Ep.14 海の生き物は光を目指す習性がある

14.1 「勇者を釣る漁法」

「えっ? エドが死んだのならあのオーシュは――」

「皇女陛下、まずそのエド何某なにがしがオーシュであるとの確証は」


 確証はございません、と皇女ミハエラは言った。


「お亡くなりになったというのも、本当のところはわからないのです。何分なにぶん、彼の御遺体は、検分された記録も、埋葬された記録もございませんでした」


 埋葬場所も不明ということだ。

 通常、それは行方不明のまま死亡として処理される場合のみだ。


「つまり、エドの死は偽装されたもので、実際には生き延びて勇者になった――と?」


 おそらくはそうです、と皇女は頷く。

 勇者・高潔のオーシュが初めて人前に現れたのはある海事だ。

 その際、先代皇女は記録を洗うよう命じ、エド・ウッド・フォリアに背格好が一致すると確認した。

 その時代には、まだオーシュはあの銅像そっくりであった。


「ヴェナル海事が十五年前。つまり、ここ十五年余りの間に変貌したことになります。海の中での生活が長すぎたのでしょうか。それとも海が彼を招いたのでしょうか」


 そんなことがあるのだろうか、とノヴェルはあの船倉で会った男の姿を思い出す。

 環境に体が適応することはある。それが十年や十五年で起きるのかどうかは別だ。

 ノートンは釈然としない顔をしている。ノヴェルはありそうだと考えていた。

 十五年という歳月を、どう捉えるかにもよるのだろうか。

 それとも――何時いつから数えるか、なのだろうか。

 きっとエドは勇者になるずっと前から海のモノだったのだ。誰にでも起き得ることではない。お互いが手を伸ばした結果なのだ。

 だから二人には、皇女の言う「海が招いた」というほうがしっくり来た。

 ノヴェルは、エドとクック=ロビン、クック=ロビンとオーシュを繋ぐ最後のピースを嵌めようと試みる。


「そのエドって奴は、認識阻害も得意だったんですか?」

「いえ、認識技術はあまり高くなかったようです――というより、そもそもあまり人と積極的に関わらず、わからないのですが」

「それでは技術を磨くチャンスもなかったでしょうね」


 知恵があっても、ミラを欺くほどの能力はなかったことになる。

 ならオーシュがカナリアになったのは彼自身の力ではなく別の勇者の力による、とノヴェルは考える。


「ミラはどうなったんです? ミラは、オーシュと一緒に海賊をやってて、意識が戻らない」

「きっと、オーシュの意識世界にダイブしたんでしょう。認識阻害の手練れが稀に使う手です。成功率は低い」


 ノートンが答えた。敢えて冷酷な言い回しをしつつも、彼はノヴェルの目を見ない。


「低いって……失敗するとどうなるんだ」

「典型的には、どちらも意識が戻らないことが殆どです。良くて廃人化です。しかしオーシュの意識が戻ったということは、ミラ君の意識は彼の側にある可能性があります」

「……戻せるのか?」


 ノヴェルの問いに、皇女とノートンは目を伏せた。


「……言い難いのですが」


 おずおずと口を開いた皇女の言に、「難しいでしょう」とノートンが割って入った。


「オーシュを生け捕りにする必要がある。直接相対した君なら、それが難しいとわかるだろう。生け捕りにしたところで、ミラ君が戻るとも断言できない。辛いだろうが、覚悟を」

「……オレは、要するに、仲間二人をここで……失うってことか」


 ノヴェルは倒れたままのジャックを見た。

 ジャックはベッドの上で、様々な医療設備にチューブで繋がれている。


「我々も最善を尽くす。だが君の覚悟が要る。そうでなければ、君自身の安全に関わるのだ」

「覚悟ってなんだ。オレは生きて戻っても殺人犯、勇者を殺した極悪人だ。どこに居場所がある? たった一人で奴らと戦う覚悟か?」

「ノヴェル、私たちは皆、一人ではありません」

「一人じゃない……?」


 ノヴェルは虚を突かれたような顔をした。

 そしてすぐに、何かに耐えるような顔になった。


「そりゃあ、姫様たちはそうだろう! いつも周りに頼りになる奴がいる! こんな官僚だって自由になるんだ! なぁ、ノートンさん!」

「止さないか。君と私は共犯だ。君がすべき覚悟を、私はもうしたというだけの違いだ」

「勝手なこと言うなよ!」

「そう聞こえるだろうか。君達と初めて会ったとき、仲間に入れてくれと言っただろ。君達はどうぞとは言わなかったが、今はどうだ? 今もあの時と同じか?」

「……」

「どのような覚悟をされるにしても、我々がサポートします」

「私もだ。ノヴェル君」

「……」

「今、答えを出す必要はございません。ジャックは治療中ですし、我々にオーシュをどうこうできるわけではありません。まずベリルに戻り、専門家を交えて考えましょう。漁師もんで、お話を聞きましょう」

「……考えるって何を」

「オーシュを捕まえるのに適した漁法が、あるかも知れません」


 漁法。

 網、籠。時間、場所、水深。

 ――餌。


「勇者を釣る漁法――ミラを呼び戻す方法は――何かないのか……」


 ノヴェルは頭を振る。

 ミラの意識を取り戻すには、やはりオーシュとの戦うしかないとノヴェルは思った。



***



「また、何か見つけたようだね――彼が」


 再び不気味に揺れ始めた図書室で、ソウィユノが言った。

 ミラも目を擦りながら体を起こす。


「起きたのか」


 再び十三の扉を開けると、そこには夜の海が広がっていた。


「クックの奴は、何をやってるんだ」

「わからない。彼は休まず、南の海の底で何やらはげんでいたようだが、なにせ真っ暗だ。私には何も見えなかった。退屈で寝てしまったよ」

「南だぁ――?」

「今は多少雲があるようだがね、最前見たときは良く晴れていて、星が見えていたのだよ」

「そりゃどうでもいい。南で何してたかってことだよ」


 遠くに浮かぶ二隻の船影。

 並ぶ窓明かりで、大きな客船規模だとわかる。


「客船か?」

「それにしては洗練されたフォルムだ。そこにあった船舶図鑑にはなかったものだね。最新鋭だろうか」

「その図鑑が古かったんだろ」


 最新と書いてあったんだがねぇ――と口をすぼめつつ、ソウィユノは扉の向こうの空を眺めた。


「この船は、どうやら北へ向かっているようだね」


 南だの北だのと。

 それにしてもわからねえな、とミラはぼやく。


「クックの野郎はいったい何がしてえんだ」

「それはわかりきったことだ。君を探しているのだろう」

「あたいの体はあの船にあるのか!? なぜ!」

「大方、通りかかった船に救助された、というところなのではないか?」


 つまり、あの二隻の船を襲おうとしているのだろう。


「――知らせないと! あたいがいるってことはジャック達や、他の怪我人も乗ってるんだろ!?」


 ソウィユノは腕を組んで唸る。

 報せるのは難しいのだろう。


「無理だと思うが。私がここからいくら呼び掛けても、オーシュに届いたことはないよ」

「あたいは自分の体に戻れねえのか!? あたいの体は生きてるんだろう!?」

「そんな方法は思い浮かばないね。オーシュの助けがあればできるはずだが……そもそも、それができればこんなことにはなっていないのではないかね」


 それもそうだ、とミラは思い直す。


「なら――そうだ、またあのクックをここに呼び出せばいいんだ!」

「どうやって。オーシュはもう覚醒してしまった。君の意識がここにあることも知らない。彼は戻らないぞ。少なくとも自分からは」

「いや、何か方法が――何か方法があるはずだ!」


 もう少しで何か閃きそうなんだ、とミラは苦悶した。

 扉の向こう、オーシュの見ている景色は、船に向けて前進を始めていた。


「――オーシュは何を始めるつもりなのだろう」

「あたいらを探して殺すに決まってるだろ!」

「船は二隻あるのだよ。どちらに乗っているかまで、彼に判るとは思えないのだが……」


 オーシュにもタイムリミットはある。

 それは船が陸に着くまでだ。


「……まぁ、このまま彼が船を襲っても、どちらかは陸まで逃げおおせるかも知れない。上手くいけば君の体だけは助かるわけだ。私にとっても悪い話ではない。この世界には幼気な少女もいることだしね」


 オーシュがミラの体を見つける可能性は五分。一方、オーシュが死ぬ可能性は皆無に近い。

 ソウィユノは、そっと寝息を立てるミランダを眺めた。



***



 夜半。

 ノートンは皇女の私室にいた。

 仮の眼鏡を借り、資料と格闘している。

 微妙に度が合わずにノートンは度々こめかみを抑えていた。


「疲れているでしょうに。どうぞお休みを」

「いえ、皇女陛下にだけこの仕事を押し付けるわけには参りません」

「いつまでも子ども扱いは困ります。わたくしにも何か、彼らのお手伝いを」

「滅相もない。それにこれは、私の領分です」


 船に持ち込まれた大量の資料を洗って、ミラ、ジャックの意識を戻す方法を探す。

 また、オーシュの対策も練らねばならなかった。

 実のところ、オーシュに関する情報の多くは、ここでミハエラ自身の手によって発掘されたものだった。

 ノートン達を追ってベリルを出るまでの時間では足りなかったからである。もっとも、出生、死亡に関する記録や機密度の高い資料までは持ち込めなかったのだが。


「あれからオーシュは現れません。諦めてくれたのでしょうか」

「ノヴェル君の機転が利いたのでしょう。この広い海、我々を探すのは、いくらオーシュでも難しいでしょうね」

「あと二日。二日後の早朝にはベリルに着きます。それまで見つけてくれなければよいのですけれど」

「ポート・フィレムなら明日の昼過ぎには着くでしょうに――すると、魔の海域を避けるのですね」

「はい。船長のお話では、魔の海域を避けて北上しています」


 西へ進み続ければ魔の海域に入っていただろう。

 そこを突っ切って南西に行けばポート・フィレムだ。

 魔の海域を避けて北上すると、海流に乗れず、速度が落ちてしまうのだ。


「私としては、妙な迷信を排して、貴方様とノヴェル君達を少しでも早く陸に戻したいのですが」

「そうやってまたわたくし達を子ども扱いですか?」


 皇女に休みも、営業時間もない。

 それでもこの私室においては、年相応の無邪気さを少しだけ取り戻しているように見えた。


「――オーシュは魔の海域を避けると、そうお考えですか」


 皇女は重ねて、そう尋ねた。

 敢えて魔の海域を通ったほうが、オーシュを巻く上では有利かも知れない――とノートンは考えていた。

 見透かされていたわけだ。


「家族を亡くしたのでしょう? 没落の契機でもある。彼にとっても大きなトラウマのある海域です。勇者でも、二の足を踏む可能性はあります」

「ところで、この三、四年には、魔の海域に関する新説が発表されました。ノートンの見解が聞きたいです」


 定説では、クラーケン、リヴァイアサン、といった大物海生魔獣が原因だった。

 しかしいずれの魔獣も、魔の海域では目撃例がない。

 ノートンは、短い論文の束を受け取り、捲った。

 果てはカタルフといった説もあるが、カタルフは海底に棲む海神で、羽と無数の触手を持つ。


「カタルフでは目撃例がないのも頷けますが……想像力が勝ちすぎていますね」

「同感です。しかしリヴァイアサンについては、近くの海域では目撃例があります。最新はこれです」


 ミハエラが差し出したのは、乱雑に書かれた紙束であった。


「目撃報告ですか。なるほど。リヴァイアサンは絶滅したと思っていました。これも十年前」

「魔の海域より東側ですが、関連はありませんか?」

「困りましたね。我々は今この海域にいるわけですか。ですが、リヴァイアサンではないでしょう。そうだとすれば、船は残ります・・・・・・


 リヴァイアサンは遠浅の海底に棲む巨大な魔物である。

 その活動は極めて特徴的だ。

 長い腕で海上の船を捕まえ、中の人間や貴金属のみを溶かして捕食する。

 これだけでも不気味だが、その後、残った船を海上に戻して浮かべるのだ。戻った船はリヴァイアサンの粘液で僅かに発光している。

 他の船が不審に思って近づくと、今度はこれを捕まえて捕食する。

 百年前には恐れられたが、調査が進んで生態が解明されると「光る船には近づくな」という単純な対策が行き渡り、この巨大な海の魔物は絶滅のふちに追い詰められることとなった。

 だが深海生物の研究は難しい。生存する個体があってもおかしくはない。それでも――十年も活動がないのであれば、「魔の海域」の正体としてはいささか説得力に欠けた。

 ノートンの指摘するように、海上を流される空の船が、少なからず目撃されるはずであるからだ。

 彼は別の論文を開いた。


「おや、そしてこれは……磁気異常説。少し前に否定されたはずですが」

「電気魔術師の観点から、いかがですか?」


 地磁気が乱れる場所はいくつか見つかっているが、海上の例はない。

 魔の海域では実際に測定され、可能性は低いとされていた。


「なるほど。多量の砂鉄などの鉱物が水中の渦になって……私好みではありますが、あの海域でそれほどの鉄分があるようには思えませんでしたね。対して、事故にあった船は磁気コンパスを持たない古い木造船も多くあります。地磁気の影響があるとしても、あの海域を説明できるほどではないと考えます」


 ノートンは、アカデミー時代に魔の海域を訪れていた。研究ではなく、物見遊山であった。

 また別の論文を捲る。


「……『海底の氷が原因』……? これは、なんでしょうか。確かに海底は温度が低いですが、さて、氷で船が沈みますか。沈むこともあるでしょうが、流氷じゃあるまいし」

「その論文はやや古いものですが、最近改訂されています。どこに置いたか……」


 ミハエラは慣れた手つきで目録を捲っていた。


「皇女陛下。もうお休みなられないと」

「いいえ、もう少し」

「……私はお先に失礼しますよ」

「そうですか。大儀でした。ゆっくりお休みください」


 ノートンは溜息をいた。

 その時、突然部屋が揺れた。

 船であるから揺れるのは普通だが――何かにぶつかったような衝撃だ。

 ノートンは中腰で狼狽うろたえる。

 アラームが鳴った。異常を知らせる警報だ。


「いけません。見てきます」


 立ち上がろうとするミハエラを制し、ノートンは私室のドアを開けて廊下を窺がう。

 狭い廊下では既に船員がバラバラと走っている。


「何があった!」

「不明です! 部屋にお戻りを!」


 ドアを閉め、搬入口を兼ねた右舷側のドアを開く。


「皇女陛下。私が戻るまでこちらでお待ちを」

「ノートン、船員に任せられませんか?」

「……悪い予感がします。経験者が必要になるかも知れません。ご安心を。必ず戻ります」

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