13.3 「あいつは、何者なんです」
オレ達が戻って二日、ジャックの容態は変わりなかった。
その間、深海探査船で死んだ二人の水葬が行われた。
皇女様は見るだに気落ちしていた。
オレとノートンはガラス越しにジャックを見ていた。
「生命維持装置。装置とはいうが、あれも体液操作のためのものに過ぎない」
「あんな恐ろしい魔術を危篤の怪我人に使っているのか」
一瞬で乗組員二人を殺した魔術だ。
「ああ。しかしオーシュのは格が違った。通常体液操作は時間のかかる魔術だ。人の体には、免疫のように、魔術が直接作用しないような防御機構があるのだ」
「へぇ、それって魔力がないオレにもあるのか」
試してみるかい、とノートンが言うのでオレは遠慮した。
悪い冗談だ。
「実は、皮膚もそうだ。皮膚を通して、他人の魔力は直接作用しない。だから攻撃魔術は、火だの水だの、別の物理作用を介して行われるわけだ」
言われてみれば確かに、魔力を魔力のまま攻撃に使うなんて話は聞いたこともない。
「そういうわけで、体液操作で人間の体液を動かすには、医療目的でただ循環させるだけでこうして何時間もかかる。お陰で我々は水の魔術師と握手ができるわけだが、相手の体液を使ってウォータースピアを作るなんて無茶苦茶な話は聞いたことがないよ」
「高位の魔術師でも?」
「ああ。皇帝も下策中の下策だと言っていた。高位になれば血栓を作ったり、攻撃の役には立つが、一瞬では無理だ」
「じゃあオーシュのアレは何だったんだ。魔術じゃないのか?」
「いやおそらく、あのアームのせいだ。あの素材に触れた部分は、人が持つ防御機構を失う。彼らの遺体を検分して、そういう仮説を立てた。オーシュは知っていてやったのだろう」
「……とんでもない話を聞いた気がするぜ。やめてくれよ」
「聞いたところで君は悪用できないだろう。無論トップシークレットだ。身を護ることにだけ役立ててくれ」
スッと背後のドアが開いたのが、ガラスの反射で判った。
皇女様が一人でふらりと訪れ、聞けば何やら謝罪したいと言うのだ。
「
「お気遣いに感謝します、ノートン。ですが、謝罪をさせてください」
やっぱり若いのにしっかりしてるなぁ、とオレはまじまじと皇女様を見た。
通信で会話だけをしていると、とても歳もそれほど変わらないような少女だとは思えない。それほど威風があったのだ。
ただそれだけに、想像を絶する苦労があるんだろう。
あの鬼のように強い皇帝ですら気苦労があるんだ。
「研究開発には相反するステークスホルダーが付き物です。皇女陛下の御心に背き軍事転用を目論む者もいたでしょう。ですが」
皇女様はイエスともノーとも言わなかった。
「……わたくしが謝罪もしないうちに部下の非を認めるとお思いですか」
ノートンは跪く。
「出過ぎたことを申し上げました。この罰は何なりと」
「謝罪を受け入れてくださいますか」
「我らが皇女陛下。貴方様のお望みのままに」
「お顔を上げなさい、ノートン。ノヴェル、どうか貴方も」
オレ達二人の前で、皇女陛下は
「神聖パルマ・ノートルラント民王連合国皇女、ミハエラ・カライル・パルマの名に於いて謝罪致します。わたくしは、
大きな襟飾りのついた上着から肩を出し、髪をかき上げ、その首筋を露わにする。
「……この通りにございます」
泣きそうな顔で視線を外そうになりながらも、毅然とそれを見るノートンがいた。
相手に首筋を見せる。これが皇室流の謝罪なのだろう。
ノートンは更に体を低く跪き、皇女様を立たせる。
「陛下。もう……結構です。お立ちください。このノートン、深く悼み入りました」
「今後も尽くしていただけますか」
「勿論です」
ややこしいプロポーズを見せられているようで、オレは気恥ずかしくなった。
「ノヴェル。貴方様も……本来なら勲章を授けたいところです」
そいつはどうも。勲章なんて照れるな――と思いつつ、「本来なら」というところが若干気になった。
「まさに。君の行動は結果的に皇室の為になった。
「本来ならってなんだ。オレには人権がないのか?」
「あれ? 聞いてないか? 君には殺人容疑がかかっている」
「は、はぁ!?」
そんな顔するな、とノートンは笑った。
「私は君の無罪を信じている。だからこそ本来はと言ったんだ。本土で、君たちの本名と罪状が知られた。おそらく、オーシュだ」
ジャック達の本名などオレすら知らない。
いや、目覚めたオーシュが口にするまでは、知らなかった。
だがオーシュのクジラの歌では名前までは伝えられないのではなかったか。
「それも分析してみた。船の設備では限界があるが、やはり、あの歌にはそこまでの情報量はなく、スティグマに位置情報が伝えられただけだ。つまり、オーシュに直接会った者が、その情報を流したんだ」
「それって――」
「スティグマ本人だろう。あの海域を、我々より一日以上早く脱出できた者など他にいない。報じられた日時からして、ほぼ同日中には情報が漏れていたことになる」
「そうだとしても早過ぎないか」
「その通り。早すぎる。勇者らは何らかの長距離連絡手段を持っているのか、それともスティグマの足が速いのか」
どちらもあり得た。
だがポート・フィレムでの事件を思い出すと、勇者達が相互に連絡をとれた可能性は低そうに思える。
だとすればスティグマの足でもよさそうだ。何せあいつは、大海のどこからか空を歩いて、対水時速六十キロの船団に平然と追いついていたのだ。
「そのスティグマですが、オーシュはまたいつでもスティグマを呼べたはずです。なぜ先ほど、貴方方を一人で追跡したのでしょうか」
それについては一つ、心当たりがあった。
「――海賊船でミラを助けたとき、オーシュは言っていたんです。ミラを殺したくはないと。その言葉の通りなら、皆殺しは避けたいんじゃないか――と」
スティグマを呼べば、皆殺しにすることは簡単にできる。
そうしない理由は、ひょっとして皆殺しではまずいからなのではないか?
アームに足をかけたとき、空気や火の爆発で探査船を破壊することもできたはずだ。それなのにオーシュは、操縦士と技官のみを殺した。
何よりオレを見て、あいつは喜んだ。
――見つけた。ここにいたのかい。
オレが、ミラを連れていることを知っているからだ。
そう言うと、皇女様は暗い顔をした。
「――皇女様、教えてください。高潔のオーシュ……あいつは、何者なんです」
***
「つくづく、時間の流れとは残酷なものだ」
ため息を吐きながら、ソウィユノは言った。
十三番目の扉の中で、倒れているミラの体を見下ろしての発言だ。
クック=ロビン――いや、オーシュの時間が流れだしたのだ。
傍にはノヴェルが、呆けた顔をして腰を抜かしている。
ノヴェルは腰を抜かしながらも必死にミラを肩に担ぎ、頼りなく船倉を逃げてゆく。
「あれがノヴェルか。見たところまだ少年のようだが」
「ああ。不運なガキだ」
カウントダウンを続けていたオーシュは数を数えるうちに眠くなったのか、三まで数えて意識が混濁し始めた。
世界全体が薄暗く、明滅を始める。
「……寝始めたぞ」
「否――違う。見たまえ。私、否、あいつだ」
いつの間にか、ソウィユノが現れ、オーシュの傍に立っていた。つまり今、ソウィユノは二人だ。
二人目のソウィユノはオーシュの
オーシュは目を見開き、跳び起きる。
ソウィユノは消えていた。
「どうやら、オーシュには私の姿が見えたのだ。これも暗示の続きなのだろう」
跳び起きたオーシュは、最前までと異なり尻に火が付いたかのように船倉を走り、階段を上り、主甲板へと出る。
ミラとソウィユノは走ってそれを追いかける。
主甲板に出たミラは、眩しい陽光を遮りながら海を見渡す。
「なんだぁこりゃあ……。一体、こりゃ、どうなってやがる」
さながら海戦のようだった。
海賊船には火の手が上がり、白煙のかかる海上には数隻の軍船がある。
中央のランボルギーニの船は切断され、今にも崩れそうになっていた。
巨大な船同士が互いに身を寄せるようにして連なっており、このクライスラー船にも軍用船の船尾が追突していた。
何より異常なのは、空にある白煙を吸い込む巨大な黒い穴――もしくは球体だ。
まったく光を反射しないのか、立体感が感じられない。
主甲板を走るオーシュが、海面へと飛び込むのが見えた。
「待て! 待ちやがれ!」
ミラはオーシュを追い、十メートルほどの下の海面へとダイブした。
***
海の中は、また違う時刻だった。
船は一隻も見当たらない。
オーシュは体当たりしてコンテナを吹き飛ばしては、落水してくる海賊や軍人を襲う。
――ちがう。
一人食い千切る度に、オーシュの世界は痛々しく歪み、怪物は悶絶した。
光る天井を突き破り、水泡を身に
またその一人を、オーシュは
まるで本物の鮫だ。
――こいつもちがう。
世界が
痛みで目の前が赤黒くなってゆく。
返り血だけではない。
これは彼の痛みだ。
「これが……本当のクックなのか……」
「……どう、かな、私の、知っている彼より……よく、働くじゃ、ないか」
ソウィユノは水中で喋ることにかなり心理的な抵抗があるようだ。
口元を押さえて、恐る恐る口を開いていた。
「何か、を、さ、探している、ように見える、が」
例の黒い力を纏って、鮫に似せた姿に変じている。
水中を高速で泳ぐのに適しているようだ。
その異様な姿に気をとられていたが、確かに何かを探しているようにも見える。
「普通に喋りやがれ」
「これは……なかなか……思い切りが、要る、ものだね」
「こいつはいったいどうなってんだ。どうして息継ぎもなく泳いでいられる」
「鮫のような、姿、だろう? 研究熱心な、男だ。これは見た目だけでは……なく、彼の研究した、鮫の生態に基づいて、器官が造られている。黒い力の応用としては……まさに白眉だ」
「
「いや、知らないが……たぶんないはずだ。オーシュの……オリジナル、だろう」
水の暗がりの中に、ノヴェルとミラが現れた。
ミラはぐったりと沈もうとしており、それをノヴェルが必死に助けようとしている。
――みつけた。
オーシュはいつの間にか、黒い皮を脱ぎ去っていた。
足先からジェットのように魔術を放ち、器用に水中で体勢を変えてノヴェル達のところへ向かう。
意識のないミラの足を掴み、引き寄せる。
「やめろ! クック! ノヴェルも、無茶するんじゃねえ!」
見知らぬ男もいる。
懸命にノヴェル達を助けてくれているようだが、表情を見るだに限界はもうすぐそこだ。
ミラは彼らを引き離そうとするが、勿論記憶に介入できるはずもない。
声すら届くことはないのだ。
そこへ突如、眩しい光が数本の光の筋となって彼らを照らした。
「なんだこりゃ――機械の船――か? こいつはまるで、オーシュそのものじゃねえか……」
「私も……知らない。本にもない。確かにオーシュだ……興味深い。これを、人らが造ったのか。神の所業だ」
オーシュはそれを見て、動きを止めた。
ミラから手を離し、水中を数度回る。
驚きはある。
恐怖はない。
激しい感激と歓喜。
オーシュはそれを見て、歓喜したのである。
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