13.4 「断崖から出動できる船が必要でした」

「言い訳がましく聞こえるでしょうが、わたくしも、初めから知っていたわけではないのです。貴方方の出発に併せて、わたくしは公文書など皇室の資料を探したのです」


 情報局の見解では、オーシュの可能性は高くないとされていた。

 長らく高潔のオーシュについての目撃情報はなかった。


「我々も決して隠していたわけではないよ。情報局でもオーシュの可能性が高いとは考えていなかった。むしろ『スカイウォーカー』を警戒していただろうね」


 ノートンによると、それは一部の筋から伝えられていた怪情報――要するにただの噂だった。

 パルマ・ノートルラント北部とモートガルド帝国北部の沿岸で、謎の上空浮遊物が目撃されていたらしい。

 空に静止し、時には空中を歩いているとも言われた。

 暗号名は「スカイウォーカー」。

 ――今のオレ達ならば、それだけで心臓を掴まれるような話だ。

 新種のモンスターであるとも言われたが、ドラゴン程の信ぴょう性もなく、情報局の調査ではガセか見間違いとの見方が強かった。


「我々は半ば冗談で言っていたのだが、どうも君たちが海賊に接触して以来、急に目撃情報が増えていたらしい。要注意情報に格上げされていたようだ。私は君たちの尋問と、皇帝関連の作戦で忙しかったから知らなかったのだがね」


 そんなわけで、オーシュの疑いは益々薄くなっていたのだ。

 それでもオレ達がオーシュと決めてかかったせいで、皇女様は慌てたのだという。

 考えてみればオレ達がそう思い込んだのも、事前にインスマウス村を訪れていたからに過ぎない。そうでなければ高潔のオーシュのことなんて、存在すら忘れていたかも知れないのだ。


