ。
しかしもし、人間の可聴域を超える音波を感じ取って、再現することができれば――。
「ノートンさん、それはたとえば、クジラの歌みたいなものか?」
ノートンはハッとして、頭を掻きむしった。
「――くそっ! オーシュだ!」
「距離五百です!」
「総員、衝撃に備えよ!」
間に合わない。
船首甲板に辿り着いた船員達も、驚愕し、パニックになるのが見える。
彼らも間に合わなかった。
ブリッジから、もう目前に迫る無数の船影が見えた。
船――だったものだ。
多くはまっとうに浮かぶことができず、海上に横たわっている。
どうにか平衡を保つものも、色あせ、痛み、海藻や珊瑚を伴って、
オレは理解した。
これは船の墓場、海底にあったものだ。
事故や、嵐で沈んだのではなかった。それはかつて自然に沈んだか、リヴァイアサンに捕らえられた船の成れの果て。
――沈没船の博物館、いや、コレクション。
ノートンがコンテナでやったように、水圧に勝るまで排水できれば、こうして再び浮かび上がる。
それをオーシュが復活させたのだ。
奴が十年もの間、海で何をしていたのか。どうしてそれを考えなかったのだろう。いや、考えたってわかるわけがない。
一つ一つは古く、脆くとも、これだけの数があれば、クイーン・ミステスもただでは済まない。
――終わりだ。
誰もが、少なくともオレはそう思ったときだ。
オレ達のすぐ脇を、速度を上げて追い抜いてゆく船影があった。
『クイーン・ミステス・ワン、こちらナイト・ミステス・ワンだ』
通信が入る。
あの船は、後続だった船だ。
『済まない。居眠りしちまったみたいだ』
皇女様が、弾かれたように立ち上がり、通信機に駆け寄った。
「いけません、ナイト・ミステス! 止まりなさい!」
『ミハエラ様。おっと、こりゃ前方不注意だ。何してやがったのかねえ、オレの部下どもは』
ナイト・ミステスは完全にこちらを追い抜いてしまった。
減速する様子は全くない。
「減速しなさい! エイス船長! これは命令です!」
『そう言われましても、うっかりウトウトしちまったんでさ。陛下は悪くありませんぜ。もちろん、オレの部下の責任でもない』
「止まりなさい……お願い……戻って」
皇女陛下は、通信機にしがみついて泣き崩れた。
何をするつもりなのか、解ったのだ。
『まぁ、こうなっちゃもう、あとはせいぜい祈りますわ。我らがパルマ皇女とその民に! 末永い
ナイト・ミステスは、今まさに衝突しようとする幽霊船と、クイーン・ミステスとの間に横から割り込んだ。
ギギギギギという金属の擦れる音が響く。
数日前、モートガルド沖で何度も聞いた、あの音だ。
「エイス!」
皇女様は悲痛な叫びをあげた。
船長は帽子を取り、胸に握りしめている。
皇女の腹心の自滅的行動を、ノートンは呆然と見ていた。
ナイト・ミステスは最初の幽霊船を横に退けた。
勢いは衰えず、次々に幽霊船を押しのけ、叩き壊してゆく。
道ができていた。
海上の船の墓場にできた、一本の道だ。
それは細く、短いが、クイーン・ミステスはその道を進む。
「いけそうか、船長」
「係官! 今話しかけんでくだせえ!」
船長は自ら舵を取っていた。
ナイト・ミステスは衝撃に揺れながらもクイーン・ミステスを先導している。
それでもうかうかしていると、クイーン・ミステスとの間に浮上してくる沈没船もある。
ナイト・ミステスの下に潜り込んだ船だ。
ぐるりと水面で回転し、船底を露わに浮かび上がる。
船長が大きく舵を回すも、船はすぐには曲がらない。
僅かに
「掴まれ!」
乗り上げた――。
激しい衝撃が伝わる。
双眼鏡を覗く者、サーチライトを忙しなく動かす者。
「右、二時方向! 距離五十! 小型船です!」
「左側、十二時方向! 距離七十! 中型船が横向きに、針路にかかります!」
「右の小型に当てて、左奥の中型を避ける! 衝撃があるぞ!」
右舷側の船首が小型船を弾き飛ばしながら、辛うじて中型船を――
中型船の
バラストが負け、船の回転が増して、船体が大きく右に傾く。
オレ達は傾けたグラスの中身のように右に、続けて左へと煽られた。
「――甲板より、数名が落水した模様!」
「湾曲部キールを損傷したようだ! ローリングが酷い」
「機関室より! 船底を損傷、前部より浸水が始まっています!」
「隔壁を封鎖!」
「抜けられそうか!?」
「――間もなく!」
ナイト・ミステスは、あと一歩のところで、停船していた。
クイーン・ミステスも速度をかなり落とし、今にも止まりそうな速度でナイト・ミステスの脇に着ける。
「ナイト・ミステス・ワン、無事か!」
『……手酷く損傷しちまった。船員にも怪我人が出た。浸水は止まって沈没は免れたが――自力航行は難しい。乗員乗客をそっちで預かっちゃくれないか』
「望むところです、エイス船長。全く、とんでもない無茶を」
『急いだほうがいいですぜ。敵は一人とはいえ……やばいところで停まっちまった』
「総員、最優先で受け入れの準備を。部屋、ベッド、医療設備――医療設備を」
確認しろ、とノートンは言って、オレのほうへ歩み寄ってきた。
「ノヴェル君、ジャック君の容態を確認してくれ」
「な、何かあったのか――?」
「あれだけ激しく揺れたのだ。何かあっては手遅れになる」
オレは、ブリッジを飛び出し、階段を駆け下りた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます