14.2 「ポート・フィレムは旅人の街だ」

 右舷側通路を夜の海風が軽快に吹き抜けてゆく。

 客室は下層ではなく、甲板上の船上構造物の中に並んでいる。所謂いわゆるろうだ。

 ノートンはその外壁に沿って、湾曲した通路を進む。

 船首付近が騒がしい。

 サーチライトが煌々こうこうと、甲板と前方の海を照らしている。

 ノートンがそこへ行くと、そこで数名の船員が集まって柵から下を見下ろしていた。


「何かにぶつかったのか!」

「それが……左舷、右舷とも異常ありません。ぶつかるようなものも確認できず……」


 船員が言い終わる前に、また衝撃があった。

 ――おかしい。


「おい! あれを!」


 前方の水面上を、大きな背ビレが横切る。


「鮫か!?」

「馬鹿な、三十ノット以上だぞ!?」

「あれは鮫じゃない! オーシュだ! 戦時条項を発令しろ! 陛下の警護を最優先!」

「なぜ高潔の勇者が我々を襲うんです!」


 事情を知らぬ者も多い。


「戦時条項だ! 襲われているのは我々ではない! 国家だ! 以降の質問を禁ずる!」


 各所に通達せよとノートンは命じる。

 オーシュは、と目を凝らすも、海上に姿はない。


「ノートンさん! 今のはまさか……!」


 ノヴェルがこちらへ走ってくる。

 再び、ドンと大きな衝撃があった。


「ご想像の通りだ。下から船底を狙っている。どうも船を沈めるつもりらしい」

「船底? 船は大丈夫なのか!?」

「……さすがに、いくらあの鮫の外殻が固かろうとも、この強度の船を壊せるとは思えないが――」


 次いで、ひと際大きな衝撃があって、ノートンとジャックはやや体勢を崩した。


「――まずいかも知れないな。陛下を連れてブリッジへ行こう」



***



 オレとノートンは皇女様を連れて主ブリッジへ行った。

 船の真ん中よりもやや船尾側の、背の高い楼上にある。

 ブリッジには既に船長、航海士四人、甲板こうはん長、掌砲長、機関士長らが集結していた。

 後続の船、ナイト・ミステスとも通信が繋がっているようだ。


「クイーン・ミステス、並びにナイト・ミステスの諸君。皇女陛下の御成りだ。これより全権の指揮を陛下がられる」

「皆の者、大儀です。これより神聖パルマ・ノートルラント民王連合国第十一条、及び第二十条にもとづき戦時条項を発令します。同二十条第十則に基づき、わたくしの補佐をこちらのノートンが執ります。掌砲長は彼の指示に従ってください。船の運航は引き続き船長以下にお任せいたします」

「情報局のノートンだ。皇女陛下の御名において補佐を拝命した。全身全霊を賭け責務をまっとうする」


 士官らはノートンに敬礼する。


「状況を整理する。敵は勇者・高潔のオーシュだ」


 小さなざわめきが起きた。

 士官たちは既に報告を受けていたから混乱は少ないが、改めて目の前の現実となるとまた違った感想があるのだろう。


「オーシュは単体で活動している。海の中でも長時間の活動、潜水が可能。そして勿論、水魔術の高位だ。海、船舶の全般に造詣ぞうけいが深く、現在も船底を重点的に攻撃している」


 また衝撃があった。


「係官、いえ、総指揮代理、いくら勇者でも、この船を沈めるなんてことは……」

「係官で結構。あなどってはならない。原理は不明だが、オーシュは鮫の形態を真似ている。外殻は鋼鉄のように固く、有効な攻撃は不明だ。電撃のみ、奴の感覚器官を混乱させることが判っている。最悪の場合を想定して行動してほしい」


 ばらばらと、士官らは行動を開始した。

 ノートンは歩きながら説明を続ける。


「重量は不明だが、沈んだコンテナを高々と吹き飛ばすことができる。最高速度も不明。三十ノット以上であることは間違いない。最低でも四十ノット以上とみるべきだ」

「すると主な攻撃は鮫形状での体当たりでありますか」

「船舶に対してはそう考えられる。人間に対しては噛み付き、奴の水魔術はほぼ一瞬で人間の体液を操作できる」


 皆が絶望的な顔をした。


「唯一有効な作戦はおとりだけだと考えられる」

「囮」

「キュリオスだ。奴はキュリオスに執着している可能性がある。確度については疑問だが……現時点では、殆ど唯一、可能性がある」


 殆ど唯一可能性がある。なんと力強い言葉だろう。

 その根拠はオレの感想。

 根拠の軽薄さをかんがみて、オレにはまるで地鳴りのように響いた。


「ノートン、囮作戦については許可できません」

「承知しております。まず船長、横から重さ二百キロの鉄の塊が四十ノットで衝突したとして、この船はどれくらい持ちますか」


 船長は、慎重に言葉を選んでいるようだ。


「まずその場合、通常船が耐えるべき横からの力とは、異なると申し上げる。竜骨と肋骨は、波の力による全体のせん断、回転に耐えるために設計されております」

「局所的な攻撃が問題になると」


 ノートンと船長の話から、オレは理解したところはこうだ。

 この場合は船底の強度が問題になる。

 今全力でオーシュが体当たりをして穴が開いてないのだから、船底の強度は充分だ。

 それでも攻撃を受け続ければ、金属疲労によって壊れることはある。

 オーシュが延々と体当たりを続ければいつかは穴が開く。

 しかし穴が開いた場合でも、船は二重底で複数の隔壁によって浸水に対策されているので、すぐに沈む心配はない。


「一区画ぶん壊すのに三時間かかるとして、明日の晩までは容易に耐えるでしょうな。ただしそれは、この船、クイーン・ミステスの話です」


 含みがあった。

 もう一隻は違うと言いたいのだろうか。


「ナイト・ミステスは旧型で、しかも隔壁も少ないのです。あちらが狙われれば、明日の夜までもつ・・かは断言し兼ねます」


 それは、宣告ではなかったが――重い宣告のように響いた。

 後続の船には、怪我人ばかりが乗っているのだ。

 沈まないまでも、オーシュが侵入した場合の被害は計り知れない。


「皇女陛下、行先をポート・フィレムに変更するのはいかがですか。そこまでなら、明日の昼には着きます」


 そこで船長が口を開いた。


「船は既に北寄りの進路をとっています。昼までにポート・フィレムを目指すのであれば南下し、魔の海域を突っ切ることになります。どうか早急なご決断を」

「ナイト・ミステスには怪我人が多くございます。彼らに持久戦を強いるのは、皇女陛下のご本意ではないのではありませんか?」


 この言葉は、皇女様を大きく揺さぶったようだった。

 彼女は迷っている。

 ノートンは皇女様を招き、ブリッジの隅に移動し、小声で言った。


「陛下。魔の海域など迷信です。論文をご覧になったでしょう。根拠はないのです」

「……そのことではありません。ポート・フィレムに今、これだけの亡命者や怪我人、ましてオーシュを連れて参るわけには」

「……皇女様、それなら心配ないです」


 オレは居たたまれなくなって口を挟んだ。


「あそこには、火の魔術の名手だって一杯いるんですよ。オーシュなんか塩焼きにしてやります」

「しかしノヴェル。あの港は、未だ木造船も多いのではありませんか。オーシュが侵入した場合の被害は甚大です」


 何より……と皇女様は、深い悲しみをたたえた。


「……先の勇者の襲撃、その傷が未だ癒えてはおりません。その上でまた」

「ポート・フィレムは旅人の街だ。そんなに弱くない。勇者だって一度は歓迎したくらいです。海賊も海軍も、歓迎しますよ。なんせ宿ならいくらでもありますから」


 皇女様はハッとしたような顔をした。

 冗談や軽口じゃない。オレは、皇女様にその言葉が届くのを待った。

 目を逸らさずに。

 彼女は、やがて微笑んだ。


「……たしかに、ノートンとノヴェルの申す通りです。本船はこれよりポート・フィレムを目指します」


 アイアイサー! と士官らはてきぱき舵を取り、またある者は伝令管へ、ある者は通信設備に走る。


「ご英断です、陛下」


 それには及びません、と皇女様は手でノートンを遠ざけ、少しうつむいた。

 皇女らしからぬ、一抹の迷いを振り切れない顔だ。

 オーシュは船を沈めようとしている。

 すぐには沈まないが、時間の問題でもある。

 そこでオレ達はポート・フィレムに舵を切った。そこまでなら、明日の昼には着くらしいのだ。


「……なぜオーシュは、スクリューを狙わなかった・・・のでしょうか」


 そう呟いた。

 たぶん、オレだけが彼女のその言葉を聞いた。

 ――皇女様以外に、誰か気付いていただろうか。

 オーシュが、船の推進部を狙わなかったことに。

 オーシュの攻撃がんでいたことに。

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