「わたくしも、オーシュがいるとわかれば深海探査船を出したりは――しなかったかも知れません」


 どうだろう。

 そのスカイウォーカーがいるかも知れない状況では、周囲は承服しかねたのではないか。

 空に敵がいるとしたら、もう逃げ場は深海しかないのだ。

 いずれにせよ、偽オーシュが暴れて皇帝とガチンコ海戦になるとは誰にも予想できなかった。仕方のないことだ。

 結果的に、皇女様がオーシュについて調査を始めたのはオレ達が出発した翌日。

 彼女は慌てて、オーシュの情報を洗うよう命じた。オーシュに関する情報が、少ないながらも皇室にあると目されたようだ。


「皇女陛下。オーシュに関する記録は、皇家にあったのでしょうか」

「ございました。本名、出身、家柄、経歴、そうしたものですが。対策になるでしょうか」

「御聞かせください、皇女様」



***



「見つけたもののうちオーシュに関する最古の記録は、今から二十年前、先代パルマ皇女がインスマウスで見出したものです」


 極めて高い、水の魔術適正と知性を持った少年であったという。


「当時、いえ、今も同じですが、パルマは非常に入り組んだ海岸線に広く無防備な漁村を持ち、それから広がる魔の海域――沿岸防衛については深い悩みがございました」


 ノヴェル達はインスマウス村でも似たような話を聞いていた。

 首都ベリルと近隣には防衛に足る港がない。

 実際、海賊が足繁く通うような有様を指を咥えて見ているしかないと言われていた。

 霧の船団も平時は北部の複数の港にバラバラに停泊しているらしく、ノートン曰く「即応性に課題がある」らしい。


「ポート・フィレムより北は遠浅の海で大規模な港が造れず、ベリルは断崖の上にあります。断崖から出動できる船が必要でした」

「深海探査船ならそれができるんですか?」

「あの断崖の、水面下には巨大な海底洞窟がございます。ベリルの地下には、そこに繋がる研究施設も」

「皇女陛下。そこまでこの者に明かさずとも」

「いいえノートン。わたくしが情報を出し渋ったがために犠牲を増やしたのです。それにわたくし達はまだベリルに戻ったわけではございません」


 そうなのだ。

 まだベリルまでは二千キロに及ぶ旅路がある。

 パルマ沿岸からモートガルドまでは北寄りの海流に乗って進むが、帰路は南寄りの海流に乗る。


「いずれにせよ、即時の沿岸防衛を行うには、どうしても水面下を進む船が必要だったのです。そのヒントをくれたのが、オーシュでした」


 本名エド・ウッズ・フォリア。

 フォリア家はインスマウスの大きな網元であり、船をいくつも所有していた。

 そのせいだろうか、エドは海を愛する子供だった。


「エドのお爺様の代の頃です。魔の海域、当時はそう呼ばれてはおりませんでしたが、そこでの蟹漁で財を成したと記録がございます」


 三十年以上前のあるとき、フォリアの大きな船が行方不明になった。

 嵐でもないのに、予定の日を数日過ぎても船が戻らない。

 それにはフォリア当主も乗っていたため、インスマウスは大騒ぎとなった。

 その船は、結局戻らなかった。

 予定では、今でいう魔の海域での漁のはずだった。


「以来、フォリア家は大きな苦難のときを迎えました」


 跡を継いだフォリア先代当主は、十年にわたり、懸命に立て直しを試みた。

 だがその頃のインスマウスには新たな漁業組合ができており、斜陽の大網元が復権する隙はなくなっていた。

 当主も盛んに漁に出たが、またしてもあの魔の海域での漁の最中、行方不明になった。

 付近で漁をしていた別の漁船の証言によると、通常の遭難ではなかった。

 僅かに目を離した後、忽然と船は消えていたのだそうだ。さっきまでそこに居たはずなのにだ。

 捜索は簡単に打ち切られた。

 それが今から二十年前のことだ。

 エドは当時十一歳だった。


「エドは、自分から祖父と父を奪った海を恨みはしませんでした。それまで同様、海を愛し続けた。そして彼は、遂に『沈まぬ船』のアイデアに行きつくのです」


 沈まぬ船。

 それはつまり、最初から沈んだ船でもあった。

 高い水圧に耐える堅牢な設計と高い気密性、そして水を取り込むことで浮力を下げ、海中を進むことができるという技術だ。


「彼はインスマウスの海岸、堤防の先で隠れるようにしてそれを実験していたと言います。先代皇女はその噂を聞きつけて、海軍の将軍を送りました。彼の報告ではあまり評価は高くなかったようですが、自然科学局幹部の目に留まりました」


 エドは、インスマウスで村八分同然の扱いを受けていた。

 没落した大網元の末裔に、組合の者達はつらく当たったのだ。

 即座に保護の必要ありということで、彼の身柄は当時の自然科学局が預かることになる。

 こうして深海探査船の開発がスタートした。

 彼は探査船を中心に、海の研究にのめり込んだ。


「……まぁ、良かったんじゃないんですか? それがなぜ勇者に」

「はっきりとはわかりません。おそらく、開発の進捗が悪かったためでしょう。直接的には、あの機械式のアーム、あの存在が大きかったと思われます」


 エドが例のアームを発明すると、軍事転用の可能性が取り沙汰されるようになった。

 それは魔力を効率よく船の外に伝えることを可能にした。

 攻撃が可能になったのだ。

 それまで及び腰だった軍部が研究に口を出すようになり、研究が遅れるようになる。

 エドにはそれが不満だった。

 その頃、彼の記録はぷっつりと途絶え、論文も出ないことが続いた。


「軍事機密が漏れぬよう、彼は監禁同然の日々を過ごしました。古い図書室から出ることもなく、公的な記録においては――以来、海を見ることはありませんでした」


 公式の記録では、エド・ウッド・フォリアは、彼が十七歳の年の年末に死亡していた。

 死因、詳細な日時、状況、すべてが不明であった。

 一階が書斎で吹き抜けの二階に蔵書が陳列された、使い難い図書室――彼はそこに監禁されていた。

 彼の死体は、その附室のひとつで見つかった。

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